父を思い出す盆の夜
響ちゃんと大騎くんが帰って、一人きりの時間が訪れた。
近頃の蝉は陽が暮れても鳴き続けるみたい。
わたしはしゃがんで玄関に飾った牛と馬をちょんちょんつつきながら、お父さんのことを思い出していた。
お父さんは工作が得意で、手づくり竹馬の針金の縛りかたや、木工細工の釘を打つときのハンマーの振りかたを教えてくれたり、駅の近くにある中央公園でかけっこをしたり、家にいるときはテレビゲームやカードゲームでも遊んでくれた。インドアゲームは私のほうが上手で、優越感があった。
「あああ!! また負けたー!! 手加減してねぇのに!!」
両手で抱えたコントローラーを上下に大きく振ったりカードの札をばらまいたり頭を抱えながら外に漏れそうなくらい大きな声を出して呻くお父さんの声は、いまでもしっかり耳に焼き付いている。
ほかにも変わり種で、ビー玉やおはじき、けん玉、ベイゴマなどの昭和の遊びもよくやった。
遊びという遊びはだいたい知っているから、当時のわたしは近所の子から現在でも人気のカードゲームで遊んで戯れる王様になぞらえたあだ名が付けられたりもした。
「さて、おふろでも入ろうかな」
掃除をして、ぬるめの湯を張り15分後。シャワーで汗を流してからステンレスの湯舟に浸かった。お肌が荒れるから夏でも白い入浴剤は忘れず投入。
きょうも楽しいハッピーな一日だった。
花火を見に行って演奏をして、江ノ島に行って、わたしにしてはイベントが目白押しだっだけど、とりあえず一段落かな。
え、高3の夏といえば受験勉強?
あぁ、なんだっけそれ……。
よく思い出すワードだけど疲れててよく覚えてないや。
白い波間にぷかぷか漂うアヒルのおもちゃ。
わたしもこんなふうにぷかぷかふわふわした日々を過ごしたいから、背伸びした進路より見合った進路を選びたい。
むしろ思いっきり下げるという手もあるけど、これだと周囲に残念だと思う人が多過ぎて、無駄にレベルを下げて彼らに合わせる日々はそれはそれでしんどいのではと思う。適応障害の引き金。
硬いステンレスの湯舟の縁に後頭部を当てると、一気に力が抜けてきた。
でもそんなとき、元気だったお父さんが日に日に弱って、静かに息を引き取った病室の昼下がりを思い出す。
初夏のある日、病名は肝臓がん。
お父さんはお酒が好きで、周囲に喫煙者が多かったから納得だった。
あの日もいまみたいに近くでアブラゼミが鳴いていて、あまり冷房の効いていない個室の病室は少し蒸し暑かった。
お母さんと二人、お父さんの手を握って、点滴やチューブに繋がれたもうほぼ喋れないお父さんに、色んなことを語りかけた。いま思うと、看護師さんやお医者さんが場を外してくれていたこととか、後になって気付いたことも多い。
そう、後になってから気付くことはけっこうあるのだ。




