旧友再会
「わあ! 秋穂ちゃん!?」
和食チェーン店を出た数分後、滝沢くんと別れてから駅前のレンタルショップに寄り道して、アニメ洋画のブルーレイコーナーを眺めていたら、背後から不意に声をかけられた。
「あら、彩加ちゃん。久しぶりだけど、同じ学校に通ってるって、知ってた?」
「えっ!? そうなんだ! 知らなかった! 秋穂ちゃんおっきくなったね!」
その言葉とは裏腹に、なぜ胸に目を遣った途端に少し残念そうな顔をしたの?
周囲の迷惑になるか否か際どい声量で喋るのは、物心ついたときからの幼馴染み、水城彩加ちゃん。一年度上の三年生で、幼少期は当時でさえ珍しいガキ大将だった。彩加ちゃんは六年前に癌でお父さんを亡くし、それがきっかけで近所から引っ越してしまった。
「彩加ちゃんも大きくなったわね」
昔は男の子みたいだったのに、とても女らしくなったわ。私と比べたら、とてもね。
私が医者を目指すようになったのは、彩加ちゃんのお父さんの死がきっかけだ。私も両親や近所の子ども一同と一緒に何度かお見舞いに行った。当時の彼は点滴により投薬されていたものの、振る舞いは私を含む近所の子供たちを連れ、公園でキャッチボールをしていたころのやんちゃなお父さんそのもので、点滴を射たれていない右手を挙げ、「よう! 今日も来てくれたのか!」なんて抱き寄せられ、頭をわしわしと撫でられた。少々乱暴で暑苦しいけれど、子どもと同じ視線で接してくれる、まるで太陽のような人だった。
身体は日に日に痩せこけ、声の張りは失われる一方なのに、私たち子どもの前では辛そうな顔ひとつ見せなかった。
彼が亡くなったのは、入院から約半年後、最後のお見舞いから一週間後だった。あの日は蝉時雨が一層賑やかで、向日葵が街の至るところを照らしていた。
生前最後に会ったときまでゴツゴツした温かい手で力強く撫でてくれたのに、彩加ちゃんの家に戻ってから触れたときの感触は、ゴツゴツしているのに力なく、冬の岩肌のように冷えきっていた。
けれど、小学生の私には病気にかかり、身体が衰弱して、やがて命が失われるという過程は理解していたものの、それに伴う悲しみや寂しさのような感情は沸き起こらなかった。あれから誰かのお葬式には参列していないけれど、高校二年生になったいま、私は人間らしく、感傷に浸ったり、涙して嗚咽が止まらなくなったりするのだろうか。わからないけれど、周りの誰かがいなくなるなんて、考えたくはない。
お父さんを亡くした彩加ちゃんも、みんなの前では一切涙を見せず、ただ黙って彼の枕元にある線香を焚き続けていた。「このお線香は煙が少ないから、たくさん焚かないとお父さんが道に迷って天国に行けなくなっちゃう」なんて、ヘラヘラしながら。
当時は勉強が苦手だった彩加ちゃん。歳下の私がよく宿題を手伝っていたけれど、お父さんが亡くなってからは一変、一時期は机にかじりついて、少なくとも外では遊ばなくなった。お父さんは亡くなる直前、もし重い病気にかかったとき、医療費を払えるくらい稼いでないと大切な人と早く別れなければならなくなる。たくさん稼ぐためにはたくさん勉強して、お給料をたくさん貰える仕事に就きなさいという旨を伝えられたからだそうだ。
お父さんの言い付けを守り通したからか、彩加ちゃんは現在、学年トップとして有名だ。幼いころから物事を楽しむ才能に長けていて、きっと何かのきっかけで勉学に励む楽しさを発見したのだろう。私には義務的なものを楽しむ才能はないようだけれど、医者になるためには、もっと勉強しなければ。若くして命を失う人を、幼くして親を失う人を、悲しみに明け暮れる人を、一人でも減らすために。
お読みいただき誠にありがとうございます!
次回はこの二人が入浴しながら語らう予定です。百合展開なるか!?