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七英雄と結婚狂騒曲 第一章②

最低の一日の終わりを締めくくったのは、父の本気の説教だった。しかし七英雄との決闘に関しては姉妹たちも絶対に折れず、母も姉妹たちに味方したこともあって、私の読み通り決闘は実現することになってしまった。

 ユリセスが私の部屋を訪れたのは、とうに零時を回った後だったので、最低の一日の翌日だった。

「まさかお前が女になってるとはな」

 私の近況報告を聞いたユリセスは、なんとも形容し難い顔をした。

「こんなに早くバレるとは思わなかったよ。どこで気づいた?」

「初日、港でぼーっと俺たちのこと眺めてただろ」

「あそこで?」

 早っと思った。しかもあの距離だ。どんだけ目が良いんだ。

「その時はまさかと思ったが、俺がフェルちゃんをナンパしてる時、リヤカー引いてぼーっとしてるのを見て、確信した。こいつはアザキルだと。あの世に行った後、どうしていいかわからずに途方に暮れていた時と同じだった」

「っていうか、その言い方じゃいつもぼーっとしてるみたいじゃないか」

 アザキル。前世の私の名前だ。今さら呼ばれるとなんだかむず痒い。

「まあ、俺以外はわからないだろうな。そもそも他の奴らには前世の記憶自体がない。残ってりゃ俺をあっさり仲間と認められるわけがないだろ?」

 ユリセスが片目をつぶった。確かに言われてみればそうだ。

「魔王。わかってると思うけど、このことは誰にも言わないでほしい。そっちだって、前世のことを今さら蒸し返されたら困るだろう」

 何せユリセスは元魔王。そのまま仲良く七英雄にいるわけにはいくまい。ところがユリセスはにやりと笑った。

「その時はその時だ。七英雄じゃなくなろうが俺は何も変わんねえよ。英雄を辞めたらそうだな。世界中の美人ちゃん探しの旅に出るさ」

 私は戦慄してしまった。彼を野放しにしてはならない。前世、私たち(初代七英雄)をいっぺんに相手したあの桁外れの体力が、明らかに間違った方面で無駄遣いされる。

「ねえ魔王。いっそ悟りを開いてはどうかな。全女性の平和のためにも」

「藪から棒すぎるだろうが。まあ、安心しろよ。俺は今の生活が気に入ってるんだ。お前の平凡ライフの邪魔はしねえさ」

笑いながらユリセスは私の背中を叩いた。かなり強い力で私はよろめいた。

「それよりアザキル。訊きたいことがあるんじゃないのか?」

「え?」

「え? じゃねえよ。ろくに面識もない【王女様たち】に、俺たちがプロポーズした件について、質問があるかと思ったんだがな」

私とユリセスは険しい視線を交わし合った。三桁近く戦ったあの時代のように。

「うーん……そこはどうでもいいかな」

頭を掻きつつ答えてやると、ユリセスが「はあ?」と間の抜けた声を出した。

「どうでもいいってお前、怪しく思わないのか?」

「怪しいからこそ関わりたくないのさ」

 へたに探りを入れたら、それこそ藪をつついて蛇を出す事態になりかねない。騒動は望まぬところである。

「関わりたくないって、俺はともかく他の奴らは前世の仲間だろ? 気にならねえのか?」

 心底意外だったのか、ユリセスは面食らっていた。

「仲間といっても、プライベートじゃほとんど喋ったこともなかったよ。みんな結婚してからは、戦場以外で顔を合わせることもなかったし」

「結婚? あいつら、結婚してたのか?」

 初耳だったのかユリセスが目を見張る。

「前世の話だけどね。ちょうど今のように、七人姉妹の王女たちが相手だった」

「っておい、ちょっと待て。七人姉妹ってことは、お前も結婚してたのか?」

ユリセスがツチノコに生殖能力があると聞いたような顔になった。よくわからないがとても失礼な反応だとは理解できた。

「……嫌なところを直球で突いてくるなあ」

「なんだよ。幸せな結婚生活じゃなかったのか」

「幸せじゃなかったから、次は全く別の人生を送りたいって望んだんじゃないか」

ユリセスはそれ以上訊いてはこなかった。妙に気まずそうな表情を浮かべていた。

「あー、その、話が逸れたな。俺たちがこの島にやってきたのには裏事情がある」

「強引な軌道修正だなあ。っていうか、それ、話しちゃっていいの?」

 拍子抜けした。はぐらかすと思ったのに。

「誰が見たって怪しい行動だからな」

 ユリセスはほろ苦く笑った。自覚はあったらしい。

「裏事情って何?」

 特に関心もなかったが、訊いておくのが礼儀と思われた。

「悪いがそこまでは教えられねえ。ただ、この島の人たちには迷惑をかけるつもりはない」

「すでに迷惑をかけられているけど」

「【王女様たち】のことはちゃんと一生大切にする。目的があって近づいたわけだが気に入ったんだ。俺たちを騙し通せると思ってるところが可愛いじゃねえか」

 低く笑うユリセスを見て、私は腹の底からため息をついた。

 ユリセスはとっくに勘づいているのだ。彼女たちが【ニセモノ】だということを。

「調べてないとでも思ったか? この島の王家については、おそらくお前が知らないことまで俺たちの頭に入ってる。家系図、財産、人脈……。そのうちラブタイト島の事典でも作ろうかねえ」

 私は舌を巻いた。七英雄は入念な下調べをして、この島に乗り込んできたのだ。はっきり言って甘く見ていた。だがそうなると新たな疑問が生まれる。

「だったらどうして何も言わないのさ」

 ニセモノと知っていて、あの七英雄が沈黙している理由がわからない。ニセ王女たちを紹介された時点で、暴れ出しそうなものなのに。

「言う必要がねえからさ」

軽くユリセスは肩を竦めた。

「事実を暴露して誰が幸せになる? お前の姉妹たちはもれなく俺たちを嫌ってるし、お前だって、俺たちの誰かの嫁になんかなりたくねえだろ」

 仰せの通りで魔王様、と納得するしかなかったが、やっぱり変だ。今の話から推察すると、七英雄の計画的には、ニセ王女だろうと本物の王女だろうと、実質、大した違いはないということになる。

――彼らは何がしたいのか。何をしようとしているのか。

「アザキル。ここは首を突っ込むな。何も気づかないふりをしてくれたらそれでいい。悪いようにはしねえ」

 ユリセスの口調は脅迫というより懇願に近かった。大人が子供に『これ以上手をかけさせるな』という感じで。

 立場としてはユリセスの方が遥かに優位だ。やろうと思えば今の私を社会的に抹殺することなんぞ、アブラムシを潰すと同じくらい容易いに違いない。そこまでいかなくても、父に難癖をつけて、婚礼が終わるまで私を島から遠ざけておくという処置だって執れるはずなのだ。

 つまりユリセスが懇願するように言ったのは、彼なりの礼儀と優しさなのである。なんだか泣けてくる。

「わかったよ。でも条件がある。条件をつけられる立場じゃないことは承知してるけど」

「なんだよ。言ってみろ」

「決闘を取り止めてくれないかな。そっちの方から断ってくれたらとても助かるんだ。姉妹たちはもう聞く耳を持ってくれなくて」

ユリセスは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり、困ったように頭を掻いた。

「どうかねえ……。他の連中が素直に聞いてくれるかどうか。あそこまでボロクソに言われたら、意地になってるだろうしな」

「断ってくれなきゃ困る。そっちだって素人の女の子たちをボコボコの血まみれにしたなんて噂が立ったらまずいでしょ」

「いや……いくらなんでも女の子たち相手にそこまでしねえよ。やったら男としておしまいだろうが」

 若干ユリセスは顔が引きつっていた。

「だってさ、あの人たち完全に【王女たち】の言いなりだったし……」

「少しは昔の仲間を信用してやれ。彼女たちに傷なんかつけねえよ。せいぜい文句のつけようがないぐらいに実力差を見せつけて、敗北で打ちひしがれているところに追い打ちをかけるように、罵声と嘲笑を浴びせて二度と刃向かってこれないようにするぐらいか」

「何それ。普通に最悪だよ!」

 決闘して皆の前で笑い物にされる姉妹たちを想像して、私は真っ青になった。

「そうだ! 魔王。まず私と君が戦おう!」

「は? なんだ突然」

「私が瀕死の重傷を負って、生死の境をさまようなんてことになれば、決闘どころじゃなくなると思うんだ」

「待て。思い詰めるな。そして俺の評判も考えろ」

私の提案を即座に却下して、ユリセスは嘆息した。

「じゃあこうしようぜ。第一戦目で俺がお前の相手になる。俺はお前に当たらないように攻撃するが、一発だけ目測を誤って、お前のあごをかすめるから。そこでお前は気絶しろ」

「え? かすめただけで? 普通の女の子のふりとしても弱すぎない?」

「普通の女ならそれで十分なんだよ。かすめるのも危ないくらいだ」

 ふーんと納得している私を、ユリセスはかわいそうな子を見るような目で眺めた。

「……で、俺が大騒ぎしてお前を診療所に運ぶ。決闘騒ぎを中止にするだけならそれで十分だ。元々お前が乗り気じゃなかったのは姉妹ちゃんたちも知ってるから、巻き込んだことを気に病んで、とても決闘を続ける気分じゃなくなる。七英雄側も怪我人を出したということで、あっさり引き下がるはずだ。しかもその後はぎくしゃくするから、互いに疎遠になるだろう。俺たちとお前たちが深く関わることはもうないってわけだ」

「気絶してみせるだけでそこまで事態が好転するとは!」

 嬉しさのあまりユリセスに抱きつきたかったが、多分喜ばれないと思うのでやめた。

姉妹たちを騙すことには罪悪感があるが、彼女たちが罵られる姿を見るよりは遥かにマシだ。そのうえうまくいけば七英雄とうちの姉妹の間に、大海原よりも広い距離が開く。これを喜ばずにいられようか。

 イヤッホーと両手をあげている私を、ユリセスがなんともいえない目つきで見ていたが、別の話題を振ってきた。

「それはそうと、今の身体能力はどのくらいだ? 普通の人間レベルなのか?」

「…………」

「なんでそこで黙る?」

「レベルは……大体、前世と同じかな」

 ユリセスはぽかんと口を開けた。予想通りの反応だ。

「お前、平凡を目指してたんじゃなかったか?」

「……そのはずだったんだけど」

 私の脳裏に今生最悪の思い出が甦った。

 あれは十二歳になってしばらく経った頃、朝目覚めたら前世の姿になっていた。それはもうなんの前触れもなく。

 あの時の衝撃は今でも忘れられない。何せ後ろにやけに見覚えのある六枚羽が生えていたのだから。悲鳴をあげなかった自分を誉めてあげたい。

 仕方ないのでしばらくは変化の魔術でごまかし、夏休み(島にも学校はある)に入ってから、霊峰エトナにある大神殿に行った。地上で最も天界と近いとされる場所だ。本当は天界に乗り込みたかったのだが、あそこは神族から呼ばれでもしなければ入れない。

 その後、すったもんだの末、大神官が青ざめながらしてくれた説明によると、私は元々、他の昔の仲間たちのように前世と同じ姿で生まれ変わるはずだったが、私が普通の人間になりたいと最後まで粘ったため、天界の方で胎児だった私の体を変化させた。

 ところがこの魔法、どうやら不完全だったらしく、ある日、あっさり私は前世の――母の胎の中で変化する前の姿に戻ってしまった、という話だった。言うまでもなく天界の不首尾である。

前述の事情ゆえ、天界に押しかけて、やり直しを要求するわけにもいかず、以来、私は泣く泣く、変化の魔術を使い続けている。

 ああ腹立たしい。天界の連中なんか大嫌いだ。

「欠陥工事じゃねえか」

 さすがのユリセスも呆れていた。

「何、こんなことで負けてなるものか。私は平凡に生きてやるんだ」

拳を固く握り締めて私は宣言した。そんな私をユリセスが無常感に溢れた顔つきで見やった。

「すでに平凡じゃねえ気もするがな。つまり今の姿は変化の賜物なんだろ? どこの世界に正体が人外の凡人がいるんだよ」

「世間にバレてなきゃいいんだ」

 大体、前世が天界の駒という時点で、私は平凡からかけ離れているのである。そんな些細な矛盾をいちいち気にしていては、平凡ライフをまっとうするなど夢のまた夢だ。

「居直ってんなあ」

 ユリセスはちょっと感心していた。

「私の話はもういいよ。そっちはちゃんと生まれ変われたの?」

「俺か? 別に問題はなかったぞ。姿や種族は前世のままでOKだったしな」

「そういえば君は獣人族だったっけ」

 世界最強の戦闘種族の一つである獣人族。その立ち位置は基本的には中立で、善良な者もいれば邪悪な者もいる。ユリセスが闇側から光側に(女の子にモテたいという理由で)転じても、特に大きな問題はなかったようだ。それ以前に問題が山積みのような気がしないでもないが。

 私はユリセスの顔を眺めた。真面目にしていればなかなか精悍な男前で、普通の女子ならときめくだろうが、生憎、私にすれば前世最期の光景でしかない。

 死ぬ間際、よりによって目の前にあったのが宿敵の顔で、お互い『人生の最期、こいつの顔かよ』と思いながら、視界に暗幕が下りたあの日の思い出。

 しかも死んだ後も天界の手続きやら何やらで、結構長い間一緒に行動する羽目になった。その時、初めてまともに会話を交わし、ちょっと仲良くなってそれぞれの夢(平凡になりたい)(女の子にモテたい)を語り明かし、お前も頑張れよな的に笑顔で別れたのだった。

「どうした? 遠い目になって人の顔を観察するのやめろよ」

「ああ、ごめん」

私は謝ってから、改めてユリセスの顔をのぞき込んだ。

「英雄ライフは楽しい?」

 ユリセスはきょとんとし、笑った。

「魔王業よりは性に合ってるかもな」

 とりあえず今、世界は平和だ。私の周りを除いて。



《挿話その二》


 婚礼が本決まりになり、七英雄は王宮に滞在することになりました。

自分たちを待ち受ける運命も知らずに……。

 ところがそんなある日、私が庭園に花を摘みに行くと、ひたすら素振りをしている男性が目に入りました。

 黒髪の凛々しい面立ちの青年――七英雄の一人でした。

私は立ち竦みました。婚約したとはいえ、私たちは公の席以外では顔を合わせたこともなく、誰がどの英雄に嫁ぐかも、その時点では決まっていなかったのです。

 しかも私たちの周りでは、七英雄は武勇こそ優れているものの、血も涙もない野蛮な連中だと、まことしやかに囁かれておりました。

――乱暴される!

酷い偏見を抱くと共に反射的に逃げようとした私ですが、相手の方が気づき、切れ長の目を丸くしました。

『あなたは……。俺に何か?』

『は、花を摘みに……』

『ああ、失礼した』

その人は拍子抜けするぐらいあっさりと、花壇の前からどいてくれました。私は目当ての花を摘んですぐに立ち去ろうとしましたが、呼び止められました。

『王女』

『は、はい』

 びくっと震えて後ろを向くと、向こうは困ったようにため息をつきました。

『……そこまで怯えられることは、していないつもりだが』

『あっ、いえ……』

『だったら、その、もう少し気軽に接してくれないか?』

恐ろしいと評判の英雄が、情けなさそうに頭を掻くのを見て、私はその人への恐怖心がみるみる薄れていくのを感じました。

『訓練の邪魔をしてごめんなさい。私はフェリシティと申します』

『構わない。俺の名はギルフだ』

お互いに頭を下げ合ってから、私たちは申し合わせたように吹き出しました。

『今さら自己紹介するのも変な話だな』

『本当ですね』

それから私たちは他愛ない会話を交わしました。いつの間にか七英雄への恐怖と嫌悪は、私の中から綺麗に拭い去られておりました。

 けれども罪悪感が胸を刺しました。

 私たちは父からひそかに命じられていたのです。

 夫婦となった後で、隙を見て七英雄を殺せと。



《第三章 七英雄と七王女の決闘》  


翌朝、私は山菜を採るために山道を歩いていた。七英雄の食事に使うのだ。

 七英雄と姉妹たちの仲がわずか一日で最悪になり、ついには決闘することになったニュースは、昨日のうちに島中を駆け巡ったのだが、七英雄側から食事の配達をキャンセルする連絡は、今のところなぜかない。

 誰も何も言わないが、良く考えればおかしな状況だ。毒を盛られるかもしれないとか考えないんだろうか。いや、盛らないけど父は。

 とりあえず真面目にせっせと山菜を摘んでいると、茂みの奥でがさりと物音がした。気になってそちらを見た私は、一瞬で激しく後悔する羽目になった。

 赤毛の逞しい男とプラチナブロンドの美女が脚を絡ませ合い、熱烈に口づけを交わしていた。

どちらも認めたくないが顔見知りだった。昨晩会った元魔王と、ルランベリー家の三女エメラルドだ。お盛んにもほどがある。何もこんな朝っぱらから外でいちゃつかなくても……。

「エメラルドちゃん、最高だよー。男を悦ばせるのが上手いねー」

「ユリセス様こそ、悪い遊びがお上手ですこと」

くすくすとエメラルドは笑い、再びユリセスに身を寄せた。

 他人の情事なんざ見たくもない私は、急いでその場を立ち去ろうとしたが、運の悪いことに枯れ木を踏んでしまった。

愛欲に溺れていた二人が揃って顔をあげた。ユリセスが私にしか見えない角度でにやりとする。この男、気づいていたのか。

「ごめん。のぞくつもりじゃなかったんだけど」

 とにかく関わりたくない。ぺこりと頭を下げて私は立ち去ろうとした。けれども呼び止められた。

「あれれ? 君、昨日俺たちに喧嘩を売ってきた女の子たちの一人だよねー。おはよー」

 ユリセスが私をろくに知らないように言う。設定は大事だが、今ここで話しかけてこなくてもいいだろうに。「オハヨウゴザイマス」と返しながら、私は心の中で舌打ちした。

幸いというべきかユリセスは、それ以上私に構おうとはせず、エメラルドの頬にちゅっと口づけた。

「そろそろ時間なんで俺は行くよ。帰ったら家でも愛し合おうねー」

「ええ。楽しみにしてます」

 エメラルドは艶然と微笑んだ。

 ユリセスはエメラルドから離れると、深紅の風になって姿を消した。相変わらず素早い。

 その途端、エメラルドは大きく鼻を鳴らした。

「あー疲れた。しつっこいたらありゃしない」

 打って変わって愛想のない態度になったエメラルドは、乱れた髪をかきあげた。

「それでアリオ、あんたはどうしてこんな時間に山にいるの?」

「山菜を採りにきたんだよ。それより服、直したら?」

 今日のエメラルドはユリセスの趣味なのか、体にぴったりしたロングドレスだ(山なのに)。しかも肩の紐が肘辺りまでずれており、盛り上がった胸がほぼ露わになっている。

 目のやり場に困りすぎて死人のような顔になっていると、エメラルドが冷笑した。名前の由来通りの緑の目が嗜虐的に輝いている。姉妹の中で彼女の瞳だけがこの色だった。

「一度くらいなら、遊んであげてもいいわよ。黒天使」

 そう。彼女は島で唯一、私の【正体】を知っていた。

 話は数年前に遡る。

 今から六年前、私が前世の姿になってしまい、どうにかこうにか変化の魔法でごまかしていた頃、エメラルドは人気のない場所で変な男に襲われかけた。

 なんでもハンスおじさんの当時の取引相手だったそうだが、その実態は悪質なペテン師だった。しかも少女趣味だった。

 たまたま近くで山菜を採っていた私は、エメラルドの悲鳴を聞きつけて、現場に踏み込んだ。正体を現す予定は別になかったのだが、あまりにあわてて駆けつけたため変化が解けていた。エメラルドと男の形相を見るまで私はそのことに気づかなかった。

 少々手荒なやりとりの末、ペテン師は転がるように逃げていき、そのまま島から出ていった。その後、なんでも深刻な精神錯乱状態に陥り、病院に入ったと聞くが、同情の余地はない。むしろもう二、三発撲り飛ばしてやりたいぐらいだ。

 問題はエメラルドの方で、私の弱味を握った彼女は、圧倒的な優位に立った。学生時代、それで下僕扱いされて、フェリシティたちに不審がられて、心配されていたのだが、協力的なところもあった。

 その年の夏休み、霊峰エトナに登るため、嘘の旅行をでっちあげなければならなかったわけだが、口裏を合わせてくれたのはエメラルドだった。世間的には私はエメラルドの荷物持ちとして、彼女の旅行についていったことになっている。

「ユリセスさんとうまくいってるんだね」

思った通りの感想を口にすると、エメラルドは不快そうにした。

「そんなわけないでしょ」

「え? でも、あんなに愛し合って……」

「寝てるだけよ」

 身も蓋もなくエメラルドは言い捨てた。

「あれは性欲の化け物ね。ところ構わず求めてくるのよ。挙げ句の果てに気分を変えたいからって、早朝から野外って。なんなのあいつ? 応じるこっちの身にもなれっての」

「なんなのって言われても……」

 エメラルドは元から私の返事を期待していなかったのか、一方的に話を続けた。

「それでもあの人はまだマシな方だわ。とりあえず婚約者の役割に忠実だもの。他の連中なんかキスもしてくれないって姉妹たちがこぼしてた」

「そ、そうなんだ」

 ユリセス以外の英雄はニセ王女たちにまだ手を出してないのか。扱いに困る情報だ。

「そういえばあんたたち、七英雄に喧嘩を売ったのよね。バカじゃないの」

「……言い切ったね」

「あんたたちには私たちが、女を使って七英雄に取り入っているように見えるんだろうけど、私から言わせてもらえば、そっちこそ女であることを利用してるじゃない。あんたの姉妹が男だったら、とっくに抵抗する気力もなくなるぐらいに痛めつけられてるわよ」

 ルランベリー一家の人間に嫌味を言われるのは恒例行事のようなものだが、エメラルドの言葉だけは聞き流せない。彼女の言葉はいつも的を射ているからだ。

「そりゃあそうかもしれないけど、みんなはそんなこと計算してないよ」

「知ってるわよ。無意識だからこそ腹が立つの」

エメラルドは不機嫌だった。こちらを見ようともせずに、荒んだ表情で目を伏せていた。情事のせいか口紅が剥げた唇が自嘲的な笑みを描く。

「……王女様に成り済ました魔女は、たいてい死を賜るのよね。愛した王子様から」

「何それ?」

「ただの童話よ。気にしないで」

 身繕いを済ませたエメラルドは、私に背を向けて山を下りていった。花のような香水の匂いが残った。


朝の酷い遭遇を経て、私はルランベリー邸に朝食を届けに行った。いつも通りにジャックに手渡して帰ろうとしたところで、声をかけられた。

「待て」

「は?」

 振り返るとギルフが、それはそれは不機嫌そうな顔で腕を組んでいた。私は猛獣に出くわした気分をリアルに味わった。何が嫌って、ここが本来危険地帯でもなんでもない親戚の家の庭だというところだ。

「ええと、私ですか?」

「他に誰がいる。話がある。こっちだ」

 抵抗する余裕すら与えらず、私はギルフに屋敷の庭の隅へ連行された。つかまれた腕がぎりぎりと悲鳴をあげる。

「なんですか? 一体」

赤くなった右腕をさすりながら訊くと、ギルフは眉間に皺を寄せたまま、険しい眼光を私に注いできた。

「昨日の娘たちの一人だな」

「そうですけど、どういう用件ですか? 今後、うちの店を利用したくないっていうなら、父にそう伝えますから……」

「そんなことは言ってない。第一、俺たちに毒は効かん。毒を盛るだけ無駄な話だ」

「そ、そういう問題なんですか?」

 確かに七英雄は元々頑健なうえ、天界から諸々の加護を受けているので、毒に対する耐性が異常に高い。人間界に出回っている毒物程度なら、まともに通用しないくらいだ。

実をいえば【後悔先に立たずの煙玉】も、七英雄にはさほど効果がないはずなのだが……。まあ床に伏せていたのは、気分の問題だったのだろう。

「食事の話はこの際どうでもいい。用は別にある」

「……まさか決闘のことですか?」

 私は嫌な顔をした。勘弁してほしい。朝っぱらからそんな物騒な話なんてしたくない。しかもイケメンだが死神のような気配を漂わせた男と。

「決闘については私からは何も言えません。他の姉妹を当たってください」

するとギルフの面相がことさら凶悪になった。

「あの女性たちは、本気で俺たちに挑むつもりなのか」

「あれが冗談に見えたんですか?」

 まあ普通、人類最強の男たちに、一般人(しかも女性)たちが喧嘩を売るなんてありえない。その普通じゃないことをやってしまうのがうちの姉妹なのだが。

「…………」

「ギルフさん?」

まるでこの世の終わりのような面構えで、下方向に頭を垂れていたギルフだったが、すぐに重々しく口を開いた。

「……いや、今話したいのは決闘のことでもない」

突然、ギルフは魔剣を抜き払い、私の喉元に切っ先を突きつけてきた。

「お前は――何者だ?」

私は凍りつき、たらりと冷たい汗を垂らした。

「なななな何を……!」

「お前、ただの一般人ではないな」

 人喰い虎のような眼をしてギルフは一歩踏み込んだ。魔剣の先端が私の喉から数ミリのところにまで迫る。

 万事休す。

 ギルフは私の正体を看破したわけじゃないようだが、疑惑を抱いたようだ。一流の剣士の勘を甘く見ていた。

「正体を隠す目的はなんだ? 答えねば剣で問うことになるぞ」

 華やかなルランベリー邸の庭園で、あわや流血沙汰になろうかと思われたその時、ギルフの肩に腕が回された。

「ギルフちゃん、朝食の用意ができたよー」

 いつの間にかユリセスがギルフの側にいた。へらへらと笑っているが、眼が油断なく光っている。

「ユリセス……」

邪魔するなという感じで、ギルフがじろりとユリセスを睨んだが、ユリセスは至って平然としていた。

「さあ、そんな危ないモノはしまおうねー。決闘はまだまだ先なんだから」

ギルフは不本意そうだったが、案外あっさりと魔剣を鞘にしまってくれた。だが私への殺気は解かなかった。

「怖かっただろ。仲間がごめんねー。送ってくよー」

「は、はい」

天の助けとばかりに私はユリセスの手を取り、歩き出した。だが進んでいく間ずっと背中に視線を感じた。ギルフが眼光鋭くこちらを見ている。私はぞっとした。

ギルフから十分に離れると、ユリセスが手を放した。

「ここまでくれば大丈夫だろ」

「魔王。どうしてここに?」

「お前がギルフに連れて行かれたって、あの召使いの坊主が泣きそうになってたんだ」

 ありがとう! ジャック。君のおかげで命拾いした。今度何かおごろう。

「しかしギルフの奴、妙なところで鋭いな」

 ユリセスが舌打ちした。ギルフが私への疑惑を突き詰めていったら、彼が元魔王だった事実も暴露されかねないのだ。いくら『その時はその時だ』と言っても、今の生活にそれなりに未練はあるのだろう。

「今はごまかせたけど、斬りかかられたら一発で終わりだ」

元が黒天使で、ユリセスには劣るがそこそこ頑丈な私は、魔剣で斬られても即死することはない。一撃を受けて死なない時点で変だと疑われる。

 かといって避けたら避けたで、こいつはなんだという話になる。本気になったギルフの剣は同じ七英雄すらそう簡単には見切れない。ただの小娘がギルフの剣をかわしてしまったらまずいだろう。人外だとバレてしまう。

 頭を抱えて唸っている私の隣で、ユリセスはしかめっ面をしていたが、「はあああ」と大げさなため息をついた。

「仕方ねえな。当分は俺が護衛してやる」

「え? 本当に?」

「三度の食事を配達するのはお前の仕事なんだろ。家族に心配かけたくないお前が、このことを打ち明けるとは思えないしな。俺がうろついてりゃギルフも近づいてこない」

「……魔王。いえ、王子様……」

「やめろ」

 目をきらきらさせる私の頭を、ユリセスが乱暴に小突いた。


 それからは毎日ユリセスが三度の食事を運ぶ度、影のように付き添ってくれた。

 おかげでギルフの襲撃を受けることもなく、私は平和に暮らしていたのだが、知らないところで恐るべき波紋が広がっていた。

 ある日の夜、私はなぜか父の部屋に呼ばれた。

「……なんで呼ばれたかわかっているな。アリオ」

「え?」

 私は戸惑った。本気で心当たりがない。ぽかんとしている私の前で、父が苦渋の面相で告げた言葉は、

「お前が七英雄のユリセス殿の……恋人になってるという話を聞いた」

これほど度肝を抜かれたのは、十二歳の朝に前世の姿になって以来だった。

「こここ恋人っ!?」

「確かに妙だとは思っていたんだ。お前が配達に行く度に、彼が後ろからついていくのは知っていた。手の早い男だと聞いていたが、まさかお前にちょっかいをかけるとは……!」

「ち、違うよ! 父さん」

あわてて私は弁解した。嫌な汗が大量に額から流れ出る。

 そうだった。今の私は一応女だった。世間では【若い娘】のカテゴリーに含まれる私が、女好きのユリセスと行動を共にしていたら、どう見られるか――予測できなかった己のバカさ加減が悔やまれる。

「ユリセスさんは親切心から送り迎えしてくれていただけなんだよ。つき合ってるとかじゃ全然なくて」

「送り迎えが必要なら、フェルにでも言えば良かっただろう」

「そういう問題じゃなくてさ……」

 まさかギルフに目をつけられてしまったので、牽制のためにユリセスが同行してくれていたとも言えず、項垂れる私を見て、父はますます表情を厳しくした。

「とにかく今後は彼と会うことは許さん。お前には謹慎を言い渡す!」

かくして決闘の日まで私は外出を禁じられた。いくら違うと否定しても信じてもらえなかった。

 配達の役目は、オーガルおじさんのところの若い者が交代で担うことになったらしい。

婚礼が近づき島がいっそう賑わう中、謹慎を食らった私は、ぽつんと家で留守番をしていた。

 窓から人々が懸命に作業する声が流れ込んでくる。

 ベッドに寝そべり、私はため息を吐き出した。

 今まで自分の性別について、深く考えたことはなかったが、女の身とはなかなか面倒なものだ。

あれからユリセスには会っていないが、こんなことになって結果的に迷惑をかけてしまった。いくら彼が女好きでも、噂の相手が私である。気分は良くないはずだ。

せめて一言詫びたいと考えていると、不意に窓が叩かれた。ハッと顔をあげるとユリセスがなぜか逆さまで窓の外にぶら下がっており、声に出さずに『開けろ』と口を動かした。

私が急いで窓を開けると、音もなくユリセスが中に着地した。

「謹慎食らったってんで顔を見にきたが、元気そうじゃねえか」

 ユリセスは怒ってはいなかった。むしろ私の様子を見てほっとしていた。

「良い奴だなあ。魔王」

「おい、泣くなよ。わかんねえ奴だな」

なんだか泣けてきた私をユリセスが小突いた。

「ごめん。私のせいで変な噂を立てられて」

「俺とお前がデキてるってか。まあ、傍目から見れば男と女だからなあ。俺はいいさ。世間のヒンシュクを買うのには慣れてる」

カラカラとユリセスは笑った。

「ギルフは何か言ってる?」

「あれからギルフがお前を引っ張っていったことが、アメジストちゃんの耳に入ったんだ。彼女、すっかりつむじを曲げてな。今、ギルフは婚約者の機嫌を取り繕うのに必死だ」

「もう私を斬る気はなくなったかな」

「とりあえず、口には出さなくなったぞ。あいつもお前を斬るより、目の前の美人ちゃんの方が大切なんだろう」

「そう願いたいよ」

 私がぼやくと、ユリセスは表情を改めた。

「それより覚えてるか。決闘は明日だ」

 そうなのだ。七英雄と私たち姉妹の決闘は明日に迫っていた。

「俺がお前を上手にぶっ飛ばせば、変な噂も消えるだろ」

「頼むからあの世まで飛ばさないでね。前世と同じ享年なんて笑えない」

ユリセスがふっと微笑んだ。

「なんか面白かった?」

「違う。お前とこうして話すのも、きっと今日が最後だな」

確かに、明日の八百長試合で私が怪我をすれば、七英雄とうちの家族の間には深い溝が生まれ、言葉を交わす機会もなくなるだろう。

ユリセスは七英雄の真の目的については『首を突っ込むな』と言った。つまり決闘が終われば、二度と私と個人的に会うつもりはないのだ。元英雄と元魔王としては。

「魔王」

「ん?」

「お元気で」

「ああ。お前もな」

どこかで聞いたようなやりとりだと思えば、あの世で別れた際にした会話だった。それに気づいたのかユリセスが声を立てて笑い、私も笑った。


次の日、天気は忌々しいぐらいに晴れ渡っていた。

眩しい太陽の下、島の浜辺で向かい合う七組の男女。それだけ聞けば青春小説の一場面のようだが、女性側は私を除き、皆殺気立った形相で武器を構え、男性側といえば病気でも患ったような面相で項垂れていた。

 それを島の住民たちがぐるりと取り囲んで見物している。

 七英雄と私たちが決闘するという話は、すでに島中に知れ渡っていて、当日は見物人が大勢押しかける事態となった。露店までちらほら見受けられる。もう何がなんだかわからない。イカ焼きの匂いがやけに鼻につき、無意味に食欲をそそる。

「良くきたな」

ガイアークが蘇ったばかりの死人のような声を出した。良く見ればちょっと涙目になっている。今になって改めて激しく後悔しているようだ。言うまでもなく遅すぎる。

「当たり前だ。私たちが尻尾を巻いて逃げるとでも思ったか」

 フレイヤ姉さんの目に迷いはない。姉さんとてバカではないので、自分たちと七英雄の力量の差は十分承知している。だが家族を侮辱されて黙っていられるほど、姉さんは従順な性質ではない。それは他の姉妹も同様だ。

身内を侮辱されたら刃で返す。姉妹たちの行動原理はこれに尽きる。勝つか負けるかじゃなく、生き方の問題である。

東洋のサムライのような形相をしたフレイヤ姉さんから、ガイアークは泣きそうな顔でそっと目を逸らし、辛うじて言った。

「勝負は一対一。どちらかが四回勝利をおさめた時点で終了にする。戦闘不能になったら負けということでいいか?」

「ああ、構わない」

「では最初は……」

「はーい。俺がやるよー」

 と、ユリセスが笑顔で名乗り出た。計画通りである。

「お前が?」

 ガイアークは戸惑い、変質者でも見るような目つきになった。

「わかっていると思うが、彼女たちに妙な真似をしたら、問答無用で失格だからな」

 ユリセスは下半身関係において全く仲間から信用されてないらしい。

「えー? いつできたのそのルール。それって向こうに有利な条件じゃない?」

「お前が変な真似をしなきゃいい話だ」

 一回戦の向こうの相手がユリセスに決まったので、こちらも選ぶことになった。

「さて、どうする……」

「わ、私がやる」

 フレイヤ姉さんが言い終えるより先に、私が手を挙げた。皆の目が一斉にこちらに向けられる。

「アリオ……本気なの?」

フェリシティがなぜか怒ったような顔で詰め寄ってきた。

「う、うん。ほら、相手は七英雄最強の人でしょ。誰が出ても勝てないと思うんだ。だから私が当たるよ。残ってても大して役に立たないだろうし」

決闘は総当たり戦なので、どんな形でも勝負がついたら次からは出られない。だから最強のユリセスに最弱の私がぶつかるのが、この場合一番理にかなっていると言ったわけだが、姉妹たちの表情は晴れなかった。

「……アリオ。無茶をするな」

どういうわけか憐れみをたたえたフレイヤ姉さんに、ぽんっと肩を叩かれた。

「お前、あの男のことが好きなんだろう?」

「だから、それは誤解なんだってば」

 私はげんなりした。さっさとユリセスに倒されて、この面倒臭い噂を根底から消し去ってしまいたい。とても仲が悪いところを見せれば、自ずと誤解も解けるだろう。

だが世の中とは大旨うまくいかないものだと、私は次のフレイヤ姉さんの台詞で思い知る羽目になった。

「ごまかさなくてもいい。いくらなんでも好きな男と戦わせるほど、私は非道じゃないぞ」

 私が気が遠くなりかけた。いや気を失ってなんかいられない。ここでユリセスと戦えなければ、計画が丸つぶれになる。

「あのさー、全部聞こえてんだけど」

 そこに当事者が他人事のような口調で割って入ってきた。気がつけば七英雄も全員こちらを凝視していた。比較的良識人のガイアークとセルウェンが、気まずそうに下を向く。

 例の誤解はどうやら七英雄側にも浸透していたらしい。私は心の中でぎゃふんと言った。

「悪いけどさ、俺とその子、別につき合ってないよ。配達の行き帰りに、女の子の一人歩きは危ないからつき添っただけで」

ユリセスの話は、ギルフの件を出さなかっただけで、大体正しかった。

ところがそれを聞いた姉妹たちはみるみる怒りをみなぎらせた。

「よくもそんなことが白々しく言えるわね。アリオを弄んでおいて!」

 ネイ姉さんがユリセスにありったけの怒声をぶつけた。

「姉さん、私は弄ばれてなんか……!」

言い終える前に私はぐいっとパレアナに引っ張られ、後ろに下げられた。横を向くとパレアナの白い頬が、激しい怒りで紅潮していた。

「アリオ姉さんはね、すっごくおとなしい子なのっ。なんとも思ってない男に、行き帰りの護衛を頼んだりしないわ。あんたにとっては遊びでも、アリオ姉さんにとっては本気の恋だったのよ! 純情なアリオ姉さんを騙して、覚悟はできてんでしょーねっ!」

 なんだかえらいことになってしまった。決闘を前に突如勃発した修羅場(ただし事実無根)に、周囲の野次馬たちもざわつき始める。

「おいユリセス」

 ガイアークがいつになく顔つきを引き締めて、ユリセスを睨み据えた。

「お前の私生活のだらしなさは、今に始まったことじゃないが、何もこの姉妹の一人……それも恋愛に対して全然免疫がなさそうなお嬢さんに、わざわざ手を出すことはなかったんじゃないか?」

 大真面目にガイアークは怒っていた。とんでもないことに私をユリセスの恋人の一人だと信じてしまったらしい。『返答次第じゃ撲る』と目が言っていた。

「とにかく謝れ。いくらなんでも今回はお前さんが悪い」

 セルウェンが素行不良の子供に付き添う保護者のように、ユリセスの頭を押さえて、無理やり下へと向かせた。 

「そ、そんな、やめてください」

 私はあわててセルウェンを止めた。この件に関してユリセスに罪はない。冤罪は断じて防がなければならない。

「あーあ、バレちゃったか」

 何?

異様にぎこちない動きで顔をあげた私が見たものは、セルウェンの手を振り払って、不敵に笑っているユリセスの姿だった。

「アリオちゃん、もうちょっとうまくごまかさなきゃダメだよー。あっさりわかっちゃったじゃない。ほーんと使えないね」

「はい?」

思考が麻痺して状況に追いついてくれない。この人は一体何を言ってるのか。

「悪いけど謝らないよー。そっちだって良い記念になったでしょ。俺みたいな良い男に初めてを貰われてさ」

「はあ?」

 間抜けた顔で呆けていると、後ろからの姉妹たちの怒りの声に物理的に押されて、よろめきかけた。

「このっ……最低男っ!」

パレアナが噛みつきそうな形相で怒鳴る。何事かと思っていたら、フェリシティとエーメに左右からぎゅっと抱きしめられた。

「ごめんね。アリオ。気づいてあげられなくて。私がちゃんと相談に乗っていたら……」

 フェリシティが私の肩に顔を押しつけて、泣いていた。ユリセスの訳のわからない台詞より、そちらの方が私にはよほど衝撃的だった。

「アリオ姉さんは悪くないよ。だから……うえっ……」

エーメまでもくしゃっと顔を歪めて、ぼろぼろと泣き出した。

「な、泣かないで。二人とも」

必死でなだめていると、背中を突かれた。後ろには目を真っ赤にしたジュディスがいた。口元をいつも以上に強く引き結んでいる。

「安心して。カタキは取るわ」

「カタキ!?」

いつからカタキ討ちの話になったのか。全く展開についていけない私の耳に、押し殺したフレイヤ姉さんの声が入ってきた。

「いいや、ジュディス。ここは一番上の私が行く。あの男だけは生かしてはおけない。たとえ刺し違えても……!」

「ま、待って」

私はどうするんだこれという意味を込めて、ユリセスを見やった。

そのユリセスは、ガイアークに胸ぐらをつかまれていた。

「お前っ……なんてことを言うんだ!」

良識派のセルウェンは元より、今や他の仲間たちまで責めるような眼差しをユリセスに注いでいる。その中でユリセスはせせら笑っていた。

「ハア? ちょっとつまみ食いしただけでしょー。王女様も遊びで手ぇ出す分は許すって言ってたしさ」

「そういう問題か! 彼女の気持ちを考えたことがあるのか!」

「彼女ってアリオちゃん? なんで考える必要があんの? 俺を誰だと思ってんの。抱いてやっただけ光栄だってもんじゃない」

 へらへらとユリセスは笑いながら、一瞬だけ鋭い視線をこちらに向けてきた。

 そこにきてようやく私はユリセスの真意が読めた。

「し、信じてたのに!」

 私は気力を振り絞って声を張り上げた。居合わせた人々の目が一斉に私に集中する。果てしなく恥ずかしい。なんの辱めだこれは。だがやり通さなければ。

「ひどいよ! ユリセス。愛してるって言ってくれたのは嘘だったの?」

「当たり前だろー。俺には婚約者がいるもん。君なんかに本気になるわけないじゃん」

 ガイアークを押しのけてユリセスが私の前に立つ。笑っているが、目の奥はなんだか疲れ切っていた。当然だ。島の住民だけじゃなく、仲間たちからの評価までも底辺を下回ったのだから。

 しかしこれで、彼と勝負をする理由ができた。そのためのユリセスの演技なのだ。

 ユリセスの今後の人間関係が非常に危ぶまれるが、彼が最低男の汚名を被ってまでくれたトスだ。ここは芝居を続けなくてはならない。

「あ、あなたの決闘の相手は私がする! かなわないかもしれないけど、このままじゃ気が済まない!」

私がユリセスに告げると、姉妹たちがざわめいた。

「アリオ! お前……」

「フレイヤ姉さん、ごめん。ここはやらせて」

「……っ。わかった。危ないと思ったらすぐに棄権するんだぞ」

「うん……」

 私とユリセスはようやく一対一で向かい合った。ここまで至るのに多くの物を失った気がする。私じゃなくユリセスの方が。

「ふーん。俺に挑もうっての。怪我しても知らないよー。もう君の体には飽きちゃったから、手加減する気もないしねー」

「ひ、ひどい。で、でも、私だって戦えるもの」

騙した男と騙された女の演技をしながら、至近距離で見合った互いの目が、どこか虚ろだったことに、当人同士だけが気づいていた。

私は大きく深呼吸して、自分の武器――物干し竿を握り締めた。普段、全く戦わないので家から適当な物を持ってきたのだ。

 予定より十分近くも延びて八百長試合が始まろうとしていたその時、猛烈にガイアークが走ってきて、ユリセスの頭を鷲づかみにし、そのまま力任せに地面に押しつけた。

「済まなかったっ!」

 唖然とする私の目の前で、ユリセスの顔面を砂浜にめりこませたまま、ガイアークが土下座した。

「え……あの……」

「この度は仲間が申し訳ない! いや、謝って済む問題だとは思わない。こいつには必ず責任を取らせる!」

「いえ、責任なんて全然いいですから、決闘させてください」

 青ざめて私は頼んだが、ガイアークは頭をあげず、熊のように広い肩を大きく震わせた。

「フレイヤ殿、決闘はそちらの勝利だ」

「えっ?」

 フレイヤ姉さんが驚いたように声をあげた。

 他の英雄たちも驚いていた。その中でワイナモイネンが不服そうに言った。

「ガイアーク。何も負けを認めなくてもいいじゃありませんか」

「わからないのか。この度はユリセスが戦士としてあるまじきことをした。戦う以前の問題だ。俺たちは七人で七英雄。一人の堕落は七英雄全員の堕落でもある。俺たちは心構えからしてすでに彼女たちに劣っていたんだ」

 ガイアークは立ち上がり、もう一度私に頭を下げた。

「ユリセスの処分についてはそちらに一存する。煮るなり焼くなり好きにしてほしい」

 なんだかんだで決闘はこちらの不戦勝に終わった。周囲に喜びよりも戸惑いが走る中、私は呆然と立ち尽くしていた。展開が早すぎて頭が飽和状態になっていた。そして砂浜にめり込んでいるユリセスはどうしよう。

 と、その瞬間、ギルフが動いた。

 すっかり油断していた私はそれに気づかず、ハッと振り返った時には、ギルフは剣を抜き払って、電光石火の速さで目前に迫っていた。

「アリオっ!」

 フェリシティの悲鳴が聞こえ、目の前でぱっと鮮血が飛び散った。

「つっ……!」

 私を抱え込んだユリセスが、低くうめいた。魔剣の刃はユリセスの背中に一撃浴びせていた。

「なんで……!」

 ユリセスは私の声を無視して、砂浜に血を滴らせながら、すっくと立ちあがってギルフを睨みつけた。

「いきなり斬りかかるなんざ、ずいぶん汚い真似をするじゃねえか」

 日頃の軽薄さが嘘のようなユリセスの気迫に、周囲が静まり返る。

「いや、それより傷!」

「うるせえ。こんなのほっといても治る。俺がどんだけ丈夫か、お前が一番良く知ってんだろうが」

 知ってます。確かに。苦労させられましたから。

 現にユリセスの怪我はみるみる癒えていった。彼の自然回復力は常識の範疇で考えてはいけない。大体、魔剣の刃を受けてこんな浅い傷なのも普通じゃありえない。竜の鱗さえ泥のように裂く魔剣なのに。

「お前、まだこいつをつけ狙ってたのか。いい加減にしろよ。事と次第によっちゃ俺が相手になるぞ」

 金の両眼を烈しくぎらつかせて、ユリセスは両手を組んでバキバキと鳴らした。

 殺気の対象になっているギルフは、魔剣を抜いたままだったが、再び斬りかかってこようとはせずに、なぜかやけに深刻かつ複雑な表情を浮かべた。

「――やはりそうか。ユリセス、お前の気持ちは真剣だったのだな」

「へ?」

 場にそぐわない間抜けな声はもちろん私のものだ。そんな私を見ようともせずにギルフは推論を展開させる。

「お前は女にだらしないとはいえ、アリオ殿のことは特別扱いしているように見えたのでな。案の定か」

それは私が女じゃないからという心の絶叫は、無論ギルフには届かない。

「大方、二人で組んで一芝居打ったんだろう。不仲のところを見せれば世間からあれこれ言われることはなくなる。忍ぶ恋というわけだな」

違うよ!

悪質な嫌がらせなのかと疑ったが、ギルフは本気でそう思い込んでいるようだ。私とユリセスが、秘密の恋をごまかすために、あえて仲が悪いところを見せようとしたと。

凍りつくとユリセスにさらなる試練が襲う。

「そうだったのか……。何も知らないで俺はっ……! 悪かったユリセス!」

ガイアークが号泣し出し、隣でセルウェンがうんうんとうなずいていた。

「ちょっと泣かせるじゃない。ただのドスケベ野郎かと思ってたのに」

 マイラがにこやかに失礼なことを言い、アドランがやけにきらきらした目でユリセスを眺めていた。

「僕、ユリセスのこと、誤解してたみたい。こんなふうに命がけで誰かを愛することができるなんて……純粋な人だったんだね」

どうしよう。突っ込みどころが多すぎて突っ込めない。

「アリオ……」

 と、声をかけてきたのはフェリシティだった。深くうつむいた彼女は叱られた子供のような顔をしていた。

「お互い本気だったのね。それなのに私、ユリセスさんを悪く言っちゃって……」

「フェル。聞いて。私たち本当は……」

 これ以上誤解を放置しておけば、取り返しがつかないことになる。そう判断した私は急いで軌道修正に乗り出した。

 だが、遅すぎた。

「アリオ。私たちはどんなことがあってもあなたの味方よ」

 がっしりと私の双肩をつかんで、フェリシティは力強く宣言した。

 私たちという言葉に反応して姉妹たちを見やると、今や温かい目で私とユリセスを見守っていた。泣きそうになった。もちろん感激とは真逆の意味で。

「そこまでにしておきなさい」

 ワイナモイネンが冷徹な声で、変な盛り上がりを見せている皆を制した。

私はワイナモイネンが冷静なことにほっとした。彼ならこの状況に流されることなく、事態を収拾してくれるだろう。

「今は二人の未来を考えることが先決でしょう。このままというわけにはいきません」

 誰が次のステップへ踏み出せと言った。

「私たちは婚約している身ですが、ユリセスが本気になったことは喜ばしい限りです。私としては、彼にせっかく取り戻した誠実な心を失ってほしくありません」

 日頃のユリセスの行状と、彼に迷惑をかけられているらしい仲間たちの気苦労が窺える一言だった。

 そこに、けたたましい女の声があがった。

「もう見ていられませんわ!」

 誰かと思えば、ルランベリー一家が凄い顔をして迫ってくるところだった。そういえば島中の人間が周りを取り囲んでいたんだった。途中から忘れていた。

「どういうつもりですの? 七英雄の皆様。そんな小汚いアリオとユリセス様の未来を考えるなんて! エメラルドがかわいそうじゃありませんか!」

 ルビーが歯茎をむきだしにして七英雄に詰め寄った。当のかわいそうと評されたエメラルドといえば、冷めた目つきでこのやりとりを眺めている。特に関心がない様子だったが、私と目が合うと口角をあげた。嘲笑うように。

 嗚呼……彼女はこの猿芝居に気づいてる。昔から私の嘘を見抜くことにかけては家族以上だった。

「し、七英雄よ。姫たちを娶ってくれるのだろう? 約束したものな」

 ハンスおじさんが顔色を変えてガイアークに縋りついた。ガイアークは困った顔でハンスおじさんを見下ろした。

「……もちろんですとも」

「ならば、この場でアリオと縁を切ると誓ってほしい。いや、アリオだけじゃなく、この娘たち全員とだ」

 ハンスおじさんは相当焦っていたのだろう。強行手段に出た。

「ちょっと、今そんなこと言わなくたっていいじゃない!」

 パレアナが咎めたが、ハンスおじさんは聞こえないふりをしていた。

「君たちはわしの娘の婿になるんだろう。こんな下賤な娘たちと関わる必要はないはずだ。簡単ではないか」

腹立たしい物言いだったが、ひょっとすると案外好機じゃないのか。予定とはかなり違うが、これで七英雄と姉妹たちの交流は途絶える。

 だが七英雄はなかなか承諾しなかった。私とユリセスの仲を誤解しているせいか。やばい。誤解を解くのは難しいにしても、せめて誓いだけは成立させなければ。とりあえずそれで当初の目的は達成される。

「良いんです。皆さん。誓ってください」

 私は本日何度目かの演技をした。七英雄が揃って目を丸くする。

「しかし君は……」

 ためらっているガイアークに私はぎこちなく笑いかけた。拙い演技ゆえぎこちなくなったのだが、却ってそれが無理に笑っているように見えたようだ。

「私は、ユリセスに少しでも想われていたとわかっただけで、十分です。もうこれ以上は望みません」

 傍らのユリセスを見上げると、心の底から妙な顔をしていた。やめてくれ。私だって辛いんだ。

「良く言ったアリオ。彼女もこう言ってることだし、さあ、誓いを……」

 空気を読まずに、私の期待通りの行動をしてくれるハンスおじさんだったが、そこで予想外の伏兵が登場した。

「よろしいんじゃなくて。アリオを愛人にすれば」

エメラルドが優雅に口を開き、私に爆弾を放った。

「エ、エメラルド。お前は何を……!」

 あわてふためくハンスおじさんに対して、エメラルドは余裕そのものだった。冷たい微笑みを浮かべて言葉を続ける。

「何人の愛人がいようと私は気にしませんわ。いちいち目くじらを立てているようでは、英雄の正妻は務まりませんもの」

「し、しかし……」

 顔色が青紫になっているハンスおじさんを完全に無視して、フレイヤ姉さんが進み出た。

「アリオを愛人にするだって? ふざけるな!」

「残念ね。本物の王女であれば正妻になれるのに。……姉妹揃って」

 意味ありげにエメラルドに笑いかけられて、フレイヤ姉さんは顔面を引きつらせた。

 今事実を暴露すれば、私はユリセスの正妻になれる(誰も望んじゃいないが)。しかし同時に、姉妹たちもまた、英雄たちに嫁がなくてはならなくなるのだ。

エメラルドは、全てを打ち明ける覚悟がないなら引っ込んでろと、フレイヤ姉さんに睨みを利かせたわけだ。

 だからって愛人はないだろう。なんだって私が、ユリセスと不倫の間柄にならなくちゃいけないんだ。

「さてと、私は帰ります。バカ騒ぎで疲れてしまったわ」

流れるような足取りでエメラルドは去っていった。途方に暮れる一同を残して。


 それから私は家族の追及を逃れて、ひそかにエメラルドの部屋に忍び込んでいた。学生時代は彼女の家来をしていたので、誰にも見咎められずにここに至る道筋も腐るほど知っている。

「どういうつもりなんだ」

「あまりに気持ち悪い芝居をしてたから、水を差してやろうとしただけよ」

 ベッドに寝そべって本を読むエメラルドに反省の色はない。

「やり方がひどいだろう! どうしてくれんの。明日から私は愛人だよ? しかも相手が男って!」

「大変ね」

「うわ、超他人事! 何、嫌だこの人、怖いっ!」

「煩い」

 エメラルドが投げたクッションが私の顔面に直撃した時、ユリセスの声がした。

「楽しそうだねー」

「あら、ユリセス様」

エメラルドがベッドから身を起こす。丁寧な口調だが、どことなく以前と違うように思えた。甘い媚びが消えて冷ややかになったようだ。

「どうかなさいまして? 可愛い婚約者と愛人に会いにきたのかしら?」

「愛人じゃない!」

「可愛い婚約者の方にだよー。ねえ、君はアリオちゃんの正体を知ってるのかな?」

 私の渾身の突っ込みは無に帰し、エメラルドとユリセスは、しばし互いを探るように見つめ合った。

「ええ。十二歳の時、本当の姿を見ましたから」

 エメラルドの口元に挑戦的な笑みが浮かぶ。ユリセスがすっと眼を細めた。

「ふーん。じゃあ、こいつが初代七英雄最強の男【黒天使】アザキルだってことも、知ってる?」

 初めてエメラルドの顔に驚愕が走り、当惑したように私を見つめた。

「……初代七英雄の一人?」

「本来ならアザキルがまた七英雄に転生するはずだったんだけど、そいつは凡人になりたいって言い出して、今の姿になったわけ。代わりに入ったのが俺なんだ。ああ、俺は元々、魔王だったんだけど、英雄を志望してねー」

「魔王……。まさか魔王オデセア?」

 愕然とエメラルドがつぶやくのを聞いて、ユリセスが低く口笛を吹いた。

「驚いたなー。俺の昔の名前を知ってるなんて」

「馬鹿にしないでくれる? あなたたちがきてから、自分なりに七英雄について調べたのよ。初代のこともそれなりに」

エメラルドはフンと鼻を鳴らした。七英雄に対する態度とは思えない。なぜかここにきて猫かぶりをやめたらしい。

「あんた、なかなか話せるじゃねえか。ただのお嬢さんじゃないってわけか」

 ユリセスもまた軽薄な笑顔を消し、素に戻っていた。彼が女性に対して本来の顔を見せるのは珍しい。これはひょっとしてお互い本気になったということか。なぜこのタイミングなのかはわからないが。

「お誉めにあずかり光栄ね。ところでユリセス様」

「ユリセスでいいぜ」

「じゃあユリセス。あなたたち何が目的なの?」

ずばりとエメラルドは核心を突いた。ユリセスがかすかに眼を見開く。

「目的ねえ。あんたを気に入ったじゃいけねえか」

「生憎、夢は見ない主義なのよね。大体、あなたたちは求婚する王女たちの顔も知らなかったんでしょ?」

 エメラルドにせせら笑われて、ユリセスは苦笑した。

「あんたにごまかしは通用しねえな。その通りだ」

「事情を言ってくれない? 別に愛なんか欲しくないけど、訳もわからず掌で踊らされるのは好きじゃないの」

「あんたが知る必要はない」

 そう告げるユリセスの声は恐ろしく冷たかった。

「あんたは俺が何人愛人を持ってもいいと言ったな。俺は愛人の情報が筒抜けでも全く構わない。知りたいっていうなら包み隠さず喋ってやる。だが踏み込んでもらいたくないところもあるんだ。この件はあんたには関係ないことだ」

「なんとも勝手な言い草ね。いっそ清々しいわ」

「勝手な男なんだよ。俺は」

「そうみたいね」

 エメラルドはなんとも歪んだ笑い方をした。

「あなたって本当に嫌な人だわ」

「今気づいたのか?」

「まさか。最初の晩からわかってた」

 皮肉げに言い放って、エメラルドはユリセスの顔を眺めた。

「いいわ。何も聞かない。英雄の妻になれると思えば些細な問題よね」

「その割には嬉しそうじゃねえな」

「気のせいよ」

 と、そこでエメラルドは棒立ちになっている私に目を向けた。

「なんでさっきから黙ってるのよ」

「……唖然としすぎて口を挟む余裕がなかったんだよ」

 ユリセスが前世関連の諸事情をエメラルドに明かしたのは意外だった。エメラルドがあっさり受け入れたことも。

「普通もっと驚かない? 魔王だったのかよ、とか」

「むしろあんたが英雄だったって方がびっくりだわ。そんなぼーっとした性格で良く英雄なんか務まったわね」 

「昔はここまでぼーっとしてなかったんだがな」

「私がぼーっとしてるのはこの際どうでもいいよ! 魔王もなんで喋っちゃうの?」

 エメラルドが「へえ。魔王って呼ぶんだ」と独りごちる横で、ユリセスが無気力そうに頭を掻きつつ答えた。

「彼女になら喋っても問題ないと判断した。秘密は守れる女だと思ったからな。それに俺たちの本当の間柄を教えておかなきゃ、この先、余計な嫉妬に苦しませることになるだろ」

「私は嫉妬なんかしてないし、あなたとアリオのあほらしいやりとりが演技だってわかってたけど、疑問が解けてすっきりしたわ。なんで初対面のはずの二人が知り合いみたいなのか、ずっと不思議に思ってたのよ」

 なんだろう。二人と私のこの温度差は。島中の注目の的になってどうしてこんなにクールでいられるんだ?

 前世はともかくこの十八年は地味に慎ましく暮らしていた私と、規模に差はあれど、華やかにスポットライトを浴びてきた二人の差なのだろうか。

「そんなことよりお前、これからどうするつもりだ?」

 ユリセスが思い出したように訊いてきた。

「え? 何が?」

「何ってこれから俺の愛人になるんだろうが。打ち合わせぐらいしとかねえとな」

 ユリセスの言葉が見えない岩になって私の脳天に直撃した。

「……魔王、まさか本気じゃないよね?」

 不吉な予感に胸を震わせおそるおそるたずねると、ユリセスがじろりと睨みつけてきた。

「何寝ぼけたこと言ってんだ。島の連中は俺とお前が相思相愛だと思ってるんだぞ。しかも婚約者から公衆の面前で愛人認定された今、そんなふうに振る舞うしかないだろうが」

「そんなふうにって何! 私、男と寝る趣味はないからね!」

「俺だってお前に欲情するほど堕ちてねえよ。ふりだ。ふり」

「嫌だあああっ! 最悪だっ!」

「煩いってのよ」

 またもやエメラルドがクッションを投げてきた。クッションは正確な軌道を描き私の頭に飛んだ。

「私の身にもなってみなさいよ。すっかり二人の愛を邪魔する悪女扱いよ。いっそ引き下がってあんたに正妻の座を渡そうかしら」

「やめてください。お願いします。エメラルド様」

心から平伏する私を、ユリセスが心外そうに見た。

「人の妻の座、押しつけ合ってんじゃねえよ。傷つくから」

誰も幸せにならなかった決闘騒ぎの後の出来事だった。一番の被害者は誰だったろうか。


暗い顔で家に帰ると、待っていたのは家族の心配そうな顔だった。

「アリオ、大丈夫なのか?」

 父が腫れ物に触るかのように話しかけてきた。愛人認定されて家族に気遣われる自分。どういう反応を返すのが正解かさっぱりわからず、私はとりあえず笑顔を作った。

「大丈夫。心配しないで」

「実はお前が出かけている間に、家族で話し合ったんだ」

 父が言うと、フレイヤ姉さんが深刻な面持ちで横から話に加わってきた。

「アリオ。私たちは七英雄に嫁に行ってもいいと思ってる」

「……はい?」

 何か今恐ろしい台詞を耳にした気がする。幻聴だと思いたい。心から。

「お前とユリセス殿の気持ちが本物だということは、あの場にいて痛いほどわかった。本物の王女だと名乗りをあげれば、お前はユリセス殿のもとに普通に嫁げるんだ。お前の幸せのためなら私たちは……」

「待って! 姉さん。早まらないで!」

 なんでこう話が一番まずい方向へ飛んでいくのか。私をユリセスと結婚させるために、姉妹全員が七英雄の妻になる覚悟をするなんて、本末転倒どころの騒ぎじゃない。

「私は姉さんたちが犠牲になっても嬉しくない! 私のことなら気にしないで。本当に大丈夫だから」 

「大丈夫なわけがないだろう。好きな男の婚約者に愛人扱いされたんだぞ!」

フレイヤ姉さんは我が事のように怒ってくれた。その思いやりが今は胸に痛い。

 私は顔中を脂汗まみれにした。

 どうすればいい。もはや『実はユリセスとはなんでもない』と打ち明けたところで、到底信じてもらえそうにない。

 と、そこにオーガルおじさんがドカドカと足音を響かせてやってきた。

「話は聞いたぜ。大変だったな」

「オーガルおじさん。ここ最近、見なかったわね。どこに行ってたの?」

 ネイ姉さんが驚きの目で、オーガルおじさんのいつもより日に焼けた顔を見つめた。

「ちょっくら島の外に出かけてたんだ。それよりエバン。わかったぜ。あいつらが島にきた本当の目的が」

「!? そうか!」

父の目が強く光り、他の家族は唖然とした。オーガルおじさんは父の指示で、昔悪さをしていた頃の人脈を利用して、七英雄の調査をしていたらしい。

オーガルおじさんは私が差し出した水を一気飲みし、早口で話し出した。

「プロポーズなんてただの建前だったんだ。本当はあいつら、主君を復活させる方法を探しにきたらしい」

「主君?」

 素っ頓狂な声をあげてしまったのは私だ。四百年前にはそんなものはいなかった。

「光の聖女セレスティア。それが七英雄の主君の名前だ。エルディア王国の姫君だよ」

聖女。神々の末裔にごく稀に生まれる先祖返り。ことに高位の神の血を引いている者なら、神族と同等の力を備えている。

 光の、ということは光神ユディスの親戚か。光神は主神の長子で神族の中でもエリート中のエリートだ。ということは聖女の中でも最高クラスなのだろう。

「光の聖女が生まれた日、世界中の神官が『この娘こそ七英雄を統べる存在、天界の代理にして、輝ける太陽の申し子。いずれ邪悪な魔族を討ち滅ぼす至高の救世主となるだろう』と予言したそうだ。それから十数年後、光の聖女のもとに七英雄は集った」

よくわからないが、今回、天界はややシステムを変えたらしい。

メインは光の聖女で、七英雄はそのサポート役に回された模様だ。

 まあ、光神の正当な血筋の娘となれば、派手に目立たせないわけにはいかないだろう。天界の手先の七英雄なんぞ、脇役で十分というわけだ。

 予言の過剰な詰め込みすぎの内容からも、とにかく主役(光の聖女)を華々しく登場させなければという、天界側のスタッフの必死さが伝わってくる。大物の二世に対して気を遣わねばならないのは、天界も芸能界もそう変わらない。

「だが三年前、光の聖女が、魔王エリゴールとの戦いで瀕死の重傷を負った。以来、彼女は眠り続けている。七英雄は死に物狂いで彼女を復活させる方法を探し回った。そしてこのラブタイト島に辿り着いた」

 前半だけ聞けば、へえで済む話だ。だが後半がいただけない。なぜよりによってうちの地元なのだ。おそらく家族全員が同じ考えだっただろう。

「この島に聖女を復活させる方法があると?」

 まるで我が家の庭に死体が埋まっていますと教えられたような顔をした父に、オーガルおじさんが神妙に告げる。

「かなり信頼できる筋から仕入れた情報だ。ほぼ間違いねえ。七英雄はそれが目的で島にやってきた。王女たちとの結婚は作戦の一環だったと考えりゃ辻褄が合う」

「方法って何? この島にそんなものがあるの?」

 信じられなかった。平和な田舎の島とばかり思っていた地元に、世界的な英雄たちが欲しがるような代物があるとは普通考えない。

「悪い。そこまでは調べられなかった」

 心底済まなそうにオーガルおじさんが項垂れる。その肩に父が手を置いた。

「いや、あいつらにやはり裏があったとわかっただけでも十分だ。……どうしたものかな」

 父は髭が密集したあごを捻った。  

「そうとわかった以上、この婚礼を進めるわけにはいかないな。どんな事情があれ、目的を伏せてぬけぬけとプロポーズしてくるような連中だ。ハンスの娘たちを幸せにしてくれる保証はどこにもない」

「でも父さん。今になって結婚させないなんて言ったら、ロウェン婆さんの予想通り島に危機を招くことになるんじゃないか? ……彼らも根っからの悪人じゃないようだが、目的のためには手段を選ばないことは実証済みだからな」

フレイヤ姉さんが反論すると、父は苦渋の面相で黙り込んでしまった。

「ルランベリー一家のことよりも先に考えることがあるんじゃないのか」

 オーガルおじさんはまっすぐに私を見ていた。家族がハッとしたように口ごもる。

「正直あの一家が迷惑を被るだけなら、俺は何も言わねえ。自業自得だしな。だがお前が七英雄の一人に本気だっていうなら、黙って見ちゃいられない」

 分厚いオーガルおじさんの手が私の肩を押さえた。

「目を覚ませ。アリオ。あいつらが想うのはいつだってただ一人、光の聖女だけだ」

私は蝋のように固まっていた。何をどうしていいかわからなくて。

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