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七英雄と結婚狂騒曲 第一章①

前世では名高い英雄だったが、血生臭い日々がイヤになり、普通の女の子に生まれ変わったアリオだが……

《第一章 さよなら前世》


前世、私は英雄だった。

 自分で英雄と言っちゃうのもなんだか自慢話のようで気が引けるが、事実そうだったのだから仕方がない。まあその実態は自慢話というより不幸話だが。

 イメージを壊すようで申し訳ないが、華やかでかっこいい英雄なんて、所詮、物語の中の虚像だ。一度やったら二度とやりたくない。それが英雄である。

 生まれ落ちた直後に、私は神族の【駒】に選ばれた。

 天に住まう神族は、いわゆる正義と秩序を掲げる【光の陣営】の代表者で、どの種族よりも強大で長命な一族なのだが、下界に直接干渉してはいけないきまりがあるとかで、適当な奴に代わりに戦わせた。選ばれし者(被害者)にしてみればたまったものではない。

 大体、干渉してはいけないとか言いながら、下界の女性に子を生ませて知らん顔をしているのだから、正義と秩序とは一体何かという話になってくる。

 神族の手先にされた私の生涯は、夢も希望もなかった。

 ほんの子供のうちから戦場を転々とさせられ、休息なんぞほとんどなく、同じ運命の不幸な仲間たちと、当時世界征服しかけていた魔王オデセア一派と交戦する日々。

前世の私の十八年の人生はそんなものだった。

挙げ句の果てに、最期は宿敵の魔王と相討ち。

 力いっぱい主張したい。こんな味気ない生き方があるだろうか。

 私は別に胸が躍るような冒険も、激しい恋も要らない。普通にのんきに暮らしていけたらそれで良かったのだ。むしろ次に生まれ変わるとしても英雄だけは絶対に嫌だった。

天界側としては、次の世も私を英雄にしたかったようだが、再三に渡る話し合いの末、なんと私は平凡な一般人に生まれ変われることになった。

ビバ! 平凡!

 歓喜の声をあげながら(すれ違う死霊の皆さんから変な目で見られた)地上へと降りていき、十ヶ月後、私は無事に生まれ落ちた。

 新しい私の名前はアリオ。性別は女。性別に関しては前世と逆だが、何、困るほどの問題じゃない。生憎、生まれ変わっても一緒にいようね、なんて誓う恋人はいなかった。もう清々しいぐらいに戦ってばかりだったから。

さよなら血にまみれた日々。こんにちは輝かしい平凡な人生。

私は小さな島で料理店を経営する夫妻の三女になった。自然豊かな島で優しい家族と共に、のんびりまったり幸せな一般ピープル人生を歩んでいた。

 今の私の姿は地味な顔のどこにでもいそうな普通の娘だ。あまりに普通なので人混みの中にいればまず気づかれない(影が薄いともいう)。男だった頃の名残で、髪は短く、お洒落とは無縁の服装をしているが、それだって特徴とするには弱すぎる。

 素晴らしいではないか。

 前世の私といえば、異常に目立っていた。それも限りなく嫌な方向に。

 老人のように真っ白な髪(赤ん坊の頃から)、青光りする眼、しかも背中には漆黒の六枚羽が立派に生えていた。私は黒天使と呼ばれるツチノコ並に珍しい生き物だったのだ。

 魔物と間違われて怯えられ、逃げられ、最悪味方から撃ち落とされかける憂き目を味わっていた私にとって、目立たないだけで感涙物だった。

 ところが、私のささやかな平凡ライフを脅かすような恐ろしい出来事が起きた。

 あれは私が転生してから十八年後、すなわち前世で死んだ年齢に達した年だった。別になんの関連もないだろうが、今思えば星の巡り的にも最悪な年だったのかもしれない。


その日、私は実家の料理店にいた。ちょうど毎週火曜日の定休日で、せっせと大がかりな掃除をしていた。両親といえば友人たちと島の外に出かけていて留守だった。

と、その時、一人の少女が勢い良く駆け込んできた。

「大変よ。アリオ」

 双子の妹のフェリシティだ。双子といっても私とは髪と目の色しか似ていない。淡雪のような肌に華奢な体つき、艶のある黒髪を二つのおさげにしている。黒い瞳の清楚可憐な美少女である。――見た目は。

「どうしたの? フェル」

 びっくりして私が訊くと、フェリシティは軽く息を乱しながら告げた。

「海賊が攻めてきたの」

 私は一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 魔物や悪党が世界中に蔓延り、一歩人里を出たら、自衛の手段なしに生き抜くことは難しいこのご時世だが、この辺はびっくりするくらい安全で、海賊の噂なんか聞いたこともなかった。

「見たこともない大きな鉄の船よ。大砲も積んでるかもしれないわ」

「鉄の船、か」

何か引っかかる。そもそも本当に海賊なんだろうか。立派な鉄の船なんてそこらの海賊に買える代物じゃないのだ。

 首を傾げている私をよそに、フェリシティは店のカウンターの下をごそごそ探っていた。

「何やってんの?」

「迎え撃ってやるのよ。決まってるでしょう」

『どうしてそんなことを訊くの?』という感じに、フェリシティは可愛らしく首を傾げてみせた。――巨大なトゲつきの金棒を取り出しながら。

 一見儚げな少女でありながら、フェリシティはなかなかの力持ちだった。そこらの男だったらたいてい沈められる。

「いや、そういうのは大人に任せておいた方がいいと思うよ」

「どうして? お父さんたちが留守の間は、私たちが島を護らなきゃ」

 言ってることは大変立派だ。しかしうら若き乙女がトゲつきの金棒を振り回すのはいかがなものだろう。東方の昔話に出てくる鬼でもあるまいに。

 可愛い妹の将来を案じて、私は忠告した。

「だってお前、このあいだエスレアでナンパされた時みたく過剰防衛になったら、お嫁入りに差し支えが……」

「お嫁になんかいかないからいいのよ」

 聖女のようにフェリシティは微笑み、巨大な金棒を軽々と担ぎあげて、店を飛び出していった。

 こうなっては仕方ない。どっちみち様子を見に行くつもりだったので、私はすぐにフェリシティの後を追った。

店を出てしばらく進むと、後ろから呼び止められた。

「待ってよー。姉さんたち」

 振り向くと他の妹たちがいた。

五女パレアナ、六女ジュディス、七女エーメだ。

「あなたたちも海賊退治?」

 当たり前のような調子でフェリシティが訊いた。

 非日常も甚だしい質問だが、妹たちは顔色一つ変えなかった。

「そうよ。実戦の機会なんてめったにないもんね」

と、パレアナが立派な胸を張った。

今年十六歳になるパレアナは、金茶の髪に水色の瞳の溌剌とした美少女で、水着のような服をいつも着ている。体の発育具合は大人と見まごうほどで、知らない人はたいていパレアナを私たち双子の姉だと勘違いする。

 すると、六女のジュディスが呆れ気味に言った。

「パレアナ姉さんってば本当に脳天気ね。相手が凄い強敵だったらどうするのよ」

ジュディスは痩せた小柄な少女で、肩まである金髪をカチューシャでまとめ、薄手の眼鏡をかけている。眉間に寄せられた皺が、気難しい性格をあらわしていた。

「ジュディスってば怖いの? だったら家に帰ってもいいのよ」

パレアナがからかうように言うと、ジュディスはムキになった。

「怖いなんて言ってないわ! 海賊なんて私一人で十分なんだから」

「へえ、言ったわね。じゃあどっちが多く倒せるか勝負しようか」

「いいわよ」

姉妹たちは戦う気満々のようだ。

 私が頭を抱えていると、末っ子のエーメにくいくいと服を引っ張られた。

「ねえ、早く行こうよ。海賊船が上陸しちゃう」

「エーメ……お前まで行くの?」

「うん。島を襲おうとする悪い人たちをボコボコにするんだもん」

 エーメはふさふさした栗色の髪、大きなくりっとした琥珀の瞳の、人形のように可愛らしい女の子なのだが、言っていることは大変物騒だ。

 凍りついている私を尻目に、フェリシティがみんなを促した。

「エーメの言う通りだわ。そろそろ行きましょうか。でもあなたたち、ちゃんと武器は持ったの?」

「当然。家から持ってきた」

 パレアナが笑顔で鉄のカギ爪を装着しながら答えた。

ジュディスとエーメも、それぞれ鎖鎌と鉄の鎚を後ろから出した。

フェリシティは満足そうにうなずいて、巨大な金棒を掲げた。

「準備万端のようね。みんなで海賊さんたちを歓迎してあげましょう」

「おーっ」と元気良く腕を掲げる妹たちの横で、私は一人、鉛の袋でも背負ったように項垂れていた。

 なんでこう、揃いも揃って血の気が多いんだろう。

 私の姉妹たちは、身内の贔屓目を差し引いても十分美人なのに、世の男性たちからその凶暴性と戦闘能力を恐れられていた。

 ついたあだ名が【地獄の王女たち】。ちょっとした中ボス並の迫力ある通り名だ。いいのかそれでとも思うが、本人たちはむしろ気に入っているようだ。

 こんな姉妹たちの中に生まれたことで、私の影の薄さはいっそう引き立ち、まさに理想的な人生を歩んでいるわけだが、姉妹たちの今後を思うと手放しには喜べない。

 これでまともな結婚ができるのか。

 私が結婚とか恋愛とか無理な分(性的嗜好は前世のままなのだ)、姉妹には幸せな結婚をしてほしい。噂に惑わされず、彼女たちの良いところを見抜くだけの器量を持った男性の登場を熱望する次第である。

 そんなこんなで港に辿り着くと、島中の人間がほとんど勢揃いしていた。

私は人垣の向こうに【海賊船】を見つけた。

すでに間近に迫っており、上陸は時間の問題だった。

「あれが……」

岩山と見まごうほどの巨船だった。外側は黒光りする金属で覆われており、航海の安全を願う呪文がびっしりと刻み込まれている。これで国旗がはためいていれば立派な大国の軍艦なのだが、船にはどこの国の旗もなかった。

 周りの人たちがこそこそと喋っているのが聞こえた。

「エバンさんの娘たちだ。海賊をぶちのめしにきたんだぜ」

「……もったいねえ。黙ってりゃ可愛いのに」

「しっ。聞こえたら殺されるぞ。普通なのはアリオだけだからな」

 日に日に姉妹たちの怖がられ方が過剰になっていく。

 心の中でげっそりしながら、注意深く船を眺めていると、後ろから肩を叩かれた。

「あんたたちもきたの?」

「あ、ネイ姉さん」

 次女のネイ姉さんが後ろに立っていた。

 姉妹で最も北国生まれの母の血を濃く引くネイ姉さんは、白磁の肌、金とも銀ともつかない頭髪、宝石のような青い瞳の超美女なのだが、本人は男性から注目を浴びるのが嫌でしょうがなく、髪を引っ詰めて堅苦しい格好に身を包んでいた。

「姉さん、仕事は?」

「公会堂なら海賊船襲来の騒ぎで臨時休業になったわ。せっかくだから元凶を見にきたの。あんたたちは……訊くまでもなかったわね」

ネイ姉さんは妹たちが持つ武器に目をやり、やれやれと肩を竦めた。

「姉さんも一緒に暴れない? 今から武器を取りに戻れば間に合うわよ」

パレアナが誘ったが、ネイ姉さんは首を横に振った。

「私はいいわ」

と、ネイ姉さんが言ったのは恐怖からではなかった。

「海賊といえばむさくるしい男でしょ。わざわざ男に近づくなんて虫酸が走るわ。気色悪い! おぞましい!」

私は暑くもないのに汗を拭った。妹たちの一人が、よりによって前世で男だったと知ったら、ネイ姉さんはどう反応するだろうか。彼女にだけは知られてはならない。

「あっ、誰か出てきた」

 エーメが興奮気味に、目の前の光景を説明した。

 島の人たちが固唾を呑んで見守る中、甲板に七人の男たちが並んだ。

 私は眉をひそめた。どこかで見たような気がした。そしてどこで見たのか思い出して、さっと血の気を失った。幸い七人組に気を取られていた周りには気づかれなかったが。

 覚えがあるはずだ。彼らとは前世で知り合いだった。どんな間柄かといえば血にまみれた歳月を共に味わった嫌な運命共同体である。

 私は変わり果てたが、彼らは変わらない。前世のままだ。

 変な郷愁めいた切なさが束の間、私の胸を吹き抜けていった。

「皆さん、我々は怪しいものではありません。どうか島に入ることをお許しください」

 進み出たのは、長い銀髪の妖艶な美青年だった。青いローブをまとい、額に銀のサークレットをはめている。

 私はおぼろげながら不安を抱いた。この男、前世での名をワイナモイネンといって、七人組の中では一番性格がひん曲がっていた。なぜよりによって、彼が代表なのか。生まれ変わって丸くなっていることを願うばかりだ。

「怪しいか怪しくないかはこちらで決める。島に何の用だ?」

島の人々の先頭に立った赤毛の女性が、旧ワイナモイネン(現世での名前を知らないからこう呼ぶしかない)に鋭く詰問した。体格はそこらの男よりも逞しく、鷹のように鋭い眼をしている。

 私たち七姉妹の長女フレイヤ姉さんである。

「あっ、フレイヤ姉さん。あんな好位置に」

 パレアナが叫ぶと、ネイ姉さんがあごに手をやった。

「姉さん一人をあんなところに立たせてはおけないわね。仕方ない。私たちも近づきましょう」

姉妹たちが移動を始めたので、私もやもなく従った。果てしなく気は進まないが、私は前世とは何もかも違う。今はせいぜい島の住民Aだ。多分バレないだろう。彼らに前世の記憶があるのかさえ怪しいし。

 私たちが動いている間も、フレイヤ姉さんと旧ワイナモイネンの会話は続いていた。

「なんですかあなたは。お嬢さん」

 旧ワイナモイネンの口調は丁寧だったが、どこか軽んじているふうに聞こえた。

 まずい。嫌な予感しかしない。

 フレイヤ姉さんはぴくりと顔面を引きつらせたが、呼吸を一つ置いて答えた。

「質問しているのはこちらだが?」

 旧ワイナモイネンがわざとらしく肩を竦めた。

「生憎、女子供ごときを相手にするほど暇じゃないんですよ。あなたに用はありません。島の責任者の方とお話ししたいんですが」

 姉妹たちの神経がぶち切れる音を、私は確かに聞いた。

「あいつなんか今、とても愉快なことを言ってくれたわね」

 鬼神のような面相になったパレアナがばきばきと指を鳴らした。

「もう始めちゃっていいの? フェル姉さん」

嬉しそうにエーメが海賊討伐隊の隊長の指示を仰ぐ。

 ところが、当のフェリシティは、なぜか虚脱したようになって七人組を見つめていた。息をすることすら忘れているようだった。

「フェル姉さん?」

「え? あ、ごめんなさい。聞いてなかったわ」

「海賊、やっつけるんでしょ?」

「……海賊、そうだったわね」

と言いながらも、フェリシティはどこか心ここにあらずだった。

「ちょ、ちょっと待とうか」

 私はあわてて止めた。あの七人組の戦闘能力は姉妹たちより遥かに上だ。さすがに彼らも本気で殺しにかかってくるまではしないだろうが、嫁入り前の姉妹たちに傷でもついたら、私は後悔で死ぬしかない。 

 だがその時、変な声が港に響き渡った。

「どかんか! 王のために道を開けよ」

 いつの間にか異様にきらびやかな一家が群衆の前に立っていた。

 中央には貴族のような身なりの小男と、深紅のドレスを着た中年の艶やかな女、そしてフリルとリボンで身を飾ったプラチナブロンドの七人の美女が並んでいた。

「ルランベリー一家だわ。何しにきたんだろう」

 ジュディスが気を削がれてつぶやいた。

 皆がぽかんと口をあけて見守る中、派手な小男が偉そうに進み出た。

「旅の者たちよ。ラブタイト島へようこそ。わしがこの島の王ラブタイト三十世じゃ」

あちこちで失笑や咳払いが起こったが、小男は意に介さずに堂々としていた。

面食らっていた七人組だったが、旧ワイナモイネンが口を開いた。

「なんと、王自らお出でくださるとは。感激いたしました」

「はっはっは。苦しゅうないぞ。しかしそなたら、見たところただの戦士たちではないようだな。何かこう、気品のようなものがある」

 小男の台詞を聞いて、旧ワイナモイネンが満更でもなさそうに微笑んだ。結構おだてに乗りやすい性格は相変わらずらしい。

「ふふっ、気づかれてしまいましたか。確かに私たちは並の戦士ではありません。世間では七英雄と呼ばれています」

島の人たちにどよめきが走った。

「七英雄だって?」

「まさか、あの伝説の七英雄か」

 七英雄――天に選ばれた人類側最強の戦士たちの総称である。ちなみに今活躍しているのは二代目だ。つまり目の前の彼らは二代目七英雄なのだ。

 初代七英雄が登場したのは今から四百年前、魔王オデセアが大暴れしていた頃で、嫌になるぐらい長い長い戦いの末、七英雄は魔王を討ち破った。

 そして今、四百年前の七英雄が転生したのが今の七英雄――とされている。

 されているというのは、実は初代と二代目ではメンバーがやや違う。

 すでにお気づきの方もいるかもしれないが、私は初代七英雄の一人だった。だが度重なる戦いの日々が嫌になり、魔王と相討ちENDを迎えた後、天界に抗議して一般人に生まれ変わったのは冒頭で述べた通りだ。

 じゃあ今、私が抜けた穴に入っているのは誰かというと――魔王オデセアなのだ。前世魔王だから元魔王というべきか。

 なんで知ってるかといえば、彼と私は同時にあの世へ逝ったため、彼が天界に突きつけた要求も耳にした。

 彼は言った。次生まれてくる時は世界征服したいとか、地上に魔族の王国を作りたいとか、そんなことではなく、

『次は英雄がいい。だって英雄の方が絶対モテるだろ? 魔王なんざ怖がられてばかりだからな。俺は世界中の美人ちゃんたちと、いちゃいちゃしたいだけなんだよ』

 嘘ではない。本当に一字一句違わずこの通り言った。

 聞けば彼もまた世知辛い身だった。

 周りから抜きんでていたがため、地獄世界の帝王(魔王たちの元締めらしい)から無理やり魔王の座を押しつけられて、毎日やりたくもない世界征服を渋々進めていたという。

 魔王とはあの世で別れたが、風の噂では本当に英雄になったと聞いた。私はかつての宿敵に影ながらエールを送ったものだ。実際のところ英雄でも私はさっぱりモテなかったが、それは個人の資質の問題だろう。

 まあ、何が言いたいかというと、彼らは正真正銘の二代目七英雄だ。昔の仲間と魔王の顔が見える。間違っても詐欺師の団体じゃない。それは確かだ。

 でも、訳がわからない。なんで彼らがここに? 

 噂では(今の)七英雄はガンガン有名な怪物たちを葬り、もう知らない者がいない超大物になっている。この違和感を表すとすれば、何もない田舎の農村に映画スターがぞろぞろやってきたぐらいのものだ。

 唖然としている私たちの前で、小男が文字通り跳びあがって歓喜した。疑うことを知らないのか。

「おお、あの七英雄か。ぜひ今宵は王宮に泊まってほしい。旅の話でも聞かせてくれ」

「助かります」

 小男の独断で、七英雄の上陸が決定してしまった。

「ちょっと待っ……!」

 パレアナが呼び止めようとしたが、愉快な小男の一家は露骨に無視を決め込み、七英雄も聞こえてないのか振り向きもしなかった。

「あの一家ったら、本当に何を考えているのかしら。あんな怪しい連中を……」

 ジュディスが眉をひそめた。確かに怪しい。私はたまたま彼らの顔を知っているが(知っていたらおかしいので言えないが)、普通ならニセモノの可能性を疑うだろう。

「これからどうするの?」

 エーメが大きな目をきょとんとして訊く。その頭にネイ姉さんが手を乗せた。

「父さんたちが帰ってくるのを待ちましょう。もう私たちの手に負えないわ」 

 ――六月三十日。七英雄、きたる。

 私の平凡ライフが揺らぎ始めた。


 その日の夕方、私の実家【エバンの店】は、ただならぬ緊張感に包まれていた。

「あの一家の馬鹿さ加減も相当なものだな」

 店内には帰ってきた両親と、島の主立った人々、そして私たち七姉妹がいた。

 父のエバンは苦渋に満ちた顔つきをしていた。

 堂々とした体格の、赤銅色に日にやけた大男で、これで眼帯でもしようものなら間違いなく海賊の大親分に間違われるところだが、本人は至って真面目な好人物である。

「しかしどうする? エバン。今からお客人たちのところに行って事情を説明するか?」

と言ったのは、父の親友のオーガルおじさんだった。

 こちらも父に負けず劣らず頑健な体格で、おまけに腕にはびっしり刺青が彫られていた。父よりも海賊らしい彼だが、元は本当に遥か南で暴れ回っていた海賊で、父に負けてからは足を洗い、今では島でのんきに暮らしている。

オーガルおじさんもまた、七英雄がきた時には、うちの両親と出かけていて留守だった。

「そうだな。いつまでも騙しておくわけにもいくまい」

ゆっくりと父が腰をあげかけた時だった。

 控え目にドアが叩かれて、あの小男がひょっこりと顔をのぞかせた。

「よ、よお、エバン」

父はすっくと立ちあがり、恐ろしい形相で小男の方へ歩み寄っていって、その襟首をつかんだ。

「よくここに顔を出せたな。ハンス。なぜあんな嘘をついた」

「ゆ、許してくれ。立派な船が見えたんでつい……」

「それでとっさに王だと名乗ったわけか」

「わ、悪かった。本当の王はお前だものな」

父は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「ふざけたことを。わしもお前も王なんかじゃない。王制は五十年前に廃止されたんだ」

実はラブタイト島に王などいない。

五十年前までは存在したが、当時の王は大国同士の戦争の余波を受けて退位させられた。彼は戦争が終わっても玉座には戻らず、一般人として大好きな釣り三昧の日々を送った。

その息子もまた王にはならず、世界中を旅して膨大な見聞録を遺した。彼がつづった手記は島の公会堂の蔵に保管されている。

そして次の代が父なのだが、この頃になると島に王がいたこと自体忘れかけられており、せいぜい娘たちが【地獄の王女たち】と呼ばれているくらいである(地獄のの箇所は王族の血筋とはなんの関係もないが)。

だが父の従弟に当たるハンス=ルランベリーの一家だけは、昔の栄華にこだわって、王侯貴族のような生活をしていた。

 どこから金が出ているのかというと、ハンスおじさんの奥さんは元女優兼どこぞの金持ちの愛人だったそうで、別れる際に手切れ金として、一家が贅沢に暮らせるだけの財産を貰ったという。

 おばさんの持論は『男は撫でてやれば金を吐く財布』だそうだが、それでなぜ最終的に甲斐性なしのハンスおじさんを選んだのか。謎だ。

「とにかく、お前がきたなら話は早い。あの七人に全て打ち明けて謝るんだ。わしも一緒に行ってやるから」

 容赦なく父はハンスおじさんを引きずっていこうとしたが、ハンスおじさんは死に物狂いで抵抗した。

「ま、待ってくれ! 俺の話を聞いてくれ。七英雄がここにいる間は、俺が王だってことにしてくれないか?」

「戯言もいい加減にしろっ! 大体、あいつらが七英雄なわけがないだろう。七英雄ほどの有名人がこんな田舎の島にくるはずがない!」

 父の言葉にほぼ全員が大きくうなずいた。私はなんとなく罪悪感を覚えた。本物なんです、と言える空気じゃない。

 ところがハンスおじさんはあっさり父に反論した。

「いや、彼らは本物だ。あれからすぐにカミさんが召使いをエスレアに向かわせて、調べさせたんだ。そうしたら、間違いなく正真正銘の七英雄だった」

「本物……!」

 大人たちが青くなって互いの顔を見合わせる。

「どういうことだ? エバン。なんで七英雄が……」

「わからん。うちの島に用があるとは思えんのだが……。とにかくそれならいっそう誤解させておくわけにはいかない。そうだろう。ハンス」

 オーガルおじさんに低い声で返した父は、再びハンスおじさんを促そうとした。だがハンスおじさんは耳を貸さず、涙目で拝む真似をした。

「頼む! この通りだ! 娘たちが七英雄に嫁げるチャンスなんだ!」

 店内が水を打ったように静まり返った。

「おい、今なんて言った……?」

恐ろしく迫力ある形相で父が詰め寄ると、ハンスおじさんは怯えた小動物のように素早く後退した。

「い、いや、別に……」

「ほう」

 父はハンスおじさんの胸ぐらを引っ張った。

「ならばわしではなく、娘たちと喋ってもらうことになるが……」

「言います。なんでも言います」

ハンスおじさんは『猛獣の檻に放り込むぞ』と脅されたごとく素直になった。地元で姉妹たちがどう思われているか、はっきりわかる一幕だった。

「実はな……七英雄は島の王女たちに結婚を申し込みにきたというんだ」

 店内に目には見えない無数の稲妻が走った。

「け、結婚!?」

父が叫ぶと、横にいた母のサーシャがおっとりと口を開いた。

「まあまあ。それじゃあ、あの坊やたちはうちの娘たちにプロポーズしにきたのねえ」

 母は元々北国のお嬢様だったそうだが、二十数年前、旅行中の父と出会って、駆け落ち同然で結婚した。

 つややかな白金の髪、柔和な水色の双眸、日焼けの跡ひとつない真っ白な肌。七人の子持ちで四十をとうに超えているが、とてもそうは見えないほど若々しい。

 だがこの人、単なる優しげな年齢不詳の美女ではない。その正体は我が家の最高権力者である。おっかない姉妹たちも母にだけは頭があがらない。

「サーシャ、一体何を言い出すんだ?」

父が途方に暮れた様子で言うと、母は『わからない?』という感じで、軽く首を傾げてみせた。

「だって世が世ならあなたは王様でしょ? となれば娘たちが王女だわ」

「王なんかもういないというのに……」

「そんなこと、ここで言っても始まらないわ。七英雄の坊やたちがそう勘違いしているのが問題なのよ」

母は「ふう」とため息をついた。

「でも困ったわねえ。上の二人はともかく、他の子たちはまだまだ子供よ。いきなり結婚なんて……」

「冗談じゃないぞ!」

「そうよ! 絶対にお断りよ! 誰があんな奴らと!」

上の二人――フレイヤ姉さんとネイ姉さんが立ちあがって叫んだ。

「お前たちもそうだろう?」

 フレイヤ姉さんの問いかけに、残る私たちも心の底からうなずいた。私にしてみれば死活問題だ。かつての仲間か宿敵にお嫁入りなんて、考えただけでも身の毛がよだつ。

「い、いや、待ってくれよ」

 オーガルおじさんが顔面を汗まみれにして発言した。

「おかしくねえか? あいつらは【島の王女たち】に結婚を申し込んできたくせに、あっさりルランベリー一家に騙されてんだぞ。つまり、あいつら、嫁にしたい女たちの顔も知らないできたんじゃねえか?」

父が色を失った隣で、母が目を丸くした。

「そうだわ。そういうことねえ。まあ、うっかりな子たち。どんな思惑があるにせよ、事前の調査は万全にしてなきゃ」

ころころと母は笑ったが、他の者たちはそれどころではなかった。

「そんなふざけた連中に娘たちをやれるか!」

父が怒りを爆発させて、震えているハンスおじさんの腕を鷲づかみにした。

「今すぐお前の家に行くからな。七英雄の目的がそれなら明日の朝にでも出発してもらう」

「エ、エバン、考え直してくれ。お前の娘たちをやらないというなら、代わりにうちの娘たちを差し出すから……」

「お前はどこまでバカなんだ! もっと真面目に自分の娘たちの幸せを考えてやれ」

父はすぐさま飛び出していこうとしたが、そこで呼び止められた。

「冷静になれ。エバン」

島の長老のロウェン婆さんだった。

 白髪を長く垂らし、顔が隠れるほどに深く灰色のローブをかぶっている様子は、おとぎ話の魔女そのものである。島で一番の物知りで、外の世界のことにも詳しく、島の者たちから一目置かれている。

「ロウェン婆さん……なぜ止めるんだ?」

「良く考えてみろ。あいつらは七英雄……武力と名声があればなんでも押し通せると考えている若僧どもじゃ。ああいう奴らは実にタチが悪い。へたに機嫌を損ねてみろ。あっという間に島中を火の海にされかねんぞ」

 恐ろしい未来予想図がそれぞれの頭に浮かびあがったのか、重い沈黙が流れた。

 というか、ロウェン婆さんの中の英雄のイメージ最悪じゃないか。そんな英雄ばかりじゃないんだけどな。

「まさか……。たった七人だぞ」

 一人複雑な心境に陥っている私に気づくこともなく、父が青ざめてつぶやくと、ロウェン婆さんは低く笑った。

「忘れたか。奴らは人の皮をかぶった化け物の集団じゃぞ。それにあの船――あれは神の戦車と呼ばれる戦闘型移動要塞だ。人力ではなく大量の魔力で動いておる。その魔力が攻撃手段として使われたら……結果はわかるだろう」

 神の戦車――旧古代文明の遺産の一つで、金額にすれば城を二十や三十、軽く買えるだけの価値がある。私が知っているのは四百年前の相場だが、めちゃくちゃ高価なことには変わりないはずだ。

しかしロウェン婆さん、いくらなんでも気に食わないというだけで、人里に攻撃をしかける英雄はいない。どこの恐怖の大王だ。

 さすがの父もここまでくると不信感を露わにした。

「しかし、彼らがそこまでするとは……」

「お前もお前の父も、王の血筋とはいえ、一般人として暮らしてきたからな。お前は強大な力が持つ毒の怖さを知らん。毒に染まった人間は、自分を特別な【神のごとき存在】だと思い込み、どんな残酷なことでも平気でやってのける。昔から、英雄と呼ばれた者が覇王になった例など、腐るほどあるぞ」

 ロウェン婆さんは何か英雄に個人的な恨みでもあるのか。

 父が言葉に詰まるのを見て、オーガルおじさんがたまりかねたように割って入った。

「じゃあ婆さんは、フレイヤたちを嫁にくれてやれって言うのか? それこそ無茶だぜ」

「いやいや、ちゃんと替え玉がいるだろう。ハンスの娘たちを差し出せばいい」

ロウェン婆さんは、全員の度肝を抜く台詞を口にした。

「婆さん、正気か?」

オーガルおじさんが目をむく。

「無論わしは正気じゃ。あの娘たちだって王族には違いない。嘘をついたことにはならん。これで島の平穏は守られ、七英雄は満足し、ハンスの娘たちは念願の玉の輿に乗れる。ほら、みんな幸せになれるぞ」

 綺麗にまとまっただろ的にロウェン婆さんは言ったが、父は簡単には納得しなかった。

「いやダメだ。いくらなんでもハンスの娘たちがかわいそうだ」

「うちの娘たちのことなら心配しないでくれ」

 父が深く深く苦悩している傍らで、ハンスおじさんが意気込んで喋った。

「娘たちときたら、揃って度胸も演技力も抜群なんだ。必ずうまくやる。じゃ、明日から話を合わせてくれよ」

 返事も待たずに意気揚々とハンスおじさんは出て行った。

「おい待てハンス……! ったく、仕方のない奴だ」

 父は嘆息して頭を掻いた。

「まあ良いんじゃねえか? 七英雄の問題はこれで解決したわけだ」

 オーガルおじさんは父と違ってルランベリー一家を毛ほども心配していないので、あっさりしたものだった。

だが母がぽつりと言った。

「それにしても七英雄は、なんでうちの娘たちに結婚を申し込む気になったのかしらね。顔も知らないのに」

「言われてみれば確かに妙だな」

 父は私たちを見渡した。

「お前たち、まさかと思うが七英雄と知り合いじゃないだろうな」

 全員がふるふると首を横に振った。もちろん私も一緒に。嘘はついてない。現世では赤の他人なのだから。

 私たちの返事を確認した父は、ほっと安堵のため息をついた。

「ならいい。いいか? お前たち。明日から七英雄には絶対に近づいてはダメだ。連中が何を企んでいるか知れたものじゃないんだからな」

「ええ? だって父さん、あいつらを倒せたら、全部丸く収まるじゃない」

 不満そうにパレアナが文句を言ったが、父は頑として譲らなかった。

「何が丸く収まるものか。もし間違ってお前たちが七英雄を倒してみろ」

 父はぎりっと拳を握り締め、力いっぱい叫んだ。

「そんな話が広まったら、一生嫁の貰い手がないだろうが!」

 なんだか父の必死の想いが伝わってきて、さすがの姉妹たちも反論できない様子だった。

 

話し合いの後、私は自室に引き上げた。ごろりとベッドに寝そべって、くすんだ天井を見つめる。我が家は古いのである。

今回の件でとるべき行動は決まっている。ひたすら傍観に徹する。それだけだ。

ありがたいことに、どうやら彼らは私の正体を知らないと見た。知っててこの島にきたんだったら、今頃、なんらかの行動に出ているはずだろう。

 顔も知らない私たちにプロポーズしてきたというのが、奇妙といえば奇妙だが、はっきり言ってどうでもいい。家族が面倒事に巻き込まれなければそれでいいのだ、私は。

 ただ七英雄とはなるべく顔を合わせない方がいいだろう。向こうが私の顔を見て何か不審に思ったら大変だ。彼らの滞在中はいつも以上に地味に静かに過ごそう。

全ては平凡ライフの死守のために。頑張って手に入れた平凡な人生。失うわけにはいかない。

とりあえず今後の方針を決めた私は眠ることにした。今日はなんだか疲れた。

 その夜は久しぶりに前世の夢を見た。



《挿話その一》


 あの方たちがここを訪れたのは、夏の盛りの頃でした。

 魔族どころか同じ人間からさえ恐れられる七英雄――その評判は私たちの耳にも届いておりました。

父は私たちを七英雄の妻にしようと、懸命に働きかけました。しかしそれは名高い七英雄を婿に迎えて、勢力を拡大するためではありませんでした。

 もっと恐ろしい計画を、父は胸に秘めていたのです。

『ようやくこの時が巡ってきたか。七英雄め。飛んで火に入る夏の虫だ』

高らかに笑う父は、すでにどす黒い狂気に蝕まれておりました。

それが全ての始まりでした。



《第二章 島の住民Aの悲劇》


 七英雄とニセ王女たちの婚約が決まり、島は突然忙しくなった。

私はてっきり七英雄は婚約者たちを連れて、どこか縁のある大国で婚礼を挙げると思っていたのだが、そうじゃなかった。

なんと七英雄は、この島の伝統に則って、今や廃墟となっている旧王宮で挙式したいとハンスおじさんに頼み込んだ。

 伝統といっても、言われるまで父も思い出さなかったような大昔の伝統で、おおかたハンスおじさんが余計なことを吹き込んだんだろうと、二日目の話し合いから戻ってきた父が、鼻息荒く怒っていた。

しかしこれが難題だった。旧王宮は二十年前の大地震で半壊していて、結婚式なんか挙げられる状態じゃなかったのだ。

だが向こうは今をときめく七英雄。島の顔役たちの苦虫を噛み潰したような顔なんかお構いなしに、ゴーイングマイウェイに事を進めた。費用は全て七英雄側が受けもつそうな。札束で頬を叩くとはまさにこのこと。

 かくしてあくる日から旧王宮の復旧工事が始まった。

 私を含めた島の住民は、ある朝、いきなり見慣れぬガタイの良いおじさんたちが、石材や袋を担いで旧王宮のある山を登っていくのを、唖然として見送ったものだ。

なぜ旧王宮なのか。

 わざわざ大金を出してあんなボロボロの建物を修復せずとも、世界にいくらでもステキな式場があるだろうに。

 ……まあいいか。どうせ七英雄と結婚するのは私たちじゃないのだから。

私といえば、初日に決意した通り、ひたすら七英雄との接触を避けていた。狭い島だから不安もあったが案外簡単だった。七英雄は王宮(ルランベリー一家の屋敷)に入り浸りで、ニセの王女たちと甘い日々を過ごしているらしい。結構なことだ。

そして七英雄がきてから一週間が経った。

「行ってきまーす」

私はリヤカーに食糧を乗せて家を出た。

 実はこれ、七英雄の食事である。島にはうちの店以外料理店がなかったので、必然的に父が七英雄の食事を作ることになった。店自体は婚礼が終わるまで休業中である。

 最初、父から彼らの食事を運ぶように言われた時には、全身の血が凍りつくような思いを味わったが、これは考えすぎだったようだ。

 どうやらルランベリー一家は、大事な七英雄に、極力若い娘(私を含む)を近づけたくないらしく、食事の受け渡しも裏口で召し使いと応対するだけだった。

 このまま無事に七英雄が出ていくまで過ごせればいいけど、と考えながらリヤカーを引いていると、進行方向上でフェリシティが若い男と喋っていた。しかしどうも友好的な雰囲気じゃない。

「ちょっと、放してください」

「いいじゃん。仲良くしてよー。美人ちゃーん」

 嫌がるフェリシティの手をつかんでへらへらと笑うその男。

 あちこち飛び跳ねた赤毛に、豹を思わせる金の眼。格好はとにかく派手で、血で染めたようなシャツに、爬虫類の皮のズボンをはき、金属のアクセサリーをじゃらじゃら身につけている。

 私の顔面がぴしりと固まった。男は七英雄の一人だった。そして前世の宿敵だった。

 何やってるんだ。魔王。いや元魔王か。

 しかし突っ込んでいる場合ではなかった。フェリシティには悪いが、すぐさまこの場から逃げ出したい。

 不甲斐ないと思うが、フェリシティにとっては単なる悪質なナンパでも、私にとっては今後の人生を左右しかねない恐るべき運命の遭遇である。

 しかし重いリヤカーを引いて気配なく立ち去るのは無理な相談だ。絶体絶命。嫌な汗をかく私の目の前で、フェリシティが切れた。

「……っ! いい加減にして!」

 フェリシティの平手打ちが元魔王の顔面に飛んだが、あっさり受け止められた。

「強気な美人ちゃんも嫌いじゃないよー。だから俺といちゃいちゃしない?」

 にこやかに元魔王がフェリシティに迫る。

 妹の危機、そしてかつての宿敵の痛々しい姿をこれ以上見てはいられなくて、決死の覚悟で止めに入ろうとしたところ、冷徹な声が響いた。

「ユリセス。何をしている」

背の高い青年がフェリシティの手をつかむ元魔王の手首を握っていた。腰まである漆黒の長い髪に、切れ長の黒い目。その顔つきは厳しいまでに引き締まっている。

 この主役のようなイケメンは七英雄の一人である。四百年前の名前はギルフ。【魔剣使い】の通り名で呼ばれていた。

「何ー? ギルフちゃん。人の恋路を邪魔しないでよー」

 元魔王がぶつぶつ文句を言った。ちょっと驚いた。ギルフの名前は前世のままなのか。

 元魔王は前世とは違う名前……確かユリセスと呼ばれていた。

まあ、転生した七英雄の一人が伝説の魔王と同名だったら問題だろうが。

 ギルフは元魔王――ユリセスをじろりと睨みつけた。

「何が恋路だ。馬鹿かお前は」

 ユリセスは分が悪いと判断したのか「ちぇっ、覚えてろ」と、大変情けない捨て台詞を吐いて逃げていった。しかもギルフとフェリシティに無視されていた。遠ざかる後ろ姿がなんだか物哀しい。

「あの……」

 おずおずとフェリシティが声をかけると、ギルフはちらりと見返し、ふいっと顔を逸らした。

「別にあなたを助けたわけではない。自惚れるな」

フェリシティの表情が、傷ついたように強張った。

私はギルフに違和感を覚えた。

 前世の彼は、初対面の女性にこんな無礼な口を利く奴じゃなかった。むしろ女性には人一倍弱く、仲間内では不動のキングオブムッツリスケベとして君臨していた。

「なんですか、その言い方。あの変な男、あなたの仲間でしょう。むしろ謝ってほしいくらいなんですけど」

 今やフェリシティの目と声は氷のように冷たかった。対するギルフの態度もまた、負けず劣らず冷淡だった。

「七英雄の【深紅の魔獣】ユリセスを、あの変な男で片づけるか。怖い物知らずだな」

 元魔王の今の通り名は【深紅の魔獣】なのか。

 この通り名は、一定以上の知名度のある英雄なら必ず持つもので、時代が変わってもその習慣は頑なに守られている。ちなみに私は【黒天使】だった。捻りも何もなかった。

 ……って、今はそれどころじゃない。目の前で妹と前世の仲間が睨み合うのを、私は為す術もなく眺めていた。

「一つ教えておく。ユリセスが女に声をかけるのは単なる習慣にすぎない。気に入られたなんて思わないことだ。あいつはすでに婚約している。知らないわけではないだろう」

吐き捨てるように告げるギルフは、弁解の余地がないぐらい非常に感じ悪かった。まるであえて突き放そうとしているようにすら思えた。

「婚約したのは知ってます。おかげさまで島中が浮き足立って大騒ぎですから」

 嫌味たっぷりにフェリシティが言うと、ギルフは鼻を歪めた。

「わかっているなら、今後はユリセスには近づくな。あいつはくる者を拒まず、そのうえ逃げる者まで追いまくる色情狂だ。遊ばれて棄てられたいわけではあるまい」

 地元民としては、そんな盛り狂った猛獣、野放しにするなと言いたい。

「あなたに指図されるいわれはありません」

不快そうに言い返したフェリシティだったが、ギルフに肩をつかまれると、目に見えて怯んだ。

「いいか。俺たちにとってこの結婚は重要なものだ。今、ユリセスに他の女を近づけるわけにはいかない。王女たちの機嫌を損ねる恐れがある。これはユリセスだけじゃなく俺たち全員にも言えることだ。――俺たちに関わるな」

刺すようにギルフに言われたフェリシティは、よほど腹が立ったのか、皺がつきそうなほどスカートを強く握りしめた。

「……そんなに【王女様たち】がよろしいんですか」

一瞬、言い表しようのない表情が、ギルフの顔によぎったが、すぐに消え失せた。

「それこそ、あなたには関係ない話だ」

「傲慢なんですね。島中を巻き込んでおいて」

 フェリシティの声は心なしか震えていた。今にも泣き出しそうに聞こえたのは、空耳だろう。確実に。彼女がここで泣く要素なんてないし。

「俺たちのことが気に食わんというなら、いつでもこの剣で応じてやる。俺は逃げも隠れもしない」

聞いてて暗い気持ちになった。

 女性に脅すような台詞を投げつけるなんて最低だ(フェリシティが怯えるかどうかはともかく)。これならキングオブムッツリスケベだった前世の方がまだマシである。

 昔のこの男が知ったら『男の風上にもおけん』と怒り出すところだろう。ますます私が知っているギルフのイメージから遠ざかる。

「まだ名乗っていなかったな。俺は七英雄の一人【魔剣使い】のギルフだ」

ギルフの通り名は前世と同じだった。見た目も名前も通り名も変更無し。これは天界の手抜きなのか?

 私が天に対して一抹の疑惑を抱いている間に、ギルフは踵を返して立ち去った。

最低な言動をした直後なのに、颯爽と進む後ろ姿は、文句のつけようがないぐらいかっこ良かった。もうお前主役でいいよという感じだ。

 フェリシティは食い入るようにギルフの背中を目で追っていたが、私に気づくと酷く驚いた。

「あら、アリオ。いつからいたの?」

結構前からいました、とは言えなかった。

 

 朝食を届けた後、私は料理用のワインが切れていたのに気づき、買いに出かけた。すると、フレイヤ姉さんが前を歩いていた。

「フレイヤ姉さん」

「なんだアリオか。今帰るのか」

「違うよ。買い物。姉さんはこれからどっか行くの?」

「いや、帰る途中だ。繁華街の方で揉め事があったんで、止めにいってたんだ」

 そう語るフレイヤ姉さんの横顔には濃い疲労の色が滲んでいた。

七英雄がやってきてからというもの、島中が重苦しい緊張感に包まれていて、若者たちの喧嘩が立て続けに起こっていた。

普段ならそういう揉め事を仲裁するのは父の役目なのだが、父は婚礼の準備の指揮に忙しく、代わりにフレイヤ姉さんがあちこち走り回っていた。

「姉さん大丈夫? 疲れてない?」

「平気だ。これぐらいでへばってられるか」

笑顔のフレイヤ姉さんだったが、無理しているのが見え見えだった。

家族で一番責任感が強く苦労性なフレイヤ姉さん。

凶暴で知られる【地獄の王女たち】の中では変わり種で、暴力よりも話し合いを信条としていたが、腕っ節は父に匹敵し、島の人々から畏怖されていることには変わりない。

 優しくて面倒見の良い素敵な女性なのに。

 と、その時、フレイヤ姉さんの舎弟のジムが大急ぎで走ってきた。

「大変です! フレイヤさん!」

「どうした? ジム」

「キッグスの奴が……!」

「またキッグスか」

 フレイヤ姉さんが顔をしかめた。

キッグスは島の問題児で、毎日のように暴力事件を起こしていた。フレイヤ姉さんの仕事を増やす彼に関して、姉妹の間で世にもおぞましい計画が練られていたので、その名を記憶していた。

「今度は何をした? また喧嘩か?」

「そ、それが、あいつよりによって、七英雄の一人に喧嘩を売ったんです!」

「なんだと?」

 フレイヤ姉さんは血の気を失った。

「あのバカ! 場所はどこだ?」

「食料品店の前です」

 ジムの案内で、フレイヤ姉さんは目的地へ走った。私も気になったので、遠くから様子を窺おうと後をついていった。

食料品店の前には人だかりができていた。

 フレイヤ姉さんが近づくと、人垣がぱっと左右に割れた。カリスマ性というやつだ。

 一方、カリスマ性などない私は人混みの中に紛れて、事態を見守ることにした。

 人の輪の中心には熊と見まごう大男がいた。岩のように盛りあがった筋肉に、ぼさぼさの褐色の髪。振り向いたその顔は髭だらけだった。太古の野人のような風貌である。

 大男の腕には、プラチナブロンドの美女が絡みついていた。儚げな美貌とは裏腹に、水色の目には敵意が燃えていた。

ルランベリー家の長女、今は第一王女役のルビーだ。

大男とルビーの姿を見てフレイヤ姉さんは一瞬たじろいだが、すぐに表情を引き締めた。

「七英雄の一人とお見受けする。島の者が失礼をした」

 大男は驚いたようにフレイヤを見返した。

「あなたは、確か初日に船の前にいた人だな」

「私はフレイヤ。島の揉め事の仲裁役をしている」

「これはご丁寧に。俺はガイアークという」

「ガイアーク……【鋼鉄の巨人】か。あなたが……」

 やっぱり前世と名前も通り名も一緒なのか。

ガイアークは人間離れした怪力の主で、素手で猛獣を殺したことは数知れず。

酒の代わりに生き血を毎日飲んでいるような野性味溢れるイメージだが、目の前にいるガイアークは外見こそ怖かったが、話しぶりは至って穏やかな感じだ。実際、彼は前世から見た目と違って性根は優しい男だった。

「ところで、あなたに喧嘩を売った男は……?」

「彼ならあそこにいる」

 ガイアークが指さした方角には、林檎の樽に頭を埋没させている人間の体があった。どうやらあれがキッグスのなれの果てらしい。

「俺はともかく、婚約者にまで失礼なことを言ってきたんでな。少し眠ってもらった」

ガイアークが渋い顔つきで述べると、ルビーがとろけるような表情で身をすり寄せた。

「ガイアーク様、怖かったぁん」

「ルビー殿。荒っぽいところを見せて済まなかった」

「それは良いんですのよ。ガイアーク様が守ってくれると信じてました。でも、この女とはあまり関わらない方がよろしいですわ。この女とその妹たちは、キッグスなんかよりよっぽど狂暴で凶悪な存在なんですから」

 憎々しげにルビーは言った。

 ルランベリー一家は、困ったことがあるとすぐにうちの家族を頼るくせに、そのくせ妙なライバル心を燃やしていて、隙あらば陥れようとしていた。そういうふうだから島中から白い目で見られるのだが、彼らに懲りる様子はない。

フレイヤ姉さんは眉間に皺を寄せた。

「私のことはいい。だが、妹たちを悪く言うな」

 フレイヤ姉さんに睨まれてルビーは怯んだが、ガイアークが一緒だということに勇気づけられたらしく、調子に乗って言い募った。

「あら、本当のことでしょ。揃いも揃って雌ライオンみたいに野蛮なんだから」

 それを聞くやいなや、フレイヤ姉さんは怒りをむきだしにした。

「もういっぺん言ってみろ!」

 ルビーは「きゃあ」と叫んでガイアークに抱きついた。

「助けて。ガイアーク様」

 ガイアークはルビーとフレイヤ姉さんを交互に眺めた末、フレイヤ姉さんに厳しい顔を向けた。

「やめろ。王女に危害を加える気なら、俺はあなたを倒さねばならない」

フレイヤ姉さんはぎろりとガイアークを睨みつけた。

「その女は私の妹たちを侮辱したんだぞ!」

ガイアークは大きなため息をついた。

「あなたはさっきの男以上に野蛮で聞き分けがないな」

「…………!」

「とにかく王女の敵は俺の敵だ。決闘ならいつでも受けつける」

 重々しく言い渡して、ガイアークは身を翻した。

 ルビーがガイアークの腕をつかみ、こちらを振り返って、勝ち誇ったように笑った。

英雄とニセ王女がいなくなると、フレイヤ姉さんは全身でいきりたった。

「あいつら……!」

 頭にきていたのはフレイヤ姉さんだけじゃなかった。フレイヤ姉さんを崇拝するジムも憤っていた。

「あの男、なんなんでしょうね。フレイヤさんを一方的に悪者扱いして」

「ルビーの色香に惑わされたんだろう。何が英雄だ。そこらのバカと一緒じゃないか」

 唾棄するように言い放って、フレイヤ姉さんは気絶したキッグスを肩に担ぎあげた。

「行くぞ。ジム」

 なんだか胸騒ぎがしたので、私は姉さんたちを引き続きこっそり追いかけた。

 ――二十分後、島唯一の診療所に辿り着くと、フレイヤ姉さんは玄関のドアを開けた。

「済みません。ケヴィン先生、急患です」

 すると六女のジュディスが入り口で膝小僧を抱えていた。ひどく不機嫌そうな顔で。

「姉さん……」

「ジュディス、お前、こんなところで何をしてるんだ?」

 と、フレイヤ姉さんが訊いたのは、『なぜ診療所にいるんだ?』という意味ではない。

 ジュディスは医師になるのが夢で、よく診療所の手伝いをしており、ここにいること自体は通常通りだった。

 しかし、いつもならケヴィン先生と一緒に元気に働いているジュディスが、玄関でぽつんと座り込んでいる不可解。

 そのうえ、患者の姿も見当たらない。

「うっ……」

 ジュディスはいきなり嗚咽を漏らし、フレイヤ姉さんに縋りついた。

 驚いた弾みでフレイヤ姉さんが、危うくキッグスを落としそうになったので、とっさにジムが横から支えた。

「姉さん、私、悔しいっ!」

 ジュディスは歯を食いしばって泣いた。あの負けず嫌いの子が。ただ事じゃない。

「何があったんだ? ケヴィン先生と喧嘩でもしたのか?」

 フレイヤ姉さんもジュディスの涙には面食らったようで、心配そうに問いかけたが、ジュディスは激しく首を横に振るだけだった。

 その時だ。

「誰かきたのか」

診察室から医師が出てきた。

 二十代半ばの痩せぎすの青年で、小麦色の髪を後ろで縛り、面長の顔には無精髭が生えている。どう見ても、この島唯一の医師である六十過ぎのケヴィン先生ではない。

「あんたは……」

 フレイヤ姉さんがあんぐりと口を開けた。

 青年はかすかに眉をひそめた。

「俺はセルウェン。事情があって当分この診療所を預かることになった」

 セルウェン。七英雄の一人で、【魔神官】の通り名を持つ、世界最高クラスの神聖魔法の使い手である。まさか診療所にいるとは思わなかった。何やってるんだ一体。

「し、七英雄の一人がなんでここに?」

フレイヤ姉さんが当然すぎる質問を投げかけたが、奥から響いてきた甲高い声にかき消された。

「セルウェン様っ、どうかしたの?」

 ナース服を着たプラチナブロンドの少女がぱたぱたと走ってきた。しかも普通のナース服ではなく、フリルがたくさんついており、スカートの丈は恐ろしく短かった。

少女趣味の男性の妄想を具現化したようなこの少女、ルランベリー家の六女アクアマリンである。

 まさかセルウェンの希望か。だとすれば今までとは別の意味で警戒しなければならない。

「ジュディス。まだいたの?」

 アクアマリンの目が残酷そうに光った。

「あんたはセルウェン様に追い出されたんでしょ。さっさと帰りなさいよ」

「追い出された?」

 フレイヤ姉さんが顔色を変えた。

「この子を追い出したというのか? なんの権利があって……!」

 怒って詰め寄るフレイヤ姉さんを、セルウェンが冷徹に見返した。

「彼女は俺がここにいることをお気に召さないようでな。全く協力してくれない。そんな助手なら邪魔なだけだ」

 ジュディスの細い肩がぶるりと震えた。

 フレイヤ姉さんは目を吊りあげ、ジュディスの手をつかんだ。

「行こう。ジュディス。無理してこんな奴の助手をすることはない」

 しかしジュディスはフレイヤ姉さんの手を放した。

「……ダメよ。見張ってないと。ケヴィン先生の仕事場をめちゃくちゃにされたくない」

刃のような目つきでジュディスはセルウェンを見た。

 セルウェンは肩を竦めた。

「勘違いするなよ。今ここを仕切ってるのは俺だ。俺が邪魔だと言った以上、お前さんにここにいる資格はないんだ。役立たずはさっさといなくなれ」

 真っ青になったジュディスを残して、セルウェンは診察室に引っ込んだ。

 アクアマリンも「ふふん」と笑ってついていった。

「あいつ……何様のつもりだ!」

 フレイヤ姉さんは診察室に向かってわななく拳を掲げた。

「……今朝、ケヴィン先生がぎっくり腰になって動けなくなっていたところを、たまたま通りかかったあいつが助けたの。それで、ケヴィン先生が治るまで診療所で働くことになったんだって」

 事情を話すジュディスの面持ちは葬式の参列者のようだった。

「よく七英雄の一人が了承しましたね」

 ジムは普通にびっくりしていた。聞いている私も驚いた。七英雄は(一応)島のお客なのだから、何もしないでまったり過ごしていたって誰にも文句は言われない。

「本人が言い出したのよ。じっとしてるより働きたいって。あの人、医師免許も持ってるんだってさ」

 いい迷惑だとばかりにジュディスは言い放った。本当なら美談なのに、セルウェンの態度が最悪だったため、全く良い印象を持たれなかったようだ。

 大丈夫か。七英雄。なんだか島の住民(主に私の家族だが)の中でどんどん評価が下がってるけども。いや彼らにしてみれば、うちの家族に嫌われようが心底どうでもいいんだろうが、なんだ。この胸に押し寄せる不吉な予感は。

「診療所が心配なのはわかるが、今日のところはどうしようもない。帰ろう」

「……うん」

 フレイヤ姉さんに肩を抱かれて、ジュディスは暗い顔つきでうなずいた。

「しかしキッグスはどうするかな」

 フレイヤ姉さんはいまだ気絶したままのキッグスをちらりと見た。診療所が【七英雄の一人の根城】に成り果てた今、ここに置き去りにするのは、さすがにかわいそうだと思ったようだ。

 結局キッグスはそのまま自宅に送り届けることになり、フレイヤ姉さんが再び運ぼうとしたが、ジムが止めた。

「俺がやります。フレイヤさんはジュディスちゃんと帰ってください」

「いや、大した手間じゃない」

「ダメですよ。フレイヤさん、働き詰めじゃないですか」

「そ、そうか? じゃあ頼もうかな」

「任せてください」

 ジムは力強く胸を叩き、フレイヤ姉さんとジュディスはそのまま家に帰っていった。

「よし、行くかな」

 ジムがキッグスを担ぎあげようとした時だ。低い声が空気を震わせた。

「おい。そいつは置いていけ」 

 セルウェンが窓から顔を出していた。ジムといえば幽霊に襲われたかのように全身を強張らせた。

「な、なんだよ! キッグスをどうするつもりだ!」

「どうするもこうするも俺は医者だ。不安なら診察に立ち会うか?」

 ジムは警戒するようにセルウェンを睨みつけていたが、フンとそっぽを向いた。

「悪いが信じられないね。いくらケヴィン先生に頼まれたからって、ジュディスちゃんを泣かすような奴に、島の人間は預けられない。いくら問題児のキッグスでも」

 セルウェンは興味深げに目を細めた。

「あの子はお前さんの親戚か何かか?」

「そうじゃない。けど、彼女たち七姉妹は島のみんなから好かれてるんだ。彼女たちに何かしてみろ。島中を敵に回すことになるぞ。それだけは覚えておくんだな!」

 威勢良く声を張り上げて、ジムはキッグスを背負って大股で去っていった。

「島中を敵に、ねえ」

 ぼそりとセルウェンはつぶやいた。さっきのジムの台詞をどう判断したのか、私にはわからなかった。その時、重大なことを思い出した。私はワインを買いに出かけたんだった。 

 今度こそワインを買うために商店街を目指して歩いていると、パレアナに出会った。

「あれ? アリオ姉さん」

「お前……婚礼の衣装を作る係じゃなかったっけ?」

「見ての通り、さぼっちゃった」

悪びれずにパレアナはぺろりと舌を出した。

 私は呆れ顔になったが、自分もまた、この婚礼の準備に一生懸命かと言うとそうでもないので、叱る気にはなれなかった。

「どこで時間潰す気?」

「遊技場に行こうと思って。カイルもくるって言うし」

 島には一応遊技場と名がつく建物がある。とはいっても実際は大きな小屋の中に、古びたゲーム台や、ダーツの的が並んでいるだけなのだが、他に娯楽施設がほとんどないこの島では、若者たちの重要な憩いの場となっていた。

「カイルって、お前まだあの男とつき合ってるの?」

カイルはパレアナの彼氏なのだが、顔だけが取り柄のスカスカな男で、どうも好きになれない。

 パレアナは微妙な表情でため息をついた。

「うーん。一応そうなんだけど、あいつ、浮気ばっかりするしさ。そろそろ潮時かなって感じはするのよね」

二人で喋っていると、向こうからオーガルおじさんがやってきた。

「なんだ。二人揃ってさぼりか」

気楽な調子でオーガルおじさんが話しかけてきた。

「オーガルおじさん、見逃してくれる?」

パレアナが上目遣いでお願いすると、オーガルおじさんは苦笑した。

「仕方ねえお嬢さんだな。それはそうとして、エバンは家に戻ってるか?」

「まだ公会堂の方で話し合いしてると思うけど」

 私が告げると、オーガルおじさんは厳ついあごを撫でた。

「そうか。じゃあそっちへ向かった方が早いな」

「父さんに急ぎの話?」

 気になって訊いてみたが、オーガルおじさんに笑ってはぐらかされた。

「エバンに頼まれていたことが、いくつかあるんでな。じゃあ俺は行くぜ。あんまりぶらぶらしてんじゃねえぞ」

 オーガルおじさんの姿が視界から消えると、パレアナは不思議そうに首を傾げた。

「頼まれていたことってなんだろ?」

「さあ。大事なことなら後で父さんが教えてくれるよ」

「ほんと最近どたばたしてるわね。父さんの白髪を増やすのもなんだし、当分はおとなしく遊んでようっと」

「どっちにせよ遊ぶんだ」

パレアナと別れた私は、酒屋でようやく当初の目的であるワインを手に入れて、通りを歩いていった。

 すると、遊技場の前に人だかりができていた。

 またもや不吉な予感がした私は、近くにいた人に声をかけた。 

「どうかしたの?」

「ああ、アリオか。大変だ。あんたの妹のパレアナが七英雄の一人と喧嘩してるんだ!」

 私は急いで人垣を割り、入り口へ走った。

「もういっぺん言ってみなさいよっ!」

 一歩中に入ると、すぐに凄まじいパレアナの怒声が響き渡った。

 パレアナは遊技場の中央に立っていた。

 向かい側には異様に艶やかな美女――否、少年がいた。

 長い黒髪を朱色の紐で束ね、牡丹の刺繍が施された東方風の深紅の衣をまとっている。大きな黒瞳は濡れたように光り、唇は珊瑚のように色づいていた。

私は少年を知っていた。

 七英雄の一人、【無形】のマイラだ。一度に千人を幻惑させられる天才幻術師。見た目や物腰は女性そのものだが、別に男色家ではない。前世から思っていたが紛らわしいことはやめろと言いたい。

「あら、何度でも言ってあげるわよ。あんたみたいなへちゃむくれ。このマイラ様の敵じゃないのよ」

高らかにマイラがオネエ言葉全開で宣言すると、パレアナは体をわなわなと震わせた。

「誰がへちゃむくれよ! 島一番の美少女を捕まえて!」

「悔しかったらアタシの色香の半分でも身につけてみなさいよ。ま、無理だろうけど」

「きーっ!」

 延々と罵り合う二人を、野次馬たちは遠巻きにして眺めていた。

 私はそれとなく、その場にいたパレアナの友人のエレに話しかけた。

「一体、何があったの?」

「あ、アリオさん。カイルがあの男女を女の子だと思って口説いたの。それをパレアナが目撃して喧嘩になったのよ」

「……それはそれは」

 としか言いようがなかった。

「それで浮気性の彼氏は?」

「カイルならとっくに逃げ出したわ。残ってたら確実にパレアナに殺されるから」

 賢明な判断である。

しかしながら現在のパレアナは、マイラとの舌戦に忙しく、逃亡した彼氏のことはすっかり忘却の彼方のようだった。

「笑わせんじゃないわよ。あたしが脱いだらどれだけスゴイか知らないでしょ。あんたなんか痩せっぽっちの貧弱な体が出てくるだけじゃない」

「ああ嫌だ嫌だ。これだから教養のない女って嫌だわ。ただ裸になれば良いと思ってんだから」

あまりにくだらない言い合い。マイラはこんなに愉快な男だったろうかと私が考え込んでいると、入り口から銀髪の美男子が入ってきた。

「こんなところにいたんですか。マイラ」

 初日で一番七英雄で目立っていた男、【白銀の魔術師】ワイナモイネンだった。

 普通の人間には、到底習得できない魔族や神々の魔法をも操る大魔術師。ただし性格に問題がある。

「何、ワイナモイネン。アタシを探してたの?」

皮肉っぽくマイラが問うと、ワイナモイネンは不愉快そうに綺麗な顔をしかめた。

「お前が騒いでると聞いて、止めにきたんですよ。全く、どうしてそう品のない行動ばかり取るんですか。しかもそんな小汚い娘を相手にして」

 ワイナモイネンにじろりと睨まれたパレアナは、当たり前だが憤慨した。

「だ、誰が小汚い小娘よ!」

「黙りなさい。私はマイラのように優しくはありませんよ」

 ワイナモイネンの切れ長の目に、剣呑な光が宿った。

 威圧感に打たれたパレアナは、真っ青になって竦みあがった。

 だがその時、マイラがパレアナの肩をつかんで下がらせた。

「アタシが誰を相手にしようと、あんたにとやかく言われる筋合いはないわね」

 マイラは完全に笑みを消し、ワイナモイネンを見据えていた。

 ワイナモイネンは意外そうに眉をひそめた。

「おやおや、私に逆らうつもりですか? たかが幻術師が」

「言ってくれるわね。頭でっかちの魔術師のくせに。やるってなら相手になるわよ」

「その言葉、後悔するんですね」

 冷ややかな怒りをたたえたワイナモイネンから、爆発的な魔力が前方へ向かってほとばしった。

 重圧を持った魔力は、嵐のように吹き荒れて、遊技場のゲーム台や椅子などを弾き飛ばした。

 野次馬たちが悲鳴をあげて逃げていく中、私は青くなってパレアナの方を見やった。

 パレアナは――無事だった。

マイラがすっくと立ってパレアナを庇っていた。さすが七英雄だけあって、マイラはこの魔力の嵐の中でも身じろぎ一つしていない。

パレアナは驚いた顔つきで、マイラの背中を見つめていた。

「どうしました? 突っ立ったままで。その女を庇っていたのでは、私には勝てませんよ」

 ワイナモイネンが勝ち誇ったように笑うのを聞き、パレアナが怒って叫んだ。

「何やってんのよっ! あたしのことなんかいいから、早くあいつをやっちゃってよ!」

「うるっさいわね。ちょっと黙ってな」

マイラがぴしゃりと返すと、パレアナは息を呑んで黙った。

 ワイナモイネンは軽蔑するように目を細めた。

「やれやれ。重症ですね。目を覚まさせてあげましょう!」

ところがその時、バシッと痛そうな音がして、ワイナモイネンが前のめりに倒れた。

 それと共に魔力の放出もおさまった。

「なっ……!」 

後頭部を押さえたワイナモイネンが振り向くと、分厚い本を抱えたネイ姉さんが立っていた。

「うちの妹にケガさせる気? 喧嘩ならよそでやって頂戴」

 真冬の風のような声で、ネイ姉さんは言い放った。

 ワイナモイネンは殺意がこもった目つきになり、ぎりぎりと歯を鳴らした。

「あなたは、自分が何をしたか分かってるんですか」

「バカを一人殴っただけよ。でも、本を武器にしたのは良くなかったわね。後でちゃんと拭いておかないと」

 ネイ姉さんは容赦なくワイナモイネンをゴキブリ扱いした。

ワイナモイネンは、世にも恐ろしい形相になっていた。天界にまで続く霊峰エトナよりも高いプライドが甚だしく傷つけられたのだ。

「この小娘……! 女だから優しくすると思ったら大間違いですよ」

「今度は脅しってわけね。そこらのごろつきと変わらないわ。七英雄だかなんだか知らないけど、力を持っている者が優れてるなんて考えは、人間じゃなくて動物のものよ。いっそ猿山にのぼってボス猿になったらいいんじゃない?」

ワイナモイネンはますますいきり立ち、肩を震わせた。

「この私が猿!? 言うにことかいて猿!? ふざけるんじゃありませんよ!」

 まずいと思ったのか、マイラが割って入った。

「ワイナモイネン。一般人相手にマジになるんじゃないわよ」

「マジになんかなってませんよ」

 ワイナモイネンは無理に笑顔を作った。

「ただこの女は私を侮辱しました。思い知らせてやらなければなりません」

「まともに相手にする必要ないわよ。たかが女でしょ」

 この一言がいけなかった。

 戦意をあらかた喪失していたパレアナが、前以上に怒り狂った。

「失礼なことぬかすんじゃないわよ! この変態!」

「誰が変態よ。あんたは引っ込んでて。話がややこしく……」

そこになんというタイミングか、ニセの王女たち――ルランベリー家の次女サファイアと、五女トパーズがやってきた。

「あーここにいましたの。お二人とも」

「私たちを放っておくなんてひどいですわ」

 こぼれるような愛嬌を振りまきながら、七英雄二人の腕に縋りつくニセ王女たち。

 彼女たちは呆然としている本物の王女たちに気づくと、大げさに驚いてみせた。

「まあ、料理店の露出狂女と冷血女がいるわ」

「嫌だわ。七英雄様の目が汚れちゃう。ささ、早く行きましょう」

ちなみに、露出狂女=パレアナ、冷血女=ネイ姉さんらしい。私といえば認識されてさえいなかった。されたらされたで困るんだけども、素直に喜べないものがある。

サファイアに縋りつかれたワイナモイネンは、鬼のような形相をとりあえずやめた。

「……そうですね。こんな女たちの相手をしてもなんにもなりません。私としたことが愚かな真似をしました」

一方マイラはトパーズに迫られていた。

「マイラ様、パレアナなんか無視すればよろしいのに。それとも私よりこんな下品な女がいいの?」

 うるうるとトパーズが水色の瞳を潤ませると、マイラはたじたじとなった。

「い、いや、そういうわけじゃ……」

「だったら帰りましょ。……今夜も男らしいところを私にだけ見せてくださいね」

 トパーズはマイラに甘く囁きかけた。

 七英雄二人とニセ王女二人は、いちゃいちゃしながらいなくなった。

残されたネイ姉さんとパレアナは、本気でぶち切れていた。

 その迫力たるや、身内の私すら逃げ出したくなるほどだった。

「好き勝手なこと言ってくれたわね。あいつら」

 ネイ姉さんの周辺で見えない吹雪が猛り狂っていた。

「売られた喧嘩は買うわよ。あたしは」

 パレアナは力強く両手を合わせた。

 そして二人は同時に叫んだ。

「死ぬほど後悔させてやる!」

私は頭を抱えた。


 ふらふらと海岸沿いの道を歩きながら、私は重い重いため息をついた。

 濃い一日だった。朝目覚めてから十年は経ったような気がする。

 しかしここにきて、またしても衝撃的な光景に出くわした。

末っ子のエーメが浜辺で一心不乱に鉄の鎚を振り回していた。とても活き活きした顔で。

「……エーメ、何やってんの?」

「あっ、アリオ姉さん」

 エーメがこちらに気づいて駆けてきた。

「今ね、修行してるの」

「修行? なんでまた?」

「七英雄の一人と決闘するんだ」

 あっけらかんとエーメは宣言した。遠足のおやつを買いに行くんだとでもいうように。

私は危うく卒倒しかけた。

「け、決闘ってお前……!」

事情を問い詰めようとしたところ、向こうの方から人影が近づいてきた。

 私は真っ青になった。今日に限ってどんな星の巡り会わせか考えるのも嫌だが、また七英雄の一人だった。しかも思いっきり逃げるタイミングを失った。

「ね、ねえ、君……」 

 ぼそぼそと少年がエーメに声をかけた。幸い私のことは目に入っていないらしい。

十代半ばの優しげな美少年だ。黒曜石のような瞳に、どことなく憂いを秘めた面立ち。しかし格好が妙だった。彼は後ろ髪を全てターバンにおさめ、そのうえ鎖と護符で頑丈に縛りつけていた。

 格好が妙なのは別にいい。この少年は竜髪族。生まれつき髪の毛に精霊を宿す一族の末裔なのだ。頭のターバンと護符と鎖は精霊の力を抑えるためのものである。現世でも同じ一族に生まれたようだ。

「何、アドラン。決闘なら一週間後だよ」

 アドラン――【雷髪】の通り名を持つ七英雄の一人。

 この若さですでに勇名をとどろかせている英雄が、ひどく情けない顔でエーメを見ていた。何があった。

「やっぱり考え直してほしいんだ。決闘なんて……」

「だってガーネットが言ったんだよ。『これからはわたしの言うことなんでも聞きなさい。さもなきゃアドラン様と決闘することになるのよ』って。わたし、あいつに服従なんて絶対に嫌だもん」

 ガーネットとはルランベリー家の末娘である。

虎の威を借る狐といったところだが、相手が悪かった。エーメは無邪気な分、恐れを知らない。怖がっておとなしく服従するわけがなかった。むしろかつてない強敵との戦いを前に興奮していた。

「だからって、君は女の子じゃないか」

「女の子が決闘しちゃいけないの? どうして?」

 大きな目で無邪気に見つめられたアドランは、本気で泣きそうになっていた。

「いや、だからその……危ないし」

 嫌なら断ればいいのに、アドランは妙に曖昧な態度だった。おそらく愛する婚約者の手前、断るに断れないのだろう。

 それにしても、七英雄という後ろ盾を得たルランベリー一家の振る舞いは、目に余るものがある。

 七英雄といちゃつくだけならどうぞご勝手にと言うところだが、うちの姉妹たちの神経を逆撫でする行動は慎んでほしい。お互いの平和のために。

「話がそれだけならわたし、もう帰るね。行こっ。アリオ姉さん」

「う、うん」

 私はエーメに引っ張られるように砂浜を歩いていった。気になって後ろを振り返ってみれば、アドランのターバンに包まれた頭が、がっくりと下向いていた。……ご愁傷様。

 

 エーメと一緒に家に帰ると、父が七英雄の夕食を作っていた。もういい加減、七英雄のことは考えたくないのだが、家業なので仕方ない。一番考えたくないのは、このところ七英雄関連で働き詰めの父かもしれない。

「ただいま。ごめん。遅くなって」

「おお、早速で悪いが手伝ってくれ」

「うん」

私はすぐに前掛けをつけて、厨房で父の手伝いを始めた。

「お前、フェルを見なかったか?」

 鍋のスープを容器に移しながら、父が気になることを言った。

「今朝別れたっきりだけど、まだ帰ってないの?」

「一度戻ってきたんだが、ちょっと前に飛び出して行ってな。あいつだって子供じゃないんだから大丈夫だろうが」

「まあ、そうだけど……」

 フェリシティはどこに行ったんだろう。心配しながら私はルランベリー邸に夕飯の配達に行った。

 裏口に到着すると、浅黒い肌の若者が顔を出した。

「よお、ご苦労さん」

「どーも。ジャック」

 この青年はジャックといってルランベリー家の使用人だ。あの一家の関係者ながらまともな性格をしており、昔から友人としてつき合っている。

 さっそくジャックはリヤカーの荷物を下ろすのを手伝ってくれたが、不意に思い出したように言った。

「ああ、そうだ。フェルさんもきてるぞ」

「フェル? フェルがここにいるの?」

「なんだ知らなかったのか。一時間ぐらい前にやってきたんだ。珍しいこともあるなって思ったんだけど」

 私は恐ろしく嫌な予感がした。なんでフェリシティがルランベリー邸に? 

その予感を裏づけるかのように、正面玄関の方で大爆音が聞こえた。

 私とジャックは顔を見合わせて正面玄関へ急いだ。

 ルランベリー邸の正面玄関は、悪趣味なまでに派手な大理石造りなのだが、今はもうもうとした煙に覆われていた。

「うわっ、火事か!?」

走りかけたジャックが、何かにつまずいて転んだ。

「痛っ、なんだ?」

「無礼者! 早くどきなさい!」

 ジャックの下にはワイナモイネンが這いつくばっていた。

 彼を含めた七英雄のうち五人が倒れていた。見たところギルフとユリセスがいない。

 しかしこの状況はどうしたことだろう。一瞬、敵襲でも受けたのかと疑ったが、彼らに怪我はないようだ。ただ困惑に満ちた顔で這いつくばっているのである。なんだこれ。

「みなさん、ケガでもなさったんですか? まさかさっきの爆発で……」

 驚いてはいるがあまり心配そうではないジャックに、ワイナモイネンは苦々しげな視線を向けた。

「違いますよ! この煙を吸わないようにしているだけです。煙は上へ行きますから」

「煙?」

 私は煙からやけに甘ったるい匂いを嗅ぎ取った。

「これは、フェルお手製の【後悔先に立たずの煙玉】!」

「やっぱり彼女の仕業か」

 わかっていたけど、とでも言いたげなジャックの口調だった。

「で、なんなんだ? その【後悔先に立たずの煙玉】って」

「この煙を大量に吸うと、男性自身が役に立たなくなるんだ」

 たちまちジャックが顔色を変えて七英雄にならった。

 そこにこの地獄を生んだ張本人の声がした。

「アリオ。どうしたの?」

男性陣をある意味恐怖のどん底に陥れたフェリシティは、二階へと続く階段の上に立っていた。

「フェル。お前……」

 私にはわかった。フェリシティは本気でぶち切れていた。聖母のような笑顔の底に、どす黒い何かが渦巻いている。こうなったフェリシティは誰にも止められない。

「そんな顔しないでよ。ただ【王女たち】とお喋りしていただけなんだから」

「お喋り? 一体なんの話を?」

「ジムさんやエレたちから聞いたのよ。七英雄と【王女たち】が、私の家族をどれだけ侮辱したのか。それで一言文句を言ってやろうと思って」

 合点がいった。フェリシティは今日一日で七英雄が姉妹たちにした無礼の数々を耳にして、単身、敵の本拠地に乗り込んだわけだ。

「それでどうして英雄さんたちが、床に伏せる羽目になるの?」

「まさか私が彼らに喧嘩を売ったと思ってる? とんでもない誤解だわ。先に彼らをけしかけたのは【王女たち】の方なのよ。私はやむなく応戦しただけ」

 淑女そのものの表情で、フェリシティはくすくすと笑った。激怒した母そっくりだ。とても怖い。

 この状況を招いた【王女たち】といえば、騒ぎに巻き込まれないように隠れているようだった。本気で怒ったフェリシティの凄まじさを熟知している地元民ならば、当然の行動と言えた。

 だったら初めから火に油を注ぐこと自体するなと思うが、そんなことを今さら考えても仕方がないので、私は軽く頭を振った。

「とにかく……ここから出よう」

 私はフェリシティに歩み寄ったが、立ち竦んだ。

 フェリシティの背後にすっとギルフが現れた。新手の死神かと思った。

「そこまでだ」

 ギルフがフェリシティの腕をつかみ、捻りあげていた。フェリシティは「っ」と軽く息を呑んだが、すぐにせせら笑った。

「誰かと思えば【魔剣使い】さんじゃないの。今までどこに隠れてたのかしら」

 フェリシティの中では、ギルフ=敵の公式が成り立ってしまったようだ。すでに敬語でさえない。

「騒がしいので来てみれば……。民間人相手に酷い混乱ぶりだな」

 ギルフに狂虎のような眼で睨まれて、さすがのフェリシティも頬を青白くしたが、恐怖よりも怒りが勝ったらしく、ふてぶてしく言い返した。

「確かに、天下の七英雄様とは思えない醜態ね。鍛え直した方がいいんじゃないの?」

「強気なことだな。状況がわかっているのか? あなたは捕らえられたんだぞ」

ギルフが現在の状況を重く苦い声で説明した。するとフェリシティはぎゅっと唇を引き締め、次の瞬間、叫んだ。

「いやあっ、痴漢! ドスケベ! どこ触ってるのよ!」

「なっ……!」

 ギルフが熱湯にでも触ったかのように飛び退いた隙に、自由の身になったフェリシティは、素早く階段を駆け下りていった。

だがそろそろ煙が薄まってきており、復活した七英雄のうち五人に囲まれた。

 なぜか私までも。

 こうなることはなんとなく予想していた私は、文句を言う気力も湧かなかった。

「よくもやってくれましたね……。この小娘どもが」

 ワイナモイネンが全身から魔力の火花を放出しながら唸った。だからなんで私まで。

 理不尽だなあと思っていると、ガイアークが警戒しつつ迫ってきた。

「ただ者ではないな。魔族の手先か?」

「違うわよ。一応ただの人間でしょ。それにしても恐ろしい根性してるわね」

 マイラが呆れたように言った。一応という言葉がやけに引っかかるが。

「まあ、一般人で俺たちに挑もうとした奴らは、過去にはいなかったよな」

 セルウェンはちょっと感心しているようだった。

「この人たち、どうするの?」

 アドランが心配そうに仲間たちを眺めた。というか、私も一緒に罰を受けるのは決定事項なのか。フェリシティ一人残して行く気はなかったけども。

フェリシティが唇を噛み、ジャックがおろおろし、私が途方に暮れたその時、ルランベリー邸の扉が勢いよく開かれた。

「アリオ、フェル! 無事か!」

 なんとフレイヤ姉さんが鉄の棒片手に飛び込んできた。

 後ろには他の姉妹たちも続いている。

 英雄たちに囲まれている私たちを見るやいなや、フレイヤ姉さんは髪を逆立てる勢いで怒った。

「妹たちから離れろ!」

その剣幕に圧されたのか、六人の英雄がなんとなく後ずさった。

「良かった。まだ何もされてなかったのね」

 ネイ姉さんが私とフェリシティを点検して、安堵のため息をついた。

「……どうしてここに?」

私がぽかんとして訊くと、ジュディスが答えた。

「姉さんたちがここにいるって聞いて、嫌な予感がして迎えにきたの。不安は的中したわ」

 ジュディスは軽蔑と怒りがこもった目つきで六人を見やった。

「フェル姉さんとアリオ姉さんを取り囲んで、一体何をする気だったの? 英雄が聞いて呆れるわね」

「いや……どっちかというと、無茶苦茶なのはお前さんたちの方だぞ」

 セルウェンが気が抜けたように言ったが、姉妹たちは聞いちゃいなかった。

「あなたたちがどれだけ有名だろうと、していいことと悪いことがある。これ以上島で勝手な振る舞いに及ぶつもりなら、私たちが相手になるぞ」

 勇ましくフレイヤ姉さんが声を張りあげると、姉妹たちは――白眼をむいている私を除いて――一斉に戦闘態勢を取った。

「一体なんなんだ。この島は」

 若干恨みがましげにギルフがつぶやいた。他の英雄たちも口には出さないが、同意見らしかった。 

 と、その時、扉が開け放たれ、場違いな脳天気な声が屋敷中に響き渡った。

「たっだいまー。あれー、どうしたのー?」

 正面玄関に入ってきたのは、七英雄最後の一人ユリセスだった。これで新七英雄勢揃いだがなんの喜びもない。

 ユリセスは姉妹たちに気づくと、みるみるだらしない笑みを広げた。

「うわあ、美人ちゃんがいっぱーい。ねえねえ、君たち。名前はなんていうの? 俺はユリセス。よろしくねー」

「え? あなたがあのユリセス? 七英雄最強の?」

 ぎょっとしてパレアナが顔をあげると、ユリセスは嬉しそうにすり寄っていった。

「君、俺のこと知ってんのー? 嬉しいなー。お礼にチューしてあげるよー」

「要らないわよっ! こらっ、抱きつくなっ!」

 パレアナが痴漢行為を働こうとする元魔王を撲り飛ばした。

 ユリセスは倒れたが、すぐさま復活した。

 そういえば、こいつの耐久力と自然治癒力は許し難いレベルだった。大砲を撃ち込んでもちょっと焦げる程度だったのだから笑えない。

「勝ち気なところも可愛いねー。たまらないよー。おっ、こっちにも美人ちゃんが」

 続いてユリセスは、呆気に取られているネイ姉さんに迫った。

「いやあああっ!」

 ネイ姉さんは悲鳴をあげて後ずさった。

「こないで! このケダモノ! 私は男に触られるのが大っ嫌いなのよ!」

 ネイ姉さんの全身にじんましんが発生していた。

「でへへ、おかたい女性ってのも魅力的だねー」

 なんの痛痒も受けていない面相でにやついていたユリセスだったが、ギルフがむんずとその襟首をつかんで引きずっていった。

「お前は……話をややこしくするな!」

「痛いっ、いやん、そこはだめぇん。ギルフちゃーん」

「気色悪い声を出すなっ!」

 ギルフによってユリセスが回収されると、ガイアークがため息をついた。

「とりあえず君たちは帰れ。今日のところは見逃してやる」

 ところがそこにニセ王女たちが飛び出してきた。

「ダメですわ。ガイアーク様。こいつらを放っておいたら、何をしでかすか、わかりませんものっ」

 と、ルビー。

「姉さまの言う通りですわ。この際、徹底的に身の程を思い知らせてやってくださいな」

 次女サファイアも姉の意見に同調する。

 さらに四女アメジストが、目に涙を浮かべてギルフに縋った。

「ギルフ様、私のお願いを聞いてくれるって約束してくれたでしょう? あれは嘘だったんですか?」

「い、いや、嘘ではない」

 ギルフが真っ赤になっておたおたしていた。女の色香に弱いのは相変わらずか。思わず遠い目になる。

「本当? 嬉しい……」

 天使のような笑みを浮かべてギルフに抱きつくアメジスト。それをフェリシティが冷たい視線と言い表すのすら生ぬるい、バジリスクの邪眼のごとき眼差しで眺めていた。

 ともかく婚約者たちにお願いされて、英雄たちは大いに揺らいでいた。

 ただ一人、ユリセスを除いて。

「もちろんいいよー。君たちのためならなんでもするよー。だからさー、ちょっとラブパワーを補充させてねー」

迷いも何もなく即答したユリセスはへらへらと笑み崩れ、ニセ王女たちに抱きつこうとして仲間たちから殴られていた。もうカオスすぎて目も当てられない。

 残りの六人といえば、ニセ王女たちのお願いに対して、多少ためらう素振りを見せていたが、いつまで経っても結論を出せないでいた。

 とうとう痺れを切らしたフレイヤ姉さんが呆れて決断を下した。

「良いだろう。私たちにしても、実際に戦って白黒をはっきりつける方が望ましい」

「ね、姉さん? みんなも、落ち着いて……」

 あわてて説得しにかかったが、頭に血が上っている姉妹たちには届かなかった。

「ちょ、ちょっと待て」

 ガイアークが弱ったような声を出した。

「君たちと戦えというのか?」

「だからさっきからその話をしてるんだろうが。第一、決闘ならいつでも受けつけると言ったのは、そっちだろう」

「確かに言ったが……」

 気の毒なぐらい狼狽えているガイアークをよそに、エーメがはしゃいだ。

「じゃあみんなで決闘だね。七対七だからちょうどいいし」

「うっしゃー! 腕がなるわ」

 パレアナが目をらんらんと光らせた。

 結構乗り気の七姉妹(私除く)とは裏腹に、英雄側の面々は尻込みしていた。

「……じゃじゃ馬娘どもが。後悔することになるぞ」

 セルウェンが虫歯を患ったような面相で言うと、ジュディスがびしっと指を突きつけた。

「後悔するのはそっちよ。診療所から追い出してやる」

「あのなあ、俺はケヴィン先生からちゃんと任されたんだぞ」

「私は二年も前から先生のところで働いているのよ。好き勝手にされちゃたまらないわ」

 ジュディスが噛みつくように言うと、セルウェンは虫歯のうえに頭痛に襲われたような様子になった。

「とにかく話は決まったわね。あなたたちとの決闘、楽しみだわ」

 フェリシティが一方的にまとめにかかった。

 ろくに口を挟む余裕さえないうちに、七英雄との決闘が決まってしまった。

灰色に燃え尽きたようになっている私に、ジャックが心配そうに耳打ちしてきた。

「なあ、エバンさんに報告した方が良くないか? いくらお前の姉妹でも、七英雄相手じゃさすがにやばいぞ」

 わかってる。七英雄がやばいのは百も承知だ。だが完全に火がついた姉妹たちが、果たしておとなしく父の言うことを聞くだろうか。そもそも我が家では最終的な決定権は母にある。その母といえば、こういう面白そうなイベントを止めるはずもなかった。

 女戦士たちのように颯爽と姉妹たちが引き上げる中、最後尾の私はゾンビのごとき足取りだった。顔も若干ゾンビっぽくなっていたかもしれない。

 ルランベリー邸を出たところで、ユリセスが追いかけてきた。

「おーい。美人ちゃんたち。もう夜も遅いから送るよー」

 姉妹たちには見向きもされなかった哀れなユリセスだったが、どれだけメンタルが強いのか気にしたふうもなく、にこにことついてきた。

「彼女たち、魅力的だねー。ほんと」

 誰に話しかけているのかと思えば、周りには私しかいなかった。いつの間にか他の姉妹たちとは結構距離が空いており、私とユリセスだけ取り残されていた。

 なんてことだ。決闘騒ぎで頭が真っ白になって、ユリセスを警戒することを忘れていた。

「おーい。君に話しかけてんだけど?」

「わ、私に?」

「いや、近くに君しかいないでしょ」

「わ、私と喋っても、あまり面白くないですよ」

 できるだけ顔を逸らして、私は押し殺した声を発した。

「君って、姉妹ちゃんたちと違っておとなしいよねー。さっきもただただ白眼むいてたし」

 くっくっくとユリセスは愉快そうに笑った。

「……見てたんですか?」

「見てたさ」

 ふっとユリセスの表情から軽薄な色が消える。恋仲の男女なら真剣な愛の囁きを期待するところだろうが、この場合、状況が違った。

「で、なんでお前がこんなところにいるんだ? ――アザキル」

 凄味を帯びた声で耳に囁かれて、私はまぶたを閉じた。ああさよなら平凡ライフ。また会う日まで。

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