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第九話 消えたエリカ

第九部 消えたエリカ

 

 その夜はよく眠れなかった。

 うとうとして意識がふうっと遠のくと、そのとたんまぶたの裏に真っ赤な火柱が浮かび上がって、ぱっと目をあける。何度かそれを繰り返しているうちに、すっかり目がさえてしまったのだ。

 近くの林で、ひとばんじゅうトラツグミが鳴いていた。姿を見せず、夜中にヒィーヒョウーと不気味な声で鳴くので、昔は、サルの頭とトラのからだを持つ妖怪ヌエだと怖れられていた。

 人間って変な生きものだ。

 醜い声を聞いただけで化け物だと決めつけたり、実際には見なくても、うわさ話だけで、憎悪と恐怖の感情だけを他人に伝染させることができるのだから。

 ヌエという妖怪はその後、京都御所で源頼政の手によって退治され、川に流されたという。そしてヌエの死骸が流れついた土地では、ヌエの祟りを恐れ、村人が塚を作って手厚く弔った。

 ミミズを捕食して生きている、たかだか三十センチほどのツグミを。

 考えるとそらおそろしい。

 人の心が生みだしたものより、おそろしいものはこの世にないのかもしれない。トラツグミの声に耳を傾けながら、そんなことを考えていた。

 それでも明け方眠ってしまったようだ。目をさますと、とんでもないことになっていた。エリカがいなくなっていたのだ。

 あたふたとヒロが状況を説明する。ぼんやりとした頭でようやく事態がのみこめたとき、周辺をさがしに出ていた花田と政治がちょうど戻ってきた。

 藪をかけわけながら、どこにもいないと首を振った。

 たぶん山をおりたんじゃないかと思う。そう言って、村まで続く下山道の途中に落ちていたという、エリカのピンクのぱっちんどめを政治が見せてくれた。

「どこまでばかなんだあいつは」

 苦々しそうに政治が言った。

「迷子センターに駆け込んだのかな」

 と言ってヒロがわたしを見た。目は笑っているけど、口調も表情もさびしすぎる。弱々しく笑い返すしかできなかった。

「どうしましょう」

「あたしはあとを追いかける。相手は運動能力ゼロのエリカの足だもの。追いかければ山をおりる前につかまえられるかもしれない」

「まじかよ」

「あんたは」

「俺はタイムポケットをさがす」

「エリカを捨てて? そっちこそまじ? 自分だけ帰れたらそれでいいっていうの」

「あいつだって、自分で勝手に山をおりたんだ。俺たちを捨てたんじゃないか」

「助けを求めに行ったのよ。エリカなりに考えて」

「知るか。いい年して、人の話もまともに聞けない、危険予測もできない、あいつが悪いんだよ。とにかく、俺は何が何でも今日中に滝を探し、向こうの世界に戻る。向こうでは、俺の完全保障された輝かしい未来が、俺の帰りをまってるんだ。こんなとこでむざむざ死んでたまるか」

「未来があるのは、ここにいるみんなだって同じよ!」

「やめてください、ふたりとも。言い争っている場合じゃないでしょう」

 花田に言われてヒロは口をつぐんだ。

 政治はきょろきょろと何か探している。かしわの木に立ててあったモリを手につかんだ。

「花田!」

 政治は花田を呼んだ。「いっしょに行こう」

 だけど花田は無言で動かなかった。政治はわたしの顔もちらっと見る。わたしは首を横に振る。

「勝手にしろ。ひとりでも俺は行く」

「そのモリは置いていきなさい」

「だめだ」

「あんたのじゃないでしょう」

「おまえのでもないだろ」

 有無を言わせぬ鋭い目でにらみ返すと、政治は笹をかきわけて藪の中に入っていった。


 




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