第四話 政治の出現
第四部 政治の出現
「おはよう」
ようやく目をさましたヒロに声をかけた。
「なにやってんの、そんなとこで」
ヒロはわたしを見て、不審そうに目を細めた。
それもそうだろう。わたしは下着姿で靴を抱え、川のどまん中に突っ立っていた。
「魚をとってるんだけど。うまくいかない」
雲ひとつない青空。魚を焼く準備はできていた。
苦労して運んだ大きな四個の石を、できるだけすきまのないように箱型に並べ、その中に小石を敷きつめた。竹やぶに入って、魚の串になりそうな枝も数本拾い集めてきた。
「生で食べるつもり」
ヒロが顔をしかめた。
「まさか。マッチを持ってたの、わたし」
ヒロは驚いて、わたしの脱いだ服に目をやった。たたんだ体操服の上にマッチがある。
ヒロは手にとって中みをたしかめた。
「だいじょうぶ。湿気てなかった。念のため、一本すって確かめた」
わたしは岸にあがった。ヒロが起きてくるまでに一匹は捕まえておきたいと思ったのに、かなわなかった。
「すぐに助けを呼ぶのもいいけど、迎えが来たときには、餓死してましたじゃ困るでしょ。まずは腹ごしらえをと思って」
ブラジャーとパンツ姿、手にスニーカーをぶら下げたわたしを見て、ヒロはぷっと噴き出した。
「おかしい?」
「ううん、おかしくない。すごく正しい」
「じゃあなんで笑うの」
「だって、ムカゴがそんな人だったなんて、っていうか、もう慣れないとね。新しいキャラに」
「そうだよ」
「そうする」
ヒロは、ぱっぱっぱっと服を脱いだ。
筋肉の盛り上がったアスリートのような美しい背中と肩。靴下を脱ぐのももどかしいって感じで、せっかちに走りながら脱ぎ捨て、どぶんと川に飛び込んだ。大きな水しぶきが上がった。
朝の太陽の光で川はきらきらと輝いている。その川底を腰を使いしなやかに泳ぎまわるヒロは、まるで人魚のようだった。
いや、河童か。
「泳ぐのじょうずだね」
水面にぷはっと顔を出したヒロに言った。
「二百メートルバタフライ、全国大会六位入賞。朝礼のときに校長に表彰されたんだけど。おぼえてないよね」
「すごい」
「って、そんな自慢してる場合じゃない。ね、靴投げて」
やっぱり靴で捕るつもりなのか。
「大きいの頼んだわよ」
ヒロに向かって、学校指定のスニーカーを放り投げた。
考えたら靴なんかで捕まるような魚がいるはずがないのだ。
魚は結局別の方法で捕まえた。いわゆるモリを作ったのだった。
昨日、久保先生の首に突き刺さっていた鋭い刃物、あれを山で拾った物干し竿のような太さの竹の先にゴムでくくりつけた。
ゴムは久保先生のジャージのズボンから抜いた。
これが思った以上にうまくいった。
魚は巨大な岩の下にうじゃうじゃいて、それをヒロが突いて突いて突きまくった。
ヒロが捕まえて投げてよこす魚に、わたしは、ひたすら竹串を刺しつづけた。本格的にじぐざぐに刺すのは難しかったけど、鉛筆を削るように先をぴんぴんに尖らせた長目の竹串で、魚のからだを斜めに抜いた。
ちょうど六匹目を刺しおえたとき、ヒロが戻ってきた。
「何ていう魚?」
「アマゴ」
ふたりで竹串を地面に立てる。
そのあとヒノキの枯れた葉っぱで火をおこして、あとは遠火で時間をかけてじっくり焼いた。
待っているあいだ、ふたりともひとことも話をしなかった。
だんだんと焼けていく魚のいいにおいが、猛烈に食欲を刺激して、ほかのことを考える余裕がなかったのだ。
お互いのつばをのむ音だけが耳に届く。
魚の皮がじゅうじゅうと焼けてめくれるのを見たときには、感きわまって思わず泣いてしまいそうになった。
背後に人の気配があった。
ふたりとも山を背にすわっていたので、その姿が実際に見えたわけではない。だけどヒロも気づいたようだ。
わたしたちは、ほぼ同時に顔を見合わせた。
魚を三匹食べおえて、ちょうど人心地ついていたときだった。
食べている最中は、こんなにおいしいものは食べたことがないと、がつがつと貪っていたくせに、たった今は、やっぱり最低塩は必要だよねとか、内臓はとった方がよかったかもね、などと好き勝手なことを言い合っていた。
久保先生に手裏剣を投げて殺した変質者のことが脳裏をよぎった。
わたしはモリを手元にひきよせた。考えたら、このモリの先についた刃物は、その変質者の所有物だった。
返せと言ってきたのでは。
まさか。
背中にいつ手裏剣が飛んでくるのかと思うと、息もできなかった。かといって振り向いたら、すぐにまた別の刃物で、ひゅんと首を切られるかもしれない。
いざとなったら、このモリで戦うしかないだろう。
冷や汗がたらたらと顔を流れた。
「片山、か?」
その声に、ヒロがはっとなって腰をひねった。
「政治!」
振り返るとそこに、泥だらけの体操服を着た、きつね顔の男子生徒が呆然と立っていた。
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