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第二十話 運命の受容

第二十部 運命の受容


 自分の運命をうけいれるということはどういうことなのだろう。そんな問いを、七歳の九兵衛に突きつけられたような気がしていた。

 そして、この世には偶然なんてことはなにひとつないという能海坊老人の言葉。

「ムカゴさん」

 その声にどきっとなった。

「ハク、さん」

「ハクでいいですよ」

 ハクが涼しい顔で言う。だけど、さっきのヒロとの一戦で、鼻の頭だけが蜂に刺されたように真っ赤に日に焼けているので、そんな丹精な顔立ちも台無し、というか、バランスが悪くどこかこっけいでもある。

「わたしもムカゴでいいです」

 ハクがにっこりと笑う。

 わたしはハクに急速に親しみを感じ始めていた。

「なにをしていたんですか、こんなところで」

「夕日を見てたんです」

 本当は、とくに何をしていたというわけでもなく、鳥居の下の階段にすわってぼんやりと考えごとをしていただけだった。思いつきで答え、とりあえず空を見上げた。

 夕陽が今まさに西の空に沈もうとするところだった。夕焼け空にたなびく茜雲が、みるみるうちに青や紫に色を変えていく。

「すごいきれい」

 思わず感嘆の声をもらした。ハクもまた黙って夕焼け空を眺めている。

「変わらないものってあるんですね」

 なぜそんなことを口にしてしまったのか、自分でもよくわからなかった。言ったあとで、急に胸がつまって泣きたくなった。

「行きましょうか。ヒロさんがさがしてましたよ」

「いいんです。友だちをほって朝から闇賭けに出るような薄情者のことなんかほっとけばいいんです。わたし、もう少しここにいたいんです」

 ふふっ、とハクの笑う声がした。

「闇賭けは、修業のなかでも、もっとも厳しいといわれているひとつなんですが。それなのに、あの人ときたら」

 失礼とことわってから、くっくっくっと肩を震わせた。思いだし笑いが止まらなくなってしまったらしい。どこに行っても、どこの誰からも、ヒロは愛される存在なんだなと思う。そういう意味で、ヒロは本物なんだ。

 夕焼けと同じ。

 誇らしい、だけどなぜか、さびしいような気持ちもする。

 この空の下にいる、わたしはどうしてこんなにちっぽけなんだろう。

「ハク、さん」

「はい?」

「わたし、自分の記憶がないんです」

 唐突に言ったのに、ハクはちっとも驚かなかった。

「そうだと思ってました」

「えっ、知ってたんですか」 

「なんとなく。あなたには、ほかのみなさんにある色が、最初からなかった」

「色ですか」

「色です。自分では気づきませんが、人はその属性によって、さまざまな色を発しているのです。男女、年齢、生まれた場所、そのほか心の状態も色にあらわれます。その色の重なりや、濃淡によって、その人の生き様をだいたいですが、おしはかることができます。それがあなたには、ない、というか濁って見えない。最初会ったときは、わざとそうしているのかと思いましたよ」

「自分で色を消すことができるんですか」

「かなり高度な技ですが、鍛錬と積めばできるようになります。例えば、このわたしの名前、ハクというのは、能海坊様がつけてくださった名前ですが、白、つまりどんな色にも染まらぬ、滅私の状態を意味します。常にそういう人物であるようにと。

 しかし、あなたにだけ、告白しますが、常にこの境地を維持することは、たぶん死ぬよりもむずかしい」

 少し照れたようなハクの笑顔を見て、ふいに池でむちゃくちゃな意地を見せていたハクの一面を思いだして少しおかしかった。

「もし必要ならば、もとの世界に帰るまでに、あなたの記憶を戻すこともできますが」

「ハクは、ハクはどう思う?」

 わたしがたずねると、ハクは少し驚いたような顔をした。

 心のかたすみに、わたしはずっと考えていた。これは、もしかすると、あの幸せの夢の続きではないのかと。ハクは、もしかするとわたしのお兄ちゃんなのではないのかと。

 そんなばかなと思いながら、ハクのほくろに目がいくたび、お兄ちゃんとつぶやきたい衝動をおさえていた。

「あなたは、記憶を消したいんですか」

「たぶん。わたしは、記憶を失う以前の自分を信じられない。どうしても好きになれない。そんな自分のとんでもない過去を背負う自信が、わたしにはないんです」

 ハクはわたしのとなりの石段に腰をおろした。頬杖をつき、まっすぐ前を向いた。

「わたしは自分の中にあるありとあらゆる欲望を断つために、つねに滅私を心がけますが、滅私というのは、自分の記憶や過去をすべて消し去ることではないんです。

 たとえばムカゴさんは、苦しい記憶を葬り去って新たな一歩を踏み出す人と、苦しい記憶を自ら背負いながら新たな一歩を踏み出す人とでは、どちらの人の方が強いと思いますか?」

 当然苦しい記憶を背負って歩く人の方が強いに決まっている。だけどわたしは答えられなかった。わたしは強くない。

「背負ってみませんか」

 わたしは首を振った。

「こわいんです」

「だいじょうぶですよ。あなたの運命なんだから、きっと背負える。運命とはそういうものです」

 そのとき、突然遠くで奇声が響いた。どりゃああああああああ、

 山から妖怪でもあらわれたのかと思い、心臓が止まりそうになった。先に振り返ったハクがくすくす笑いだしたので、見ると、わたしたちの泊まっている宿坊の屋根にヒロが仁王立ちで立っていた。

「なにやってんのよ、あんたたち、人があちこちさがしまわってんのに」

「あの人、あんなとこまでジャンプできるようになったんですね」

 ハクが小声で耳打ちした。

「昨日、九兵衛君に馬鹿にされたのがよっぽど悔しかったのでしょう。たぶんそれなりに練習をつんで、ジャンプ、ジャンプ」

 そう言って、わたしが天井の梁をつかむまねをすると、

「こっちに一緒にいて、ぜひ先鋒隊長にお願いしたい」

「え」

「というのはうそですが」

 と言ってハクは大笑いした。

「あ、行きましょう。これ以上怒らせるのはまずい」

 ハクが立ち上がって、わたしに向かって手をのばした。

「あなたは、死ぬのがこわくないんですか」

 ハクの目をじっと見つめた。あなたはもうすぐ死ぬ。戦に負けて死ぬ。

 わたしは真剣に答えを待った。その奥にあるものから、一瞬たりとも目をそらすまいと思った。

「こわくないです」

 あっさりとハクは答えた。

 だって、あなたはもうすぐ死ぬんですよ、この戦いで豊臣氏は滅亡、以降徳川の太平の世になるんです。のどまででかかった。だから、どこかへ逃げてください。

「わたしは死について考えたことがないんです」

 ハクは言った。

「死もまた、生。わたしにとって、死というのは、生の最後の一瞬を意味します。死は単に延長線上にあるもの。それまで生きてきたように、迎えるだけです」


 




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