第十七話 帰還に向けて
第十七部 帰還に向けて
「あなたがたが二日前におられた場所は、たぶんこのあたり、羅漢山西はずれの材木収集場でしょう。この道をこうおりてきて村におり、ここ、この鴨狩辻でエリカどのが襲われたのです」
お堂に広げた地図を囲み、自分たちの位置をたしかめていた。地図といっても、簡略化された墨絵の山のところどころに、おおざっぱに地名が書き込まれているだけの。
「そしてこれが本宮川。お滝まいりというのは、この川に沿って行われていたのですな」
「そうです」
ずっと眉をしかめていた花田だったが、はじめて自信を持ってうなずいた。
「風車の滝というのは、どのあたりですか」
「風車の滝?」
「はい、サンショウウオセンターを出て、風車の滝を見て、すぐ先のつり橋をわたっている途中で事故にあいました。竜眼の滝をめざしていたのです」
サンショウウオセンター、風車、竜眼、今度は能海坊老人が眉をしかめる番だった。
「ひとつひとつの滝にそういった名前はついてませんのお。あるとすれば、この上にある、神庭のご神体、神庭滝くらいですか」
「そうですか。あれは、最近つけられたものだったんですね」
「あの、ふたごの滝はどのへんでしょうか」
「ふたごの滝?」
わたしの質問に、能海坊老人は、おかしな顔をした。
「あ、名前とかじゃなくって、ふたごみたいな滝。そんな大きくない。わたしのふたり分くらい。まったく同じ形で二個並んでいるんです。その滝のよっつ上に、わたしひとりで倒れてたんです」
はて。能海坊老人は腕を組んで少し考えたあと、はたと手を打った。ありましたなそういうのが。顔を地図に近づける。
「たしかこのあたり……、ちょうど剣谷のすぐそばですな。久保先生の倒れておった。ここから、よっつ上だとすると、いまおっしゃった場所は、だいたいこのあたりでしょうか。位置関係でいうと、ほれ、ここが、われわれが今おる神庭神社」
能海坊老人がさし示した神庭神社の場所は、このあたりといった、さらに上にあって、平地の鴨狩辻からこんな高い山奥まで、どうやってわたしたち三人を運んできたのかと、さらなる疑問を持った。
「ぼくが倒れていたのも、ムカゴと同じそのあたりの河原だと思います」
「じゃあそこに行けば」
「もとの世界にも戻れる」
「イェイ」
「しかし問題がひとつ」
ハイタッチをかわしたわたしと花田に、能海坊老人は水をさした。
「ごらんください」
能海坊老人はそう言うと、枯れ木のような細い指で地図上の山の稜線をなぞった。わたしたちが事故にあったとおぼしき場所を越え、指はそのまま斜面をすべりおりる。その先には城があった。
「ここは浅野の城下町に入る山ごえ道の途中にあたります。しかも少し登れば、大阪湾を一望できるホウガン岩もあり、いちばん監視の厳しい所。かつては修験者の行き場として栄えたのですが、いまでは、首ねらいの山賊、おいはぎ、徳川の放った伊賀甲賀の連中が、うじゃうじゃしておって、素人がむやみやたらにうろつける場所ではありません。ですから、行きかたを、よく、考えねば」
刻一刻と戦の日が近づいていた。目に見えぬ不穏な空気が、山全体をおおっているのだろう。息づまるような緊迫感をおぼえた。
「ハクさんは、この峠ごえを越えて、紀州の九度山まで行ったのですね」
花田がたずねると、能海坊老人はうなずいた。
「九度山といえば、関が原ののち、真田昌幸、幸村父子が上田城を追われ、隠居させられていた土地。新たな東西対決を目前にして、いまごろ幸村は九度山を出る準備におわれていることでしょう。戦にはなにより、金、家臣が必要ですから。
それを考えると、あのハクさんという人は、よほど重要な役割を持つ人物らしい」
どこかかけひきをしているようにも感じられる花田の態度に、能海坊老人はいやな顔ひとつせず耳を傾けていた。それどころか、好奇心たっぷりの余裕の笑みさえ浮かべて、
「そのようなことが、四百年後の歴史書に書かれておりますか」
それで、花田もつい、「はいこういうものに」と言って、ポケットの中の歴史用語集を取り出して見せた。
「ほほう、そのような小さな書物に」
「はい。人間が猿だった時代から、少子高齢化という社会問題に直面している今日にいたるまで」
ショウシコウレイカ。変な言い回しでつぶやいたあと、「九度山のこともですか」、と能海坊老人はたずねた。
「はい。関が原の戦いののち、本来であれば真田家は取り潰し、城主である真田昌幸も極刑に処せられるはずでした。しかし、長男の真田信幸が徳川近臣本多忠勝の娘婿であったため、助命に応じ、高野山送りとなり、のち九度山に居を構えたと、ちょうどこの巻末の、歴史豆知識コーナーというところに」
「そのくらいでじゅうぶんです」
ページをくろうとするのを、能海坊老人が止めた。ふぉふぉふぉっとおかしそうに笑いながら。
「この先どうなるか、お知りになりたくないのですか」
「知ってはならぬことゆえ」
「でも」
きっと花田は、この老人を助けたいのだ。
歴史的な関連はなにひとつわからないけれど、間違いなくいえることは、この神社は豊臣に味方しているということ。
ふいに、政治のぶっきらぼうな声がよみがえる。花田に呼んでみてくださいと言われて読んだあの文章。
「☆関が原以降の豊臣氏。豊臣秀吉の子、秀頼は、関が原の戦いのあとも、大阪城を本拠とし、西国の諸大名に影響力を持っていた。1614年大阪冬の陣。家康は徳川氏への対抗をやめない大阪城を攻めた。いったんは講和がなったが、翌年大阪夏の陣で、ふたたび大阪城を攻撃し、豊臣氏を滅ぼした。以降太平の世に」
ということは、ここにいる、能海坊老人たちも、この山のどこかにある隠れ里の人たちも、みんな死ぬってこと。
「その先を、けっして言ってはなりませんぞ」
「でも」
「でもじゃありません」
能海坊老人はいたずらっぽい顔で、くちびるをしっと指で押さえた。
「なんの因果でこうなったのか、よくわかりませんが、そこは神さまのなさること、きっと何か意味があるはず。この世には、偶然なんてことはなにひとつないのですから。ここでなにを見る自由、なにを感じるのも自由。しかしこの時代の川に石を放り込むようなことはしてはなりません」
「石を…」
花田がつぶやく。
「川に投げ入れられた石は、どんな小さなものでも必ず波紋を生みますからな」
この世に偶然なんてことはなにひとつない。本当だろうか。能海坊老人のその言葉は、自分でも驚くほど深いところまで胸にしみこんできた。
「失礼します」
後ろでヒロの声がした。
びっくりして振り返ると、白襦袢、白頭巾、白鉢巻き、白足袋、足の先から頭の先まで白ずくめの男三人を引き連れ、ヒロがリュックをぶらさげて立っていた。ヒロもまたそっくる同じ白装束姿である。
「ヒロ、どこに行ってたの、それにそのかっこう」
「ヒロさん、そのリュックどこで見つけたんですか」
わたしの声と花田の声がきれいにかぶさった。
「いまから説明する。とにかくエリカを呼んできてよ。携帯見つかったって」
神庭山の荒行のひとつに、「闇駆け」というものがあるそうだ。修験者は白装束に身を包み、途中岩登りもあるという山また山の道を、山上のイワコトサキ岩まで、朝一番に駆け抜けていく。
「昨夜よく眠れなくて、明け方外に出たの。そうしたら、この人たちがちょうど闇駆けの修業を始めようかというところで、おもしろそうだから、仲間に入れてもらった」
どういうことかと説明を求めたら、汗びっしょりの顔でしゃらっと答えた。こっちはずっと心配してたというのに。
「で、このリュックなんだけど」
ヒロは地図上のイワコトサキ岩の下あたりを指さし、たしかこのへんだった、と言った。いっしょに帰ってきた修行者も、間違いないと。だけど、その場所は、さっきわたしと花田が特定し、ハイタッチをかわした地点から遠く離れている。花田は首をかしげた。
「ぼくらはこのへんだと思っていたのですが」
ヒロが少し考えて、
「でも、こっちとあっちの世界をつなぐトンネルは、同じ地点を結んでいるとは限らないんじゃない。もっと複雑なのかもしんない。とにかく、わたしたちが事故当時に身につけていたリュックが、まとめてよっつここで見つかった、それはまぎれもない事実なんだし、このポイントに、なにかあるのは確かだと思う」
「わかりました。そっちの方が安全だし、まずそっちの方に行ってみることにしましょう。能海坊さまはどう思われますか」
花田が能海坊老人に意見を求めた。能海坊老人は、うんとうなずいただけで、そのことについて何も語ろうとはしなかった。何かが、ひっかかっているようにも感じられる。
しかし、なんにせよ事態が大きく動きだしたことに変わりはない。出発は事故にあった時間にあわせて、明朝に決まった。
うまくいけばこれで帰れる。
「ねえさっきから、なにさがしてんの、携帯?」
話しが一段落したところでヒロがエリカに声をかけた。話し合いに参加せず、ずっとリュックの中に手を突っ込んで、ごそごそさがしものをしていた。
「うーん。九ちゃんの喜びそうなもの、なんかないかなあと思って」
シャーペン、お滝まいりのしおり、化粧ポーチ、ハンドタオル、ずらずらと足もとに並べている。
「ママの作ってくれたお弁当さえ腐ってなければなあ。インゲンの牛肉巻きとか、おいしいものいっぱい食べさせてあげられたんだけど」
携帯は? とたずねると、ストラップのいっぱいついたピンクの携帯を手にして、「どうせ使えないし」。冷静な答えが返ってきた。
ついこの前まで、命より大事だって言ってたのに。
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