第十六話 忍びの術
第十六部 忍びの術
借りていた渦巻き柄の寝巻きを脱ぎ、体操服に着替えて外に出ると、ひんやりとした山の空気がとても気持ちよかった。
うっすらと色づきはじめた空の下に、杉木立に包まれたりっぱな社殿がどんと建っていた。白砂の境内、鮮やかな朱色の神門。けっして大きくはないが、風格がある。
社殿の背後に鳥居があって、その向こうにはそびえるような急勾配の石段が続いていた。たぶんその上に滝があるのだろう。水音がごおごおと地鳴りのように響いていた。
どこからかラジオ体操第一でも聞こえてきそうな朝のすがすがしさ。
九兵衛が手伝って、エリカが小屋の前でふとんを干している。花田は能海坊老人に話があるといったきり、帰ってこない。
わたしはずっとヒロをさがしている。どこに行ったのか、ちょっと出かけてくる、と地面にでかでかと書き置きを残したまま、朝から姿を消してしまっていた。
「ムカゴ、ちょっとあれ」
ふとんを叩いていたエリカが、突如、杉の木を指さした。見上げると、何十メートルもある杉の木のてっぺん近くの枝に人が立っていた。枝でも払っているのかと思ってしばらく見ていると、突然、飛び込み台からプールに飛び込むように、頭から地面に突っ込んできた。
声も出せずに、とっさに目をつぶった。
トントントントントントンという乾いた音を六回聞いた。人の落ちる悲惨などさっという音は耳に入らない。
「だいじょうぶだよ、稽古だから」
九兵衛が言った。
「稽古?」
「そっ」
おそるおそる手をおろした。白袴のハクが、木の幹に刺さった苦無を抜きとっていた。
「どういうこと?」
「教えてあげるから、おねしょしたこと、ハクには黙ってといてね」
わかったというと、にっこりして教えてくれた。
「あの訓練はね、地面に着地するまでに、二回転して、そのあいだに、苦無を六本、あの古木に命中させるの」
「二回転しながら、投げるの」
「うん」
信じられない思いで、あらためて杉の木を見上げた。ごまつぶみたいに小さく見えた。あんなところから飛び降りたなんて。
トントントントントントン。
あれは苦無が六本刺さった音だったのか。
「あんなの簡単さ。三本までならオレっちもできるよ」
いい終わらないうちに、駆け出していた。杉木立をぬって、一本の枝にとびつくと、まるで鉄棒の選手のように、枝から枝へ、ひゅんひゅんとまわりながら、あっというまにてっぺんまで登ってしまった。
「ねえちゃん」
「危ない、やめて」
エリカが気づき、叫んで止めようとした。
「だいじょうぶだから、見てろって」
「きゃああああ」
エリカの悲鳴が尾を引いているあいだに、九兵衛は着地した。公言したとおり、地面に足をつくまでに、二回転して、苦無を三本、古木に投げて命中させた。
トントントン。
「ほらね」
自分の刺した苦無を抜きながら、九兵衛はにっこり笑った。
「そのうち、ハクと同じ六本命中させるようなるんだ。オレっち今、能海坊様に、火遁の術も教えてもらってんだ。それが完全にできるようになったら、柳生の忍びなんかもう屁でもないからな。すぐに江戸に行って家康のおっさんの首をこの手で……、どうしたんだねえちゃん」
と振り返った九兵衛を、突然エリカが抱きしめた。
「だめよ」
「なにが」
九兵衛が息苦しそうな声でたずね返す。窮屈そうな表情を見せながらも、まんざらいやでもないようで、九兵衛はエリカの腕の中でじっとしていた。
「命を粗末にしちゃだめ」
「自分の命なんかどうだっていいや。オレっちは、かあちゃん、とうちゃん、にいちゃんの敵をとる。それだけだい」
九兵衛の頬についた大きな刀傷を、エリカは指でなぞると、九兵衛はくすぐったそうな声をあげた。
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