第十五話 つかのまの安らぎ
第十五部 つかのまの安らぎ
お風呂のあとお堂に呼ばれた。行くと、がらんとしたお堂の中に、四人分の食事が用意されていた。白米に麦かひえかわからないような茶色の穀類が混ざったごはん、サトイモの炊いたの、山菜のゆでたの、煮干。わたしたちのほかには誰もなかった。
文句を言うものはひとりもなかった。魚と野生の木の実しか食べていなかった身にはありがたく、わたしたちは、感激に身を震わせ、茶碗をかじる勢いでがつがつ食べた。
そのあと九兵衛が、修行者が寝泊まりに使うというかやぶきの小屋にわたしたちを案内した。見るやいなや、高床式倉庫みたいだと花田が言った。
「なに? まだ何か用?」
木戸をあけたまま、なかなか帰ろうとしない九兵衛にヒロがたずねた。
「兄ちゃんに用はない」
九兵衛が不機嫌に答えた。
「兄ちゃんじゃない、姉ちゃん!」
ふんっと、顔をそむけた。
「このっ、にくたらしい」
「兄ちゃんじゃなかったら、この姉ちゃんに用かな」
エリカがヒロの肩越しに、ひょいっと顔をのぞかせた。九兵衛の顔がかっと赤くなった。
「入ってく?」
部屋の中にはすでにふとんが敷いてあった。狭くて、四人分敷くといっぱいいっぱいだったけど、天窓のついた天井は高くて、清潔だった。
「あたしのどこが兄ちゃんなんだっつうのよ」
「全部だ。そんな刈り上げの女、この世にいねえぞ」
「向こうにはいるんだよ。これがモテる条件なの」
「うそつけ、筋肉もりもりの女がモテるわけねえ」
「黙れ」
激しく言い合いながらも、足ずもうなどしながら、けっこう楽しんでいる。
「九兵衛ちゃんはいくつ?」
「ななつ」
肩ではあはあ息をしながら、エリカの質問に九兵衛が答えた。
「七歳で、あんなすごい術を使えるの?」
「あんなって、ああ、隠形の術か。あんなの簡単さ」
「ほかにどんな術が使えるの」
「あっ!」
エリカの質問のあと、突然九兵衛が天井を指さした。全員いっせいに、上を向いた。なんなの? と言って視線を戻すと、九兵衛がいなくなっていた。
「あれ、九ちゃん。九ちゃん」
きょろきょろとあたりをさがす。どこにもいない。
「ここだよ」
天井から声がふってきた。見上げると、天井の梁にクモのようにへばりついていた。すとんと飛びおりて、どんなもんだい。
「すごいすごい。忍者みたい」
エリカが拍手した。
ヒロがおもむろに立ち上がった。
「九兵衛、いまのどうやんの」
アスリート魂というか、スポーツ選手は、ふつうの人とは、火のつく次元が違うのだろうか。今のを見てやってみようなんて、爪の垢ほども思わなかった。あ然としていると、その場にかがみ、天井をにらみつけて飛び上がった。
「ぜんぜんだめだね」
と九兵衛。
「くっそお」
ジャンプ、ジャンプ。
「もっかいやって」
「やだね」
「やれ」
逃げまわる九兵衛を追いまわし、つかまえると、首をしめてやりかたを吐かせようとした。
「もうやめなよ」
なにがなんでもマスターしたいというヒロに、エリカもわたしもすっかりあきれてしまった。
そのあいだ花田はひとり、壁にもたれ、むずかしい顔で何か考え事をしていた。二日に事故にあって明日で四日目。遅れた受験勉強を取り戻す算段でもたてているのだろうか。
冷たい。
「かあちゃん」
かぼそい声。
「ひゃああああ」
自分の叫び声で、はっと飛び起きた。
おねしょをしたと思った。
横に九兵衛がころんところがっていた。エリカの胸にしっかりと抱かれて、すやすやと眠っていた。
犯人は九兵衛ちゃんか。そのかわいい寝顔には、あまりにも不釣合いな大きな刀傷。たった七歳のこの子の身にいったい何が起きたのか。
「なんの騒ぎ」
わたしの悲鳴に驚いて、エリカが目をさました。
「かあちゃ〜ん?」
九兵衛が寝ぼけた声をだした。見ると、九兵衛の頬には、涙のあとがくっきりと残っていた。エリカと顔を見合わせた。
「エリカ、もしかして、九兵衛のかあちゃんに似てるんじゃ」
わたしが言うと、エリカは複雑な表情をした。
そして、もういちどふとんにもぐりこみ、両腕でそっと九兵衛を包みこんだ。エリカの胸のあたりを、九兵衛の手がもぞもぞとはいまわっている。少し笑って、やがてまたすうすうと寝息をたてだした。
「九ちゃん。いい子ね」
エリカが空気のもれるような優しい声を出した。そしてもう一度眠った。
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