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第十四話 もどりたくない

第十四部 もどりたくない


「少しは何か思いだした?」

 お湯の中にもぐっていたエリカが、ぶくぶくと顔を出してたずねた。心配そうな顔。わたしに対するエリカの態度はずいぶん変わった。

「家族のことを少し。さっきお堂で倒れていたとき、夢の中で」

「そうよかったじゃない」

 エリカの表情がぱっと明るくなった。だけどわたしの反応を見て、「でもなさそうだね」とふたたび沈んだ。

「元気だして。向こうの世界に戻ったら、きっと何もかも思いだすよ」

 能海坊老人にすすめられて入った風呂は、ここ数日の汗と汚れだけでなく、わたしたちの得体のしれない不安や絶望を洗い流し、ヒノキのいい香りは、

明日と向き合う希望のようなものを芽生えさせてくれた。

「あのハンゴンの術とかってやつでムカゴの記憶も戻らないかな。魂だって呼び戻せるんだから、きっとできるよ。明日、ここを出る前に、能海坊老人に頼んでみない?」

 エリカの声をかき消すように、わざと大きな音をたてて、お湯から上がった。まるで聞こえてなかったかのように、洗い場の桶で浴槽のお湯をすくった。

「まさかムカゴ、記憶が戻るのがいやなの?」

 半信半疑って顔で、ヒロがのぞきこんだ。ぎくっとして、目をそむけた。

「そんなのいや」

 突然エリカが叫んだ。いまにも泣き出しそうな顔をしていた。

「もういじめないから。約束する。帰ったら、ちゃんと言う。小枝にも美佐にも愛ちゃんにも。二度とムカゴをいじめさせないから。みんなの前で、今までのこと、ムカゴにちゃんとあやまるから。だから」

 エリカはそこでいったん言葉を切った。手ぬぐいで背中をこすっていたヒロの手が止まった。

「あっちでも、友だちでいれくれる?」

 握っていたはずの石鹸が、ぽろっと手の中からころがり落ちた。ヒロがそれを拾って、わたしの手の中に押し込める。なんとかいってやりなよ、目がそう訴えている。

「わたし」

 と答えたものの、そのあとの言葉が続かなかった。のどがぐっと詰まって、何も言えなくなってしまった。言葉を吐き出そうとしたのと同時に、もとの世界に対する強い拒絶反応を感じた。

「だめ、か。だめだよね。決まってるよね。いまさら、勝手すぎるよね」

 えへっと笑って、エリカは、お湯でばしゃばしゃと顔を洗った。

 ヒロは黙って、背中をこすりはじめた。これでもかこれでもかというくらい強く。背中に競泳用の水着の型が鮮やかに残っている。ヒロはあっちの世界になくてはならない人だ。エリカも、花田も。

 誰からも期待され、愛され。だけどもわたしは。

「ごめんなさい」

 もとの世界の自分に自信が持てない。信じられるのは今、この自分だけ。

「もういいよ。ムカゴ。何も言わないで。あたしに気なんかつかわなくていいから。それだけのことはしてきたんだからさ」

 違う。そういうのが問題なんじゃない。

「政治、無事帰れたかなあ」

 エリカが天井を見上げてつぶやいた。三角屋根の天井には、明かりとりの窓がひとつついていて、そこから夜空にまたたく無数の星が見える。

「さあね」

 ヒロは不機嫌な声で言うと、桶でお湯を乱暴にすくって、ざばっと頭からかけた。

「あたし、政治のこと別になんとも思ってないよ。っていうか、あいつだけでも助かってくれたらいいなあって思ってる」

「なにそれ。エリカらしくもない」

「そうかな」

「そうだよ。いつものエリカだったら、なによ政治のやつ、なんでこのあたしをおいて逃げるのよ、きいっ、許せない、出てこい、ってなんのにさ」

 そっか。エリカは湯船から上がると、足だけお湯につけて、浴槽のふちに腰をかけた。

「ヒロもムカゴも、政治と一緒に行けばよかったのに。そうしたら、いまごろ、日曜洋画劇場なんか見れてたのに。あたしなんかほっといてくれても、よかったんだよ」

 つまさきでぴんぴんとお湯を跳ね上げた。

「なに悲観的になってんの。まるで一生このままみたいに。あたしたちも、帰るんだよ」

 うん、といったきり静かになった。

 ふと見ると、エリカの大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれていた。

「泣くな」

「だって、えっ、えっ」

 しゃくりあげてしばらく言葉にならなかった。

「ほ、本当は、迎えにきてくれたとき、すごくうれしかった。でも、自業自得だもんね、こんなあたし、来てくれなくて当たり前って思ってたから、だからもう、感激して、足も手も腰もがくがく震えて、だけど、だけどもしそのせいで帰れなくなったらと思うと、あたし」

「帰れるって言ってんだろ」

 ヒロにどなりつけられて、エリカの声がぴたっとやんだ。泣いてくしゃくしゃになった顔を両手でふせた。

 わたしは自分の手ぬぐいをかたく絞り、平たくしてエリカの頭にのせた。

「ムカゴごめん」

 エリカの伏せた手のあいだから、くぐもった声が聞こえてきた。

「あたし今までずっと、自分が主役で、あとはみんな脇役だと思って、そんな風に感じて生きてた。あたし以外の人間にも、自分と同じ重みの命があるなんて考えもしなかった。それなのに、あたし」

「もういいって。帰ったら、その気持ちで老人介護施設でボランティアでもしたらいいんだって。だから気を強く持って」

 うん、うん。

 ヒロの言葉に、エリカは、繰り返し何度もうなずいていた。

 




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