第十二話 隠れ里の妖人
第十二部 隠れ里の妖人
菊を燃やすような匂いがあたりに漂っていた。蚊取り線香とも似ている。吸い込むと、頭の奥がずきずきと痛んだ。
状況がよく理解できない。なぜかわたしは、お寺のお堂のようなところでごろんと寝かされていた。出入り口のふすまはぴったり閉じられているけれど、その向こうは明るくて、なんとなく境内が広がっているような気がした。わたしのすぐ近くで、ヒロ、花田、エリカがそっくり同じ状態で横になっていた。
って、なんでエリカ?
はっと思いだした。なんでエリカなの?
田んぼの畦付近で、縛りあげられて、悲鳴をあげていたではないか。助けようとしたけど、助けたおぼえがない。変なものをかがされて、気を失ってしまったから。そう、確か倒れる直前に、わなだって声がして。
「起きて、とにかく、みんな起きて」
めちゃくちゃにからだを揺さぶると、次々に目をさました。
「うー、頭の芯がズキズキする」
「ここはどこですか」
「なにーこのにおい、服にくさいのがうつっちゃうー」
エリカの不満ったらしい声を耳にしたとたん、夢から覚醒したように、ヒロががばっとからだを起こした。
「エリカ、あんた、なんでここにいるのよ!」
聞くと、やはり助けを求めてエリカは、山をおりたのだった。誰にも何も告げずに去ったのは、みんなを見返してやりたかったから。
なんて浅はかな。なんて幼稚な。
そしてやっぱりというか、山をおりてすぐ、あの人相の悪い三人組の男らに捕まったのだという。
「助けてって頼んだんだけど、ぜんぜん通用しなかった。刀をぎらっと見せられて、それで」
エリカはそこまで言って言葉を切った。よほどおそろしい目にあったのか、くちびるが真っ青だった。
「ごめんなさい。あたし、近くに仲間がいるのかと聞かれて、いると答えてしまったの。そうしたら、たぶん助けに来るだろうからって」
「それで、おとりになって、助けてーって叫んでたのか」
エリカはこくりとうなずいた。
「だけどね、叫んでるうちにだんだんと、これが自業自得ってことなんかなって気がついたよ。全部自分のまいた種っていうか。だったら助けなんか待つのはおかしいし、みんなを巻き込んじゃいけない。殺されるんだったら、自分ひとりで殺されないといけない。そこまで考えて、叫ぶのやめようって思った。ほんとだよ。そうしたらちょうどそのときに、階段の上にヒロたちの姿がちらっと見えたんだ。えー、うっそおとかって思って見てたら、突然見たこともない男の人が目の前に現れて、あっというまに、そいつらをやっつけちゃった」
「男の人?」
「うん。びっくりした。ひゅんって。どっかから瞬間移動してきたみたいな感じ飛び出してきて…」
そのとき、お堂のふすまがすっとあいた。はっと顔を上げた。まぶしい光に目がくらむ。逆行で顔が見えないけど、誰か三人、順番に中に入ってきて、すっとふすまがとじた。音もなく、ひとりでに閉まったように見えたので、びっくりした。
入ってきたのは、ふたりだけだった。袴姿の老人と男の人。二十歳くらいかな、老人につき従うように少しうしろで立っている。もうひとりはどこだろう。たしか三人入ってきたと思ったんだけど。
「気がつかれましたか」
しわがれた声で老人が言った。髪も髭も見事に白い。
「あっ、あのその、あの子が、い、い、いまあたしが話して、あの」
あわてればあわてるほど舌がもつれるらしく、エリカは、もどかしそうにえいっと老人の後ろを指さした。その指の先に視線を結んだ瞬間、頭の中がからっぽになった。
「おにいちゃん!」
「え」
みんなびっくりしてわたしを見たけど、一番驚いてたのは、叫んだ自分自身。その人の顔の中にある茶色っぽいほくろを目にしたとたん、反射的に叫んでいた。お兄ちゃんって。あの夢の中の人。わたしに、バッタの名前を教えてくれた。幸せのシンボルのような。
うふふっうふふっ。
思いだそうとすると、頭の芯がずきずきする。
「みなさんが驚かれるのも無理はありません。これからおいおい説明しますので、どうぞおからだを楽にお聞きください」
一見すると気むずかしそうな仙人のような風体だが、老人の声の調子には人を包み込むようなやさしさがあった。さっそく足を崩し、ヒロがあぐらを組んだ。
「わたしは、ここ神庭神社の御師をしております能海坊というものです。そして、ここにおるのは、弟子のハクでございます」
ここはやはり神社のお堂らしい。
でも、おしって?
「御師というのは、神に仕え、全国から集まる山伏や信者に宿泊や便宜を図り仕事をするものでございます。ここ神庭は祈りの山にて」
え、このおじいさん、いまわたしの心を読んだ? まさか。偶然偶然。
「エリカを助けに行こうとしたあたしたちに、変なにおいをかがせてここに連れてきたのも、もしかすると」
老人がうなずく。
「さぞかし驚かれたことでしょう」
「どうして、そんなことを」
「どうしてって、オレっちが行くのが、あと一歩遅かったら、あんたら全員あの浅野の犬どもに首を落とされてたんだぞ」
どこからか小さな子どもの声がした。
「九兵衛、口を慎みなさい」
能海坊老人が一喝すると、突如、能海坊老人の後ろに立っているハクのとなりに、もうひとつの影が、ぼおっと浮かび上がってきた。
まるでリモコンでテレビをつけたときみたいに、映像は次第にくっきりはっきりとなって、小さな男の子の輪郭をそこに描きだした。
そ、そんなばかな。ごしごし目をこすってもう一度よく見たけど、間違いない。その子はずっとそこにいたかのようなすました顔で、能海坊老人の背後に立っていた。
学年でいうと、小学校一年生くらいだろうか。真っ黒に日に焼けて、どこの少年野球チームにもひとりはいそうな、いかにもやんちゃって顔をしていた。
ただその顔には、左の額から右の顎にかけて刀でざっくりと切られたような大きな傷跡がついていて、直視できないほど痛いたしい。
「ね、ねえヒロ、あ、あの子、どこからあらわれたか見た?」
ヒロにぴたりとからだを押しつけて、エリカが不気味そうに小声でささやいた。ヒロがぶるぶるっと首を振る。同じようなひそひそ声で、「ぜんぜんわかんなかった」
「ちょっとそこの兄ちゃん、姉ちゃん、ちゃんと聞こえてるぞ」
ふたりがびくっと飛び上がった。
「それに、オレっちはずっとここにいたぞ。気配を消してただけさ。まったく、こんな幼稚な術も見破れないとは、四百年後の連中は、たいしたことないみたいだね、能海坊様」
「やめんか九兵衛!」
能海坊老人は、手にしていた杖で九兵衛の頭をこつんと叩いた。いててて、九兵衛がしゃがみこんで頭を抱える。
「すみません。こやつは、九兵衛といいまして、ハクと同じように、宿坊の手伝いをさせておるのですが、なんというか、不憫な境遇ゆえ、何かと甘やかしてしまいまして」
能海坊老人は、このバカたれと言って、九兵衛の頭をまたこつんと叩いた。
「でも、助けてくれたんだよね」
エリカがひょいとからだを傾けて、能海坊様のうしろでひいひい頭を抱えている九兵衛に声をかけた。
「その天才的なすごい術と、天才的なすごい耳で、あの悪党どもからお姉ちゃんたちを救ってくれたんだよね」
九兵衛が照れたようにえへっと笑った。
「あの九兵衛君とやら、いま四百年後の連中って言いませんでしたか」
半信半疑って感じで、花田がわたしの腕をつんつんと突いてきた。
「うん。言った」
なんで知ってんのって、わたしもひっかかっていた。
言ったよね、と今度はヒロの腕をつんつんと突いた。
「言った」
とヒロが答えた。妙に声が険しい。
「あのガキ、あたしのこと兄ちゃんって言った」
「え…」
こほん、能海坊老人がひとつせきばらいをした。わたしたちはしゃべるのをやめ、能海坊老人の話に耳を傾けた。心なし笑いをこらえているように見えるのは、気のせいだろうか。
「さっき、九兵衛が口をすべらした件ですが、いずれは説明せねばならぬことゆえ、いま説明いたしましょう。どうぞこちらへ」
能海坊老人がくるっと背中を向けると、入ってきたときと同じように、音もなくひとりでにふすまがあいた。
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