第十一話 閉ざされた記憶
第十一部 閉ざされた記憶
「悠馬、そこにあるポール、とってくれ」
「これ?」
「そうそう、とったら天井のこっちのスリープに通す、お、そうだ、うまいうまい。すごいぞ。悠馬はキャンプ設営の天才だ」
「そんな才能いらないわよね、悠馬」
おとうさんとお兄ちゃんがテントを張っているすぐそばで、おかあさんは鼻歌まじりに、アウトドアキッチンテーブルをセッティングしている。買ったばかりのアルマイトのフライパンがぴかぴかに光っていた。
ふふっ。
「あら? 和子はなにしてるのそんなところに寝っころがって」
うふふっ。
「バッタさんとにらめっこしてるのよ」
「バッタさん?」
「うん」
「どこどこ」
と言ってお兄ちゃんがわたしの方に駆けよってきた。そおっとしゃがんで息をつめ草むらの中をのぞきこむ。おにいちゃんの左目の下に、大きな茶色っぽいほくろがある。すごく目立つし、これがなかったらもっとハンサムなのにと思うけど、おにいちゃんは、「ぼくのセマダラコガネくん」って呼んでけっこう気にいっている。
「ショウリョウバッタっていうんだよ、言ってごらん」
「ショウリョウバッタさん」
「さんはいらないよ」
お兄ちゃんは虫のことならなんでも知っている。六年生だけど、先生からも虫博士って呼ばれている。でも虫だけじゃない、魚のことも、樹木のことも、なんだってくわしい。自然博物館の館長さんになるのがおにいちゃんの夢だ。
「お兄ちゃん、このバッタさん、おじいさんのヤギみたいな顔してるね」
おじいさんのヤギ? お兄ちゃんがぷーっと噴き出した。ヤギだって。足をばたばたさせて笑ったから、バッタさんは透きとおった羽を広げ、キチキチキチと音をたててどこかへ飛んでいってしまった。
もうっ。また見つけてやるよ。ここらへんにはいくらでもいるから。カマキリだって、トンボだって。
そこは、海のみおろせる高台のキャンプ場だった。
「おーい、悠馬、戻って手伝ってくれよ」
テントをひとりでおさえていたおとうさんが、半べそ声でお兄ちゃんを呼んだ。
「ねえ、悠馬、どうこの感じ」
おとうさんのもとへ急ぐお兄ちゃんを、途中でおかあさんが呼び止めた。テーブルとイスの配置を気にしている。
「いいんじゃない。だけどぼく、そこにセットしてるスポーツマングリルの出番が心配なんだけど。それで魚を焼くんでしょ」
「そうよ。あとでおいしい魚をたくさんとってきてね」
「たくさんってどれくらい?」
「おなかいっぱいになるくらい」
「とうさん、かあさん、あんなこと言ってるけど」
「かあさんのおなかをいっぱいにするんじゃ、朝までかかるな」
ふふっ。
うふふふっ。
うふふふふっ。
芝生に寝ころんで、わたしは家族のそんな楽しそうな様子を眺めている。和子、何がおかしいの、みんなが交代ごうたいでわたしにたずねる。
なんでもなーい。
みんな大好き、
おとうさん、おかあさん、おにいちゃん。
ふふっ。うふふふっ。うふふふふっ。
おかしな子。
ずっとこのままだったらいいのにな。
このままいつまでも日が暮れなかったらいいのにな。
ふふっ。うふふふっ。うふふふふっ。
うふふふふふふふふふ。
うふふって。
あれ?
わたし、声出てる。
楽しそうに笑ってる。
だけどなんで涙が?
夢?
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