表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孤高の鷹は、花を愛でる  作者: 刄津まゆり
光秀との出会い
9/21

◇◆◇


物心ついた時から、綾女の側には梓乃という男がいた。


一番古い記憶であるあのわびしい山里に居た頃から、ずっと共に生活していたのだ。村を出て初めて、町という人が沢山住んでる場所で暮らすようになって、それからは色んな町を点々としている。

長い期間同じ町に留まることはなく、梓乃が出るぞと言えばその日中にそこから出ていかなければならない。


住み慣れた故郷というものを持たない綾女にとって、それはけして辛いことではなかった。

言葉を交わす人間など梓之ぐらいしかいなかったし、それ以外で親しくしたいと思う人間なんぞいなかった。

自分は他とは違うのだということを、嫌でも自覚させるような酷い仕打ちをする奴は、大人だろうと子供だろうと沢山いたからだ。


唯一言葉を交わす梓乃はとても無口な男で、会話と言っても一日に二、三回あればいい方で。その二、三回の会話でさえ、全て綾女が喋りかけないと始まらない。


梓之は昼だろうが夜だろうが突然家を空けて、いつも真夜中に帰ってくる。そして時々、眠る綾女の枕元へやってきて、暫く綾女の顔を眺めていることがあった。そういう時は大抵、綾女は寝たフリをしていて、近くから香る梓之の匂いを嗅ぐのだ。


熟れすぎた果実のように鼻腔に突き刺さり、それでいて何処か甘ったるい花のような香り。


真夜中に帰ってくる時はいつも決まって纏っているこの香りが、綾女は何故か好きだった。

…その香りを嗅ぐと安心した。



この暮らしが異常かどうかの判断についてだが、生憎周りに比べる対象となる親しい者がいないのだから仕方がない。


そんな生活が寂しくないといえば嘘になるが、梓乃に言ったところで困らせてしまうだけなので、いつも平気なフリをしていた。


本当はいつだって、町の子供たちが日がなやっている"花一匁(はないちもんめ)"に混じりたかったし、梓乃にもずっと家に居てほしかった。


実際は、花一匁に参加したところで売れ残るのは綾女自身だと知っていたし、梓之が家を出て行くのを止めることなど出来やしないのだ。


そんな綾女の気持ちを知っていたのか。

一緒に居る時、梓乃は色々なことを綾女に教えてやっていた。


読み書き、算術、論語、料理・・・他にも町の人間が誰も知らないようなことまで丁寧に教える。

綾女も一人ぼっちの寂しさを埋めようと、躍起になってそれらのことを覚えていった。


そのお陰で、綾女は幼い内から一人で何でも出来るようになっている。


知識が増えれば増えるほど、それらのものが何処から来たのか知りたくなっていった。


梓乃はどうして、ここの大人たちが知らないようなことを沢山知っているのだろう。

一体それをどうやって学んだというのか。


ある時不思議に思った綾女が梓乃自身に尋ねてみたことがあった。


「梓乃はどうしてなんでも知ってるの?どうやってこんな沢山のことを覚えられたの?」


すると彼は決まって、どこか遠い所を見やるように目を細めてこう答えた。


「…俺もお前と同じで、ガキの頃に教えて貰っただけだ」


元々多くを語る性格ではないし、それ以上のことを教えてくれるかどうかも分からなかったが、それでも聞かずにはいられなかった。



「誰に教えて貰ったの?」


自分以外にこの男が誰と関わっていたのか、知りたい。

ただそれだけの理由で、そう尋ねた。


「・・・・・・俺の親父」



確かそう答えると、あの時の梓乃はさっさと家から出ていってしまったのだ。


親父、という何気ない一言に、綾女の心はひどく掻き乱された。

今まで努めて気にしないようにしてきたが、あの梓乃にも父と呼べる存在がいたことが分かると、やはりどうして私だけ、という気持ちになる。

父とは何か。


どんなに考えても、綾女にはその答えを見出せずにいた。


家から出て町を歩けば、嫌でも他の人間たちが目に入る。そこでよく見る、大人の男と女が、小さな子供に笑いかけている光景。


その光景を見ると、綾女は決まって胸の辺りが疼くような痛みに苛まれた。

二人の大人たちに手を繋がれて歩く子供の後ろ姿が、どうしても

"羨ましい"と思う自分がいるのだ。


綾女にだって、一人はいる。

大人の男が、一人。


しかし、何かが自分達と彼らは違う。何か肝心な所が欠けている、そんな気がするのだ。


…思い返してみると、その時の子供は男の方を「お父さん」と呼んでいた。


綾女は梓乃のことを、そのまま「梓乃」と呼ぶ。

その時初めて、自分と梓乃はどういう関係なのか、ということについて考えた。


なるほど、考えれば自分と梓乃の関係は親子に近い。


なら、私は梓乃を「お父さん」と呼んでいいんだよね?

だから、今までずっと一緒に生活してたんだよね。


そう納得する為に、その夜久しぶりに早く帰ってきた梓之に初めて、"お父さん"と呼んだ。



「…何ていった、今」



はじめは、梓乃が驚いているだけなのだと思った。

実際、梓乃は驚いていた。


しかし


「違う、撤回しろ」


次の瞬間には、見たこともないような怖い顔をして、綾女を睨んでいた。

…こんな顔をされたのは初めてだ。


ただでさえ、何もしなくても人から恐れられる雰囲気を持つ男だ。


睨まれたりなんぞすれば、生きた心地がしない。


綾女も怖くて仕方がなかったのだが、そこで意外と頑固な性格が災いしてしまった。


「いや!お父さんって呼ぶの!」

「いい加減にしろ!!!」


その抵抗も、次の低い怒声であっさりと消え失せる。

ズンと、すぐ目の前に六尺(180cm)を超える梓乃がいた。


…初めて、怒鳴られた。


いつもなら、綾女のすることに一切口出ししてこない梓乃が。

息を荒げるほどに、怒っている。


「いいか、二度と俺をお父さんと呼ぶな。俺は、お前の父親なんかじゃない」


先程とは裏腹に、静かに告げられたその言葉は、綾女の心に深く突き刺さる。

歯はガチガチと震え、その大きな瞳からは大粒の涙が零れた。


堪えようとしても、口の隙間から声が漏れる。


「う…うぅ、ひくっ、う、うわぁぁぁん!!」


けして大きな泣き声ではないが、狭い部屋には十分響いた。


何もかも、初めてだった。こんなこと。


どうして、何故。

どうして貴方をお父さんと呼んではいけないの。

貴方じゃないと言うのなら、本当のお父さんはどこにいるの。


「どうしてぇ…なんでぇ?ううっ、ひぐっ…」


「…すまん、どうしてもだ」


そう答える梓乃は、泣いている綾女以上に痛切な面持ちでこちらを見ている。怒鳴られたのは綾女の方なのに、梓之の方がまるで傷付いてるみたいで。


とうとう耐えきれなくなった綾女が、家を飛び出した。


「…アヤ!!」


梓乃が呼び止めても、綾女は止まらなかった。

外の砂利が、激しい音をたてて蹴散らされていくのが聞こえる。


「はぁ…」


あの様子では、暫くここには戻ってこないだろう。


…泣いていた。

自分が泣かせた。


その事実が、梓之に重くのしかかる。


けれど間違っても、綾女に父と呼ばせてはならない。許されないことだ。

…大きく見開かれた翠の瞳が、怯えるように梓乃を見ていたのを思いだす。


再び大きな溜め息を吐いて、梓乃はその場で頭を抱えた。


次の日、綾女は何事もなかったかのように平然と帰ってきたが。

この日以来、綾女が梓之を"父"と呼ぶことは二度となかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ