二
『お前さんにぴったりな仕え先、あることにはあるぜ』
『本当かっ!頼む、教えてくれ。…どうしても金がいるんだ』
ドシュッと鈍い音と共に、相手の体から血飛沫があがる。
背後から奇声をあげながら迫られても、その男は何も動じる気配を見せない。振り向かずとも、両の刀を脇の下に振り下ろすだけで良かった。
ズンという衝撃と、生暖かい液体が布越しにかかったのは同時のこと。
『…なんだ、これは』
『あぁ?今更知らねぇなんてシラは切らせねーぞ。てめぇはもう完全に足突っ込んじまってるんだからな。やるだけのことを素直にやっとけば、金がたんまり貰えるんだ。文句ねぇだろ』
思いだすだけで反吐が出る、あのくそ野郎
。
己の背にしなだれかかる重い骸から、使い慣れた刀たちを引き抜く。普通の刀よりも軽く作られた二本の刀は、紅い弧を描いてその骸から離れた。
支えを失ったそれは、当然のように足下に倒れ臥す。
…同じように重なり倒れる、他の骸たちの上に。
血で彩られた凄惨なその場は、まさしく地獄そのもので。
男は一人、その覚めない悪夢の中心に立っていた。
おもむろにその場で、男は己の血に塗れた頭巾を剥ぎ取る。
長いざんばら髪は、月の光の加減で烏羽色に光っていた。年の頃は、十八から二十といったところか。
彫りの深い顔立ちのせいか、伏せられた目の下には暗い影が広がっている。
男の名は、梓乃。
…あの日から、既に数年の月日が経っていた。
無類に重なる屍は、いつもの通りその場に捨て置く。見つかった所で誰にも咎められはしない。・・・咎めることは出来ない。
金のことは後でにしよう。流石に今夜はもう疲れた。数が数だっただけに、いつも通りという訳にもいかない。
暗い田んぼの横を、常人では成し得ない早さで駆ける。
細作という仕事には、過ぎた力。こんなことが出来なくとも、この仕事は簡単に務まる。
人であるならなんでもござれ。
頼まれた人物を殺す、ただそれだけで大金が手に入る。たまに人を守る用心棒のような役を請け負うこともあるが、それもまた、常に殺生沙汰が後ろに控えている状況だ。
幼少から様々な訓練をこなしてきた梓乃にとって、そこらの武士、ましてや一介の町人を手にかけることなど容易きこと。
だから梓之は、誰よりも”仕事”を片付けるのが早かった。
そして、両の手に収まる忍刀が血を浴びれば浴びるほど、梓乃の中の人間的な感情は影を潜めていった。
時々ふと思う。
この刀を握る手が、いつの間にかおどろおどろしい幽鬼の類に変わってはいやしないか。急に恐ろしくなって己の手を見ても、あるのは無骨な男の手でしかない。節くれだって少しかさついた大きな手は、時の流れを感じさせるだけで、他に変化はない。
あっては困る。
・・・そうなってしまえば、俺はもうアイツの元には帰れない。
静まり返った小さな家の、小さな井戸の前で、梓乃は体を清めながらそんなことを考えていた。
血で赤く染まった水は、どんどん地面に吸い込まれていく。
隅まで血を洗い落とせたか確認した後、梓乃は家の中に入った。人が暮らしているとは思えないほど質素でがらんとした家の中に、二組の敷き布団が敷かれている。そしてその片方に…小さな童女が眠っていた。暗い地面に砂金が零れているかのように、そこだけ仄かに輝いて見える。
眠っている彼女を起こさないよう、梓乃はその隣にそっと腰を下ろした。
かすかな月の光に照らされたその寝顔は、とても穏やかだ。前髪が少し乱れて、白い額が覗いている。
それを見ていたら、自然と梓乃の手が伸びた。
とても自然な動作で、その小さな頭を撫でようとした。
しかし
「・・・・・・・・っっ!!!!!」
綺麗な綺麗なその寝顔に突然、べったりと血がついた。
実際は手をかざした時に出来る影、なのだが。それだけで、梓之は酷く動揺した。
おかしい、あんなに念入りに洗い落としたつもりだったのに。それなのに、何故…!!
ひどい混乱状態になり、そして・・・気付くとひどく落胆する。
撫でようと伸ばした手を、途中で引っ込めた。
彼女に触れるのが怖い。こんな汚れた手で、この娘を穢したくなかった。
罪と血の臭いでむせ返りそうな日々の中で、彼女の持つ綺麗な輝きだけが、梓之の生き甲斐なのだ。
ただ何も知らずに大きくなっていく彼女を、憎いとさえ思うこともある。…それでも。
その輝きを守る為と思えば、自分はどんなに汚れようとも、もう構わない。
「綾女…」
可哀想な娘。
俺が唯一、守りたいもの。