オレオレ詐欺とお婆さん
この日、俺は兼ねてよりの計画を実行に移していた。
学校にも行かず働きもせず、典型的ニートを送っている俺だが先日パチンコで大敗を喫し、おまけにあてにしてた親の財布もどこかに隠されてしまい、俺はとうとう知人・友人からとはいえ返すあてのない借金を背負ってしまった。
働きたくはない、でも金は返さなきゃいけない……困った俺が閃いたのはオレオレ詐欺だった。
朝、両親が仕事に行ったのを見計らい、俺は適当な番号に片っ端から番号の頭に『184』をつけて電話をかけまくる。少しでもいい反応があれば……そんなことを考えながらただ切ってはかけ切ってはかけを繰り返す。
何十件くらいかけただろうか? やっぱ今の世の中こんな手に引っかかる奴なんてもういないのかな~? そう思っていたときだ。
『はい』
「もしもし? あ~オレオレ」
「たかしちゃん!? もしかしてたかしちゃんなの?」
俺は心の中でニヤリとほくそ笑む。やっと待ち望んだ反応が返ってきたからだ。声の感じからすると結構年のいった婆さんのようだ。
「そうそう、たかしだよ」
『あらあら……久しぶり……。声もすっかり大人になって! 今は確か24くらいになったのかしら?』
いい感じに相手のほうから『たかし』の情報を出してきてくれる。鴨が葱を背負って歩いてるとは正にこのことだ。
「ああ、今年で24になったんだよ」
『そうなの~。昔はあんなにちっちゃくて、いっつもお婆ちゃんの膝の上に乗って遊んでたのにね~。もうそんなに大きくなっちゃったのね~』
婆さんの話を聞いていて少しばかり良心の呵責が痛むが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。これはまたとないチャンスなのだ。俺はチクチクと痛む胸を無視して話を続けることにする。
「それでな婆ちゃん、実は……」
『そうそう、こないだ家の庭で柿が沢山獲れたのよ!たかしちゃん昔、家の庭の柿おいしいおいしいって食べてたわよね~。また遊びにいらっしゃいな! おばあちゃんた~くさん柿用意して待ってるから!』
「あ、ああ……。それでな婆ちゃん……」
『そうそう!たかしちゃん、お芋の煮っ転がしも好きだったわよね~。その時にはお婆ちゃん、腕によりをかけて作るからね!』
は、話が進まない……。恐るべし婆さんパワー。
それから2時間。婆さんはずっと『たかし』について話していた。初めて生まれた時のこと、初めて保育園の園服を着た時のこと、初めてランドセルを背負って婆さんの家に遊びに来た日のこと……。
気付けば俺は完全に『たかし』になって婆さんの話を聞いていた。話の中の『たかし』はとても周りの人間に愛されていた。クズの引き篭もりで、周りから疎まれることしかなかった俺とは180度違う人間だ。
だから俺はこの瞬間だけでも『たかし』になりたかったのかもしれない。人から愛されるという感覚を『たかし』を通して感じたかったのかもしれない。
その時携帯のアラームが鳴る。
(やべっ! そろそろおふくろがパートから帰ってきちまう!)
俺は今日の計画を遂行するにあたって、万が一おふくろと鉢合わせないように、予めおふくろが帰ってくる時間に合わせてアラームをセットしておいたのだ。
『おや、なんの音だい?』
「わ、悪い婆ちゃん! 仕事の電話が入っちゃった! また明日かけ直すよ!」
『あらあら、そうよね。たかしちゃんももう立派な社会人なんだものね~。時が経つのも早いわね~』
な、長い……。
「と、とにかくまた明日ね!」
『はいはい、また明日』
俺は慌てて受話器を置くと大急ぎで2階の自分の部屋に駆け上がった。
バタンと扉を閉め、ベッドに横になったところでおふくろの帰ってくる音がする。
(あ、あぶなかった……!)
俺は息を整えそのままゴロンを仰向けになる。
シーンとした部屋、思い出すのは先ほどの婆さんとの会話。
(たかしねぇ……どこのどいつかは知らないけどあんなに愛されてて羨ましい限りだよ)
ものすごい劣等感が俺を襲う。俺は一体誰かに愛されてるのだろうか? こんな生活を送るようになって、両親からは疎まれ、弟からは蔑まれ、金に困った時しか近づかない友達には嫌煙され……。
(もし俺が死んだら、あの婆さんは泣いてくれるのかな?)
いやいやと、俺はわけのわからない妄想を打ち消す。あの婆さんの中であくまで俺は『たかし』だ。だからこそ優しくもしてくれるし、話してもくれる。見ず知らずの俺が死んだところでそんなことはどうでもいい、婆さんとは全く関係のない話だ。
(俺が死んだところで、誰も泣かないだろうな……)
俺は大きく溜息を吐き、そのままゴロンと横になる。程よいまどろみに身を任せ、俺はそのまま眠りの中に落ちていった……。
翌日。
俺はかれこれ電話の前で30分ほど檻の中の熊のようにうろうろとしていた。
(また明日って言っちまったし、やっぱ電話したほうがいいのかな? いやいや、でも別にあの婆さんのことなんて俺には関係ないだろ……)
そんな葛藤をしながら不毛な時間を過ごしていた。婆さんの家の番号は昨日発信履歴から拾っておいたので問題ない。問題はかけるか、かけないか……だ。
(いや、待て。そもそもこれはオレオレ詐欺なんだ。あの婆さんもすっかり俺のことを『たかし』だと信じてるみたいだし……そう、これはいいチャンスなんだ)
電話をする大義名分を見つけた俺は昨日メモッた番号をプッシュする。
『はい』
「もしもし、あの……」
『あらあら、もしかしてたかしちゃん!?』
すぐに俺の声に気付く婆さん。
「あ、ああ、昨日ぶり……」
『まあまあ、本当に電話かけて来てくれたのね! 今日はお仕事大丈夫なの?』
「ああ、平気」
『それにしても、昨日も今日もこの時間に電話くれたけど……一体どんなお仕事してるの?」
時計を見ると10時15分過ぎ。確かに普通のサラリーマンは今頃ガリガリとデスクに向かって仕事に勤しんでる時間だ。
「あ、ああ、俺夜勤の仕事なんだよ。だからこの時間は家にいるんだ」
『まあ……大変ね~。大丈夫? ちゃんと睡眠はとれてる? お婆ちゃんなんかと話してて平気なの?』
『大丈夫?』 ……そういえば俺はもうどれくらいこんな風に自分の身体を心配してもらってないのだろう? 俺は胸の中に何かとても暖かいものが流れ込んでくる。
「ああ、そんなこと婆ちゃんが心配することないよ。それよりさ、また聞かせてよ。俺の昔の話……」
『あらあら、昔からたかしちゃんは優しい子だったけど、大きくなってもやっぱりたかしちゃんは優しいのね。お婆ちゃん嬉しいわ……』
恥ずかしさと罪悪感が心を支配する。人に褒められる嬉しさと騙しているいう後ろめたさ……。気付くと俺の頬を涙がポロポロと流れ落ちていた。
「うっ……くっ」
『たかしちゃん? どうしたの?』
押し殺したはずだったが、少し泣き声が漏れてしまったようだ。
「だいじょう……ぶだよ。 何でもないから……」
『なんでもなくないわよ! たかしちゃん、泣いてるじゃない!? どうしたの? 何か辛いことでもあったの?』
俺よりも婆さんのほうが泣きそうな声でオロオロしだす。
「ホント、なんでもないんだよ。ちょっと仕事で嫌なことがあって……でも、お婆ちゃんの声を聞いたら、なんか安心しちゃって……」
俺は俺で年がいもなくグズグズと泣きながら話す。
「たかしちゃん、社会に出るっていうのはね、とっても辛いことが多いの。嫌なことだってこれからい~っぱいある。でもね、どんな事があっても、お婆ちゃんだけはずっとたかしちゃんの味方だから。 何か辛いことがあったらお婆ちゃん、いつだってたかしちゃんのお話聞いてあげるから」
俺は受話器を持ったまま小さい子供の様にワンワンと泣いた。暖かい温もりという太陽が俺の心の氷を溶かし、それによって溢れ出た水がそのまま涙となって俺の目から溢れ出していた。
『お婆ちゃん』はそんな俺の声を聞きながらずっと大丈夫よ、大丈夫よと繰り返していた……。
それから俺はこの時間、お婆ちゃんと話すのが日課となっていた。俺が電話をするといつもお婆ちゃんは嬉しそうに電話に出て、昨日はこんなことがあったとか、たかしちゃんの好きなお芋の煮っ転がしを作ったとか、たわいない……でも俺の心をとても暖かくしてくれる話を沢山してくれた。
そんな日が一週間過ぎた頃、突然お婆ちゃんは電話に出なくなった。いつもは2コールで電話に出るのに昨日と今日は何度かけても繋がらない。
(どこか旅行にでも出かけてるのかな?)
いや、でもそれなら電話で俺にそのことを言うはずだ。
もしかしてばれた? 俺の頭の中を嫌な想像が駆け回る。様子を見に行こうにも、俺が知ってるのは電話番号だけだ。
(ああ、くそっ!)
やきもきしながら二日間を過ごす。
そして三日目。俺はドキドキしながら押し慣れた電話番号を押す。3コール……4コール……。
(今日も駄目か……)
そう思った5コール目、ガチャリと受話器を取る音。俺は心臓が飛び出しそうになる。
『はい……もしもし』
「……え?」
しかし電話に出たのはお婆ちゃんではなく、疲れ果てたお爺さんの声だった。
「えっ……あの、えと……」
予想外の出来事にしどろもどろになる俺の声を聞いて、電話の向こうのお爺さんが穏やかに話す。
『ああ、たかしか……』
「あ、ああそうそう! たかしだよ」
『そうかそうか……。すまんなぁ、たかし。婆さんな、昨日息を引き取ったよ……』
「えっ……!?」
俺は受話器を落としそうになる。なんて、今この爺さんはなんて言ったんだ……?
『元々、もって一ヶ月と医者には言われとったからなぁ。でもなぁ、この一週間は婆さん、病気なのが嘘なんじゃないってくらい元気でなぁ。たかし、お前のおかげだ』
「いや……そんな」
頭の中が真っ白で何も考えられない。俺は条件反射の様な返事をする。
『お前が初めて電話してきたときな、それまでずっと塞ぎこんでた婆さんが急に芋の煮っ転がし作りだしてなぁ。「たかしちゃんがまた遊びに来るから」って、そりゃあ嬉しそうに台所に立ってたぞ。あんな生き生きした婆さんいつ以来だったかなぁ……』
「………………」
『朝も毎日早起きしてなぁ。「そろそろたかしちゃんから電話がかかって来るから」って、一時間も前から電話の前で待ってたんだぞ。癌で体中が痛いくせに、全くどうしようもない婆さんだよなぁ……』
お爺さんがゆったりとした口調で昔を懐かしむようにポツポツと話す。俺の顔は既に涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり、喋ることもままならなくなっていた。
『あぁそうだ。婆さんが息を引き取る前にお前さんに伝言を伝えてくれって言ってなぁ。今伝えるぞ』
「……えっ?」
『「この一週間優しい『嘘』をありがとうございました。4年前に死んだたかしちゃんが帰ってきたようで、残り短い時間の中、とても楽しい日々を送ることができました。ありがとう、本当にありがとう」だそうだ……』
「……!?」
『たかし』が4年前死んだ……? ……俺が偽者だと知っていた?
『バイク事故でたかしの奴、あっさり逝きおってなぁ。それから婆さんも火が消えたようにしょんぼりしてしまって……。そのうち医者には末期癌とか言われてなぁ……。でもあんたのおかげで久々に昔の婆さんを見れて、ワシもとっても感謝しとる』
「………………」
『だからなぁ、『たかしのふり』はもう終わりでいいんだよ。これからはお前さんの人生をしっかり歩みなさい。それが婆さんとワシの願いだ。老いぼれの最後の願い、どうか聞いてやってくれんか』
「俺は……俺は……!」
『この電話にかけるのも今日が最後だ……。未来ある若者がこんなことで振り返ってはいかん。……
では切るよ。…………本当にありがとう』
「待っ……!」
ツーッ、ツーッと無機質な電信音が受話器から流れる。
俺はその場にしゃがみ込んでただひたすら、幼い子供のように泣いていた。帰ってきたおふくろの目も気にせず、ただただ声の続く限り泣き続けていた。
……あれから一週間が過ぎた。
あの電話番号はあの後、何度かけても使われていないという感情のないメッセージが流れるだけになり、もう繋がる事はなかった。
今冷静に考えればあの一週間は夢だったのでは? と思うときがある。でも俺の心の中には確かにお婆ちゃんから貰った暖かい言葉の数々がまるで昨日のことのように胸に残っていた。
そして俺は今日スーツにネクタイ。途中、自動販売機で乾いた喉を潤すために缶コーヒーを買う。
『ピッ』
『おはようございます! 今日も一日お仕事頑張って下さいね!』
自動販売機から流れる耳が痛いメッセージ。
「うるせーっつーの……」
俺は自動販売機に悪態を吐き、今日の目的地を目指す。
同じスーツにネクタイの連中がズラリと大きな扉の前で椅子に座らされ待たされている。その中に俺も挙動不審になりながら混ざる。緊張で足がガクガク震える。
すると目の前の扉からガタガタと椅子を立つ音がし、ゾロゾロと同じスーツ姿の連中が出てくる。次は俺の番だ。
「お婆ちゃん、行って来るよ」
俺は席を立つ。
『次の方、お入り下さい』
「はいっ!」
---俺は面接官の待つその扉を開け放った---