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降臨の章9  苦戦の因(一)

 一方、校舎の中。


「――何なのよ、あいつら! やったらしぶといじゃない!」

「じゃあ、あんた達何でそんなに強いのって、訊いてみたら?」


 廊下の壁を盾にして身を隠しながら、美菜が静かに言う。

 その傍で息を荒げている沙紀と公司。

 美菜とて落ち着いて見せてはいるが、内心の焦りを隠し切れそうになかった。

 教室を飛び出して恵の元へ向かおうとした矢先、不意をついて出現した幻魔衆によって七人は三組に分断された。

 一足先に教室を出た美菜、公司、そして沙紀。

 それに続いた来未と、追いついた隆幸組。

 もう一組は明日香、霞美。

 この組み合わせがどうにも気になっているのは、美菜しかいなかった。あるいは、明日香と霞美もそうであるかもしれない。

 彼らが幻魔衆なる不可思議な存在と戦わねばならなくなったのが数ヶ月前、一年生の時のことである。

 最初こそ戸惑ったものの、慣れるにつれて戦闘的に立ち向かっていくようになったのは、男子である公司や隆幸、そして負けず嫌いなところのある沙紀であった。彼らのように闘志など微塵も見せないながらも、いつも最後まで皆の身を気遣いつつその力をもって幻魔衆を退ける大きな役割を果たしてきたのは美菜だった。

 彼女に比べれば、公司や沙紀などは猪武者タイプであったかもしれない。隆幸だけは、常に冷静かつ的確に、襲い来る幻魔衆の群れを片っ端から葬り去るだけの力を備えていた。

 どっちでもなくいつも隆幸の尻にくっついている来未は置いておくとして、問題は、明日香、霞美、そして恵であった。

 根が優しい性格の娘達なのである。

 相手が人間の形をしていることに大きな抵抗感があるらしく、公司や沙紀のように力を使えるにも関わらず、幻魔衆の放つ攻撃から身を守ることで精一杯になっていた。

 幻魔衆と直接戦うことの出来る力を持たない恵に至っては、誰かが守ってやる以外になかった。

 そのことが、美菜の脳裏にある。

 あとの四人がどうなっているかは、離れ離れになっているから知れる筈もない。まさか、もっとも戦いの苦手な明日香と霞美がペアで取り残されていようとは、夢に思っていなかった。

 さらに、恵のことが何より気にかかる。

 美菜は、教室の窓から恵の傍にいち早く駆けつけた転入生の姿を見ていた。どうやって一瞬で下りていったのか、それはいい。

 この不可解極まりない境涯におかれている以上、通常であり得ない現象など、幾らでも起こりうると彼女は思っていた。その点、転移という未見の力を目の当たりにして騒いでいた公司や沙紀とは違っていた。彼らの話題に乗らなかったのには、一つにそういうことがあった。そうした意味では、冷徹なようでもまだ美菜の方が想像力を豊富に有しているのかも知れなかった。

 が、会ったことも何もない一介の男子の力など、彼女はさらさら信用する気はなかった。自分が力のない妹を守らねばならないという使命感、あるいは自分だけがそれを成し得るという自負心が多分に彼女の胸中にあった。

 それを思い上がりと言ってやるのは、美菜にとって少し酷であるかも知れない。第一、公司や沙紀などは自分の目前の幻魔衆を討つことしか見えておらず、他の者に至っては全く論外である。

 ただ唯一、隆幸だけがわずかに彼女の心情を察しては恵、あるいは明日香や霞美を助けることがあったに過ぎない。

 朝、隆幸の「恵が入学してくる」という言葉を聞いてふと思い馳せたのには、そうした事情があった。

 ただし、公司や沙紀、来未の今の動揺も、察して余りある。

 これまで、幻魔衆が襲い来るといっても、大して頻度があることではなかった。彼らが集まっている時などに限られたものであって、増していきなり授業中を襲われたことなど一度もなかった。何故幻魔衆がそうしていたのか、それは誰も質問などしないから、判る筈がなかったが。

 とにかく、今までに遭遇したことのない事態が起こっているのは確かである。

 恵については、その力が宿っていることに気が付いたのは皆よりも遅く、ほんの二、三ヶ月前のことであった。ちょうど受験中ということも幸いだったのかも知れないが、一人で学校へ行くタイミングも減り、そこを襲われることも無く済んだ。

 それが、今日になって突然襲われたという。

 さっき廊下で会った時、彼女から話こそ聞けなかったが、どうもそういうことらしいと美菜は直感した。それゆえに外の、自分の目に届く場所に居ろと指示したのである。

 早く恵の許へ行かなくては、と美菜は居たたまれない。

 このまま手間取っていては、恵がどうなるか判ったものではないし、想像したくもなかった。

 どういう訳が、今目の前にいる幻魔衆はこれまでのとは強さが桁違いになっていた。

 威圧程度に放った公司と沙紀の力を避けもせずに消し去ったばかりか、その何倍も強圧な力を放って彼らを少しづつ追い詰めつつある。美菜に公司、沙紀が揃っているにせよ、逃げ回らざるを得ない状況である。隆幸や明日香、霞美達が駆けつけてこないところを見れば、彼らの方にも別な幻魔衆が立ちはだかっているのであろう。かつて対したことのない、強力な力を持つ幻魔衆が。

 こうなれば、恵を救いに行ける者など七人の中で誰もいないということではないか。

 焦りが、美菜を急き立てた。


「こんなんじゃ埒が開かない! ……公司君、せーので飛び出すわよ! 同時に撃って! 沙紀ちゃんはその後から!」


 口調が指示どころか、強制になっていた。

 が、普段の相手ならともかく、今目の前にいるのはかつてなく強力な幻魔衆である。その力をまかり間違ってもろにくらったならば、ただで済む筈が無い。

 そんな恐れが、まず沙紀に露骨に表れた。


「……美菜、あんた正気なの? あいつの撃った力、見たでしょ? あんなの受けてしまったら、死ぬよりないのよ? 今飛び出せなんて、馬鹿な事言わないで」

「だったら、何か、良い方法でもあるの? 恵もそうだし、明日香ちゃんや霞美ちゃんが離れ離れなのよ? 早く行って加勢してあげなかったら、どうなるかわからないじゃない!」


 その事は沙紀も公司も、百も承知している。

 だが、かといって自分達が今飛び出す危険性の方が、彼女達の安否よりも正直重大であった。

 公司が、気のない調子で言った。


「つったってよ、さっき俺達が撃ったやつ、効かなかったんだぜ?もう一回撃ったところで、あいつが素直に消えてくれんのかよ?」


 彼ら一同の致命的な課題が、ここで出た。

 普段それなりに仲を保っているようでも、いざという時にはやはり、自分の身を呈して仲間を救うというような精神がまるでない。たかだか一高校生にそれを要求するのは無理かもしれなかったし、そこまで彼らを追い詰めるような事態は最初の頃を除いては起こっていなかった。

 が、美菜にしてみれば、それを今までやってきたつもりがあり、現に全員とは言わなくても、恵のことを守ってきたと、彼女自身は思っていた。

 要するに、今日に至るまで、この不可解な状況の中で、それぞればらばらに幻魔衆と戦ってきたようなものであった。何とかそれでも撃ち負かしてこられたが故に、彼らの中で大した危機感として発展することがなかったのである。

 それで済まない事態に、今まさに陥っている。

 美菜の苛立ちが、沸騰点に達しようとしていた。


「じゃあ、何? 一発撃って効かなかったら、後は逃げればいいの? それで誰かが私達を守ってくれるの? ここは私達の生命の内側なのよ? 自分でカタつける以外に、誰も守っちゃくれないのは判ってるでしょ? ……もっと言わせてもらえば」


 とまで言いかけて、彼女はその後の言葉をぐっと飲み込んだ。

 自分だけ助かればそれでいいの? とは、さすがに口にすることができなかった。

 誰もが、自分の無事と、その課題のジレンマとの間にいる。

 意識の温度の差はあれ、仲間に危難が及び、最悪その生命を失ったとしてもいいと思っている訳では、決して無い。

 ただ、今までそのことに思い馳せなければならない機会が余りにも乏しすぎた。自分の力に任せてさえいれば、何とかあの不可解な存在を退けることができていたからである。

 彼らのような若者にとってこの課題は、その解決策を探させるには到底重すぎていた。誰だって、自分の生命は何よりも惜しい。

 そしてまた、美菜が妹を可愛がっていることは皆が知っている。

 その背後にある理由を、沙紀だけは承知していた。

 今美菜が力めば力んでしまう程、結果的には「どうして恵を助けようとしてくれないのか」という意味に受け取られかねなかった。自分の身の危険を呈して妹を救ってくれなどとは、どう考えても虫のいい要求ではないか。

 が、公司も沙紀も、思った通りに口に出す性格である。

 まして、この状況下で、精神が尋常ではなくなっている。


「あのさ、お前、リーダーになったつもりか? そこまで他人にぶつける前に、自分でやってみてからにしろってんだよ。そんなにあいつらの事が心配なら、勝手に行けよ。ここは俺と沙紀が残るから。……ほら、そっちの廊下空いてるぜ?」


 公司は面倒くさそうにあごでしゃくって見せた。

 彼らが身を隠しているのは、廊下の構造に従ってTの字で表現すると、上の横線の左側の方である。幻魔衆は縦線の部分にいる。

 彼らがいるその先は小さな教室があるだけで、袋小路のようなものである。要するに退く事ができない。

 その反対側はずっと廊下が続いていて、途中に階段がある。

 一瞬の危険を潜り抜けて飛び出していけば、何とかこの場から逃れられるかも知れない。公司はその事を言っている。 

 が、沙紀はさすがにそうは言わなかった。

 幻魔衆は、常に神出鬼没である。

 美菜が一人になったところへ、さらに新手が現われてくればどうなるのか。しかも、廊下は一本で身の隠し場所もない。思考に余裕を失いながらも、そういうシュミレートだけはできた。

 ただ、美菜の言い方には腹を立てていたから、


「あたしも公司も、別に遊んでる訳じゃないわよ。明日香ちゃんや恵ちゃんも危ないのは判る。あんた一人だけが心配してるんじゃないのよ。それを――」

「だから! 今私達がすべきことはこれだって、言ったんじゃない! 私だけが心配してるとか二人なら怪我してもいいとか、そんなこと一言だって言ったかしら? ねぇ?」

「……でも、お前、逆上せてるぜ。焦ってるようにしか見えねェもの。そんな奴に指示されたって……」

「……そう。じゃ、いいわ」


 これ以上、何を言っても無駄だと思った。

 廊下の向こう側にいる幻魔衆にも、この諍いが届いたらしく、男が可笑しそうに笑う声が陰々と響いた。


「ハッハッハ……これはいい。双転の化身と秘転の化身が仲間割れとはな。面白いものを見させてもらったぞ。……わざわざ我々が出向いてきた甲斐があったというものだ」 

「だあっ、あいつ、笑ってやがる」


 公司が舌打ちした。

 美菜は黙って壁のぎりぎりまで身を寄せて、機会を窺っている。

 男はふと、違う方向を向いた。気配が気になるらしい。


「……ふむ、あやつら、やられたか。双転の化身の片割れめ、やってくれる。この薄異空も余り保たないようだ。こちらをとっとと始末する必要がありそうだ」


 独り言を言っている。


「何言ってんだ? あいつ」

 

 公司がそっと覗き込むようにした。

 その肩を背後から抑える沙紀。


「迂闊に顔なんか出さないで! 首が飛ぶわよ!」


 二人のやり取りは、美菜の耳には入らなかった。

 幻魔衆の注意は別に向けられている。

 今がチャンスだと思った瞬間、反射的に飛び出していた。

 そして七人の中でもっとも威力の大きな美菜の力が発動されるのかと思われたが――案に相違した。

 飛び出した美菜の目の前に、何と男はいた。

 驚いたのは美菜のほうであった。

 突然視界が遮られ、ふと見上げた先で、幻魔衆の男がにやりと笑っていた。意外すぎる近さであった。

 男はすかさず、力を放つべく向けられていた美菜の腕をがしりと掴むと、そのまま片腕だけで彼女を吊り上げた。近くで見れば、男は廊下の天井すれすれになる程の背丈があった。


「ああっ!」


 美菜の悲鳴がこだまする。

 幻魔衆の大きな手は、彼女のよりによって腕の関節を砕けんばかりに握っていたのである。身体の華奢な美菜には、たまったものではなかった。

 苦痛に顔をしかめながら、美菜は幻魔衆を一瞥した。

 笑っている。

 口元だけで、冷たく。

 かつ、フードの奥で、とても人間のそれではない、何か獣のような瞳が、鈍く光っていた。

 美菜は、怖気がたった。


「ちょっと、美菜!」

「……この野郎!」


 こうなると、怯えも何もあったものではなかった。

 何も考えず、公司と沙紀が一斉に飛び掛ろうとした刹那。

 男の右手から薄緑色の光が洩れ、それはすぐさま直線状に変化して二人目掛けて宙を走った。

 かわせる距離ではない。

 光状のものは公司の右肩、そして沙紀の左脇腹に直撃した。

 貫きこそしなかったが、光はそのまま二人を信じられない程の凄まじい力で跳ね飛ばした。


「きゃあっ!」

「がっ!」


 公司と沙紀は、奥の教室のドアにもろに叩きつけられた。

 スライド式のドアは勢いを支えきれず、内側に勢いよく倒れ、バーンという音が響いた。

 当然、二人の身体は教室の中まで吹っ飛んでいる。

 ドシャ、ガシャンという、机やら椅子やらが乱雑する音が少しの間聞こえ、やがて静まった。

 が、静まったままである。

 公司と沙紀が跳ね起きて教室から出てくる気配はなかった。


「……沙紀……ちゃん? ……公司君?」


 思わずそちらを振り向こうとしたが、宙吊りにされていては思うように身動きができない。

 美菜にはなお、二人を案ずる余裕がわずかにあった。

 が、男はそんな美菜の思念をあざ笑うかのように、


「まだ殺してはいない。雑魚はあとから始末する」


 言って、彼女の顔に右手の甲を近づけた。

 その五本の指が、美菜の目の前でみるみる形を変え、瞬く間に七十センチはあろうかという鋭い爪状の凶器と化した。

 見るからに、触れるだけで切れそうである。

 美菜の顔から、血の気が失せた。


「……まずは早々とお前を殺す。双転の化身」


 男がぐっと右手を引いた。

 美菜の鼻先に、その鋭利な凶器の先端が、ごく触れんばかりの近さで突きつけられている。

 殺されることとは、こんなにあっさりしたものかと、美菜は心のどこかで思った。

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