降臨の章7 さらなる異変
二時間目が始まってから二十分ほど経った。
授業時間は五十分だから、まだまだ授業は終わらない。
明日香はしきりと窓の外、校庭で座っている恵の姿を確認し、公司は公司で転入生の方に何度となく目をやっている。
涼輔はというとあれ以来消えることもなく、黙ってノートをとり続けている。
授業は数学であった。
新学年となって新しい分野の内容に入ったこともあり、クラス中の誰もが真剣に聞いているようである。聞き流していても何とか点数を取れる国語や歴史とは違い、数学では授業を理解していないと、自分で勉強してもわからなくなってしまうからである。
やがて、一区切りの解説を終えた教師が顔を上げ、
「じゃ、ちょっと簡単な問題をやってみてもらおうか」
と言った。
皆、自分が当てられてはかなわないから、途端に下を向いた。
教師は手元の座席表にざっと目を通すと
「そうだな……じゃあ、今日入ってきた浅香、どうだ?」
思いがけない指名が出て、ほとんどの生徒がほっと胸を撫で下ろしていた。
はい、と軽く返事をして、前に進み出た涼輔。
転入生の学力がどんなものか、まだ誰も知らないので、皆がじっと彼に注目している。
涼輔は適当にチョークを手に取ると、教科書の問題を眺めていたが、やがて一気に書き始めた。
すらすらと流れるように並べられていく解答に、クラス中が密かに舌を巻いた。教師が問題の解説をする前にも関わらず、それを見ながらノートをとる者もいた。
(へぇ、浅香さんてすごいのね。ちょっと愛想ないけど、勉強できるんだ)
数学の苦手な明日香は感心しつつ、何気なく窓の外に目をやった。
眼下に小さく、恵の姿が見える。
噴水の石段に腰掛けて、参考書を読んでいるらしい。
――と、その時だった。
全身白ずくめの二人組がまるでCGで合成したかのように突如姿を現し、恵を左右から囲むようにした。
その様子は、上から見下ろしている明日香にははっきりとわかっている。
あっと思った彼女は、咄嗟に美菜の方を鋭く振り返った。
「美菜さんっ! 恵ちゃんが!」
異変を察した美菜が立ち上がるのと、公司が叫ぶのと、ほぼ同時であった。
「あいつ、また消えたぁ?」
確かに、消えていた。
つい今しがた、黒板に向かって数学の問題を解いていた筈の転入生・浅香涼輔の姿は、蒸発した様にその場から姿を消していた。
もちろん、ドアから出て行った訳ではない。
それは公司自身がずっと見ていたから確かである。
不意に起こった動揺は、あちらとこちらで進行している。
美菜が窓際に駆け寄るのを見て、何事かと思った来未もまた勢い良く立ち上がって窓の外を見た。彼女もまた、明日香の叫び声に反応していたから、涼輔がその場から消えたことには気が付いていない。
が、彼女達はすぐ、窓の外の光景を目にして驚愕することになる。
「……あ、あれ? あれって、浅香君? 何であそこにいるのよ? どうやって降りた訳?」
と言ってから来未は背後を振り返り、涼輔が教壇にいないことを確かめた後、
「――ってかあれ、幻魔衆の奴らじゃない? 浅香君、あいつらと戦ってるの?」
美菜は無言で窓の外を見つめていたが、すぐに教室から飛び出して行った。恵の元へ向かう気らしい。
突然の事態に呆然としている明日香と来未。
が、公司や沙紀が促す声で我に返った。
「二人とも、早くここを出るわよ! 囲まれたら逃げ場なんてないんだから!」
「奴等、どっから来るかわからないぞ! 廊下に出て左右を守るんだ」
公司も言い捨てて、廊下へ走った。
後に続いていく沙紀に来未、明日香に霞美、それに隆幸。
こうなると、当然教師や同級生らは騒がなければならない。
しかし――なぜか皆の姿はその場から全て掻き消えていて、一人もいないのであった。
沢山の机と椅子、そして各自の机上の教科書やノートに筆記用具。
授業時間のままな教室の光景が、後に残されていた。つまり。今この空間にいる人間は彼らだけということになる。
このありうべからざる現象と公司達一同のとった行動、そして次の瞬間に来未が口にするであろう幻魔衆の存在がいかなるものなのかについては、この場面の後の展開に譲らねばなるまい。
廊下を駆けていく彼らの顔に、先程までの余裕は微塵もない。