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降臨の章6  予兆

「このように、二大雄藩が同盟を結ぶことによって、不可能と思われた倒幕が一挙に進むことになったのです。この同盟は――」


 一時間目の授業が始まっている。

 新学期早々最初の授業は日本史であった。

 まるで講釈のように綿々と話される解説は、生徒達にとっては子守唄でしかない。しかも、大きな窓からは春のうららかな日差しが容赦なく差し込んでくる。

 早くも、公司は撃沈寸前の危機に陥っている。

 さすがに授業中の居眠りなんぞはやかましく注意されるので、堂々とやる馬鹿はいない。

 が、この眠ってくれといわんばかりの状況で、一体どうしろというのか。

 公司は自分でつねったりこっそりミントのタブレットを口に入れたりしたが、本当に眠い時というのは、何を試みようと到底抑えきれるものではない。

 隣でも、沙紀がしきりと生あくびをかみ殺している。

 前の座席では、来未がぴくりとも動かない。授業を聴いている振りをして居眠りを始めたのだろう。来未は聴いている振りをしながら居眠りするという特技の持ち主である。

 公司は、いよいよ視界が半分になりかけた。


(……いかん、マジで落ちそうだ)


 睡魔との闘いを半ば放棄しつつ、ふと左隣の席に目線をやった。

 そこには、例の奇妙な転入生がいる筈であった。


(……?)


 ――いない。

 広げられたままの教科書とノートが机の上にある。椅子が座っていた時の状態で、少し斜めを向いていた。

 つい数分前、転入生がぼんやりと外を眺めているのを、公司は目撃したばかりである。

 訳がわからない。

 彼の眠気は一気に消し飛んだ。


「……おい、沙紀」


 隣の沙紀をシャープペンの後ろで小突くと、沙紀ははっとしたようにこちらを見た。眠ってしまう直前だったらしい。


「あ? 何?」

「ほれ」


 公司はあごで左隣をしゃくって見せた。


「まあ!」


 瞬時に目が覚めたような顔の沙紀。


「もうフケたの? あのコ」


 とんちんかんな彼女の反応に、思わず椅子から落ちそうになるのを、公司はこらえた。

 沙紀にいたっては、公司よりもなお集中力を失っていたらしい。

 説明しようかと思ったが、私語をして教師にとやかく言われるのは適わない。彼はただ頷いて見せた。

 彼らは一番後方の座席に座っている。転入生が席を立って教室を出て行こうとするものならば、当然二人は気がつかなければならない。後ろの壁までは人一人余裕で通れるスペースはない。

 だからどうやって抜け出たんだ、と公司はそこを言いたい。

 残念ながら、沙紀はそこまで気が付いていなかった。

 呆れたように無人の座席を一瞥し、沙紀は前を向いた。


(前に明日香ちゃんがいるから、気付かれなかったのねぇ)


 明日香は彼らと違い、しゃんとして真面目に細かくノートをとっている。いわば転入生の座った位置は教師からは死角で、そのために席替えの度にそこを狙う者も多い。

 沙紀も決して真面目な方ではないと自分で思っているが、かといって授業中に堂々と教室を抜けるような真似などしたためしがない。

 しかも、転入したその日にやるとは。


(……いい度胸してるわね。どうぜどっかの学校で素行不良で追い出されたんでしょ)


 勝手な想像が、彼の印象を次第に悪くしていく。

 その時、左隣でガタン、と椅子の音がした。


「……!」


 沙紀も公司も、目を疑った。

 いた。

 いなかった筈の転入生が。

 見えているかどうかわからない前髪の下から黒板を見て、こつこつとノートを写している。

 二人は、思わず顔を見合わせた。


「……今、いなかった……よね?」

「……ああ。間違いなく、いなかった」


 小声だから、転入生に二人の驚きは伝わらない。

 もう一度、二人は揃って彼の方を見た。

 そんなことをやっているのが教師に見えてしまったようで、余計なことをやっていると不審に思われたらしい。


「そこの二人、どうかしたの?」


 すかさず、鋭く注意がとんだ。


「すんません! 何でもないです」


 慌てて応える公司。

 すると、居眠りしていた筈の来未が振り返ってにやりと笑った。


「……何やってんのよ? お二人さん」




「――いやぁ、びびったのなんの。フケやがったと思ったら、いきなりいるんだもの」


 地獄のような日本史の授業が終わった休み時間。

 公司はじめ沙紀、来未、明日香、隆幸、それに美菜は一階の玄関にある自動販売機までコーヒーを買いに出ていた。眠気覚ましということなのだが、金のない沙紀は予定通り明日香にたかっておごってもらっていた。

 話の中心はもっぱら公司と沙紀である。

 先程の転入生失踪(?)事件を、二人は熱心に語るのだが、集まっている面子が悪い。

 うんうんと真摯に耳を傾けているのは明日香だけであった。

 隆幸、美菜は二人が話す怪談など真面目に聴くつもりはない。むしろ、また始まったか、程度に聞き流して横でコーヒーをすすっている。

 来未はといえば、沙紀と公司の話はそっちのけで、二人が意気投合している方に興味がある。

 いきおい、二人は明日香相手に喋らざるを得ない。

 が、明日香は聴いているだけで話にのってこない。自分から議論を展開する程自己主張が強くないのである。いつものことなのだが、公司にしてみればじれったい。


「妙だと思わない? どうやっていなくなったか、どう考えてみても不可能なんだよ。俺と沙紀の後ろなんてさぁ、狭くて通れないじゃん」

「……そうですねぇ。妙ですねぇ」


 ただにこにこしている明日香。


「明日香ちゃん? あたし達の言っていること、本当にわかってくれてる?」

「ええ。すごく眠かったんですよね? 気持ちはよくわかりますよ。私も眠かったから」

「……」


 ――わかってくれていない。

 結局、そのまま話題はフェードアウトした。

 来未と隆幸は、次の授業に来る教師の話をしている。


「……さ、教室に戻るわよ。二時間目が始まるわ」


 美菜が一人先に歩き出した。

 続いて歩きながらも、公司はまだ納得していない。

 彼には一つの推理があった。


「……沙紀さ、俺、ふと思ったんだけど」

「何? 浅香君のこと?」

「うん。あいつって、実はさ――」


 言いつつ上階への階段を上ろうとすると、一同は上から降りてきた恵にばったりと出くわした。


「あら、恵。どうしたのよ? 図書室はもういいの?」

「あ、お姉ちゃん、探したのよォ。教室に行ったら、霞美さんが下へ降りてったって教えてくれたから……」


 なぜか、恵は必死そうである。


「もう来てたのかい? まだ早いのに」

「誰かさんと違って恵ちゃんは勉強熱心だものねー」


 公司や来未が軽口を叩いても、恵は笑わない。

 美菜は怪訝に思った。


「何かあったの? 資料室に行ってみたら鍵かかってたとか?」


 恵は首をふるふると横に振った。

 何かどうしても伝えたいことがあるらしく、美菜の腕をとったまま離れようとしない。

 美菜はそんな彼女の顔を覗き込みながら優しく


「もう二時間目始まっちゃうから、次の休み時間に聞かせてもらえる? それまで、そうね……」


 恐らく、地下で何かあって自分を追いかけてきたのだろうと察している。

 美菜は、自分がすぐ行ける場所を教えた。


「前庭に銅像とか校旗がかかっている広場があったでしょ? あそこならのんびり座っていられるから。今日なら天気も良いし、教室からでも見えるから。ね?」


 正門から玄関に通じる道の途中に、そういう場所がある。美菜の言う通り、全ての教室から見える位置にあった。

 自分が見えなくても、窓際にいる明日香なら見ていてくれるだろうと、彼女は思ったのである。

 無愛想な美菜が、妹に対しては、別人のように優しい姉の表情になっていた。

 恵がこっくりと頷いて、玄関の方へ出て行った。

 彼女を見送りながら、明日香が


「恵ちゃん、どうしたのかしら? 何か様子が違ったみたいだけど……」


 理由がよくわからないから、美菜は何も答えようがない。

 階段を上りながら、不意に隆幸が言った。


「悪い予感がする。できれば、後で俺も一緒に話を聞いても構わないだろうか?」


 メンバーの中ではずば抜けて思慮深い隆幸の頼みである。

 美菜は「いいわよ」と快諾した。

 ちょうど公司にも、さっき沙紀に言いかけた、思う節があったが、そのまま黙っていた。

 あとで恵に聞けばわかるだろうと思ったのである。  

 教室に入ると、噂をしていた転入生――浅香涼輔が、じっと窓の外を見つめていた。

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