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降臨の章5  遭遇

 人気がなくしかも暗い地下で、恋泉恵はすっかり弱っていた。

 広い。

 この前までいた中学校のそれとは規模が全く違う。


(……どうしよう? やっぱり、お姉ちゃんと一緒に来た方が良かったかな……?)


 躊躇いつつちらりと見た腕時計の針はまだ午前九時を少し回ったばかり。

 今日晴れてこの学校に入学する彼女は、こんな時間に登校している必要はなかった。入学式は十三時半からであり、それに合わせて登校してくるよう入学書面には記載されていた。

 なぜ指定の時刻よりも早く学校にいるかといえば、彼女の個人的な事情に因る。

 数日前、新しく購入した高校の教科書をながめてみて、愕然としたのである。


「……何これ? どういうこと?」


 中学校で学習していた内容よりもはるかに複雑かつ難解で、何度か読み返してみても意味がよくわからない。成績優秀だった彼女でも、ほとんどの部分で理解することができなかった。

 酷なことに、各科目に範囲が示され、あらかじめ自習しておくよう指示がきていた。彼女は進学クラスに入ったため、そういう課題が出されたものらしい。


「へぇ、大変なのね。あたしの時にはそんな課題、なかったのに」


 通常のクラスで入学した姉の美菜はおかしがったが、恵にしてみればこれは一大事である。


「どうしよう、お姉ちゃん。私、授業についていけないかも……」

「入学する前から慌てていたら、三年間保たないわよ。私で解るところは教えてあげるから、そう心配しないの」


 そう言って美菜があれこれ教えてくれたが、そのうち参考書で調べなくてはならない事柄が出てきた。

 こればっかりは美菜にもわからない。

 が、彼女は事もなげに


「これは、そうねぇ……うちの資料室で調べれば大丈夫じゃないかしら?」

「資料室? 高校ってそんな施設があるの?」

「うん。図書室とは別に、学習用の資料ばっかり集めた部屋があるの。ほかの高校にあるかどうかはわからないけどね。辞典とか参考書とかすごく揃っていて、いつでも借りることができるの」

「でも、私はまだ借りることできないよね? 学校から何の許可ももらってないし……」

「大丈夫よ。明日入学式でしょ? 早めに登校して、資料室へ行って借りたい参考書とかあったら抜き出しておくの。あたしがそれを昼に、あたしの名前で借りればいいから。で、お昼はあたし達と一緒に食べよ。ね?」


 と、言ってくれた。

 そんなことがあって、美菜と一緒に早めに登校してきた恵。

 真面目過ぎるようだが、こうしたひたむきさは沙紀や来未、明日香にも愛され、中学生の時から姉ともども彼女らと行動することが多くなっていた。美菜が一緒に昼食を摂ろうと言ったのはそのことが背景にある。

 あらためて気づいたのだが、高校の施設は想像以上に広かった。

 もちろん受験の時にも出入りしているのだが、当時はそういうことを考える余裕がなかったのだ。

 蔵書を日光焼けから守るという理由で、この学校の図書室や資料室は地下に設けられている。

 一時間目の真っ最中だから他に人の気配はなく、薄暗く静まり返っている。

 蔵書ばかりでなく様々授業で使われる教材、あるいは資料なんかもこのフロアに収納されているらしく、幾つもの倉庫室が廊下の左右に並んでいた。

 その上。迷路のように廊下が分岐しており、姉に教わった道筋などはとうの昔に忘れていた。暗くもあって、どれが何やら全くわかったものではない。元々何かの付属研究機関だった跡が高校に改築されたとかで、その名残があるらしいということだけは、彼女は誰かから聞かされた記憶があった。

 照明を点けたいところだが、勝手にやってきている手前、何だかそれが憚られるような気がした。

 気味が悪い。

 夜に一人で居残りをしていて幽霊に遭ったという怪談なんかをつい思い出し、恵は怖気がたった。姉や沙紀は、こんなところに一人でも来るのだろうか。


(戻って、休み時間にお姉ちゃんにもう一度聞いてからにした方がいいかな……)


 誰か教師にでも見つけられて咎められたりはしないだろうかという、現実的な恐れもあるにはあった。

 そうしてすぐに恵の胸中、ついに向学心よりも恐怖が打ち勝ってしまった。


(……戻ろう)


 そう決めると、くるりと反転して一目散に駆け出した。

 沢山の教材室の窓から、誰かに覗かれているような気がしてならない。それは勝手な想像の世界ではあったが、とにかく恵はここから早く出なくてはいけない気がした。 

 一階へ上がる階段は一箇所。というよりも、彼女はそこしか知らない。

 何も考えずに廊下を駆け抜け、勢いよく十字路を左へ曲がった瞬間であった。

 突如背後で、光が生まれた。

 それはただの光ではなく、鈍い唸りを上げながら、螺旋を描きつつ恵に向かって一直線に突き進んでいく。光というよりも、あたかもネオン管のようにその部分だけがじんわりと暗闇に浮かび上がり、明らかに悪意を帯びて恵を狙っていた。


(……!)


 はっと気が付いた瞬間、恵は反射的に転んだ。

 彼女が今いた空間を、光は切り裂きながら直進していく。

 光は急に大きく軌道を乱すと、廊下の壁に激しくこすれた。

 キキキキッと耳障りな音と共に白い火花のようなものを散らしたたそれは光ではなく、実体のある光り物、という方が正確かも知れなかった。まともに当たっていたら、体を貫かれていたであろう。

 そのまま、光はすうっと溶けるようにして消えた。 

 恵は咄嗟に転んで避けたものの、床に体をぶつけた衝撃ですぐに起き上がることができない。放り出した鞄の中身がぶちまけられているのが目に入った。

 再び暗くなった背後に、気配がある。

 それはコツコツとゆっくり足音を立てながら、こちらに近づいてきていた。


「……クックック……」


 小さく笑っている。

 恵は、近寄ってくる気配の正体が何者なのかを悟った。

 途端に、背筋に冷たいものが流れた。

 自分の置かれた状況を理解したからである。


「……こういう所には、せめて奴らと一緒に来るんだったなぁ。どうせ、お前一人では何もできないんだろう? クックック……」


 低い声で笑っている。

 恵は転んだ姿勢のまま振り返った。

 一人の男が、灰色とも何色ともつかないローブのようなものを頭からすっぽりと被り、右腕をさし上げてこちらに向けている。

 顔の上半分こそ見えないが、僅かに覘いた口がうっすらと笑っている。冷酷そのものであった。

 逃れようと必死で身体を前へ前へずらす恵。

 が、恐怖で全身が凍りついたように動かなかった。


(こんなときに現われるなんて……)


 頭の隅に姉の顔がちらりと浮かんだが、すぐに消えた。

 神でも仏でもない姉が、自分の窮状を察して駆けつけてくれる筈がなかった。

 男の右手の平から、淡く白い光が漏れ始めた。光は次第に大きくなり、やがて手全体が眩さで見えなくなった。


(やられる!)


 恵は恐怖に慄いた表情でそれを見た。見たところで、彼女に何ができる訳でもなかった。

 男は何の宣告もなく、いきなり大きくなった光の玉を、恵目掛けて放った。

 目の前に大きく白いものがみるみる迫り――彼女の脳裏には何もなかった。ただ、邪な光が彼女の全身を捉える、その瞬間を待つだけだった。

 ――だが、その刹那。

 彼女の視界は黒い影に遮断された。

 間髪をおかず、予期せぬ何者かの腕がしっかりと、彼女の上半身を抱き起こす。

 力の入らない恵の身体が、大きく仰け反る。

 正体のわからない何者かが彼女を庇うように光の前に割って入った、次の瞬間であった。

 キキキキと耳をつんざく金切り音と、目が潰れんばかりの閃光。

 まるで空中放電でも起こっているかのように、無人の廊下を白い光が断続的に照らし出す。

 恵は、何かがすぐ傍で激しくフラッシュしているのを感じたが、あとはよくわからない。

 ほんの二、三秒ほどであったろうか。

 光が消滅して、あたりがまた薄暗い状態の廊下に戻った。


(……?)


 ぼんやりとした彼女の視界に入ってきたのは、一人の少年の姿であった。

 見上げると、思わぬ近さに彼の顔がある。

 やたらと前髪が長く、顔の上半分が隠れていてよくわからない。前を留めていない学生服の下に着ているTシャツの白さだけが、無性に恵の網膜に残った。

 その彼の左腕ががっしりと、明らかに救いの意思をもって彼女の左肩を抱いている。

 空いた右腕が、ローブの男に向けて突き出され――そして恵はかすかに理解した。

 この少年が自分と男との間に入り、あの殺意そのものの光を受け止めてくれたのである。

 しかし、あのほんの僅かな間に、どうやって自分の傍へ駆け付けてきたというのか。


「……あ、あの」


 何か言いかけようとしたが、心臓が激しく波打っていて、言葉が後から出てこない。

 少年は一言も発することなく、無言で男の方を見ている。

 男は確認するかのようにじっと少年を見つめていたが、やがて


「……貴様か。双転の化身」


 うめいた。

 恵から手を離しつつ、ゆっくりと立ち上がった少年。

 恵からは見えなかったが、彼に表情はない。まるで、恵を救ったことも、眼前に危険な男がいることも、全く意に介していないようであった。

 ややあって彼は


「……あァ、そうだ」


 小さく呟きつつ、やおら首を左右にひねった。

 ゴキゴキと派手に骨の鳴る音がした。

 ――悪意に対抗しようとする、強い意志。

 その波立ちがなく静かで、しかし鉄壁のように揺るぎない確かな闘気が、恵にもはっきりと伝わってくる。

 少年は男を見据えたまま、一言付け加えた。


「俺は、お前らのお尋ね者さ」

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