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降臨の章4  転入生

「……で、朝っぱらからケンカしてるワケ?」

「……別に」


 ぶすりとして答える沙紀、そして公司。

 悪夢のような遅刻から十分後、二人は同じ教室で隣同士の席に座ってお互いあさっての方を向いていた。雰囲気は険悪そのものである。

 そうであろう。

 どちらも遅刻回避可能圏内にいながら衝突して痛い目に遭った挙げ句、口論をかましたために校門に入ることが出来ず遅刻を宣告された。その結果としてあるのは、揃って一週間トイレ掃除というふざけた罰だけであった。

 暴走の巻き添えをくった公司も災難だが、罵倒されたために応戦せざるを得なかった沙紀も不運である。晴れて二年生に進級した日だけに、なんとも不名誉なスタートとしかいいようがない。二人は結局、むかっ腹の収めどころがないまま教室へとやってきたのだった。

 この学校の仕組みでは、入学時から卒業までクラス替えがない。

 入学時に選択した科目別コースのためなのだが、この二人はすでにもう一年間顔をつき合わせていたということになる。

 先ほどから二人のキレっぷりを楽しそうにからかっている篠原来未と、その隣で心配そうに眺めている風見明日香、さらに窓の縁に腰掛けて無表情のイケメン・富野隆幸も、当然入学来のクラスメートなのである。

 やることなすことすべて大げさで態度のでかい公司と、快活で遠慮のない沙紀は良くも悪くも絡みが多い。校内の恋愛ばなしが大好物の来未としては格好の獲物であった。

 ゆえに、二人の機嫌などはお構いなしに


「でもさー、数いる生徒の中でもよりによってあんた達二人がぶつかり合ったってのは面白いよねー。もしかしたら、運命とかなんとかあるのかもよ、この先」


 言いながら、ニヤニヤしている。

 そんな来未の傍にいる明日香は、彼女とは対称的に温厚で優しい性格である。来未といる機会が多いのだが、ところ構わず火をつけて回るのが来未であれば、そのあと水をかけて消して歩くのが明日香である。


「でも、ぶつかったのが二人でまだ良かったですよ。違う人だったら大変なことになっていたかも」


 ぶつかったのが他の人間でも、恐らく公司も沙紀も遠慮なくケンカを売っていただろう。口にはせねど、暗に明日香はそれを言っている。

 不運続きですっかりふてくされている沙紀は、来未の言い草が気に入らない。


「かっ! だーれがこんなヤツと。冗談も休み休み言いなさいよ。あんたってば、いーっつも何も考えないで好きなことばっか言うからムカつくのよ。……ねぇ美菜、そう思わない?」


 沙紀の左隣には公司が座っているが、右隣の席には美菜と呼ばれた少女が座っている。

 恋泉美菜。

 全体的にすらりとしていて茶色がかった長い髪がよく似合い、誰もが振り返ってしまうほどに整った容貌をもっている。美少女といっていい。

 が、いつもどこか暗い影があり、冗談を言ったり笑い転げたりする姿を誰も見たことがなかった。男子生徒の間では当然噂になっているのだが、自分から接触を試みた者はこれまでにない。げんに、隣で沙紀と来未がああだこうだやっている間も、まったく関心を示すことなく文庫本を読み続けている。

 同意を求められた美菜は表情も変えずに


「……さあ?」


 と、一言無愛想に言ってまた本に目を落とした。

 こういう美菜の存在は、来未のようなタイプからすればあたかも珍獣に見えるらしい。声をひそめて明日香に囁いた。


「美菜ってさぁ、なーんか、いっつも感じ悪いよね。幾ら過去に云々あったからって言ったってさぁ――」


 云々を強調した結果、それが美菜の耳に入ったらしく、彼女はすかさず目つき鋭くジロリと来未を睨んだ。

 調整役の明日香としては、また火を消さねばならない。


「来未さん、そう言うのは良くないですよぉ。別に美菜さんは何も関係ないじゃないですか」


 明日香は同級生にも敬語で喋る。こういう穏やかさがウケて、男子生徒はもちろん同級生に人気がある。


「だってねぇ、あんまりノリが悪いし、ちっとは絡んでくれてもいいんじゃないかなー、なんて……」


 遠慮のない来未の発言に、美菜の視線が刺すようになっている。

 美菜の機嫌を損ねると、その後の扱いが相当難しくなることを、沙紀は経験上知っている。自分と公司のドタバタから美菜と来未が仲たがいされてはたまったものではないから、慌てて言った。


「あ、あの! あたしのコトなら、別にいいから。美菜にそんな意見求めなくても……ねぇ? はは、は……」

「……そうだな。まぁ、今は大変な時だし、仲良くやらないと。今日からは恵ちゃんも入学してくることだし」


 まとめるように隆幸が口を挟んだ。

 この男も公司とは正反対で、常に思慮深くて口数が少ない。

 全体的に鋭くて姿のいい少年だから、来未は隆幸だけはからかったりしない。


「はーい、わかりました。富野君が言うなら、ねぇ」


 と、聞き分けがいい。

 美菜は何か思うところがあるのか、しばらく窓の外を見つめていたが、やがてまた本に目を落とした。

 始業のチャイムがなったというのに、担任がまだ入ってこない。

 廊下が静まっているのは、他のクラスでは朝のホームルームの最中だからである。ところがこの教室はそうした訳で、めいめい好きなところに行っては話しこんでいる。


「――みんなぁ!」


 そこへ、勢いよく戸が開き、水瀬霞美が駆け込んできた。


「転入生がくるみたいよぉ!」

 


 用事があって職員室へ行ったところ、たまたま情報を得たものらしい。


「転入生!?」


 小中学校ならともかく、高校で転入というのもそうそうあることではない。

 にわかに教室中がざわめきだした。


「ねぇねぇ霞美ちゃん、男だった? 女だった?」


 女子の中心的存在の剣野幸子が真っ先に訊いた。まずその場の誰しもが知りたい質問であろう。

 霞美は自分の席へ戻りかけながら


「後ろ姿しか見てないんだけど、男の子だったよ」


 と、答えた。


「なーんだ、男かよ。興味ねー」


 男子の誰かがぼやき、皆からどっと笑い声が上がった。

 ここから先は女性陣にのみ関心がある。


「そのコ、どうだった? 背高い? カッコ良さそう?」


 すかさず訊いたのは来未である。

 女子が一斉に霞美の回答に注目している。


「どうって訊かれてもねぇ。後ろ姿しか見えなかったから何ともわからない。背だって、遠目だったから高いか低いかっても」

  


 霞美の答えは要領を得ない。

 どんな時でも理路整然かつ現実認識を重んじる彼女にしてみれば、そうとしか言いようがないらしい。駆け込んで来たことにせよ、始業時刻が迫っていたからであって、転入生という新着情報をいち早くクラスに持ち込むためではなかったのである。

 女子達に失望の色が広がった。


「なーんだ、じゃ、見てないのと一緒じゃん」


 つまらなさそうにぼやいた来未。あたかも、霞美を責めているかのように聞こえる。

 霞美も負けてはいない。


「そりゃそうよ。いきなり転入生の正面にまわってまじまじと顔なんか眺めてたら、なんだこいつ、ぐらいに変に思われるでしょ。なんであたしが来未ちゃんのために変な奴を演じなきゃいけないのよ?」


 彼女のもっともな反論を聞いて、沙紀が笑い出した。


「はっはっは、それもそうだわ。大体そのコ、すぐにうちのクラスに来るんでしょ? じゃどんなコなのか黙ってたって判るじゃん」

「だって、気になるじゃない」


 横で来未がふくれている。

 姿のいい男子だったならば、どうせあとですり寄っていくんだから――と、沙紀はおかしかった。来未には、そういうところがある。

 霞美の座席は、沙紀のすぐ前である。


「……ああ、そうそう」


 彼女は椅子に座ると、急にくるりと振り向いた。


「そういえば、ちらっとだけ横顔がみえたのよ」

「で?」


 横から急に食い付いてきたのは来未。


「それがね、何ていうのかしら――」


 言いかけた途端、一時間目の開始を告げるチャイムが鳴り響き、同時に教室の前の戸が開いた。


「はーいみなさん、席についてねー」


 入ってきたのは、生田というまだ若い女性教師である。

 生徒達がバタバタと席に着こうとし、そこでいつもと違う事態を発見した。

 続いて、例の転入生が入ってきたのである。

 ゆっくりと歩いてきた彼の姿を一見して、皆が異様に思った。

 別に不良のような短い上着だとか、二人で履けそうな太いズボンだった、というのではない。問題は、彼自身であった。

 頭髪が、長い。

 長いといっても、後ろで束ねるような女性的なそれではない。前髪がことのほか長く、顔の半分を覆っているのである。

 ちょうど顔の下半分だけが顕われているようで、どこから世の中をみているのか、傍目にはわからない。目のつき方がわからないから、顔立ちがどうなのか、あるいは表情すらも窺い知ることができないのである。

 本来なら校則違反くらいで切らされるところであろうが、この学校は服装や身なりについてはあまりうるさくない。もっとも、とんでもない格好をするような不良も入ってこないので、あまり校則にまで気を使う必要がないのかも知れなかった。

 とにかく、転入生である。

 特に、全体としてみかけは悪くない。

 上背も程ほどあるし、太すぎず細すぎず、黒板の前できりっと直立している姿はどちらかといえばスマートである。

 あと、強いて気になるところといえば、彼の手である。右手には、骨折したときのギブスほどではないにせよ、包帯が巻かれていた。左手には、あちこち絆創膏が貼られている。

 あたかも、板前修業に入ったばかりの若者のようである。

 教室はシンと静まり返っている。

 ただし、流れている空気は決して好意的なそれではない。

 どちらかといえば、不思議なものを見て戸惑っている、そんな雰囲気といってよかった。

 教師の生田はまだ若い上に、よく高校の教師が勤まると言われるくらい温厚なのであった。いつもにこにことして生徒の話を良く聞くところが多く、このクラスの生徒をはじめ、他のクラス、他の学年にまで人気があった。

 彼女は例によってにこにこしながら、教壇に立って喋り始めた。


「遅れてごめんねー。今日から転入生が来ることになったから、ちょっと手続きがあったのね。……そうそう、それで、なんだっけ、ああ、浅香涼輔君。浅香君ていうの。自己紹介いい?」


 促され、浅香といった転入生はぺこりと頭を下げた。


「……浅香涼輔です。北海道の富良野から来ました。よろしくお願いします」


 声が低い。

 というよりも、重い口をようやく開いた、そんな感じの口調である。


「……うわ、富良野だって! あの有名なドラマのところよね?」


 こそりと沙紀が美菜に囁いた。


「……」


 ――無言。

 美菜は自分と違ってドラマの類を一切見ないという習性を沙紀は思い出した。美菜に振るべき話ではなかったと思いつつ軽く後悔していると、美菜が小さく言った。


「……田舎者かしら」


 いきなり会った人間に対してひどいことをいう、と沙紀は思った。

 密かに田舎者呼ばわりされたことなど知らず、浅香涼輔は短い挨拶を終えてまた沈黙した。

 黙って立っている彼を笑顔で眺めていた生野は、


「……はい、という訳で、皆さん仲良くしてくださいねー。じゃ、一時間目始まりますから、これでホームルーム終わりまーす。新学期も頑張りましょうねー」


 そのまま教室を出て行こうとした。


(……あれっ?)


 沙紀も公司も来未もコケそうになった。

 転入生を立たせたまま、自分だけ出て行く担任があるだろうか。しかも、ちょっとは話せば良さそうなものの、転入の事情やら名前の漢字やら、何一つ彼女は説明していないのである。

 生田の天然ぶりに、教室のあちこちから即座にツッコミがとんだ。


「先生! ちょ、ちょっと待ってください! 彼の座席は――」

「はい? 座席?」

 

 言われてから、彼女も気がついたらしい。


「ああ、忘れてた。浅香君の座席だけど……あそこに座ってね」


 空いていた座席を指した。

 そこは教室の左隅、公司の左隣で明日香の後ろであった。進級して教室が変わっているから、生徒の数ぴったりに机が揃っていたという訳ではないのである。

 新学期が始まった今日の今、皆は前学期の配置の通りに座っていたに過ぎない。

 転入生・浅香涼輔は黙って言われた座席についた。 


「……」


 自分の居場所に落ち着くなり、頬杖をついてじっと窓の外を眺めている。

 来未はわずかに振り向いてそんな彼を見ていたが、どういう反応をするだろうかと、声をかけてみたくなった。彼女には見知らぬ人を恐れない、そんなところがある。


「浅香くーん。あたし篠原来未。よろしくね」

「風科明日香です。よろしくお願いしますね」


 つられて、明日香も微笑しつつ自己紹介した。


「俺は日野公司。テストの時はよろしく」


 便乗屋の公司までついてきた。テストになったら助けてくれということらしい。

 浅香涼輔といった転入生は首を動かしてこちらを向いた。

 が、目が隠れているので、どんな表情をしているのかがわからない。

 三人とも、もしかしたら沈黙で返されるのかと思ったが、


「……よろしく」


 と、彼は意外にはっきりした調子で言った。

 口元が好意的に引き締まっている。

 どうやら笑顔を見せたつもりらしい。


(ずいぶんとまあ、変わったコねぇ。悪そうには見えないけど……)


 四人のやりとりを横目で観察していた沙紀はちらと思った。

 結局、天然の担任と無口な転入生のお陰で、クラスの誰もが転入の事情をわからずじまいであった。

 ――そうして、新学期の一日は始まった。

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