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降臨の章3  春の朝の一幕

 春、四月。

 満開の桜が街のあちこちを彩っている。

 空は青く晴れ上がり、日差しがほんのりと暖かく心地よい。

 足元には、芽吹いて間もない草花の若い緑色が眼に優しく、時折白い蝶がのんびりとその上を舞っていく。

 見渡せば、真新しい黄色の児童帽を被った新入生達が、並んで道を元気よく歩いていくのであった。

 何もかも新しく、穏やかな春のシーン。

 ――ふと、そんなのどけさを打ち破るように、一人の女子高生が全速力でスクールゾーンを駆け抜けていった。

 セーラー服の胸のリボンは結ばれもせずにだらしなく首にかかり、手にしている手提げ鞄の留め金の片方は外れて傾きっぱなし。

 程よく整った容貌に肩まで伸びた髪形がよく似合ってはいるのだが、どうにも滑稽なことに、口に食パンをくわえている。朝食を摂る間もなく家を飛び出してきたという事情がありありとわかる。

 大きな通りを確認もせずに駆け抜け、折からやってきた車が慌てて急ブレーキをかけた。

 振り返ることなく、今度は横一列に並んで楽しそうに歩く中学生達を巧みにかわす。

 工事中の小道に躊躇なく突進し、ひかれたばかりのアスファルトの上を飛び越して走っていく。制服の短いスカートがめくれあがって作業員達が思わず視線を走らせたが、彼女はそんなことに構っていられなかった。

 ただただ、遅刻を回避する。

 それだけが今の彼女の目標であった。 

 一分でも遅れて校門をくぐったならば、悲惨な一週間トイレ掃除が待ち受けている。好きなドラマの再放送が夕方に始まってしまったからには、とにかく早く帰宅しなければならなかった。録画しておけばよさそうなものだが、唯一の録画予約は同時刻のアニメを録りたい弟にジャンケンで負けたために使えない。

 もちろん、望んでこういう状況になっている訳ではない。

 朝、眼がさめたら時計の針が八時を回っていたというだけの話である。人はそれを寝坊と呼んでいるのだが。

 ちらりと見た小公園の時計が、八時二十五分を指していた。

 学校までもう間もなく。このペースで駈け続ければ、あと三分でゴールインできる。

 そう考えた途端、彼女の胸中、多少の油断が生まれた。

 注意力がふっと散漫になったその時である。横道から自転車が飛び出してきた。

 が、あっと思った瞬間、彼女は反射的に横っ飛びでそれをかわしていた。驚いた自転車の男子学生がブレーキをかけ、不思議そうな眼差しで彼女を見つめた。

 その時にはもう、彼女は十メートルも先へ行っている。


(あぶねー……)


 内心ひやりとしつつ、今のアクシデントでくわえていたパンを落としたことを僅かに悔やんだ。

 昼まで空き腹のままになる。早弁という手もあるが、それをやっては午後にそのツケが回ってきてしまう。

 購買で買い食いしようにも、持ち金がない。

 そこまで考えたとき、彼女は最も致命的なミスに気が付いた。


(――お弁当、家に置いてきた……)


 最悪のシナリオである。一日飯抜きでいろというのか。

 彼女にしてみれば、死ねといわれているに等しい。


(あーもう! なんて日なのよ、まったく。……いいや、明日香ちゃんに頼んで幾らか貸してもらお)


 あれこれと思案を巡らせたことで、彼女の周囲への注意力はほぼ失われていた。

 あともう少しというところなのに、これが悪かった。


「――うわぁ」

「きゃっ」


 曲がり角を曲がったその先に、男子学生がいたのである。

 何の減速もなく、走ってきた勢いそのまま、眼前の男子学生の背中にまともに突っ込んだ。

 全身全力でタックルを食らわされた男子はたまったものではない。

 前のめりに転んだ挙げ句、勢いあまって数メートルもすっとんでいったのだった。

 彼女も派手に転んでしまい、ついでに、持っていた鞄のふたが外れて中身がぶちまけられた。幸いなことに、ノート数冊と筆記用具入れだけで済んだのは、彼女の教科書を持ち歩かない主義によるものであったかもしれない。


「痛ててて……」


 吹っ飛んだ男子学生が我に返り、道端に座り込んだまま自分をこうも突き飛ばした原因の方を向いた。

 当然、ぶん殴りたい程度に腹が立っているから、相手の顔を確認するより早く罵声が飛び出した。


「どこに目ェつけて歩いてやがるこの野郎! フツーに前向いて歩いてる人間に突っ込むバカがいるかよ!」


 売り言葉があれば、買い言葉も出てくるものである。

 転んだ痛さも忘れて、彼女も言い返した。自分の非などは棚の一番上に上がってしまっている。


「あんたもトロトロ歩いてんじゃないわよ! 新しい電柱でも立ったのかと思ったわ」

「ふざけんな。逆ギレかましてんじゃねーぞ」

「男がべらべらうっさいわね! ぶつかって倒れるような貧弱なあんたが悪いんでしょ!」


 とまで罵倒しあいつつ、憎いお互いの顔をまじまじと見た途端であった。


「……沙紀?」

「あ? よく見りゃ公司じゃない」


 二人の驚く声が重なった次の瞬間、無情にもキーンコーンという始業のチャイムが辺り一帯に鳴り響いた。

 ほんの数十メートル先に、見慣れた校門と、生活指導の教師の姿が見えている。


「……」


 二人は地べたに座り込んだまま、茫然とするよりない。

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