降臨の章16 異空
初めて見る光景でありながら、それをじっくり眺めるだけの心の余裕は全くなかった。
ステージ状に一段高くなっている足下と、周囲に聳え立つ円柱の様なものが飾りガラスのように不透明に光っているほかには、何も辺りには見えない。
円柱はステージの対角線の延長線上、つまりは4本立っているのだが、背後のそれはほとんど恵には見えていない。
何でできているのか不明なその台座やら柱も不思議だが、何よりも奇妙なのは、その空間自体であった。
立っている柱の向こうも、そして頭上の空間も、何も見えないのである。
かといって漆黒の暗闇という訳ではなく、よくよく目を凝らすと濃紺、つまりは夜ではなく日没あるいは日の出前の空の色を思わせる。
うっかりすると、どこかの広大な神殿の中の様でもあり、はたまた野外神殿といってもそれほど外れはなさそうである。
とにかく、周囲には何もないというより見えない。
人間の生命の内側を象徴する空間、即ち異空の世界の姿であるということを、恵はあまり理解していなかった。
幻魔衆によって連れ去られる寸前、姉が命術によって激しく跳ね飛ばされる光景を目の当たりにしていたからである。無事なのかどうか、心配でならなかった。
そして。
彼女自身、両腕両脚を拘束されていて身動きができない。
鈍く光る光が細く縄状になって、両方の腕と脚に絡み付いているのである。それは思ったよりも固く、強い圧力で腕と脚を締め上げている。何度もがいてみても、びくとも動かせなかった。
恵は抵抗する力を失い、黙ってうなだれたままでいる。
手足から自由を奪っているその光は、ただ恵を拘束しているだけではないらしい。徐々に、彼女から生命力を奪い去りつつあるらしく、次第に脱力感が大きくなってきている。そうすると、気力も失われてきて、もはや何を抵抗する気にもなれなかった。
捕らえられてから、ひどく長い時間が経ったような気がする。
普通に帰宅していれば、もうとっくに夕食の時間であったろう。
が、不思議と空腹感を覚えなかった。それが異空という時間の停滞した空間にいるせいであるということまでは、さすがに恵には理解できなかった。
(お姉ちゃん……浅香さん……)
姉や、涼輔の顔がちらと頭に浮かんだ。
よく、ドラマなどで助けにやってくるシーンがあるが、実際に自分がその身になってみると、こんなに心細いこともなかった。
姉や涼輔は、なるほど自分を助けようとはするであろう。
かといって、それがいつになるのか見当もつかない。まして、本当に助けに来られるかどうかという確証はないのである。
彼らが助けに来る事ができなければ、恵は殺される。
すぐ近くに立っていた幻魔衆の男が彼女に鋭利な凶器を突きつけ、言った。
「……お前は双転の化身を呼ぶための囮だ。双転もろとも殺してやるが、双転がこなければまずお前から殺してやる」
無表情で目の前に突き出された長い刃物のようなものをじっと見ていると、幻魔衆の男がにやりと笑って見せた。
「……こいつは飾り物ではないぞ、娘。その気になれば、お前の首くらい、一瞬で跳ばせる」
ふっと、男が片手を動かした。
「……!」
真新しい制服が、音もなく縦に裂けていた。
胸の辺りより下が簾の様になり、恵の腹部が露わになった。
羞恥心で、恵は思わず顔を背けた。身体中の血が頭に上ってくるような感じがある。相手が人間ではない幻魔衆たりといえども、辱めを受けることには耐えられない。
両腕で覆うなり逃げるなりしたくとも、身体の自由は奪い去られてしまっている。このまま裸にされようと切り刻まれようと、それを恵は受けるしかどうしようもないのである。
そんな恵の姿を見て興を起こされたらしい幻魔衆の男は、
「ククク、怖かろう。命を獲られるというのはそういうものだ。どんなに虚勢を張ろうとも、人間は何よりも自分の生命を惜しむものだ」
言いながら、恵すれすれに長い凶器を突きつけると、頭から胸、腰の方へとゆっくりと下ろしていった。
恵が恐怖する姿を楽しんでいる。
腰のあたりで、急に素早く振り下ろした。
思わず、身をすくめる恵。
「ひっ!」
傷をつけられはしなかったが、今度は制服のスカートが簾にされ、脚が露出されてしまった。
嬲りものにされている。
首だけで逃げようとしている恵の頬に、男は凶器をぴたりと突きつけた。右手の先から伸びているそれは、爪であった。
「……次は、お前自身を切ってやろうかね。何、すぐに切れるから、切られている瞬間は何も感じやしない。苦痛はむしろ、あとからくるものだ……」
「ひ……!」
声が出ない。
顔が半泣きなのだが、恐怖の余り自分が泣いていることすら気がついていなかった。
男は、恵に苦痛を与えるつもりでいる。残虐な悪意が、恵を震え上がらせた。
「――止めておけ、虐性」
不意に、別の男の声がした。
恵を虐めにかかっていた男は手を停めて振り返った。
もう一人、幻魔衆の白いローブ姿の男がどこからともなく現われていたのである。
「……何だ、酷性か。双転の娘は殺したのか」
「あの娘など、殺したところで何の価値もない。それに、我々が今やるべきは、命の属性を持つあの少年だ。その娘を助けるために、奴は必ずここへ来る。だから、その娘は措け。今殺しても意味がない」
意外に思われるほどに、この男は冷静であった。
虐性と呼ばれた幻魔衆の男は、止めろと言われたために恵虐めを中止せざるを得なかった。少しの間、恵を惜しそうに眺めていたが、やがて恵から離れていった。
濃紺が支配する空間の中で、男達のローブの白さが一際目立って見えた。無機質な寒色しか、色彩というものが存在しないのである。
幻魔衆の男達は、向こうをむいて話し始めた。
「……双転の娘には、伝えたのか?」
「ああ。少々術が効き過ぎて、気を失っていたようだから、返事は聞いていない。ここに双転の化身がやってくるまでには時間がかかるかも知れん」
「確かなのか? 双転の化身といっても、この中異空まで来れるという保証はないぞ。来れなければ、我々の策は水泡に帰すのだが」
「何、女天はあの少年にだけできる限りの知恵を授けたのさ。だから、奴はたった一人で我々の存在を潰しうるだけの脅威となったのだ。異空に来る事くらい、訳はない。……それに、一人では無理かも知れないが」
男は人差し指を立てて見せた。
「そのためにも、双転の化身の少女を残してきたのだ。さすがに、二人揃えば、その力を合わせてこの異空にも転移するだけの力になることは間違いない」
半分上の空で聞いてはいたが、男の話はあきらかに姉のこと、そして涼輔のことを指していた。
姉は無事で、そして二人の力が合わされれば、この異空間まで来ることは造作もないという。
今の恵にとっては心強いことである筈なのだが、じわじわと虐められたために半ば放心状態でいる。ぐったりして身体に力が入らなかった。それに、殺されるであろうという恐怖感から解放された訳では決してない。
(お姉ちゃん……)
無性に恐ろしくて、涙が頬を伝って流れた。
夕焼けの眩い赤とは対照的に、異空は暗かった。
闇のように何も見えないということではなかったが、何せ色彩というものがない。目がなかなか慣れなかった。
少しして、ようやくその異様さがはっきりと見えてきた。
地面、というより床とでもいうべきか、固くて平らなそれはガラス状の輝きをもち、不思議な透明感がある。
眼前には、数十メートルの間隔をおいて、両側に円柱が聳え立っている。あたかも、何もないこの空間の中で、涼輔に「こっちまで来い」と誘っているかのようである。その円柱はどれも果てしなく高く、下から見上げてもその天辺は見えない。
この空間には天井というものが存在するのかどうか、まるで見当がつかない。前後左右に広がっている濃紺の空間がそのまま天に続いていて、一見屋外にいる様な感覚になる。だが、かといえば次の瞬間には、閉塞された広大な屋内の空間にいるような錯覚にも襲われてしまう。神経過敏な人間がやってくると、気がおかしくなってしまいそうな、不可解な場所である。
それもその筈で、ここは現実には存在する筈のない、自分の生命の内側なのである。通常、人が自分の心の状態を自覚することがあったとしても、それは感覚的に捉えているに過ぎない。だが何らかの異変によって生命が実際の空間として実体化してしまった世界、それが異空である。
涼輔はかつて幾度か来る羽目になったが、例え自分の生命のそれであるとはいえ、何度来てみても居心地のいいところではない。常に邪な生命の働きである幻魔衆達が待ち構えているからである。正の生命の実体化した異空というものが果たして存在するのかどうか、まだ涼輔にも判らない。
恐らくそれもまたあるのだろうと、彼は何となく思っている。
ただ、そこに辿り着く方法やら必然性があるのかどうか、今後の自分達の在り方に依るであろう。そう思っておくしか仕様がない。何もかも、まだまだ未知でしかないのだ。
涼輔は、ぐるりと辺りを見回した。
円柱が続いていて進むべき方向を誘っているのは、一つの方角だけしかない。あとの方角は、ただ濃紺の闇が果てしなく続いているだけである。
踵を返し、彼はただ一つの方向へと走り出した。
一刻、否、一秒でも早く恵を助けなければならない。
まだ蟠りを捨て切れていないとはいえ、美菜は最終的に彼を信じて力を貸してくれた。
涼輔としては、何としても彼女の望みを叶えてやらなければならなかった。はたまた、それが彼自身の望みでもあるのだが。
正直なところ、自分自身に納得ができずにいた。
涼輔は朝、地下の図書室で恵を救ってから、それが彼女を狙うと見せかけた幻魔衆の罠であることを直感した。本当に幻魔衆が狙っているのは、涼輔と、そして次に美菜の命なのである。恵をいちいち狙うのは、それによって涼輔や美菜が助けに現われるからである。二時間目の時点であらかた討ち取りはしたが、さらに残党がいることを予測して、わざわざそれ以降の授業を休んでまで恵の身辺に気をつけていたのである。本当に桜を眺めていたくてサボったということも全くない訳ではなかったが。
午後の授業が終わるまでは、それで良かった。
が、美菜と恵が連れ立って帰宅する時になって、突如幻魔衆は行動を起こした。涼輔一人に集団で襲い掛かって足止めさせる一方、手薄になった美菜と恵の不意をついたのである。
四方から攻撃してくる幻魔衆をどうにか叩きのめし、急いで恵の許へ駆けつけたが、遅かった。
文句を言われようとどうしようと、今日という今日は恵から目を離してはならなかった。が、美菜に遠慮して遠くへ離れたほんの僅かな隙に、この状況に陥ってしまっている。
彼が異空へ飛んだことを察知して幻魔衆は、現実の世界・現界にいる美菜ほかあとの六人に攻撃を仕掛けるであろう。その気配を十分に感知しながらも、涼輔は後を美菜に頼んでここへ来ている。だが美菜は身体中に怪我をしている。早く戻ってやらなければ、幻魔衆の餌食になってしまうに違いない。
もう少し、恵に気をつけていれば。
もう少し、遠慮などせずに美菜達にその危険を訴えていれば。
異空の果てしなく続くクリスタル状のフィールドの上を真っ直ぐに駈けながら、微かな後悔と格闘している涼輔。
が、今は全力で恵を救い出すしかない。
何よりも、頑なだった美菜が託してくれた。
それで十分なのかも知れなかった。
一人でいた頃は、誰に対する責任もない反面、誰かから頼られるということもなかった。それはそれで気持ちとして楽ではあったが、孤独という虚しさが常に付きまとっていた。
今は違う。信じて待っていてくれる人がいる。
そのことが、かつてなかった闘志を涼輔に湧き起こさせた。初めてといっていい感覚であった。
(……本当は、一人なんて嫌だったのかもな)
そう思うと、胸のうちに可笑しみが湧き上がってきた。
強がってみても、結局は寂しさから逃れることは誰もできない。
協調し合う中にこそ、本当の人間の強さは生まれる。
(……あれか?)
しばらく走り続けていると、遠く前方に、仄かに光る明かりが見えてきた。ぼんやりとしていて、それが何なのかはまだはっきりと判らない。
そこに恵がいるような気がして、涼輔はさらに脚を速めた。
その時である。
「――よく、逃げずに来たな。双転の化身」
どこからともなく響き渡ってきた男の声に、立ち止まる涼輔。
ほどなく、眼前に白いローブ姿の男がすうっと姿を現わした。
「……」
涼輔は、表情も変えずに沈黙している。
男が、にやりと口元で笑った。
「お前が助けにきた少女は、この奥にいるぞ。助けたくば、ここを通り抜けていくことだ。通る事ができればの話だが……」
男は両腕をローブの中に隠している。傍目には、命術を使おうとする体勢ではないように見えた。
かといって、どこからどういうことをしでかすか判らないのが幻魔衆の連中だということを、涼輔は経験上知っている。いきなり足許に罠を張っていたりする場合だってある。
だが。
ここで慎重な姿勢など見せてはならなかった。恵を人質にとっている幻魔衆は、彼が恵の危険を察してためらう一瞬を待っている筈である。逆に、片っ端から叩きのめしていこうという闘気をして、幻魔衆を震え上がらせなければならない。
「……じゃ、通る」
涼輔は、一歩踏み出した。
瞬間、彼を中心として巨大な円が床に浮かび上がった。
円は濃紺のキャンバスに赤い蛍光塗料をもって線を引いたようにくっきりと浮かび、たちまち外輪から内側に向かって無数の線が伸びていった。線は目にも止まらぬ速さで幾何学模様を描き、そのまま涼輔の周囲まできて、今度は小さな円を描いた。
寒色だけだった空間に、その赤い模様はやたらとよく目立った。
「……?」
涼輔を囲んでいる小さな円の内側全体から、赤い妖気が立ち上り始めた。妖気は意志を持っているかのように涼輔の身体にまとわりつき、全身を包み込むようにした。
ほんの僅かな間である。
気が付いた時、涼輔は身体の自由を奪われていた。
赤い光が、あたかも凝固剤であるかのように彼の周囲で固まって動かず、身体中がそのために動かしようがなくなっている。
――罠。
「……ククク」
幻魔衆の男が笑い出した。
「馬鹿だな、お前は。わざわざ、簡単には通れないと教えてやったものを。……生命の内にに潜む「恐れ」を結晶化した命術がそれだ。恐れに支配される時、人間はあらゆる行動を制限されてしまう。自分で自分を縛る訳だな、こいつは」
男がすっと右手を上げ、涼輔に向けて差し出した。
すると、赤い円の外側から涼輔を取り囲むように無数の白いローブ姿の幻魔衆が音もなく突然現われ、同じように右手を向けた。
円そのものが大きいから、その円周上に立っている幻魔衆の数も相当多い。目だけをそろりと動かして数を数えると、少なくとも五十体はいるとみて良かった。正面にいる男と動作を合わせているところから察するに、いわゆる「分身体」なのであろう。
それらが、一斉に涼輔に狙いを定めている。
明日香や来未なら、即座に失神してしまうようなシチュエーションである。
だが、涼輔は相変わらず表情を消したままでいる。
どうせそんなことだろうと思ってはいたのだが、幻魔衆に対しては愛想も何もない男だから、無言を続けている。
「……ハァッ!」
いきなり幻魔衆の男が気合を発した。
間髪を入れず、四方にいる分身体の手という手が一斉に青白く光り出し、そしてそれらは一斉に放たれた。
涼輔目掛け、悪意の塊が前後左右から襲い掛かった。
彼の姿はたちまち光の中に埋もれた。集中放射された光は、赤い円陣の中で互いに作用しあって凄まじく爆発し、暴風のように吹き荒れた。
濃紺の暗い空間に、繰り返し白い閃光が走り、床や円柱をその都度照らし出した。
円陣は内側に力を閉じ込める効力を有するらしく、光の爆嵐は円の内側だけで荒れ狂っている。
いつの間にか半球状のバリアが発生し、その障壁に光が衝突する度にキキキという耳障りな音と、火花を伴った衝撃が生まれた。
光は、涼輔に止めを刺そうとするかの様に、なかなか止まない。
その光景を眺めながら、
「……ククク。幾ら双転の化身といえども、この呪縛の中でこれだけの命術を浴びせられてはひとたまりもあるまい。異空に引きずり込んで消そうとは、酷性もなかなか策士だな」
一人満足げに頷きながら、男は右手を懐の中に収めた。
青白い閃光がフラッシュして、彼の冷酷な笑みを照らした。
判りきった結果など興味がないというように、男はローブを翻すと、背を向けて歩き出そうとした。どうみても、封じられた空間の中で、涼輔は微塵に消し飛んでいる筈だった。
「……ちょっと待て」
背後から、不意に声が聞こえてきた。
「何!?」
振り返ると、半球内部で続いている光の暴風の中に、明らかに人影があった。
両手をズボンのポケットに突っ込んだままで、平然としてその場に立っている。周囲で吹き荒れる光の嵐など意にも介さぬ風で、真っ向から男をじっと見据えている。
幻魔衆の男は、動揺を隠せなかった。
自分の駆使した命術は、完璧に双転の化身を捕らえた筈だった。
「き、貴様、どうやって呪縛を? この密閉された負命陣の中で身動きなどとれない筈では――」
「……バーカ。そもそも、ここは俺の生命の中だ。お前らの好きになんか、ならないさ」
人間の恐れという生命の動きを具現化した呪縛の陣も、一歩も退くつもりのない涼輔の強い闘志の前には、手もなく破られてしまった。毅然と受けて立つ意志に対しては、いかなる恫喝も威嚇も通用しないという、生命の働きの現れであるといえる。
涼輔は、ゆっくりと右手を胸の辺りに構えた。
たちまち彼の足許から、白い光が霧状になって立ち上った。
周囲で吹き荒れている光が鈍く青白いのに対し、涼輔のそれは正反対に眩く力強く輝き、幻魔衆の放った光を凌駕しているかのように見えた。
純白といっていい程眩い光は、やがて涼輔の足許から赤い円陣の線を侵食しだした。赤く光る線が、みるみる真っ白く塗り替えられていく。
それと同時に、彼の周りに廻らされた半球状の障壁に、細かなヒビが生じ始めた。ヒビはあっという間に障壁全体に走り、いたるところから白い閃光が洩れだした。
内側から圧された障壁は、幾ばくもせずに微塵に砕けて散った。
障壁の破片が宙に舞う。
それらは無数の光の粒子と化して、ラメの粉末を吹いたようにキラキラと辺り一帯で輝き、そしてゆっくりと消滅した。
が、まだ涼輔の力は止まらない。
完全に呪縛を消滅し去ると、遮る物のなくなった力は負命陣をフィールドごと根こそぎ削り取り、その周囲を囲んでいた幻魔衆の分身体に波濤の勢いで襲いかかった。
津波が海岸沿いの小屋を一気に押し流すように、といっていい。
涼輔が発した光のウェーブは、数十体の分身体を、一瞬のうちに呑み込んだ。
意志を持った強大な光に為す術もなく押し潰され、たちまち蒸発する分身体。そしてその力は、本体であるところの幻魔衆・虐性にも容赦なく襲いかかった。
避ける間も防ぐ余裕もなかった。
光の高波は、床を打って高々と突き上がり、頂点から真下に立っている幻魔衆・虐性目掛けてなだれ下っていく。
「な、何だ、これは……ぐ、がは──」
生命に巣くう残虐な性の根元は、自らその恐怖に苦しめられる姿を体現しながら、断末魔の声を上げ続けた。
やがて、涼輔の揺るぎなき意志の力に全身を貫かれつつ、白い光の粒子となって消滅して果てた。
波と化した光はやがて静かに異空の床をどこまでも這い滑り、自然に勢いを失って次第に消えていったのだった。
辺りは静まりかえり、元の暗い濃紺の世界に戻った。
ほんの僅かな間のことである。
涼輔は、顔色も変えない。
首を一回ひねると、また恵の元へと走り出した。