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降臨の章12 責任の在処

「――わぁ……」


 昼休み突入と同時に修羅場と化した購買の光景を離れたところで眺めながら、恵は呆然としていた。

 カウンターの前では、パンの争奪戦が繰り広げられている。

 さすがに喧嘩などはしないものの、要は先に掴んだ者勝ちなのである。男女関係なく入り乱れ、後から後から来た者達が必死で腕を伸ばす。勝者達はその下を、戦利品を大事そうに抱えながら潜り抜けては教室に戻っていく。

 こういう場合、安くてボリュームのあるパンから真っ先になくなっていくのが、ほぼ常識である。幾ら味が良くても、小さくて高いパンはなかなか消えない。早く駆けつけて来ないと、そういう不人気のパンを泣く泣く買わざるを得なくなっていくのである。

 遅れてきた連中は、無念そうに売れ残っているパンの品定めをし、取り敢えず食えそうな物を手にとり、おばちゃんに小銭を渡すと力なく去っていく。

 購買の前から人だかりがほぼ消えるまで、その間約十分。

 嵐のように生徒達がやってきて、嵐のように去っていった、という風に恵の目には映った。

 中学は給食が主流で、当然購買などはないから、恵にとっては初めて目にする光景である。

 彼女は家から弁当を持って来ていたから、その嵐に巻き込まれる必要はなかった。ただジュースでも買おうとやってきたところ、たまたま目撃してしまったのである。

 余りの凄まじさに、恵はジュースを買うのも忘れ、弁当を胸元に抱えたままぼんやりと眺めていたのだった。

 やがてその場から誰もいなくなり、購買のおばちゃんと彼女だけが残っていた。

 おばちゃんは恵の姿に気がつくと、


「おや、お姉ちゃんも買いに来たのかい? 残念だったね、みんな、売り切れちゃったんだよ」


 と、哀れむように声を掛けた。


「はぁ……。私は、別に……」

 

 おばちゃんは、トレイを片付けると、照明を消してどこかへ行ってしまった。


(……高校って、色々知らないことが多いのね……)


 ふらふらと、恵もその場を離れた。


(お姉ちゃん達のところへ行かなくちゃ……)


 まだ何も買っていなかった恵は飲料の自動販売機を探し出すと、小銭を投入しようとした。


「――あら、恵ちゃん」


 振り返ると、明日香と沙紀の姿があった。

 恵は思わず笑顔になり、


「あの、身体は、大丈夫ですか?」

「うん、さっきはありがとね。もう全然OKよ。……何? ジュースでも買うの? ――明日香ちゃん」

「はいはい」


 明日香が、小銭を投入した。


「ほい、恵ちゃん、おごり。ささやかながら、お礼、ってことで」

 

 自分が入れた訳ではないのに、沙紀が言った。

 明日香が苦笑しながら


「もう、沙紀さんたら、今日はずっとこうなのよ。お財布、家に忘れたとかで」

「へへ、お優しい明日香様に助けていただいてまっす。ま、明日にでも返すから、さ」


 購買の袋を抱えている。今日はたかりっぱなしの沙紀なのであった。心のどこかで、返す当てなど全くないという切実な経済状況をちらりと思ったが、すぐに忘れようとした。

 例え踏み倒しても決して明日香は怒る事などないのである。

 しょうがないですねぇ、くらいで許してくれるのが常だった。

 沙紀とは違って律儀な恵は


「え、別に大丈夫ですよぉ。私、ジュース代くらい持ってますし。別に、そんな――」

「いいのよ、それくらい。さ、これからお昼でしょ? 一緒に食べましょう。今日は天気も良いし、いい入学式になりそうね」


 恐縮しつつボタンを押した。

 沙紀と明日香は恵を伴って外へ出ようとした。

 そこで、恵は、はたと気がついた。

 姉がいなかった。


「あの、明日香さん、お姉ちゃんは……?」

「ああ、美菜さんなら――」


 と言いかけて、明日香は表情を曇らせた。正直な娘だから、心情がすぐ顔に出てしまう。

 沙紀が取り繕うように、無理に笑いながら言った。


「あ、美菜なら、別のクラスのコに用事あるとかでさ、ちょっといないのよ。折角、今日から恵ちゃんがいるのにねぇ、はは」


 恵は怪訝な顔をした。


「でも、でも、今日、お姉ちゃんから、お昼一緒に食べようって言ってきてたんです。お昼休みになったら、教室までおいでって聞いたから……」


 沙紀は沈黙した。

 この姉妹に、そんな約束があったとは知らなかった。

 というより、何もなければ当然彼女も居たのであろうが、二時間目の後に起こった例の諍いでほぼ断裂状態になってしまい、あれ以来誰も美菜とは口を利いていなかった。

 それを知れば、純粋な恵は心を痛めるに決まっている。

 沙紀も明日香も、彼女にどう言えば良いのか判らなかった。

 黙ってしまった二人を見て、恵はあのあとに何かあったのだと察した。


「あの……お姉ちゃん、どうしたんですか? 何か、私が原因でみんなと喧嘩してしまったとか……?」


 多少結末が異なるにせよ、ほぼ図星である。

 沙紀も明日香もドキリとするのを隠せなかった。

 が、こういう場合いち早く度胸が据わるのが沙紀である。

 隠しても無駄だと感じた彼女は、傍の柱にもたれながら口を開いた。


「あのね、恵ちゃん。実はさ――」


 あの時あった出来事を、掻い摘んで聞かせてやった。

 もちろん、美菜が暴言に近いことを皆にぶつけた、などという言い方はしなかったが、ともかくも皆と上手くいかなくなってしまったこと、そしてその挙げ句涼輔が三時間目以降姿を消してしまったこと、等々。

 恵は黙って聞いていたが、姉と涼輔の間に対立が生じたことを知った時、殆ど信じられないという表情になった。


「……どうしてですか? どうして、浅香さんとお姉ちゃんが喧嘩しなくちゃならなかったんですか?」

「どうしてって、それは……」


 言い澱む沙紀。

 ああいうのを、どのように表現していいか判らなかったのである。

 一方的にキレまくった美菜と、何も反論せずに黙ってその場を去った涼輔。どっちもどっちと言いたいところだが、強いて判断してしまえば、四対六くらいで涼輔に分があるだろうか。と、沙紀はおぼろげながらも思っている。

 しかし、姉思いの恵に、その通りに伝える訳にはいかないではないか。

 沙紀が返答に困っていると、またしても恵は先回りして言った。


「……お姉ちゃん、浅香さんに何か言ったんですね?」


 恵は、既に涼輔という人物に触れている。

 まだ彼女と面識がないというのに、誰よりも早くしかも二回も駆けつけてきてくれた事、やたらと強いくせに尊大なところが微塵もなく、それどころか、馬鹿みたいに桜を眺めて喜んでいる横顔。そして何より、「無事で良かった」と一言だけ言って見せた、あの笑顔。

 さらに、恵は姉が誰よりも好きであったが、妹である自分以外の人間に対しては、酷薄なくらいに愛想というものを見せないことを知り抜いていた。それが元で、無用の摩擦を度々引き起こしたりしたことも、彼女は実際に聞いたり見たりしている。

 詳しい事情を、まだ沙紀や明日香から聞いた訳ではない。

 が、どう考えても、あの涼輔が原因だとは思えなかった。

 その涼輔が、美菜との軋轢を避けるために自分から姿を消したという。

 姉が何を言わんとしたのか、おおよその見当はつく。

 妹である自分が戦えないことに対して、周囲が積極的に守ってくれないとか何とか、そういう趣旨のことを、姉は激しい言葉で公司や沙紀、そして涼輔にぶつけたのであろう。自分のためとはいえ、そのことで仲間割れをされては、恵は誰にも合わせる顔がない。何よりもまず、自分の責任を感じる恵であった。

 恵は、自分が今何をすべきかを思った。


「……」


 少しの間床を見つめて考えていたが、突然彼女は駆け出した。

 その勢いに驚きつつ、慌てて声を掛ける二人。


「恵ちゃん! どこ行くのよ?」


 後から沙紀や明日香の声が追い掛けてきたが、構わずに恵は走った。

 涼輔を、探さねばならないと思った。

 探して、何を言ったらいいのか、それは判らない。

 とにかく、探し出して会う事だけを考えた。

 この広い学校のどこにいるのか。もしかしたら、帰宅したかも知れない、ともふと思ったが、彼女には心当たりがあった。

 涼輔がもし、まだいるとすれば、あの場所しかなかった。

 時間は、刻々と入学式のそれに近づきつつあった。

 校庭へ飛び出ると、親と共にこれから三年間通うであろう新しい学校を見学している新入生の姿を幾度か目にした。

 もう少しすれば、恵の母もやって来るであろう。子煩悩な父も、仕事を休んでも入学式に出席すると主張して母に窘められていた。


「小学校ならまだしも、もう高校生なんですから。両親揃って出席するような家庭なんてありませんよ。みっともない」


 その光景を見て、美菜と恵は笑ったものである。


「あたしの時はパパ、そんなこと、言わなかったよね?」


 ちょっとだけ美菜がすねて見せたりしたことが、ちらと脳裏に浮かんで消えた。

 が、今は入学式など気にしていられなかった。

 恵はひたすらに駈けて行く。

 駈けないと、大事なものを失ってしまいそうな、無性にそんな気がした。

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