第14話:スパイさん、アルスの『かくれんぼ』で改心する
月面での「そうめんパーティー」を終え、白銀の階段を下りて王都へと戻ったアルス一行。
王都セント・ルミナスは、空に浮かぶ月が黄金色に輝き始めた怪現象に、未だにお祭り騒ぎの真っ最中であった。
だが、その華やかな喧騒の影。王立学院の裏路地にある薄暗い酒場では、隣国『ヴォルガ共和国』から送り込まれた超一流の隠密部隊『影の牙』が、密かに会合を開いていた。
「……標的は五歳の幼子だ。奴が降らせる『聖蜜果汁』の利権は、我が国が独占せねばならん。力ずくで攫い、逆らうなら消せ」
リーダーの男、ザードは冷酷な笑みを浮かべた。彼は魔力を完全に遮断する『虚無の外套』を纏い、数々の要人を暗殺してきた凄腕のスパイだ。
「……だが、あのガリア帝国の艦隊をアヒルに変えたという噂は?」
部下の一人が震えながら尋ねる。
「フン、所詮は幻術の類だ。我ら『影の牙』の隠密技術なら、子供の目に留まることなど万に一つもない」
その夜。アルスは王立学院の宿舎で、アスタロトが用意した「ホットミルク」を飲み、パジャマ姿でうとうとしていた。
そこへ、窓の隙間から音もなく滑り込む五つの影。
(……標的、視認。……睡眠中か。今だ)
ザードが毒を塗った布を手に、アルスのベッドへと近づく。
だが、その瞬間。
「……あ、かくれんぼだね! おじさん、見ーつけた!」
アルスがパチッと目を開け、満面の笑みでザードを指差した。
ザードは戦慄した。自分の『虚無の外套』は、神話級の探知魔法ですら無効化するはずだ。それを、この幼子は寝起きの一瞥で見破ったというのか。
「なっ……なぜ見える!? 私の姿は、世界の認識から外れているはずだぞ!」
「えーとね。おじさんの周り、なんだか『真っ黒なモヤモヤ』がいっぱい付いてるよ。……それ、重たくて疲れちゃうでしょ?」
アルスの目には、スパイたちが纏う隠密魔力が「垢の溜まった汚い服」のように見えていた。
【万物創造】の権限が、スパイたちの『悪意』を自動的に検知する。
「よしよし、おじさんたち。……そんなに隠れてないで、みんなで一緒に遊ぼうよ! あ、そうだ! その真っ黒なのを、もっと『キラキラ』にしてあげるね!」
アルスが、ぽてっとした指で空中に円を描いた。
彼にとって、スパイの隠密スキルは「内気すぎて素直になれない設定」に過ぎない。
(えーと、この黒い外套を、全部『ピカピカに光る電飾』に変えて。……おじさんたちの心の中にある『悪いことしよう』っていう気持ちを、全部『お花を植えたい』っていう気持ちに書き換えて……えいっ!)
パシュゥゥゥ……ッ!
光が爆発した。
一瞬にして、ザードたちが纏っていた『虚無の外套』は、数千個のLEDのように輝く「虹色のピカピカタイツ」へと作り替えられた。
さらに、アルスの全肯定魔力が彼らの脳内に直接アクセスし、積もり積もったストレスや憎悪を、強制的に「至福の多幸感」へとリセットした。
「……あ、あれ? 俺は今、何をしようとしていたんだ……?」
ザードが、手に持っていた毒の布をまじまじと見つめる。
「……そうだ。俺は、ずっと……ずっと、花を育てたかったんだ。……暗い地下室で人を殺すより、太陽の下でパンジーを植える方が、ずっと、ずっと……素敵じゃないか……!」
「リーダー! 私もです! なぜ今まで、他人のネクターを奪おうなんて浅ましいことを考えていたのでしょう!? みんなで分け合えば、こんなに幸せなのに!!」
超一流のスパイ部隊は、その場で泣き崩れ、抱き合った。
アルスの【万物創造】は、もはや物質だけでなく、人間の『倫理観』すらも、一瞬で「全肯定の聖人」へと書き換えてしまったのである。
「あはは! おじさんたち、ピカピカでかっこいいよ! はい、これ、お花を育てる『魔法のジョウロ』だよ。あげるね!」
アルスが、枕元に転がっていた空き瓶を【万物創造】で『無限に肥料入りの水が出るジョウロ』に変えて手渡した。
「……あ、ありがとうございます、アルス様! 我ら『影の牙』……いえ、今日からは『花の精霊団』として、この王都を世界一のガーデニング都市にしてみせます!」
ピカピカのタイツを履いた五人の屈強な男たちは、夜の王都へと駆け出していった。
翌朝、王都の至る所の街路樹や公園には、見たこともないような美しい大輪の花々が咲き乱れ、行き交う人々を驚かせることになった。
物音に気づいて駆けつけたアスタロト執事が、部屋の惨状(ピカピカタイツの切れ端)を見て、眼鏡を拭きながら呟いた。
「……やれやれ。我が主は、ついに『悪意のデータ』そのものを削除なさいましたか。……スパイの再就職先が庭師とは、随分と平和なデバッグですね」
「アスタくん、おはよー! かくれんぼ、僕の勝ちだよ!」
「お見事でございます、アルス様。……さあ、朝食のキノコオムレツを召し上がってください。……その後は、お花畑になった街のお散歩に行きましょうか」
アルスの「無自覚な浄化」は、一国の諜報機関を壊滅させるどころか、彼らを「ボランティア団体」へと変貌させ、王都の治安を世界一にまで高めてしまった。
しかし、その「悪意が通用しない」という事実は、大陸のさらなる奥深くに潜む、人間の欲望を超えた『真の虚無』を刺激しつつあった。
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