第12話:月面ピクニック、古の都市を『リフォーム』する
空へと伸びる白銀の階段を登りきった先には、漆黒の宇宙と、目の前に広がる灰色のクレーターの海があった。
父グランツは、生まれて初めて見る「丸い大地(世界)」を背後に、ガタガタと震えながら月面に降り立った。
「……信じられん。息ができる。寒くもない。……重力すら、屋敷の庭と変わらないだと?」
「左様でございます、閣下。アルス様がこの階段を中心とした半径数百キロのエリアを『お散歩モード』に固定されました。宇宙の真空も絶対零度も、主の許可なく立ち入ることは叶いません」
執事アスタロトが、月面の砂を丁寧な手つきで払いながら答える。彼の足元では、星神竜のキラが「きゅぅ!」と得意げに鳴き、月面を跳ね回っていた。
「わあ、すごい! お月様って、近くで見るとすっごく広いね! ……でも、なんだか色がないなぁ。灰色ばっかりで、寂しいよ」
アルスは、足元に広がる荒涼とした月の砂漠を見て、不満げに頬を膨らませた。
彼にとって、お月様は「キラキラしたチーズ」か「お菓子の国」であるべきだったのだ。
一行が少し進むと、クレーターの影から、巨大な金属のドームが出現した。
数万年前に滅びたと言われる月の民が残した、超古代文明の都市遺構である。
「……あ、あれは! 魔導古文書に記された『月の都・セレネ』ではありませんか!?」
同行していたイザベラが、鼻血を出しそうな勢いで駆け寄った。
ドームの表面には、現代の魔法学では解読不能な「神聖幾何学」の回路が走り、中心には巨大な、しかし機能を停止した「ブリキの人形」のような防衛ゴーレムが鎮座していた。
「……死の沈黙。魔力が完全に枯渇し、システムがフリーズしているわ。……ああ、歴史の損失だわ! これさえ動けば、世界の魔法理論は一万年進むのに!」
「イザベラ先生、泣かないで。……あ、あのお人形さん。お腹が空いて動けないだけだよ」
アルスがトコトコと、全高十メートルを超える巨大な古代ゴーレムに歩み寄った。
ゴーレムの表面は錆びつき、瞳の魔晶石は黒く濁っている。
「よしよし、お地蔵さん。……中を綺麗にして、元気にしてあげるね!」
アルスがゴーレムの足首に「ぽてっ」と手を触れた。
【万物創造】の権限が、数万年の時を超えて、停止したシステムの根幹へとアクセスする。
アルスの目には、複雑に絡み合った古代の魔導回路が「埃を被ったゼンマイ仕掛け」のように見えていた。
(えーと、この黒い詰まり(魔力枯渇)を全部掃除して。……あ、電池は『キラくんの欠片』でいいかな。……それから、このお人形さん。もっと可愛くして、みんなをお迎えできるようにしなきゃ!)
パシュゥゥゥ……ッ!
アルスの手から、星屑のような純粋魔力が流れ込む。
一瞬だった。
真っ黒だったゴーレムの瞳に、澄み渡った青い光が宿った。
錆び付いていた金属の装甲は、一瞬にして白磁のような美しい輝きを放ち、その形状も「厳つい兵器」から「優雅な執事ロボット」へとリフォームされた。
『――認証完了。管理者:アルス様。システムを再起動します。……全エリアの酸素濃度、温度、重力を『快適』に設定。……都市セレネ、リフォーム完了いたしました』
ゴーレムが流暢な言葉で喋り、深々と一礼した。
同時に、眠っていた都市全体に光が走り、枯れ果てていた噴水から『聖蜜果汁』が溢れ出した。
ドームの中にあった石造りの建物は、アルスの好みに合わせて「クッキーの壁」や「マシュマロのベッド」へと勝手に作り替えられていく。
「……な、ななな……ッ!!」
イザベラがその場に崩れ落ちた。
「古代の超文明を……一瞬で『お菓子のお城』にリフォームしたというの!? しかも、失われた神話級ゴーレムを『お掃除ロボ』として再起動させるなんて……!!」
「あはは! お人形さん、動いたね! お名前は……そうだ、『ポンくん』ね!」
『拝命いたしました。アルス様。……本日のおやつは、月面特産のアイスクリンを用意させましょうか?』
ポンくん(古代守護兵器)が、巨大な指先で器用に銀のトレイを掲げた。
そこには、月面の氷から精製されたばかりの、絶品のアイスクリームが盛られていた。
「わあ、美味しそう! 父上、アスタくん、みんなで食べよう!」
アルスは満面の笑みで、クッキーのベンチに座り込んだ。
グランツ辺境伯は、もはやツッコミを入れる気力もなく、差し出されたアイスを一口食べた。
「……美味い。……そして、絶望的だ」
「閣下、お気を確かに。……ここをルーフェウス家の『月面別荘』として登記しておきましょう。地上との通信回路も、アルス様が先ほど繋げられました」
アスタロトが淡々と、王都へ向けて「月面制覇」の報告を飛ばした。
地上では、夜空に浮かぶ月が急に「ピンク色と金色」に輝き始めたのを見て、国王が腰を抜かし、教会が「神の再臨だ!」と大騒ぎしているはずだが、月面は至って平和だった。
「ねえ、ポンくん。あっちの大きい塔も、チョコレートに変えていい?」
『畏まりました。……全タワー、カカオ濃度70%で再構成いたします』
「アルス、お城を食べるのはやめてくれ!!」
月面に、父の悲鳴が響き渡る。
アルスの無自覚な「リフォーム」によって、宇宙の歴史は塗り替えられ、月面は世界一贅沢な「子供部屋」へと変貌してしまった。
だが、その頃。
月面の再起動を検知した「別の天体」の監視者たちが、ざわつき始めていた。
「……地球の管理者が、変わったのか? ……調査兵団を派遣せよ」
アルスの「お散歩」は、ついに星系規模のトラブルを引き寄せようとしていた。
次回明日7時に更新します




