何も無かった勇者
目を開けた瞬間、光の中にいた。
白く、境界のない空間。
上下も距離も分からない。ただ、浮かんでいる感覚だけがある。
声が、頭の奥に直接流れ込んできた。
『異世界転移を開始する』
『能力を選択してください』
『制限時間は二十秒です』
意味は、なぜか理解できた。
言葉として聞こえているわけではない。
文字を読んでいる感覚とも違う。
あとで思えば、
それは「理解させられている」感覚だった。
視界に、無数の文字が浮かぶ。
剣。
魔法。
強化。
耐性。
多い。
読めているはずなのに、内容が頭に入ってこない。
二十秒。
短すぎる。
どれが強い?
どれが生き残れる?
考えようとした瞬間、別の文字が目に入る。
次の瞬間には、また別の能力が視界を埋める。
整理できない。
十五秒。
焦りが、思考を押し流す。
一つ選べば、残りは失われる。
三つしか選べない。
それが重すぎた。
十秒。
「……待って。」
声に出したつもりだった。
だが、音になっていたかは分からない。
七秒。
何かを選ばなければいけないのに、
選ぶ基準がどこにもなかった。
五秒。
これは選択じゃない。
ふるいだ。
三秒。
二秒。
一秒。
『能力選択を確認』
沈黙。
『選択:なし』
その瞬間、身体が落ちた。
重力。
衝撃。
石の床に投げ出され、息が詰まる。
周囲に人影がある。
高い天井。
玉座。
誰かが何かを話している。
音は聞こえる。
だが、意味は分からない。
恐怖だけが、先に来た。
側近らしき人物が前に出て、水晶を差し出す。
透き通った球体。
触れた瞬間、頭の奥に意味が流れ込んできた。
──魔力を注げ。
──測定を行う。
同時に、周囲の音が「言葉」へと変わる。
「能力は?」
問いかけだった。
水晶に触れている間だけ、理解できる。
この石が、最低限の翻訳を担っているのだと、直感で分かった。
「……ありません。」
自分の声が、震えているのが分かる。
「一つも、か?」
「はい。」
嘘はつけなかった。
選べなかった。
何も、得られなかった。
水晶が、静かに魔力を吸い上げていく。
もともと少ないものを、根こそぎ奪われる感覚。
水晶は、光らない。
「そうか。」
側近は、それ以上何も言わなかった。
水晶から手を離された瞬間、
世界は再び、意味を失った。
言葉が、ただの音に戻る。
王が、興味のない顔で手を振る。
次の瞬間、首に冷たい感触が触れた。
理解する前に、終わった。
床に崩れ落ちる視界の端で、
水晶が、わずかに光るのが見えた。
自分の中に残っていた、最後の魔力が、
次を呼ぶ燃料になったのだと。
知る由もないまま。




