『死人探偵と“死者の選挙”──それでも、票は投じられた。』
──2025年7月21日。
第27回参議院議員通常選挙の投開票日でした。
生きている人間たちが、それぞれの信念や無関心を携えて、投票所へ足を運んだその日。
私はふと思ったのです。
「死人に口なし」とは言うけれど──
もし、死人にも“投票権”があったら?
あるいは、死人の票が、現実を変えていたら?
これは、そんな妄想から始まった物語です。
死者と制度、票と権力。
皮肉と矛盾、そして“意思”の所在。
『死人探偵』シリーズ第3作、
どうか気軽にお読みいただければ幸いです。
――月白ふゆ
この国では、死人に選挙権がある。
いや──正確に言えば、「死者登録済みの者」にも、法律上は形式的に“権利”が残っていた。
もちろん、生者としての扱いは一切ない。だが制度の根本に“想定外のバグ”があったのだ。
そもそも、この国の「死者登録制度」は、死者の復帰や蘇生の可能性を見越した暫定的な措置だ。
すぐに火葬されず、一定期間、管理局の倉庫で保存され、家族の“返却申請”を待つ。
その間、記録上の戸籍・市民登録は「死者保留」扱いとなり、まれに制度の隙間を生むことがある。
──今回の選挙も、その隙間から生まれた“何か”が、大きく動いたのだった。
俺の名は、羽鳥翔一。
かつて、現代日本で探偵をやっていた男だ。今は異世界で、“死人探偵”を名乗っている。
死者が社会から排除され、それでも人々の思念が迷い続けるこの世界で、
未返却遺体や制度の齟齬、記録の不整合を調査して、生きる意味を拾い集める──そんな日々だ。
今回は、選挙が舞台だった。
王都──政庁区の地下にある「選挙管理局・仮想票処理部門」。
その一室に、俺は呼び出された。
「……つまり、死人が立候補してるって話か?」
「正確には、“死亡者番号付き候補者”です。
あくまで制度上は、立候補に必要な要件──成人・納税歴・刑罰なし──を満たしていますから」
管理局の若い職員が、渋い顔で端末を叩く。
スクリーンには、書類のようなものが浮かんでいるが──その上段には、確かに見覚えのある名前があった。
《第47回 死者参政選挙(地方区)候補者:マティアス・カリエル(死亡者番号:DK-01482)》
年齢:享年58歳
経歴:元国務長官/死者登録済(未返却)
所属:独立候補(死者復権派)
選挙スローガン:──「死してなお、訴える」──
……おい。
「ふざけてんのか、これは」
「いえ、本人が立候補用の意思表明を“遺書の再申請”という形で出しておりまして。
一応ですが、死人が発言したとは記録されておりません。あくまで“遺された意志”が制度上に残っていたと」
「いや、そうは言っても──」
「なお、投票数が一定数を超えた場合、制度上“当選”とみなされ、
死者登録状態でも補欠議席が与えられる可能性がありまして……」
俺は、額を押さえた。
どこまでが本気で、どこまでが制度の穴か──この国は時々、本気で死人を笑わせに来る。
そして問題は、これが単なるジョークでは終わらなかったことだ。
この“死人候補”の票が、異常な勢いで伸びていたのである。
選挙戦は、まさかの展開を迎えていた。
***
人が死ぬと、国はそれを“記録”する。
遺体の確認。死亡診断書。行政の登録。そして、選挙管理局が発行する“有権者除外通知”。
だがそのシステムのどこかで、歯車がひとつ、狂ったらしい。
「──この票、死人のものなんですよ」
青年は、苦笑いのまま、机に一枚の封筒を置いた。
灰色の紙封筒。宛名は手書き。封緘シールは国家標準型。だが、何より──封筒の差出人欄には、はっきりとこう書かれていた。
《故・カリーナ=ベッセル(享年73)》
「……で、これは誰が投じたことになってる?」
「うちのばあちゃんです。三年前に亡くなりましたけど、どうも“生きてる”らしいです。少なくとも、選挙管理局の目には」
「死人が投票したと?」
「ええ。しかも……それが一票や二票じゃなかった」
探偵、羽鳥翔一は、書類を手に取り目を細めた。
投票用紙──ではない。**“期日前投票証明書”**だ。
正式なものであり、国家印もある。照会コードも通っている。
なのに。
「この照会コード……二度使われてる」
羽鳥は低く呟く。青年──ジャーナリスト志望のダン=ベッセルが頷いた。
「そうです。しかも“同一死亡者名義”で、何件も。僕の祖母だけじゃない。“死者が投票している”例が、複数件見つかった」
「どこで?」
「全て、同じ選挙区で」
その瞬間、羽鳥の顔から笑みが消えた。
異世界《ローデン王国》の中央政庁区。ここでは、五年に一度“参政権抽選選挙”が行われている。
国民全員に与えられているのではない。抽選制だ。
だが、“当選者”に与えられた参政権は絶対だ。そしてその票は、時に莫大な価値を持つ。
それゆえに──
「選挙に、死人を使った」
「はい。“死者登録票”を使って。死んだ人間が、制度上“まだ死んでない”ことになってるんです」
羽鳥はしばらく無言だった。
室内に沈黙が降りる。壁際のランプが、二人の影を歪ませる。
「制度の“バグ”……いや、“穴”か」
「たぶん、わざと放置されたやつです」
「選挙が終わったら、死者登録を正式に更新する」
「そう。つまり、“選挙期間中だけ、死人が生き返る”」
──死んだはずの人間が、生きている。
だがそれは、前作と同じ意味ではない。今回は、“制度上”生きているのだ。
生と死の境界は、国家の都合によって動かされている。
それがこの事件の本質だった。
「で、依頼は?」
羽鳥が問うと、青年は即答した。
「“死人たちが、どこに投票させられたのか”調べてほしい」
「投票先の候補者?」
「いいえ、“投票所の所在地”です。僕が怪しいと思ってるのは、**“ある町の、全有権者が死者だった”**って噂なんですよ」
羽鳥の手が止まる。
死人だけの町。
死人だけの票。
そして──死人だけの、当選者。
羽鳥翔一は、封筒を手に立ち上がる。
「選挙の不正ってやつはな、死者を使えば足がつかないと、そう思われてるらしい」
「でも実際、死人は“投票しない”ですから」
「……ならば聞こう。“誰が、死人の手で票を入れたのか”」
名探偵は帽子を被り、上着を翻した。
行き先は決まっている。
──死人だけが生きる、選挙区へ。
***
馬車が停まったのは、荒野の小さな谷間にある“町”だった。
だが、羽鳥の目にそれは「町」とは映らなかった。
立ち並ぶ家屋には灯りがない。道を歩く人影もない。まるで、全てが“終わったあと”のようだった。
「……この町が、“投票率100%”の選挙区?」
「正確には“死者投票率100%”です」
隣で、案内人の青年──地方行政官補佐のロー=ケッセルが答えた。
彼は首元のバッジを示しながら、苦々しい声を絞り出した。
「過疎と高齢化が進み、住民のほとんどが“死者登録”された。でも名簿からは除外されていなかった。だから──」
「制度上“生きている”住民たちが、選挙権を持った」
「そして、“誰かが”その票を操作した」
羽鳥は町を歩く。家の玄関には名札がかかっているが、人の気配はない。
だが、ドアポストには投票済証明のシールが貼られていた。
──死人に投票証。
これがこの町の現実だった。
「候補者は?」
「この地区は、選挙区統合の影響で“一人だけ”が立候補しました」
「つまり、無投票で当選になる予定だった?」
「いいえ。**“死人の票を集めて、圧勝した”**んです」
羽鳥は立ち止まり、投票所跡地とされる建物を見やった。
簡易施設。かつて診療所だった小屋。中には折りたたみ机と椅子が雑然と置かれ、奥の壁に一枚のポスターが貼られていた。
【候補者名:レオン=フラヴィウス】
【所属:無所属市民連合】
【主張:“死者にも尊厳を。生きた記録を”】
「──こいつか、“幽霊候補”ってのは」
羽鳥はポスターを指差した。
「立候補したのは本人です。だが──」
「既に死亡が確認されている」
「はい。三ヶ月前に崖から転落。遺体も確認されています」
羽鳥は苦笑を漏らす。
死者が、死者の票で、選挙に当選した。
「死人による、死人のための、死人の政治……皮肉が過ぎるな」
「しかも、当選後に“生きている”と認定されたんです。議員登録まで完了してます」
「国は、死人を生き返らせたと」
「──選挙の正当性を保つために」
羽鳥はゆっくりと歩き出す。視線は、ポスターの下に置かれた献花に向けられた。
花瓶には萎れた花が挿されていた。その隣に、小さなメモがある。
《あなたはまだ、私たちの希望です。》
選挙という制度の中で、死者は“票”として再利用され、候補者さえ“都合のいい死人”として復活する。
それが、この世界の選挙の姿だった。
「ロー。候補者の遺族は?」
「一人います。息子さんが……亡父の政治理念を受け継いで、活動しています」
「本人は?」
「町の墓地に眠っています」
羽鳥はうなずいた。
「……なら、まずは死者の声を聞こう」
「墓地へ?」
「そう。“死人の票”の正当性を、本人に問いに行こうじゃないか」
探偵の足が、静かな地を踏みしめた。
その先には──死人の名前で作られた、虚構の政治があった。
***
町外れの丘に、小さな墓地があった。
土の盛られた簡素な墓標には、風雨で掠れた名が並んでいた。その中に、一つだけ真新しい石碑がある。
《レオン=フラヴィウス 享年42》
《彼はここに眠る──その理念は、なお歩む》
「本人に会いに来たのは、これが何度目になるか……」
ロー=ケッセルが呟く。
「でも、墓の前で誰かが語りかけてると、たまに返事が返ってくるような気がするんです。不思議と──」
「……よくある話だよ、死者の選挙区じゃ」
羽鳥はしゃがみこみ、墓標に手を添えた。
指先に感じる冷たさは、物理的な温度だけではない。
“政治という制度が、死者の死を否定している”──その冷たさだった。
「レオン=フラヴィウス。あんたは本当に、死んだのか?」
問いかけに、当然返答はない。
だが。
墓石の裏面に、小さな文字が彫られているのを見つけた。
《この制度が、誰かを“生かす”ためでありますように──》
それは遺族が彫ったものなのか。あるいは本人が生前に刻んだのか。
だが、それがレオン自身の理想を示しているのは明らかだった。
「ロー。この人物の“死亡証明”の写し、持ってきてるか?」
「はい。こちらです」
手渡された書類には、確かに死亡が認定されていた。医師の署名、町の証明印、そして政府の登録番号。
だが。
その隣に、もう一枚──**“生存証明書”**が添えられている。
「この署名、同じ医師だな」
「……そうです。医師が“死亡”を診断し、三ヶ月後には“生存”を診断してます」
羽鳥は息を吐く。
「制度が狂ってる。けれど、医師も役人も、書類に逆らえなかった」
「つまり……?」
「“死人のままでは、都合が悪かった”ということだ」
羽鳥は立ち上がる。
「行こう。次はこの町の**“選挙管理人”**に話を聞く」
「えっ、でもその人は……!」
ローが口を開きかけたとき──
遠くの墓標の影から、小さな人影が顔を覗かせた。
少女だった。年のころは十歳前後。褐色の肌に灰色の目。布を重ねたボロ服の下から、薄く骨の浮いた手足が見える。
彼女は無言で、羽鳥を見つめていた。
その瞳には、**“大人が見ていない現実”**が潜んでいた。
「……きみ、名前は?」
問いかけに、少女はそっと口を開く。
「わたし、“名前”をもらってないの」
羽鳥は動きを止めた。
無名の少女。名前のない存在。制度に登録されていない者。
「誰の子だ?」
「……死人の、子どもだよ」
そして彼女は言った。
「ねぇ、おじさん。“死んだ人”って、本当に死んでるの?」
羽鳥は、その言葉を胸の奥に沈めた。
***
選挙管理人の館は、かつては町の議会事務所だった建物を改装したもので、中央広場に面して威圧的に構えていた。
ローと羽鳥が足を踏み入れると、館の奥からぬるりと現れたのは、
背の曲がった老齢の男。服は丁寧に繕われているが、どこか“古い制度”そのものを体現したような佇まいだ。
「おや……珍しい客人だ。死人探偵の羽鳥翔一氏とお見受けする」
「失礼ながら、レオン=フラヴィウス氏の選挙記録と、その後の死亡・生存認定についてお尋ねしたい」
「ふむ。法に基づいた運用に過ぎませんが──よろしいでしょう」
管理人は机の鍵を開け、分厚い記録簿を一冊引き出した。
羽鳥の前に置かれたその本には、何百人もの名前が記録されている。
生者と死者の区別なく、同一ページに──。
「ご覧の通り。死亡認定がなされた後でも、票を投じられる方はいます。彼らは“生者の権利”を有するとされた者です」
「それは“生きている”という意味ですか?」
「この国では、“存在が有益であること”が“生きている”ことと同義なのです」
ローが小さく息を呑む。
羽鳥は静かに記録をめくった。レオンの名前は、死者区画に赤で、選挙区画に青で記されている。
同一人物が、死者名簿と有権者名簿の両方に記載されているのだ。
「これは──制度として正気とは思えない」
選挙管理人は、目を細めて言った。
「正気かどうかなど、我々には問う資格がない。ただ、制度に従い、名簿に記すのみです」
そのとき、入口で声がした。
「それじゃあ、わたしは“死んでない”ってこと?」
あの無名の少女が、戸口に立っていた。
管理人は眉一つ動かさず、記録簿を見つめたまま答える。
「きみの名前が、ここにない以上──きみは生者ではない」
「じゃあ、わたしは死んでるの?」
「制度上、そうなる」
「でも……わたし、ここにいるよ?」
その問いに、管理人は答えなかった。
ただ、帳面を閉じると、鍵をかけて棚に戻した。
羽鳥は静かに言った。
「“生きている”という定義を、制度に任せすぎた世界は、人を殺せなくなった代わりに、人を“誰でもないもの”にする」
「死よりも冷たい沈黙ですか?」と、ローが呟いた。
「違う。**“名を失った死”**だよ」
その言葉に、少女はふっと笑った。
「じゃあ、おじさん──わたしに、名前をちょうだい」
羽鳥は、しばらく黙ったまま彼女を見つめ──こう答えた。
「“ミナ”。“名のない人”のミナだ」
ミナはうれしそうに頷いた。
「わたし、選挙に出てみようかな。“名のない人たち”の代表として」
ローが目を見開く。
「……そんな資格、あるんですか?」
「制度上の話をするなら、資格は“有益性”だ」
羽鳥はミナの肩を軽く叩き、言った。
「この子が、これから誰かを“生かす”存在になれるなら──十分に有益さ」
そのとき、館の外から太鼓の音が聞こえた。
投票の開始を告げる合図だった。
***
投票所は、死者と生者の区別なく、同じ建物の中に設けられていた。
ただし、受付の窓口は二つに分かれている。
一つは「生者」、もう一つは「死者」。
受付の係員も、それぞれに対応するように“調整”されている。
「ここが……“死人投票所”?」
ローは言葉を選びながら呟いた。
羽鳥は一歩、足を踏み入れる。ミナも、その後に続いた。
内部は異様なほど静かだった。
かすかな衣擦れの音、靴音さえも遠慮がちに響く。
死者の列は沈黙を守っており、まるで参列者のない葬列のようだった。
だが、目を凝らせばわかる。
その列の中に、“朽ちかけた者”と、“生気に満ちた者”が混ざっていることに。
死者が生き、
生者が死を装い、
亡者が人の名を使って、票を投じる。
「これが“選挙”か……」ローが呆然と呟く。
「これが、“現代の地獄”だよ」と羽鳥が返す。
受付で、係官が機械的に問いかける。
「氏名は?」
「……レオン=フラヴィウス」
彼の声を聞いた瞬間、羽鳥の体に電気が走った。
まさか、あの名が……?
「あなたは……!」
振り返ったそこには、かつての“死者”──いや、“投票者”として再登録された男がいた。
生者として記録されたレオン。
死者として葬られたレオン。
どちらの彼が本物なのか、もはや判断する基準はない。
「羽鳥探偵。私はね、死者になって初めて、真に自由を得た気がする」
その言葉は皮肉に満ちていた。
「生きている間は、社会に“選ばれる”側だった。今は違う。“選ぶ側”になったんだ」
「それは、誇って言えることなのか?」
「少なくとも、今この瞬間、“私の一票”は生者と等しい価値を持っている。
私はもう、“死んでいない”のさ──制度の上ではね」
彼は笑った。
選挙が、ここまで来てしまったのだ。
死者の名前が票に刻まれ、幽霊たちの手で未来が選ばれる。
だが──。
「あなたは本当に、生きていると思っているんですか?」
その声は、ミナだった。
レオンは驚いたように彼女を見る。
「名前を持たなかったわたしにも、今日、名前ができました。
だけど、わたしはそれで“生きている”って言えるのかなって、考えたんです」
羽鳥が静かに補足する。
「制度の中の“生”と“死”は、もう意味をなさない。
この世界で、何を信じて歩くかだけが、生きる理由になる」
ミナは、一歩前へ出た。
「なら、わたしは、名前を持った“誰か”として、ここに一票を投じたい」
受付の係官が、こちらを見た。
「……登録名を、お願いします」
「ミナ・ノーネーム。
“名のない者”として、すべての“名を奪われた人”のために」
静かに、投票箱の口が開かれた。
幽霊たちの列に、少女の小さな手が加わる。
それは、
名を持たない者たちの、最初の投票だった。
***
開票の夜は、ひっそりと始まった。
街の明かりは落とされ、死者たちの棲む区域だけが、かすかに灯る。
生者たちは、沈黙を選んだ。
羽鳥たちは、中央選管の“遺言開示室”と呼ばれる空間にいた。
そこでは、選挙区ごとに票の開示が進められており、生者と死者の投票比率も“参考値”として可視化されていた。
「ここまでくると、見世物じみてるな」
ローが、投票グラフを眺めながら吐き捨てる。
“生者:64%/死者:36%”
「死者の票が、三分の一……いや、場所によっては逆転してる区もある」
羽鳥は冷静に読み取っていた。
生者の意思より、先に死んだ者たちの“記憶”が優先される。
その構図が、どこか歪んで見えた。
「まさに“死者による統治”ですね」
ミナの声は静かだったが、憎しみが滲んでいた。
ふいに、ローが身を乗り出す。
「なあ、探偵。死者の投票って……何を基準に“正当”って言うんだ?」
「たとえば本人の意思か?」
羽鳥は問い返す。
「違う。そもそも“意思”が証明できねぇ」
「死人が書いた一票に、“嘘”が含まれてるってことか?」
「ありうるさ」羽鳥は言った。
「死んだあと、書かされた票もある。“代理記入”された投票も、な」
「つまり、死者の意思なんかじゃなくて、誰かの政治利用ってことだな」
それは、制度の欺瞞そのものだった。
選挙における“民意”とは、常に疑わしく、常に操作される。
まして、“死者”の意志など、証明のしようがない。
だが──この制度を支持する者もまた、確かに存在する。
開票所の外。
死者たちの一団が、静かに手を取り合っていた。
「私たちには、もう投票しか残されていない」
「存在を証明する手段が、これだけなんだ」
そう語る老婆は、死者だった。
その隣で頷く少年も、老人も、母親も、皆、死者だった。
選挙制度とは、生者のものではない。
もはやこれは、“死者のための祈り”となっていた。
羽鳥は、目を閉じる。
かつて、死とは終わりだった。
けれど今、制度の中では──死者は“票”という形で永遠に留まる。
「この開票結果が、何を示すのか……」
ローが呟く。
「本当に、“未来”を選んだって言えるのか?」
羽鳥は答えなかった。
ただ、沈黙の中、ゆっくりとスクリーンに浮かぶ最終結果を見つめていた。
当選者:無所属/ラウラ・=エンデ
得票率:53.6%(うち死者票比率:81%)
その人物は、“すでに一度死んでいた”。
だが今、議席を手に入れた。
死者によって、死者が選ばれ、死者として統治する。
この国は、静かに、
“死人による国家”に変わろうとしていた。
***
朝が、来なかった。
いや──正確には、“死者たちの街”には、もともと朝など存在しなかった。
人工灯の明滅が、夜の終わりと始まりを告げる。
羽鳥翔一は、ひとり、地下区画の奥深くにある“書庫”にいた。
死者たちの登録情報、投票記録、訴訟履歴、そして死亡証明。
この国の“死”のすべてが、ここに記されている。
「おまえは、どう思う?」
背後からローの声。
彼は、死者たちが暮らす棲み処の再構築に取り組む行政官たちの動きを見届けていた。
「死人の意思をどう扱うか──そんな時代になっちまった」
「だが結局、意思は“生きてる誰か”が代弁してるだけさ」
羽鳥は、書棚に残された一冊のファイルを手に取る。
その表紙には──かつて死者として葬られ、今回の選挙で議席を得た女の名前。
《ラウラ=エンデ》
「この女は、本当に死んでいた」
「それも、間違いなく“選ばれて”蘇った」
ローが息を呑む。
「まさか、誰かの……意思で?」
「そうだ。制度そのものが、死者を選び、都合よく蘇らせる」
「正義なんて、どこにもなかった」
──選挙は、死者たちの希望ではなかった。
選挙は、生者の都合で“希望のように見せかけた幻想”だった。
羽鳥は、静かにファイルを棚に戻した。
そして、ノートを一冊取り出す。
そこには──かつての事件、かつての“死者たち”の名前が、びっしりと書かれていた。
「死者に正義はない。だが、“記録”はできる」
「せめて、それを残してやるのが……俺の仕事だ」
ローが少し笑う。
「相変わらず、探偵ってのは、報われない職業だな」
「そうだな。でも、報われたいなんて思ってないさ」
「……ただ、死者が“道具”にならないように、それだけを見張ってる」
書庫を出た羽鳥の足音が、静かに響く。
その足元には、既に“登録抹消”となった死者たちのデータが、紙束として積み上がっていた。
──彼らの投票は、もう誰にも必要とされていない。
だが、羽鳥は記す。
死者のことばを、死者の記憶を、死者の嘘を。
そして、今日もまた、新たな一件が届く。
【死亡登録番号:A-2743】
【申請者:不明】
【内容:死人による殺人の可能性】
羽鳥は、コートの襟を立て、手帳を閉じた。
「……さて、仕事の時間だな」
死人探偵は、再び“死”へと歩み出す。
誰のためでもない、まだ名もない死者たちの“声”のために。
──完──
ご覧いただきありがとうございます。
前作『死人探偵と未返却の遺体たち』へのご好評・感想・ブックマークが励みとなり、急遽シリーズ化の第3弾として本作を執筆しました。
今回のテーマは「死人の意思」と「選挙制度のブラックユーモア」。
社会風刺的に振り切った内容ですが、探偵・羽鳥翔一の“死者へのまなざし”は一貫しています。
「死人が票を持つ世界」に興味を持っていただけたなら幸いです。
感想・レビュー・評価、何でも歓迎です!
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。