悪役令嬢の娘の母親という圧倒的モブポジションに転生したけど、娘の破滅を止めて家族も社会的にぶっ壊すことにした
気がついたとき、私は貴族の妻だった。
よくある「目が覚めたら異世界転生していた」パターン。けれど転生先はヒロインでも悪役令嬢でもない。しかも「悪役令嬢の母親」という、物語にすらまともに登場しない脇役中の脇役。
つまり――モブ。
名前はリュシエンヌ・リデル・ヴァンデール。侯爵家に嫁いだ妻であり、悪役令嬢としてゲームで破滅する予定の娘レティシアの母親。夫とは冷え切った関係。実家とは疎遠。娘は性格が歪んでいて、学園でヒロインを虐めた挙げ句、婚約破棄された上に断罪イベントで国外追放。
ゲーム内ではそれで終了。私は背景として語られただけの存在。
だが、今の私は違う。前世の記憶を持った転生者だ。ゲームの展開もバッドエンドも全部知っている。
そして、私は決めた。
「娘の破滅を止めてやる。そして、娘をここまで追い詰めたクズどもを全部ぶっ壊す」
最初に着手したのは、娘の性格改善だった。
* * *
「お母様、何をなさってるの?」
「お裁縫よ。レティのハンカチを作ってるの」
「わたくしに、ですか?」
まだ十歳だった娘は、狐につままれたような顔をしていた。
今までこの体の持ち主は、娘の教育にも関心を示さず、冷淡だったらしい。けれど私は違う。ゲームの悪役令嬢にありがちな「親に愛されなかった反動で性格が歪んだ」展開を阻止するため、スキンシップと称賛を惜しまなかった。
「今日もピアノの練習、頑張っていたわね。レティは音感がいいのね。きっと素敵な淑女になれるわ」
「……ふふっ、ありがとう、お母様」
最初はぎこちなかった娘も、今ではよく笑うようになった。
* * *
問題は夫だ。
ダリウス・ヴァンデール。金髪碧眼の侯爵閣下。顔はいい。性格は最悪。
外面だけはいいが、家では完全無関心。浮気も当たり前。前世なら即離婚案件のクズ。娘にも冷たい。悪役令嬢レティシアを追い込んだ最大の原因は間違いなくこの男だ。
よって、切り捨てる。
「離婚しましょう、閣下」
「……は?」
夜の書斎で淡々と切り出すと、ダリウスは珍しく驚いていた。
「あなたは家族を顧みず、愛人を囲っておられる。父親としても夫としても失格ですわ」
「貴族に愛人がいることくらい――」
「私は“浮気が当たり前”なんて価値観には染まりません。レティのためにも、父親はもっと誠実であるべきだと思います」
私は涼やかに言った。
「あなたの愛人、すでに妊娠していますね。腹の子が生まれれば、確実に爵位を狙わせるでしょう。その前に縁を切ります」
証拠はすでに握っている。密会現場の報告、宿屋の記録、妊娠検査薬の廃棄物まで。
「馬鹿な……誰にそんなことを……」
「婚姻契約違反による離縁と慰謝料、財産分与の請求を行います。子爵家出身の私を舐めていたようですが、私の実家、今は王太子殿下の右腕を務める兄が当主ですのよ」
情報は力。貴族社会では特に。
* * *
離婚劇は思った以上に話題を呼んだ。
私が侯爵夫人の座を自ら下りたこと、愛人妊娠を理由に夫を告発したこと、それが完璧な証拠付きだったこと――何より、冷遇されていた母娘が見事に反撃したという事実が、社交界のご婦人方に火をつけた。
気づけば私とレティは「自立と再生の象徴」として扱われるようになっていた。
そして、娘の入学式。
「レティ。今日からが本番よ。物語の“舞台”が始まるの」
「ええ、お母様。でも、わたくし、大丈夫ですわ」
凛と笑った娘は、もう“悪役令嬢”ではない。慎みと気品、ユーモアと正義感を兼ね備えた、未来の女侯爵だ。
「お母様が、わたくしを守ってくださったから。今度は、わたくしが守る番ですわ」
「……泣かせないでちょうだい」
私は娘を抱きしめた。こんな未来があるなんて、ゲームの中では知りようもなかった。
* * *
入学から半年。
ゲームでいうところの“ヒロイン転入イベント”が発生した。王太子の婚約者として、平民出身の聖女が学園に現れたのだ。
彼女は好感度を稼ぐため、様々な生徒に近づいては「トラブルを解決」していく。その中で、レティも目をつけられた。
「レティシア様って、やっぱりお高く止まってるんですよねー」
「そうそう、貴族の娘って、下の者の苦労とか、全然分かってなさそう」
クラスメイトに囲まれて笑われる娘。
――が。
「そうね。わたくしは“お高く止まっている”わ。でも、それは誇りを持って生きているから」
「えっ……」
「身分の違いを振りかざすつもりはありません。けれど、だからといって貴族を貶していい理由にはなりませんわ」
はっきりと、怯まず、真っ直ぐに。
「“下の者”の苦労を知らぬというなら、あなた方も“上の者”の覚悟を知らない」
教室が静まり返った。
それ以降、誰も娘に軽口を叩けなくなった。
* * *
そしてついに、断罪イベント。
「レティシア・ヴァンデール! 君は私の婚約者でありながら、聖女様をいじめ――」
「証拠は?」
「……なに?」
「それが事実だという証拠を出してくださいまし、殿下」
娘は微笑みながら言った。会場がざわつく。
「聖女様に“暴言を吐かれた”“押された”という証言ならございますわ。でも、それらはすべて“わたくしに”向けられたもの。周囲の証人もおります。録音水晶もありますわ」
まさかの逆転劇。
王太子は顔を真っ赤にして口ごもった。だが、すでに遅い。
「あとは、母がお見せする“あの書類”をお渡しすれば完了ですわね」
私は壇上に歩み出る。手に持っていたのは、聖女の過去の窃盗歴、贈賄歴、そして出身村での“身売り契約”の記録。
聖女の顔が青ざめ、絶叫した。
「なんでそんなの――!」
「私が“モブ”だからよ。貴族社会の裏で、誰も気づかないふりをしていたことを、私は全部拾ってきただけ」
会場の誰もが言葉を失った。
娘の破滅を食い止め、敵を地に叩きつけた私たちは、ついに舞台の主役に躍り出た。
――さあ、“幸せという未来への旅路”の始まりよ。