第4話「それぞれの背中」
春の空気がまだ少し冷たい朝。
ひかりはいつものように、息子の悠翔を保育園へ送り届けた帰り道、ふとスマホに届いたメッセージ通知を開いた。
【グリースターエンターテインメント】
「リユニオンライブ」出演、正式にご検討いただける旨、承知いたしました。
スケジュール調整のご相談は、以下の連絡先まで。
画面を閉じると、少しだけ冷たい風が吹き抜ける。
心はまだ、はっきりと決めきれていなかった。
(私がステージに戻るのは、自己満足なんじゃないかって……)
それでも、あの夜。悠真が「応援する」と言ってくれたことが、確かな支えだった。
* * *
夕方。
悠真が帰宅したとき、その顔には見慣れぬ緊張がにじんでいた。
「おかえり、どうしたの? 今日の練習……」
「ひかり……ちょっと、話してもいいか」
静かな声。
いつものような陽気さはなく、むしろ何かを抑えているようだった。
リビングのソファに並んで座ると、悠真は一枚の紙を取り出した。
「これ、今日渡された。……侍ジャパン、WBCメンバーに内定だって」
「……!」
ひかりの目が大きく見開かれる。
「すごいよ……悠真くん、本当に……!」
「ありがとう。でも、喜んでばかりもいられないんだ」
彼は静かに続けた。
「本番までに、代表合宿、強化試合、遠征……シーズン開始前から、ほとんど家に帰れなくなる」
「悠翔のこと、家のこと、全部ひかりに任せっきりになる。それが、正直……申し訳ないって思ってる」
ひかりは言葉を失った。
――自分もステージ復帰を迷っている。
けれど、悠真にはもう“決断”が突きつけられている。
「無理しないでいいから。出たくないなら、出なくても……」
そう言いかけて、悠真は途中で言葉を飲み込んだ。
「いや、違うな。……ひかりにも、夢があるんだよな」
ひかりの手が震える。
何度も迷ってきた。でも、心の奥では、答えはとっくに出ていた。
「……私、出ようと思う。リユニオンライブ。もう一度、自分の歌を、あのステージで届けてみたい」
悠真は数秒黙ったあと、ゆっくりうなずいた。
「そっか。なら、俺も……全力で応援するよ」
彼の声には、ほんの少しの寂しさと、それ以上の強さがあった。
「でもひとつだけ、約束して」
「なに?」
「お互い、自分を置き去りにしないこと。ママでもパパでもなくて、ひかりと悠真として、ちゃんと支え合うって」
「……うん」
ふたりは、ぎゅっと手を握り合った。
どちらも夢を諦めない。その代わり、どちらも「家族」であることも、手放さない。
* * *
その夜、悠翔が眠ったあと、リビングのテレビでは偶然、スポーツニュースが流れていた。
《阪神の4番・相馬悠真、WBC日本代表に内定。復活の4番、世界へ――》
ひかりは、ふと微笑んだ。
「やっぱり、かっこいいなぁ……うちのパパは」
そして自分のスマホを取り出し、リユニオンライブの練習スケジュールへと指を伸ばす。
夢と家族、そのどちらも追いかける――。
それは、簡単な道ではない。
けれど、背中を預け合える誰かがいる限り、きっと、歩いていける。