第1話「ただいま、おかえり」
夕暮れの甲子園球場。
誰もいないグラウンドに、ひとりの男が立っていた。
阪神タイガースの背番号「7」――相馬悠真。その名は、プロ野球界でも一目置かれる存在だった。
高校時代、野球部のエースで四番。全国大会での劇的な逆転ホームランは「奇跡の一撃」として語り継がれている。そして卒業の年――プロ野球ドラフト会議で、7球団が競合するほどの逸材となり、最終的に指名を勝ち取ったのが阪神タイガースだった。
「……あのとき、全部が変わったんだよな」
バットを握る手に、当時の重みが蘇る。
夢だったプロの世界。だが今、その夢は現実の厳しさの中で揺らいでいた。
ここ数年、成績は伸び悩み、今季は“背水の陣”とされるシーズン。
打てなければ終わる。阪神の4番としての責任を、悠真は誰よりも重く感じていた。
そんなとき、スマートフォンが鳴る。
画面に映る名前は、「ひかり」。
「悠真、お疲れさま。今日は早く帰れる?」
「ちょっと遅くなるかも。でも、夕飯は家で食べたいな。……ハンバーグ、食いたい」
「ふふっ、了解。おチビと一緒に待ってるね」
電話越しに聞こえる、家族のぬくもり。
それが今の彼を支えるすべてだった。
* * *
「ただいまー」
「おかえりなさい、悠真くん」
玄関先で出迎えたのは、妻――朝比奈ひかり。かつてのトップアイドル。現在は一児の母として、悠真の帰りを毎日待っている。
「パパきたーっ!」
抱きついてきたのは、2歳の息子・悠翔。
元気いっぱいにボールを握って、パパの足元にまとわりつく。
「悠翔、パパね、高校のときホームラン打って、プロ野球選手になったんだよ」
「ほーむらん? うってー!」
「よーし、任せろ!」
あの夏の日。
高校球場でひかりに誓った――「プロになって、君のためにホームラン打つ」
その言葉は、時を超えて家族の中に生きている。
悠真はその夜、ベッドで眠る我が子の寝顔を見つめながら静かに呟いた。
「――まだ、終わってない。次の夢は、この子に“本気の背中”を見せることだ」




