third episode『陽菜、インターナショナルスクールへ』
『陽菜、インターナショナルスクールへ』
ロンドンに来て二週間。
陽菜の新しい学校生活が、ついに始まった。
玄関でくつを履きながら、陽菜はパパとママを交互に見上げる。
小さな背中が、ほんの少し震えていた。
「だいじょうぶ。がんばれるもん」
そう言った声には、自分を奮い立たせる強さがあった。
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◆ 初めての朝、知らない声
インターナショナルスクールの校舎は、赤いレンガの建物。
グラウンドでは、外国の子たちが元気に走り回っている。
けれど、陽菜の足はなかなか前に進まなかった。
「Hi! Your name?」
大きな男の子が陽菜に話しかけてきた。
けれど陽菜は、答えられない。
(わかんない……なんて言ったの?)
「Yoh-na? Yuna? Hina?」
違う、そうじゃない――陽菜の名前は「ひな」。
けれど、その発音がうまく伝わらない。
笑顔で返そうとしたけれど、目の奥がじんわり熱くなる。
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◆ 名前を呼ばれるということ
教室では、先生が英語で話し続ける。
絵本を読む時間、歌を歌う時間――
陽菜は、なんとか真似をしてついていく。
けれど、名前を呼ばれるときだけ、息が詰まった。
「Hin-ah?」
どこかぎこちない発音に、教室の何人かがくすっと笑った。
(ちがうよ……わたしの名前は、ひな、なのに)
それでも陽菜は、泣かなかった。
小さな手をぎゅっと握って、下を向いたまま耐えていた。
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◆ 「ひなちゃん、あそぼ!」
昼休み、陽菜は一人でベンチに座っていた。
すると、黄色い髪の女の子が隣にちょこんと座った。
「You… lonely?」
陽菜は、きょとんとした顔でその子を見る。
「I’m Lila. What’s your name?」
陽菜は、小さな声で答える。
「ひな……Hina」
「Hina? Nice name!」
その言葉は、陽菜の胸にじんわりと広がった。
「ひなちゃん、あそぼ!」
はじめて呼ばれた、自分の名前。
はじめて交わした、ことばじゃないことば。
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◆ 小さな一歩
その日、学校から帰った陽菜は、
キッチンで夕食を作るママの背中にぎゅっとしがみついた。
「どうだった、学校?」
「……うん。だいじょうぶ。ともだち、できたよ」
はるかは笑って振り返る。
「名前、うまく伝えられた?」
「うん。ララって子が、『ナイスネーム!』って言ってくれたの」
陽菜は笑った。
その笑顔は、小さな誇りと安心に満ちていた。
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◆ エピソード終わりに…
言葉の壁、文化の壁、名前さえも正しく届かない日々。
それでも、陽菜はひとつの「自分」をこの国で見つけた。
はじめての友だち。
はじめて、ちゃんと呼ばれた「ひな」という名前。
それは、異国の地で芽吹いた、小さな勇気の芽だった。




