◇エピソード5:はるかの想い、初めての告白(母として)
出産予定日まで、あとひと月を切ったある春の午後。
はるかは、大きなお腹を抱えながら、いつもの公園をゆっくりと歩いていた。
テニス部の高校時代、ひかりとお弁当を食べたベンチ。
悠真と試合の前に誓いを交わした桜の木。
季節は巡り、同じ風景が少し違って見えた。
ベンチに腰を下ろし、はるかはそっとお腹に手を当てて語りかける。
「ねえ、あなたはどんな子になるのかな」
声に出した瞬間、ふと込み上げてくるものがあった。
これまで何度も試合の前に緊張し、涙をこらえたはるかだったが、
このときだけは、ためらわずに涙が頬を伝った。
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夜。
リビングのソファでは、悠真が資料を広げ、テニススクールの開校準備を進めていた。
「ねえ、悠真」
はるかの声がやけに静かで、真剣だった。
「私……ちゃんと“母親”になれるかな」
突然の問いに、悠真は少し驚いたように顔を上げた。
「どうした?」
「怖いんだ。いざ赤ちゃんを迎えるって思うと、ちゃんと守れるか、自信がなくなる」
はるかは言葉を詰まらせながらも、自分の気持ちを正直に語った。
「これまで私は、“選手”として、“妻”として頑張ってきた。でも“母”としては、何もわからなくて」
その目には、決意と戸惑いが交錯していた。
悠真は少し考えたあと、はるかの手をそっと握った。
「はるか、君はきっと、世界一の母親になるよ」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「君が“母親になれるか不安だ”って、そうやって真剣に悩んでるからだよ」
「……」
「強くあろうとすることも大事だけど、不安を認めることも、愛情だと思うんだ。
君は、子どもとちゃんと向き合おうとしてる。
それだけで、もう“立派な母親”だよ」
はるかの目から、またぽろりと涙がこぼれた。
今度は、不安の涙ではなく、温かく包まれるような安心の涙だった。
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それから数日後。
はるかは日記を広げ、一枚の手紙を書いた。
宛名は、まだ見ぬ「わが子」へ。
「あなたへ。
ママは今、とても不安です。
でも、それ以上に楽しみです。
あなたに会える日を、何よりも大切に思っています。
パパとママは、あなたのすべてを愛します。
どんな未来も、あなたとなら乗り越えられる気がするの。
――ありがとう。ママをママにしてくれて。」
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手紙を閉じたはるかの表情には、もう迷いはなかった。
かつてラケットを握りしめていたあのときと同じ――いや、それ以上に強い覚悟があった。
新しい命を迎えるその日まで、あとわずか。
“母として”の、はるかの物語が、いま始まろうとしていた。