MISSION07 -二段作戦(後編)-
今回、「残酷な描写」が含まれますのでご注意ください。
階段を踏み飛ばし、廊下を駆け抜けると視界の先に「尋問室」と書かれた扉が目に入る。
「アイリス、その先に博士はいるはずだ」
「ええ。微弱だけど、彼女の反応がある…!」
「エーテロイドは、体から発せられるエーテリウム反応を利用してテレパシーに似た現象を起こすことができるみたいです」
プレリアの言葉にアイリスは一瞬複雑な表情を見せるが、扉を前にロイドを見遣り、解錠を促す。ロイドは頷き、1枚のIDカード――メタルライナーを機動する際に使用しなかった、もう1人の分のものだ――を取り出すと扉横のセンサーに翳すと、気圧の抜けるような音と共に扉がスライドし部屋の中が露わになるが、同時に解き放たれた悪臭がアイリスを遅う。
「うぅっ、何、この臭い…うぇ…っ」
「…やはり、か」
「兄さん、これって…」
湿った空気に醸成された血と汗と生臭さが鋭敏なアイリスの鼻を貫き、目の前の光景が視界に入るより前に込み上げる吐き気が彼女を打ち崩す。ヘルメットにより匂いが遮断されていたロイドとプレリアが、代わりにその凄惨たる拷問の跡を目の当たりにすることとなる。
「アイリス…気分が落ち着くまで見ない方がいい」
「それって――」
「想像したとおりのことだ。いや、それ以上かも知れん」
視線を遮るように、アイリスとマリアンの間に立つロイド。その表情はいつも以上に険しい。彼女の姿は一言で言えば、酷たらしいことこの上ないものだった。
線の細かった顔はそこら中に青痣が広がり、一瞥しただけでは顔写真の人物とは思えないほどになったマリアンが両手から吊されていた。アイリス達と同じような銀髪は乱れ、衣服を剥ぎ取られた細い肢体も同様に打撲痕やミミズ腫れが無数に広がり、手首の肉は手枷に削られ、指を喪った足下には無数の空き瓶と様々な液溜りに混じって無惨に切り落とされた十指が散らばっている。
「…生体反応、微弱ながら検知しました。Dr.マリアンは生きては…います」
「そうか…」
ささくれ立つ心を押さえつけ、首輪を外すべくロイドはゆっくりとマリアンの元へと近付く。鎖に繋がれた女性はロイドに気付くとびくりと体を震わせ、のたうつように体を遠ざけようと藻掻く。
「……、……、……!」
「怖がらなくていい。俺たちは貴方を救出しに来た」
力なく悲鳴は、ヘルメット越しでは聞き取ることができない。ロイドはゆっくりと近付きながら、刺激しないよう努めて丁寧に語りかける。念押しするように「もう大丈夫だ」と語りかけると、彼女の動きが弱々しく、大人しくなっていく。
「首輪を外す。怪我をする、じっとしていてくれ」
拳銃を引き抜き、首輪の固定部に狙いを定める。小刻みに震える体にロイドの過去が薄く重なる感覚が過ぎり、ロイドの表情が険しい物となる。一呼吸おいて拳銃から放たれた弾丸が首輪の固定部を撃ち抜き、首輪が軽い音を立てて落ちる。それを壁際へと蹴り捨て、続けて腕を戒める枷を壊す。支えを失い崩れ落ちる彼女を抱き留めた、その瞬間。ロイドの脳内に夥しい量の情報が流し込まれる。
「なっ…!?」
「バイタルに乱れ…兄さん…!?」
「が…ア…っ」
「兄さん、気を確かに! 兄さん!」
脳裏を駆け巡る謎のイメージにロイドの膝が床に落ちる。瞳孔が開き、全身を脂汗が伝う。それがマリアンの記憶であろうことに気付くまでにロイドの意識が2、3回は飛びかけていた。全身を這い回り、体内を犯す感覚が、肉体を欠損する感覚が一辺に脳へと直に叩き込まれる感覚に、今度はロイドの胃が痙攣を起こし、視界を薄らと青く染める。
「ロイド!」
気が付けば血相を変えたアイリスがロイドに駆け寄り、その背を強く摩っていた。すんでの所で堪えたロイドは、マリアンを預けゆっくりと立ち上がる。
「何だったんだ、今のは…一体…」
「…感応現象…マリアンが、あなたに何かを伝えようとしたみたい…」
「シンパシー…?」
マリアンを抱えたアイリスが立ち上がり、ロイドの呟きに答える。聞き慣れない単語に咳き込みながら聞き返す。
――感応現象。エーテロイドが持つ能力の1つであり、エーテリウムを媒介に念話や探知を行う能力である。無我夢中のマリアンは感応現象を用いてロイドに自分が受けた仕打ちを伝え、助けを求めようとしたのだ。エーテロイドではないロイドでは、本来であれば受信も認識もできないはずだが、幸か不幸かロイドの受けた強化人間手術がそのパスを繋いでいた。
「ごめんなさい、彼女も錯乱していて…」
「…いや、構わない、むしろよく耐えた。…さて、ここから折り返しだ。勿論タダで済ます積もりはないんだろ」
「――プレリア、機体を回せ。やられた分はやり返す。それが傭兵の流儀だ」
何時になくしおらしいアイリスに、作戦の続行を促す。その黒い瞳には、隠しきれない「怒り」が宿っていた。事件そのものから見ればロイドは部外者ではあるが、自身の地雷を踏み荒らされたこと、そしてマリアンの感応現象によりロイドは彼女の受けた拷問を「追体験」することとなった。それは即ち、ロイドも当事者になったということに他ならない。
「はい…っ! ”ルプレリア”、起動コード送信…座標指定をここに…30秒後に到着します!」
「私も、”ヴァルキュリア”を喚び戻す。同胞の痛み、奴らの命で償わせてやる…!」
プレリアとアイリスがそれぞれ機体を呼び寄せる。陽動の機体は半壊しつつも辛うじてその役目を全うしており、健気に踊っていた。4騎係りの火線に晒された機体は、遂に最後の一撃を無人のコクピットに迎えて鉄の骸へと変わり果てる。だが時間稼ぎは成功し――同時に2騎のメタルライナーが敵機のアラートを鳴らす。
「敵襲…なっ、あいつは…!?」
「ツバロフの野郎、どこと通じてやがった…!」
「撃て、撃ち落とせぇ!!」
「間に合いません、突破されます!」
突然の乱入に慌てる敵兵。思い思いに対空砲火を放つが有効打にはなり得ない。二騎は易々と迎撃を突破し、自らの主を迎える姿勢を取る。
「ヴァルキュリアが盾になる、今のうちに!」
「了解した」
ヴァルキュリアが手前に着地し、背部の機構から自機を中心に円柱状のエーテル・アーマーが、騎士の外套のようにはためきその姿を包み込み、撃ち込まれる銃弾の悉くを弾き飛ばす。背後では武器を格納したルプレリアがロイドたちに向かって右拳を振りかぶっていた。
「壁をぶち抜きます、じっとしていてください!」
プレリアの警告の直後、突き込まれた拳がロイド達の真下の階に突き刺さり、コックピットが開く。ロイドは躊躇うことなく窓から腕に飛び移り、そのままコックピットに乗り込む。
暖気運転を済ませた機体はすぐさま制御権をロイドに譲り、周囲がモニターに映し出されると左側から一騎のメタルライナーがヴァルキュリアに接近しているのが見えた。その手には手持ち型のレーザー・ブレードが握られている。
「敵機接近、ヴァルキュリアが狙われています!」
「ああ。間に合ったようだな」
拳を引き抜くルプレリア。足下のローラーが高速で機体を右回りに回転させ――振りかぶった左腕から蒼い光の剣が形成される。その勢いのまま左腕を袈裟に振り下ろし、接近していたメタルライナーを縦に両断する。爆発する機体を尻目に、今度は盾を構えてヴァルキュリアの前に踊り出る。
「待たせたな。これより陽動に移るが――アレを全部倒してしまっても構わんのだろう?」
「ええ。でもこっちだって全部譲る気はないわ」
通信を終えたルプレリアが撹乱のため残り三騎の元へと突撃する。敵方も三方向に散開しルプレリアを包囲するが小刻みに動く機体に狙いが定まらず翻弄される。適当に放たれた弾丸が虚空を切り、反撃の銃撃が心臓を穿つ。すぐさま機体を反転させると同時に右肩のレーザー・ショットガンが光の散弾を放ち、背後の機体の半身を吹き飛ばした。
「残るは――」
そう言いながら振り返ると、丁度最後の一騎がごく太い光の”帯”によって、その胴体が消し飛ばされていた。砲撃の主を見遣ると、ヴァルキュリアが右手のレーザー・ライフルを――その砲身を右肩の機構と連結させて――残心のように構えていた。
(あれが、あの時の狙撃に使った砲撃か)
『メタルライナーは全滅、どうにか総取りは阻止できたようね』
「そのようだな。それで、これで終わりか? メタルライナーが居ない以上、制圧したも同然だが」
『…いいえ。全部ぶち壊すわ、この拠点を。跡形も残さない、誰1人として、生かして返さない。弾代は上乗せしておくわ』
「憂さ晴らしは趣味じゃないが、今回ばかりは便乗しよう。俺も、このままでは腹の虫が治まらないらしい」
――取り残された間抜けは、生身でメタルライナーと対峙することになる。その末路は、最早語るまでもない。
◇ ◇ ◇
戦闘を終えた後、ロイドはアイリスと別れ、クラウスの指定した回収地点へ移動していた。機体の操縦をプレリアに任せ、今日の作戦について振り返る。
打ち合わせ前にクラウスが席を立つのは過去に例がない。作戦内容の確認やスケジュールの管理を兼ねており、口出しせずとも参加はしていたのだが、今回に限っては直前になって離脱し、ロイド1人で話を聞くことになり、そのまま出撃することになった。作戦に参加したら敵対するはずの現地人――それも、初対面はお互いに銃口を向け合った――との共同作戦である。そこで目の当たりにしたのはエーテロイドに対する余りに過ぎた仕打ちの数々。少なくとも、「他企業の捕虜」に同じことをすればただでは済まない大問題である所業を、彼らは悦びを以て行っていた。後で確認したが、哨戒の兵士が持っていた映像データは、その時の光景のものであった。結果として追加の仕事までこなすことになったが、それ以上にロイドは「この星で生きている人々」の存在をより明確に意識していた。
(クラウスは、こうなることをわかっていたのか…?)
エーテロイドを人として見ないのであれば、ロイドを彼女たちに合わせる必要は無い。むしろ徹底して隔絶させるべきである。だが、クラウスはそうしなかった。”UrHeN”からの接触を受け、ロイドに繋いだのは何らかの意図がある。ロイドはそう確信した。
数分ほど思案に耽っていると、モニターにヘリの接近を伝える表示が浮かぶ。視線を向けると一台の大型輸送ヘリが向かっているのが見えた。
『終わったようだな』
「ああ」
短いやりとりの後、ルプレリアがヘリに収容される。機体が固定され、戦闘モードを解除してレポートを作成するプレリアを眺めながらロイドは己の内に生じた疑問をクラウスに投げるか迷っていた。
「クラウス――あんたは、どこまで考えているんだ」
「兄さん…?」
コックピットの中、ロイドは姿なき雇用主に問いかける。返事は意外にもすぐに返ってきた。
『前に、「金は目的の1つに過ぎん」と言ったことを覚えているか?』
「ああ、覚えている」
『お前は何を思ってこの依頼を引き受けた? この戦いで、何を感じた?』
「……」
ロイドが押し黙る。答えを持っていない訳ではない。ただ、それを言葉にすれば、何かが決定的になる。そんな予感がしたのだ。そしてクラウスはロイドの沈黙に何かを見出していた。
『見た通りだ。この星を巡る争いは、様々な問題を抱えている。お前はこの先、どのような決断をするのだろうな』
「俺の、決断」
『そうだ。これから、お前は色々な物事を決断することになる。お前が、お前の意志でな』
ヘリの中を、再び沈黙が支配する。ロイドにとってクラウスの言葉は、これから起こる何かを予見した上のものに見えた。
(俺の…俺の意志で決断…クラウスは何かを見ている…知っている…)
思い返すのは、銀髪の少女の姿。短い時間の、それも仕事の間の関係であったが、無意識ながら確実にロイドは彼女に惹かれていた。恋心ではない何か。今だ掴めぬその正体に胸のつまるような思いを抱えながら、ロイドは通信を終えたモニターを見つめる。
僅かに赤みを残した宵闇の空を、一台のヘリが闊歩する。その様子を白騎士の中から見つめるアイリスもまた、複雑な面持ちでいた。