MISSION03 -煉獄-
「ここが“セーフハウス“か」
『そうだ。当面の間、ここが俺たちの拠点となる』
“白騎士“の襲撃を凌いだロイドたちは、程なくしてこの星の三大勢力のひとつ「トライスター・ヘビーメタル社」――日系企業をルーツに持つ、機甲歴以前からロボット工学に携わる巨大企業であり、クラウスが最初に売り込みをかけた商談相手だ――の支配するテリトリーへと進入し、その一角にあつらえた小さなガレージへと降り立っていた。
メタルライナー一騎と予備パーツがいくつか入る程度の、比較的簡素な建物。ロイドが眠っている間にヘリが停り、“ルプレリア“は搬入されていた。
プレリアに促されて機体から降り、先程まで操っていた鉄の巨人と向かい合い呟いたところにクラウスの通信が入った形だ。通信機越しに雇用主であり、育ての親であるクラウスの声が続く。
『ここは三大勢力のひとつ、トライスターの支配領域⋯有り体に言えば縄張りだ。渡りはつけてある、いきなり排斥されることはない。まずは機体の整備を行いつつ、降りてきた仕事に喰らいつく。下積みから入るが、これが最善ルートだ』
「そうか」
クラウスの現状説明をロイドは聞き流しながら、無数のアームに啄まれる機体を眺めていた。
上体を白、脚部を赤く塗装し節々に黄の差し色が施され、全体的に直線的な装甲板は末梢部が誇張されるかのように大振りとなる所謂「ヒーロースタイル」と呼ばれるデザインのひとつだ。それでいて全体的に細身のシルエットと鋭利さを印象づける頭部パーツは、どこかスポーツマシンの血も混ざったような造形となる。
全長8メートル程の鋼鉄の巨人は四方から伸びるアームにより分解され、整備されている最中であった。
『それとお前が戦った例のメタルライナー⋯便宜上“白騎士“についてだが』
「何かわかったのか?」
『⋯トライスターに該当する機体は登録されていない。フレームの形状や戦闘ログから“ヴィヴィアン“も洗ってみたがどうも違うらしい』
「ヴィヴィアン・インダストリアル⋯トライスターとやり合っている企業か」
『他の企業が造った機体である可能性もあるが、恐らくは現地勢力によるものだろう』
現地勢力、つまるところ原住民。あの灼熱の環境に適応し、住み着いた人類が存在することに、ロイドの視線が動く。
『気になるか?』
「⋯そうだな」
若干の間の後、ロイドが短く答える。機体の出所もそうだがそれ以上に現住民、この星に住んでいる者がいると言うことに驚いていた。
防護服もなしにあの環境で生存していること、そして額に生えていた角のようなもの――当然、ロイドや彼の記憶の中の人物にもそのようなものはなかった。それはつまり、最初からその星で生きている者がいるということに他ならない。
「クラウス、あの少女は一体――」
『…結晶人。あの星に住む――人間だ』
「…………」
息を呑むロイド。
考えもしなかった存在の出現に、ロイドは小さくない衝撃を受けていた。
「知って、いたのか…彼女”たち”のことを」
『…当然だ。だが、これは生存競争のひとつだ。例え俺たちが侵略者であろうとも、俺たちは他者から奪わねば生きてはゆけん。それが、今の人類の進化の結果だ』
「……」
否定はできなかった。少なくとも傭兵として他人と命の奪い合いをしている自分自身がその言葉の意味を噛み締めていた。
『……今は依頼がない。部屋に戻って安め。それが今のお前の仕事だ』
「…ああ、そうする」
重苦しい空気のまま会話が途切れる。やりきれない感情を抱きながらロイドは自室に向かうべくその場を後にした。
◇ ◇ ◇
――爆発、悲鳴、怒号、足音、銃声、断末魔、命乞い、流血、瓦礫、炎上。
その光景は、文字通りの地獄だった。
温かな食事を囲み、なんでもない話をする。
よく笑い、目一杯の愛情を注ぐ両親と、いつも引っ付いて歩く、内気で甘えん坊の妹。
幸福な時間は、何の前振りもなく砕け散り、踏みにじられた。
「にげなくちゃ…シェルター、に…!」
「おにいちゃん…こわいよう…うぅ、ぐすっ…」
「だいじょうぶ、ぼくがまもるから…!」
「ひっく…ひっく…」
炎吹き上がる街中を、手を繋いだ2人の幼子が駆ける。
現在進行形で蹂躙されている街ではそこら中から身の竦むような銃声と耳を塞ぎたくなるような悲鳴、人間味など欠片もない駆動音が鳴り響いている。
視界の端では二騎のメタルライナーがもつれ合い――その片割れの胴を斬り裂き、物言わぬ鉄屑へと変えた。
戦争。
平穏なコロニーを襲ったのは、侵略戦争だった。
一体何を見いだしたのか、ある企業がこのコロニーに殴り込みをかけ、防衛軍が応戦した。
それで退けられたならまだよかった。だが、そうはならなかった。
防衛軍はみるみるうちにその数を減らし、その結果がこの惨状だった。
突如として家が爆発し、両親は瓦礫の山に消えた。
少年は何が起きているか判断するよりも早く、妹の手を引き家から逃げ出した。
避難用シェルターに逃げ込めば、なんとか安全だ。少年はそう考えていた。そう信じていた。
溢れ出そうな涙を必死に堪えながら、全力で駆けていた。だが、運命はそれを許さなかった。
細い路地を走っていると、背後から迫る駆動音が消えた。反射的に振り返った少年が見たものは、こちらを睨む銃口と、不気味に光る機械の眼差し。
少年は走った。全力で、必死に、死にものぐるいで。
あと1メートル。あと数歩で直角に曲がる。曲がりさえすれば弾は当たらない。
少年は神に祈り――奇跡は、けたたましい銃声として返ってきた。
壁が爆ぜる、地面が爆ぜる、そして曲がろうとした時――ふと、腕の先の重さが、消えた。
突然消えた重みでバランスを崩した少年は受け身を取れず顔から勢いよく着地する。
顔全体を覆う痛みと、濡れる口元。鼻を打ったせいか流血していた。
だがそんな痛みなどどうでもいい。
あれから音が近寄る様子はない。ひとまず安心した少年は妹を励まそうと振り返り――繋いだ手から、だらんと垂れた腕を見た。
◇ ◇ ◇
「――――!!!!」
声にならない叫びを上げながらロイドは跳ね起きた。
激しく乱れ打つ心音、まるで全力疾走したかのように浅く小刻みな呼吸。室温に反して背中に張り付いた肌着。
「ハッ、ハッ、ハッ――」
何かを探すように左右に顔を振り、それから少しして呼吸が落ち着いていく。
久しぶりに見た夢は、文字通りの悪夢。ロイドは戦災孤児であった。
幼くして天涯孤独の身となったロイドは、紆余曲折を経てクラウスに拾われ、戦うために強化人間手術を受け入れた。
ふと、右手を見遣る。
記憶の中と比べて幾分か厚みを増した手首には、千切れた腕の代わりに機械的な黒い腕輪が填められている。
無機質な腕輪は、所謂多機能デバイスのひとつであり、ルプレリアに取り付けられたサポートAIであるプレリアを共有するものである。
肉親を喪い、クラウスは人相も思い出せない程度には顔を見ていない。ロイドにとって、プレリアは便利な道具である以上に「家族」のようなものであった。
ふと気が付けば、左手の指が腕輪をなぞっていた。
暗い部屋に明々と投影されたのは、時刻と空白の予定を記したウィンドウ。
時刻はまだ夜中を指している。
「…………」
「強いストレス反応を検知しました。眠れないのですか…兄さん」
しばらく時計を見て――正確には、その時間すら頭には入っていない。ただぼんやりと、漫然と”光”を見ていたに過ぎない――いると、聞き慣れた声が語りかけてきた。やや虚ろ気味な視線を向けると、パジャマにナイトキャップという見事なまでに寝間着姿の妹が、枕を小脇に抱えながらロイドを心配げに見ていた。
「…大丈夫だ、少し…夢見が悪かっただけだ」
「そうですか」
とうに息が整っていたロイドは乱雑な所作で肌着を脱ぎ捨て、ベッドから立ち上がる。そのまま部屋に据え付けられたクローゼットから替えのシャツを取り出す。
プレリアはその背中――肩甲骨の間やや下から覗く鈍色の装置に、心配気に眉を寄せた。
強化人間の証たる、機械との接続コネクタ。人機一体界面端末と呼ばれる、人と機械を物理的に接続する手法であり、その歴史は機甲歴以前となる。プレリアの記録では、ロイドは自らの意志でこの手術に臨み、生還したとされている。
「プレリア」
「はい、兄さん」
「…お前は、あの時どう思った」
「あの少女のことですか?」
着替えを済ませたロイドはベッドに腰掛け、妹に話しかける。
姿も形も、声も名前も異なり、そもそもが人ですらない、プログラムによって応答する、幻影の少女。だが、養父となったクラウスが幼かったロイドに与えたそれは、紛れもなくロイドの家族となっていた。
「ごめんなさい、エーテロイドについてはわたしの方にも情報制限かかかっていました」
「今は」
「一部を除いて解除されています。閲覧しますか?」
「……頼む」
少しの間を置いて、ロイドは先を促す。プレリアはどこからか大振りな本――それこそ自分の身の丈ほどもある――を取り出すと、ロイドの側、枕元に座り、概要から話し始めた。
――エーテロイドはエーテリウムに適応し、クリステラの過酷な環境下で生活できる人類種である。そのルーツについては未だ謎が多く、生態も文化も不明だが、高い身体能力と頑健さ、そして何よりも「死亡時に全身がエーテル結晶になる」という特性を持つ事が明らかとなっている。学者の中には、エーテライトは結晶人の死骸によって成り立っているなどと鶏の卵問題のような論文を書く者がいるほどだ。
ロイドはプレリアの説明を聞きながら、少女の表情を思い出す。
困惑と恐怖、絶望もない交ぜになったあの表情がかつての光景と重なる。
(あれは…あの表情は…”奪われる”ことを知っている、貌だった…)
プレリアの説明と、記憶の表情。ロイドは彼女たちが既に何度も搾取されていたのだと考える。
――この星には、自分の知らない文化が根付いている。
そこに思いを巡らせていると、薄らと思考に靄がかかり始めた。一時的に活性化した意識が、再び眠りにつこうとしている。
思索を中断し、ゆっくりと力を抜くと、察したプレリアが本を仕舞う。
「眠りますか、兄さん」
「ああ」
「”子守歌”は要りますか?」
「……ああ、頼む」
「わかりました」
短い問答の末、プレリアはロイドの右手に回り込み、そっとその手首を掴む。
同時にロイドの右手首に軽い圧迫感が生じ、そこを中心に温かいものが広がるのを感じた。腕輪の機能のひとつである、微弱な電磁波がロイドの肉体をゆったりと弛緩させる。
そして傍らの少女は歌を口ずさむ。ロイドは知る由もないが、それは古い時代に愛された歌であった。その歌詞の意味を聞き取り、理解するよりも先にロイドの意識が途切れ、呼吸音は寝息へと変化した。
「おやすみなさい、兄さん」
ロイドのバイタルが休眠状態に移行したのを確認したプレリアの幻影は一言言い残すとそのまま宙に掻き消えた。