9. デビュタントに仕掛けられた罠
わたしってば思ったよりも肝がすわっているのかしら、思ったよりも快適な馬車の旅にワクワクしている自分がいた。
「今さらなんだけど、王宮での舞踏会にわたしたちが参加できるっておかしくない?」
地方で行われる貴族のパーティーならいざ知らず、今日のわたしたちの目的地は‘王宮の舞踏会’。由緒正しき血筋のお貴族様の集まり...王族主催でしょ?普通は絶対に入れないよね??素朴な疑問をヘンゼルに投げかけてみる。
「実は、ハワードはニクストン商会の子息じゃなくて商会を運営しているツゥーレ伯爵家の次男なんだって。驚きだよね。」
「そうだったんだ…って、伯爵家の次男!?」
思わず座席から飛び上がった。
「グレーテル、その驚き方はドレスに似合わないからやめようね。」
お兄様、ほほえみが怖いです。なんだか最近ゲルダに似てきていませんか?圧のかけ方とか...笑顔の圧とか…
「ハワードは、城下で話題になっている上級ポーションが友人の手で作られていることを宮廷魔術師である父君に話したんだって。宮廷魔道医師団長にその話が伝わって、ポーションの鑑定をすることになったそうだよ。鑑定結果があまりにもすごいから、上級ポーションは今現在、すべてが宮廷預かりになっているんだって。」
「えっ?」
「どうやらニクストン商会をとおして、上級ポーションはすべて買い取られて王宮に保管されているらしいよ。ハワードはこの舞踏会に僕たちを連れてくるように指示されていたらしいんだ。」
初耳ですよ!上級ポーションの需要が減ったのはその効力の高さから、必要性が低いためだと思っていた。大変な病気やケガじゃない限り、上級ポーションを使う必要はないんだもの。それが、ニクストン商会に買い取られて宮廷預かり?ヘンゼルはなぜそんなに冷静でいられるんだろうか?あまりに大量の新情報が一気に流れ込み、ショート寸前で処理しきれない。
「ヘンゼル。わたし、問題おこしちゃったの?これって、ひょっとしなくても王宮呼び出しってこと?」
急に不安になってきた。ゲルダがすごい魔術師だから、能力の底上げがされているんであって、わたし自身は貧乏人の捨て子…こんな素敵なドレスを着て、まぶしいほどのアクセサリーで飾られて王宮の舞踏会でデビュタントなんて、やっぱりでき過ぎなのよ。これ、行っちゃダメなやつ...デビュタントなんて夢見ちゃいかなかったのよ。プチパニックで泣きそうになる。
「グレーテル、僕の説明の仕方が悪かったね。心配しないで。今日の舞踏会への招待はハワードを介して正式に王家から僕とグレーテルが招かれたものだよ。」
「王家の招待!?」
さらに衝撃の事実が明かされる…なぜ今???
「ゲルダは承知の上だったから、貴族マナーも上級を指導してくれているはずだよ。心配することはないって笑ってた。そうそう、伝言があったんだ。‘平常心でにこやかにしていれば、身体が覚えているから大丈夫よ’だって。」
ゲルダもヘンゼルも確信犯...確信犯なのね!?何も知らされてなかったのはわたしだけ。知らないまま言われるままに準備したけれど、本当に良かったの?さっきまでのプチパニックの域はたぶん越えてしまった。‘街で知り合った友達は伯爵家子息’で‘今日はわたしの王宮舞踏会でのデビュタント。’おまけにわたしたちは‘王家の招待客…’どう考えたって、何回思い返したってこの状況に自分がいるのはおかしい。
王城へ入門する頃には完全にパニック状態で思考が止まってしまったようだ。馬車は会場近くに止まったはず。そこから舞踏会の会場まで歩いて移動した...はず。でも全く記憶にない。たぶん、ほぼ確実にわたしのオートモードが発動してイケメン兄が完璧にエスコートしてくれたんだろうと思う。きっとそうだ。わたしは完全自動で兄にまかせて歩いただけなんだとは思う…だってそうよ...ホントに記憶にないんだもん。
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この舞踏会がデビュタントであるわたしは会場ホールの隣の広間で、ヘンゼルと入場の合図を待っていた。ダンスやマナーの練習はして来たけれど、その他のデビュタントの準備はすべてヘンゼル任せにしてしまった。会場に到着してから一切あわてずに済んだのは、ヘンゼルが登場の手続きから入場までのルールや手順を把握して完璧にリードしてくれたからだった。ヘンゼルは招待客の到着が落ちつくと、デビュタントの令嬢たちがエスコートを伴いダンスホールへ入場し、そのままダンスを披露することになっていると教えてくれた。今夜デビュタントをむかえる令嬢はいつもより少ないらしくわずか5組。ハワードいわく、入場は一番目立たない真ん中になっているんだとか…そう仕組んだんだとか...?とにもかくにもその5組のダンスは注目の的になるのよね。どうりでゲルダのダンスレッスンが厳しかったわけだ。一組、また一組と大きな扉の向こうへ導かれていくのを見送りながら鼓動が一層大きくなるのを感じる。きっと、たぶん、何番目に入場しようと、わたしたちのダンスもしっかり注目されるはずだ。失敗は許されない。
「グレーテル。また、余計なことを考えているんじゃない?僕と踊って楽しかったことを思い出して?どうしても考え事をしてしまうようなら、この間のように目を閉じてしまえばいい。」
そっと差し出された手のぬくもりが、心を穏やかにしてくれる。ヘンゼルの微笑みが、新しい舞台へ一歩踏み出す勇気をくれる。
「ありがとう、ヘンゼル。楽しみたいと思う。」
「それでこそグレーテルだね。」
「よろしくね、お兄様。」
茶目っ気たっぷりに微笑んで、そっと手を握り返したところで会場につながる大きな扉が開いた。シャンデリアがきらめく大きなホールは、何度か瞬きをしてようやく目に慣れた。
「行こう。」
ヘンゼルの声に身体が素直に反応して、わたしは光り輝く王宮舞踏会の会場へ一歩を踏み出した。
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最初こそ緊張して、ヘンゼルのアドバイスのまま目を閉じてダンスを始めたけれど、ターンを2度するころにはすっかり落ち着いて、ダンスが楽しくなっていた。フロアー全体を使って大胆にステップを展開し始めたヘンゼルの挑戦を受けるように、わたしも大きなステップを踏む。ターンするたびにざわめきが聞こえた気がしたけれど、全く気にならない。二人だけを包む風が気持ちいい。小さいターンはするどく、大きなターンは優雅に大袈裟に、リズムを刻みながらヘンゼルだけを見つめて踊る。楽しんでしまえば、ダンスの時間はあっという間だ。楽団の音楽がゆっくりになり、静かに終わりを告げると、周囲に一礼をする。会場からは大きな拍手が贈られた。こうして、デビュタント最大の注目の的であるダンスは無事に終了した。
そのあとは、国王陛下からお祝いの言葉をいただき、ダンスフロア―は招待客に引き継がれる。それぞれの令嬢は、ダンスパートナーと共に王族への挨拶があり、そこまでがデビュタントの一連の流れだ。
「ヘンゼル、ありがとう。すごく楽しかった。」
「挨拶まではまだ時間がありそうだ。少し休むかい?」
心地よい疲れを感じながらも充実感に笑みがこぼれる。会場では、何組かのカップルがダンスを楽しんでいるが、ほとんどの招待客はグラスを片手に談笑している。ダンスを心から楽しむことはできたけれど、やっぱり緊張はしていたみたいだ。ひどく喉が渇いていた。タイミングよく給仕がグラスを持ってあらわれる。
「お疲れ様。」
ヘンゼルと軽くグラスを合わせ、ほどよい冷たさの果実酒に口をつける。
「美味しいわね。やっぱり、緊張で喉が渇いていたみたい。」
にっこりと笑って二口目をのみ込んだところでクラリと床が揺れた。
「あれ?」
足元が不安定だと思った瞬間。目の前に光の洪水が襲ってくる。
「グレーテル!」
ヘンゼルの驚いた顔が一瞬見えて、珍しく慌てた声が遠くに響いた。
“なんで…?これ、絶対おかしい。”
光の洪水に襲われて身体が急速に重くなる。まぶた一つ自由にならない状態で、わたしは意識を手放した。
ここから少し、お話のテンポと流れが変わります。
いい意味で予想を裏切ることができるといいですが...ドキドキ