8. ドレスに着替えて舞踏会...ってお話変わってません?
前世の記憶はいつも突然に頭の中に浮かんでくる。まるで夢のようだったり、映画を見ているようだったり、短い動画?みたいな時もある...ってこれも全部、前世の受け売りなんだけどね。そんな前世の記憶の中に舞踏会の記憶を見つけて、わたしはさらに軽いパニックを起こしてしまった。ドレスにダンス...どころか何かを飲むにも食べるにもマナーが必要なわけで...1か月しかない準備期間に‘それなり’になれる自信なんてなかったからだ。
「無理!絶対無理だって!!」
悲痛に叫ぶわたしに、微塵も動揺する様子を見せないイケメン兄はこう言い切った。
「強力な助っ人がいるから大丈夫。」
そしてそのイケメン兄の後ろからさっそうとあらわれたのは、これまた麗しい姿に美しい笑みを浮かべたわたしのお師匠様だった。
「グレーテル、わたしが教えるのよ。あなたにできないはずはないわ。」
師匠...笑顔が怖いです!美しいですけれども…怖いです...圧が、圧がすごいです!!
師匠の微笑みの圧に負けたわたしは、その日から舞踏会へ向けての猛特訓が始まったのだけれど、わたしの思考停止中に男性陣が...おもにヘンゼルなんだけど…決めたわたしのデビュタント計画は、本人が知らなくてもたとえ大パニックに陥っていたとしても問題なくすすんでいくらしい。幸いなことに?ゲルダいわく準備は万端...すべて順調なんだそうだ。
「デビュタントの準備はヘンゼルに任せれば何も問題はないわ。あなたはわたしとのレッスンに集中してね。」
にっこり微笑んでいるのに、ゲルダの笑顔に震えるわたしは、本能的に絶対何かを感じているのにそれを言葉にすることさえ拒否している。ちょっと待って…これお師匠が魔法でも使っているのかしら?
お師匠様の圧はすごいけれど、レッスンはとても実りある...ありそうな...あるはずのレッスンだと思える。さすが元宮廷仕え。基礎マナーはもちろん、ダンスに至るまでみっちりとスケジュールに合わせてレッスンが行われている。実りあるはず...って言ったのは他でもなくわたし自身の問題。このレッスンは身についてこなせて初めて意味を成すわけで、現段階での習得率は良くて6割あたりだと思う。
「魔法と一緒よ。イメージするの。どうしてこの所作が必要なのか。この所作を通してどんな自分を演出するのか。舞踏会でどんな自分でありたいのか。それが理解できれば、ぐんと効率も成功率も上がるものよ。」
ゲルダの信頼に応えたい。気がつくと魔法を覚えた頃のように、ポーション作りに集中していた頃のように、レッスンの時間が苦労ではなくなり楽しくなった。唯一、わたしがどうしてもうまくできないのがダンスレッスン。だって、ダンスだとヘンゼルに密着しなきゃいけないんだもの。ドキドキする心音が大きすぎて音楽は良く聞こえないし、あんな尊顔に見つめられたら何も考えられなくて頭は真っ白。みつめきゃ良いんだってうつむいていたって、カウントするわたしに逆らうように、足元はちっとも優雅に動いてくれない。
“ヘンゼルの足...踏んじゃう!ダメ!!危ない!!!”
“カウント、ずれた!間違った!!歩幅がずれてる!!!”
必死になりすぎて、ゲルダには大笑いされるし、ヘンゼルは笑いをこらえようと肩がフルフルしてるんだもん。もう、情けなくて泣きたくなった。それにしたってヘンゼルのダンスが上手すぎる。イケメンに不可能はないってこと?不公平すぎるわ!
「ヘンゼルは運動神経がいいのね。2~3回わたしとダンスステップを合わせただけで、動きをほぼ完璧にマスターしたのよ。恐れ入ったわ。」
ゲルダの説明にわたしはさらに落ち込んだ。
「きっと、わたしにあるはずだったダンスの才能は全部ヘンゼルに与えられたに違いないわ。わたしだって頑張ってるのに、ちっとも上手くならないんだもの。」
「グレーテルは余計なことを考えすぎなんだよ。僕を見ている時は集中できてないみたいだけどね。」
“お兄様、それはあなたのお顔のせいです。”って言えるわけないし…恥ずかしい。
「もう少し、僕を信じてリラックスしてほしいな。たぶん、身体はもうステップを覚えてる。音楽もきっと聞こうとしなくてもリズムはとれるはずだ。グレーテル、せっかくだから楽しまないか?」
“ここでその台詞に、その笑顔。お兄様、反則です!あぁもぉ、心臓...うるさいっ!!”
「顔、赤いよ?」
これはわざとだ。優しく頬にかかった髪をよけて耳にかける仕草が色っぽい。
「だ…だい...だいじょうぶです。」
「目を閉じて。ゆっくり息をして。最初から踊ってみよう。僕がリードするから、目を閉じたままでいいよ。絶対に大丈夫だから安心して。」
言われるまま目を閉じた。ゆっくり呼吸をしたら魔法にかかったように身体が軽くなった。流れてくる音楽が気持ちいい。ヘンゼルがきゅっと優しく手を握ってくれたのが合図。ゆっくりと滑るように足を運び踊り出す。数分で緊張は溶け去りヘンゼルに身をまかせて踊るのが楽しくなった。
「上手だよ、グレーテル。もっと楽しもう。」
驚くことにその日はじめて、わたしは一度もミスをしないで踊ることに成功し、ダンスを心から楽しんだ。
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あんなに心配していたのに、舞踏会を迎える日には、マナーのレッスンも終えダンスも楽しめるようになっていた。
「グレーテル、これ。」
舞踏会に出かける日の朝、ヘンゼルは綺麗な青と銀色のリボンが飾られた大きな白い箱をきれいに片づけられたテーブルの上に箱を置き、わたしに開けるようにと促した。
「なに?」
箱を開けるとそこには薄紫色のドレスが入っていた。ウエスト部分で切り替えになって上下にグラデーションがかかり、裾には銀糸で丁寧な刺繍がされている。一目で高級品だとわかる代物だ。胸元は少し大胆なカットになっているが、肩から首元はレース遣いの上品なシースルーになっていて、肌を見せることはない。肘までのロンググローブで腕も隠れる。
「素敵…」
ドレスのあまりの美しさに、一言つぶやくのが精いっぱいだった。
「グレーテル。これはわたしからよ。」
ゲルダが同じように包装された2つの箱をドレスの横に置いた。
大きめの箱には銀の刺繍が入ったシースルーのドレス用シューズ、もう一つの箱にはドレスに合わせたアクセサリーが入っていた。
「お師匠様、これ…プラチナにタンザナイトだったりしませんよね?」
貧乏性の自分が憎い。世にも素敵なアクセサリーを前になんで別の心配しちゃうかな...わたし。どう見たって高級品にしか見えないんだもの。気にならいなんていったら嘘よ。
「ヘンゼルの選んだドレスに合わせた靴。それとアクセサリーはヘンゼルに合わせたのよ。ほら、その辺は...ねっ」
”師匠!かわいくウインクしてごまかそうとしないでください!!”
否定されないということは、たぶんわたしの予想はあたったのだろう。プラチナ台に小粒とはいえふんだんに使われているタンザナイトはドレスの色を濃くした紫であり、ヘンゼルの瞳の色より深い青みのかかった宝石だ。どうしてアクセサリーを一目見て宝石が言い当てられたのか…その時は疑問にすら感じなかった。でもこれも前世の記憶...なのかな?で片づけちゃえる最近の自分の適応能力が怖い。
そこからはじっくり時間をかけて舞踏会の支度が始まった。ゲルダいわく、これは‘令嬢として作りこむため’の必須事項らしく、ゆっくりバラの湯につかり、身体をほぐし、胃を吐き出すんじゃないかしらと思うくらい、コルセットが締め上げられドレスに身を包んだら、サイズの微調整をゲルダが魔法でしてくれた。当然ながら、仕上げのメイクも、耳の後ろあたりでまとめられたアップの髪も大魔法使いにかかれば一瞬で完璧な仕上がり。玄関先には王子様...もとい、イケメン兄がわたしをお出迎えしてくれて、どこで用意したのか、立派な馬車が待っていて、そこにエスコートされた。
”あれっ?エスコートはともかく、ドレスで馬車で舞踏会って…なんか別の話っぽくないかしら?タイトル...なんだっけ?馬車に乗ってしばらく、変に考え込んでしまったが、思い出せないのであきらめた。大丈夫、大事なことなら思い出す...はずだもの。”
何かが一瞬、引っかかった気がしたけれど、舞踏会の心配に忙しいわたしの頭からその思考はすぐに消えてしまった。
“え~い、ままよ。このさい楽しんじゃった者の勝ちよね”と盛大に開き直った。