7. デビュタント計画⁈
結論から言えば、街に出たことはとてもいい気分転換になった。人の多さに少し圧倒されたものの、ワンピースでツインテールのわたしは、多分...違和感なく街に溶け込めていたはずだ。けれど、街の人たちと同じような格好をしているのに、どうしても隠し切れないイケメンオーラが溢れ出すヘンゼルは、なにをしても目立ってしまう。それゆえにヘンゼルがどこへ行こうと女性たちからはたくさんの熱い視線を送られている。だが、彼はそんな視線のどれ一つにも反応しない...いや、全く気付いていないようだった。ただ、ヘンゼルが気がつかないまま平然とわたしをエスコートなんてしているものだから、わたし自身は向けられる視線で大怪我しそうだった。
「ねぇ、ヘンゼル。このお店、とても素敵ね。」
あちこちから女性たちの視線は遠慮なくわたしに突き刺さってくる。確かに痛い...痛いんだけれども、しばらくすればそんな無遠慮な視線にも慣れるものだ。慣れてしまえばこっちのもの。気づけば思ったよりもずっと街の散策を楽しんでいる自分がいた。案外、わたしは図太い性格らしい。
「すごく美味しそうな匂いがするわ。何かしら。」
森での生活は充実していてとても楽しいけれど、街並みの中で見つけるお店や美味しそうな匂いを漂わせる屋台にウキウキするのは、また少し違った感覚だった。そして、その感覚を心から楽しんでいる自分の気持ちは隠せないでいた。いつもどこかで戻らない記憶に不安を感じ、あふれてくる前世の記憶に振り回された。それでもちゃんと生活していきたくて必死に魔法を覚えた。純粋に楽しいとだけ感じられることがひどく幸せに思えて、ヘンゼルが変わらず傍にいてくれることが嬉しくてわたしは多分…浮かれていた。
「グレーテル、楽しそうだね。」
そんなわたしを見つめながら微笑む兄は、記憶が戻らないことを考えればわたしよりももっと不安なはずなのにそんなそぶりを少しも感じさせない、外見はもちろん心も極上のイケメンなのだ。
「ヘンゼルっていい男よね。」
いつもの調子で思ったことをそのまま言っただけなのに、ヘンゼルの顔はみるみる赤くなった。
「不意打ちはずるいぞ。」
ぼそっとつぶやいた声は、聞こえるか聞こえないかわからないくらいだったけれど、そんな一言よりも、ヘンゼルが真っ赤になったことにわたしは動揺してしまった。
“なに...その反応。ドキドキさせられるのはいつもわたしなのに…なんか...えっ?”
動揺って映るのかもしれない。ヘンゼルの赤くなった耳元を見つけて、わたしまでなんだか顔が赤くなった気がする。突然、わたしたちの周囲の空気が変わった。
“これ、なんかダメなやつ...?”
真っ赤になったヘンゼルがひどくかわいく見える。からかったのなら笑えばいいのだけれど、さっきの一言はわたしの本音だ。その本音に素の反応が返ってきた。
“コレ…素で照れてるんだよね?”
バクバクと心音が耳元で大きくなっていく。
「あれ?ヘンゼルとグレーテル?」
おそらく一瞬という短い時間の中、危うい方向へ向かいそうになっていたわたしのなかの怒涛の思考が破られたのは、街での商談を成立させた時に知り合った大手商会の子息、ハワード・ニックストンが声をかけてきたからだった。正直、ホッとした。あのままだったら、考えてはいけないことを考えて、たどり着いてはいけない結論に気づいてしまった気がする。正直、どんな顔で何を言ったらいいかわからなかったから、プツリと切れた思考が心の平穏をさっと引き寄せた。ヘンゼルのほうも、いつも通りに戻ってくれたのでホッとした。
「ハワード。偶然だな。」
商品の取引をするようになって、ヘンゼルとハワードはすぐに仲良くなった。お互いとても話しやすいらしい。それにゲルダの家には同性がいないのだから、男友達と話せるのはやはり楽しいのだろうか。
「これから一緒に、飯でもどうだ?」
ハワードの気軽な誘いにヘンゼルがわたしに視線を送ってくる。
「もちろん、いいに決まってるじゃない。大事なお得意様でしょ?」
冗談交じりにそう答えるとハワードが他人行儀だと文句を言い始めたので
「グレーテルはお前のその反応が見たかったんだと思うぞ。」とヘンゼルが笑い飛ばした。
“イケメンの破顔...尊い”
思わず拝みそうになったわたしの手をひいて
「行こう。」とヘンゼルが歩き出す。やっぱり優しい。
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街に詳しいハワードのおすすめのカフェは、男性向けのがっつりメニューと女性心をわしづかみのスィーツメニューが充実した文句なしの素敵なお店だった。
「多分、この店もお前のバイソンは購入したがるんじゃないかな?興味があるなら打診してみるぜ。」
さっきまで、ランチについてあれこれ話していた二人の会話は、いつの間にやら商談になっている。
「バイソンは見つけるのが難しいから、どうしても不定期になるんだよ。商談を成立させるのは難しいんじゃないか?」
あっという間にビジネスモードだ。わたしはそんな二人の会話には気づかないフリをして、食後のケーキスペシャル、トリオセットを楽しんでいた。ミニサイズのシュークリーム、チーズケーキ、ザッハトルテという組み合わせが何とも憎らしい。このトリオに合わせてブレンドされた紅茶も癖のない柔らかな香りと口当たりだ。以前の自分にはこんな生活はできていなかっただろうなと思った。記憶にはなくても貧しい生活で親に捨てられたのは事実のはずなのだ。目覚めたときポケットに入っていたのは味気ないクラッカーだけ…何よりもそれが証拠だろう。ふとそんなことを考えたら、楽しかった気持ちがしぼんでしまった。
「グレーテル、どう思う?」
落ちていきそうな気持を止めたのはヘンゼルの一言だった。
「えっ?何が?」
「お前、聞いてなかったのかよ。」
ハワードが悪態をつく。
「ごめん。ケーキに夢中になってた。」
笑ってごまかしてはみたが、上手く笑えたか自信はない。
「僕たちの商品が王都でも話題になっているらしいんだ。ハワードがニックストン商会の子息として招待された王宮の舞踏会に僕らを同席させられるから、ビジネスを拡大させないかって。」
突然のことに言葉が出ない。
“ちょっとまって…いま、この人舞踏会って言った?舞踏会ってあのドレス着て馬車に乗ってお出かけするアレだよね??”
ぐるぐると乏しい知識が飛び交いながら、自分なりに状況を整理しようとあがいているようだ...とはいえ、情報も知識も足りなさすぎて考えていることは全然建設的じゃない。
「グレーテル?大丈夫かい?」
気づけばイケメン兄が急接近‼
”うわっ!ビックリ….ってか心臓止まるから、至近距離からのイケメンビームやめてください!!!”
わたしはバクバク走り出す心臓をなだめる術を見つけられないまま、みっともないくらい口がパクパクと動いているのに、何一つ声に出せずにいた。
「1か月後、王宮である舞踏会にハワードが一緒に行かないかって誘ってくれたんだ。僕たちのビジネスを大きくするチャンスだとも思う。グレーテル、一緒に行かない?」
丁寧なご説明...ありがとうございます。でも、わたしの思考はここで一旦停止中。
“舞踏会って、舞踏会だよ?ドレス着てウフフ、アハハの舞踏会!平民のクラッカーしか食べるものが持ち出せなかった捨てられちゃった子が出席できるわけ?いや…出席していいわけ?ダメよね…ダメなやつ...ってかムリでしょ...ムリな奴よね?”
一部訂正…思考は停止していなかった。怒涛の勢いでボケに突っ込み、解説にいいわけが頭に流れ込んできて軽くめまいがした。
「初めて社交界にデビューする...グレーテルの場合、この舞踏会に参加することがデビュタントになるんだって。僕がちゃんとエスコートするから、行こう。」
“脳内整理に忙しくしているうちに、ヘンゼルの中で舞踏会参加は決定になってしまったの?わたしまだ何も言ってないわ。でもエスコートしてくれるって言った?それは素直に嬉しいかも...この場合、兄のエスコートはありなのよね?でも、わたしが隣でいいのかしら?”
脳内の思考暴走が止まらない。大変なことになってしまった…どうやらわたしの思考と感情が落ち着くよりも早く、わたしのデビュタント計画は実行にうつされるようだ。