6. 森の生活
生活が便利になると、少しずつ時間に余裕ができたので、ゲルダのポーションづくりも手伝うようになった。魔道具の修理や開発には知識が全然足りないが、“ポーションなら習うより慣れろよ”とゲルダが言うので、挑戦してみることにしたのだ。覚えたのは治癒ポーションのみだったが、1種類だけ作ることにした。理由は単純だ―レシピを書き留めることを禁じられていたから。ポーションは信頼関係のある子弟間で口頭で伝えられるもので、悪用を防ぐため書き起こすことは禁戒とされてきた。口頭で伝授され改良されてさまざまなポーションが生まれてきたのだが、その効力や効能は作り手に左右されるらしい。治癒ポーションの重要性は森で暮らしていたってよくわかることだったし、高品質の上級ポーションともなれば王都の貴族様以上の人くらいしかお目にかかったことがないんじゃないかというくらい貴重なものだ。
「治癒魔法が使えるわたしが上級ポーションを作れるようになるって可能性はある?」
ポーション作りを始めたばかりの頃にゲルダに聞いてみた。単なる好奇心だったが、自分の能力がどれくらいのものか想像もつかなかったのでお師匠様に聞くのが一番早いと思ったのも事実だ。
「それは今教えられないわね。」
ゲルダが曖昧に笑ったことでわたしは何となく可能性が低いんだろうなと思った。初級ポーションを1週間で合格ラインまでの品質に仕上げ、中級ポーションもその数倍の時間がかかったが品質に問題なく作ることができるようになったときゲルダが大笑いしながらこう言った。
「やっぱりグレーテルの治癒魔法はすごいわ。上級ポーションも問題なく作れちゃうレベルよ。」
「へっ?」
間抜けな声を出してしまったが、お師匠様いわく初級ポーション完成までの速度と中級ポーションの完成度を見れば上級ポーションが高品質でできることはほぼ確定らしい。お師匠様は最初から上級ポーションができるとわかっていたが、習得を急げばそれだけポーションへの集中力がそがれてしまう。一つずつ丁寧に確実に完成させてこそ意味のある作業だと、あえて上級ポーションの可能性の返事をしなかったらしい。さすがはお師匠様...一枚上手だ。そうして初級も中級も安定した高品質のポーションを生み出せるようになったわたしは、より一層ポーション作りに取り組んだ。そしてついに、初級、中級、上級の三段階のポーションが作れるようになった。
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ゲルダに認められるポーションが完成してからというも、治癒ポーションの製作はすべて任されるようになり、森の近くの小さな町の教会への納品もわたしが担うことになった。医師や診療所が身近にない小さな町では特に、治癒ポーションは人々の生活を大きく変えることができる。病におびえていた町の人たちの健康は守られ、疲労回復の効果で仕事の効率が上がれば生活もゆっくりだが確実に豊かになっていく。町は活気にあふれ、交流も盛んになり物流も活性化される。最初は経済的に自立することを目的としていたが、自分の作ったものが人の役に立っていると知り、それが何より嬉しくて励みになった。
ある日
「ジャーキーって自家製できるんだ…」
わたしが偶然、前世の記憶の中にジャーキーのレシピを見つけてふとつぶやいた瞬間、
「これなら僕にもできると思うから、任せてくれないかな?」
ヘンゼルがわたしの両手を包み込んでそう言った。繋がれた手に驚いて顔をあげれば、そこにはキラキラ2割増しくらいの笑顔が…
“お兄様...お顔が近うございます…!!やっぱりイケメンの破壊力...すごい”
思考回路は見事にショートし、気がついたらわたしはレシピを手渡していてジャーキーはヘンゼル担当となっていた。とはいえ魔法の応用でジャーキーを作るのだ。試行錯誤は続いた。それでもヘンゼルは根気よく実験を重ねて、わたしが上級ポーションを完成させる頃には全員のほっぺたが落ちるような‘美味なる一級品’を作り上げた。
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森での魔法使いの弟子としての生活は、正直言って快適だった。ゲルダの家事をカバーできることは大袈裟ではなくかなりの助けになっているのが明らかだったし、ヘンゼルにも役割分担がなされていて、3人での生活はお互いを助け合うことでスムーズに回っていた。それでも金銭面ではゲルダにすべて頼り切りなことにわたしもヘンゼルも納得しきれていなかった。だからこそポーションが役立って売れるようになり、ヘンゼルの一級品ジャーキーも街のグルメアイテム兼保存食として人気を確立したのは、わたしたちの生活の転機になった。加えてさまざまな森の恵みが前世の記憶で作り出した真空パックを応用して新鮮なまま街のレストランと取引されるようになって収入源になった。これも素直に嬉しかった。もちろん、限定品という希少価値を上げる戦略も利用してゲルダの‘共存’という教えはちゃんと守って商談を成立させた。やがて上級ポーションが少し離れた街から訪れていた行商人の命を救ったことで一気にわたしのポーションの知名度が上がり、その行商人の紹介で街の診療所でもポーションが使用されるようになると、ヘンゼルの商品も同じように人気を博し、二人とも収入が安定してようやく、ゲルダの居候から卒業できてホッと息をついた。
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「そろそろ、二人一緒に街にでも出かけてみたらどう?」
いつものように3人で朝食を食べている時に、突然ゲルダが思いついたように言った。
「あの日以来、あなたたちはこの森を出ていないでしょ?」
捨てられたという事実から目を背けたかったのか、無意識だったのか、森の外へ出ることをわたしもヘンゼルも一度も望まなかった。それぞれの役割を果たし、自由な時間はそれぞれの魔法を生かして仕事をし、そうして日々を過ごすことに一切の疑問も違和感もなかったからっだ。
「街か…」
言葉にしてもピンとこない。ゲルダに出会ってからいくつか季節が過ぎていったが、わたしたちの記憶は戻る気配がなかった。確実に前世の記憶のほうが、より鮮明に思い出されここでの生活に役に立っている。わたしがどんな人間だったかは知る由もないが、思い出す必要性を感じなかった。となりに座るヘンゼルをチラリと見てみる。ヘンゼルのほうも断片的に日常生活の中で‘やったことがある’とか‘はじめてだ’というかなり大雑把な記憶は思い出している様子だったが、自分が誰なのかということに関しては手掛かりになりそうなことが一切思い出せないでいた。
「ヘンゼルはどうしたい?」
状況としてはわたしより残酷であろうと想像がついて、ヘンゼルの意向を聞いてみる。
「そんな心配そうな顔をしないで。僕は純粋に街に興味があるから、行ってみたいかな?グレーテルはどう?不安だったりする?」
彼はどこまでも優しい。出会った時からそれは変わらない。わたしとよほど仲が良かったのだろう。この人が冷たくするところなど、想像もできない。ヘンゼルの優しい微笑みに勇気づけられて、わたしたちは街へ出てみることにした。まさかそれがあんな出来事を引き起こすなんて想像さえしていなかった。いや…想像できたらそれはそれで怖いんだけれども...街での出来事は何もかもがわたしの想像の斜め上をいきすぎて理解することさえ時間がかかってしまったのだ。優しいイケメン兄...ヘンゼルの責任...そう、責任はヘンゼルにあるんだけどね。でも、お兄様じゃ「責任取って!」なんて言えないじゃない!!