2. お菓子のおうち発見
クッキーを食べ終わるとヘンゼルに相談して、とりあえず森の中を移動してみることにする。もちろん、自分の中の変な記憶とお菓子の家のことは内緒のままだ。だって、どう考えたって、どう説明したってそんなの‘変’だよね。お菓子の家なんて現実味ゼロだし、誰が何の目的で‘ソンナモノ’を森の中に作ったのかなんて説明できるはずがない。わたしの中にあふれてきた奇妙な記憶のしかもその中で見た物語が根拠なんて説得力もゼロだ。だからとりあえず、自分たちが残したかもしれない目印を探してみようってことにした。どういういきさつで森に来たのかはわからなくても、帰り道が分かるようにするくらいの工夫はしただろうというもっともらしい理由付けをしてみたのだ。原作通りなら小石を落として帰り道の目印にしていたはず…でも、それらしい小石が見当たらない。今回は何か別のものを落としたのだろうか…どれだけ探してもそれらしいものはない。
「手がかりがないよ…」
森を少し歩いたところで周囲を見回して愕然とする。わずかな記憶を頼りに行動に踏み切ったけれど、それが正解なのかさえ自信がなくなってきた。
“これって迷子...というより遭難?”
ヘンゼルに記憶がない以上、自分が何とかしなければいけない。焦る気持ちを押し込めて深く深呼吸する。木々の合間から見える高い空はどこまでも澄んで青い。目を閉じて思考を止め、心が落ち着くのを待った。不安はパニックをひき起こす。混乱すれば判断力は鈍り、さらなる不安をかき立てる。悪循環の出来上がり。それは避けなければならないと本能的にわかった。遠くで鳥のさえずる声が聞こえる。風の音も優しい。木漏れ日は暖かく、木々のざわめきもゆっくりと思考を回復させるのに一役かってくれた。
もう一度深呼吸をしてゆっくり目を開ける。落ち着きを取り戻して辺りを見回すと、不思議とどこへ向かって歩けばいいのかがわかった。不安の霧が晴れれば足取りも軽くなる。
「グレーテル...?」
まだ呼び慣れない名前をヘンゼルが呼ぶ。
「どうしたの?」
なにも思い出せないということは相当なストレスのはずなのに、ヘンゼルは不安そうな顔を一切しない。わたしを信じてくれているのだろう。森を移動しようと提案した時も、水と食料の確保もかねて行動することをすぐに賛成してくれた。今だって勝手に突き進む自分に黙ってついてきてくれる。ずんずんと無言で進むわたしの後ろを歩きながら、ただ単にそれについてくるだけじゃなく、さり気なく周囲を警戒してくれている。そんなところに彼の本質的優しさがうかがえる。
“イケメンでしかも優しいって…反則だわ。”
兄だと分かっていても、曖昧で不安定な記憶ではドキドキが止められないらしい。ましてや、さり気ない優しさで微笑みかけられれば頬が熱くなるのだって自然現象だろう。そんなふうに言い訳がましく自分を諭しながら、同時に兄の三活用を頭の中で呪文のように繰り返す。なんとも滑稽だ。
「君は大丈夫?」
多くを語らないながら優しく強い瞳がわたしの心を気遣ってくれる。
「ん…不安はあるよ。でもなんとなくこっちでいいって気がするの。そんな確信のない勘だよりなんだけど、ヘンゼルは一緒に行ってくれる?」
たぶん、こんなしおらしいのはわたしの元来のキャラじゃない。でも不安な時に人の優しさに触れると、少なからず素直になれる魔法がかかるらしい。有無を言わせず森の中を進んできて今さらな気もしたが、ヘンゼルに自分の正直な気持ちをさらけ出す。
「僕の記憶は頼りにならない。不甲斐ないのは僕の方だよ。ついて行くくらいしかできない。今は君の勘が僕らを導いてくれる。グレーテルの思うまま進んでみよう。森の危険からは僕が守るから安心して。」
真っすぐに見つめられてやっぱり頬が熱くなる。この状況でこの発言...イケメン(兄...だよ兄!)はやっぱり罪な生き物だ。
「ありがとう。」
爽やかな笑顔が直視できず恥ずかしくなったのでうつむいてしまったが、お礼だけはちゃんと伝えた。どんな時も、礼儀を欠いちゃいけないわ。自分の行動に変な理由付けをしてしまうあたり、思いっきり動揺しているのだろうがそれすら気づかない重度なわたしは、やっぱり頭の中で彼は兄だと呪文を繰り返すのだった。
滑稽な脳内の自分を黙止し、気を取り直して森の中をあるいていく。少しだけ踏みならされたような跡があるということは、人が通った形跡だろう。猟師が通った後かもしれない。おそらく、森の外へ向かうというより、森の奥へ向かっているのだろうがそのわずかな道の形跡をゆっくりたどって歩く。
しばらくすると風に乗って甘いかおりが漂ってきた。なんとも不自然だ。
「甘いかおりがするな。」
わたしが甘い匂いに気づいたと同時に、ヘンゼルも辺りを見回して大きく息をする。
「たぶん、あっちからだと思う。」
かおりをたどるというよりは、記憶の中の自分が知ってる"その場所"を指し示す。
「グレーテルは何があるのか知ってるのか?」
ヘンゼルが不思議そうに尋ねる。
「‘何かありそう’って予感はするよ。」
ちょっと茶目っ気をだして笑ってみる。でも、‘何がある’という名言は意図的に避けた。‘何’を知っているのか、どうして‘それ’を知っているのかが説明できない以上、あまり突き詰められると困るのは自分だからだ。
「行ってみよ。すぐそこだと思うから。」
「わかった。」
それまで少し後ろを歩いていたヘンゼルがスッとわたしの手を取って少し前を歩き出す。ここからはリードしてくれるつもりだろうか。つないだ手が暖かい。
「ここを真っすぐ...でいいの?」
振り返ったヘンゼルの巻き毛がふわりと揺れる。
「うん。」
ヘンゼルが軽く手を握りなおして森の奥へ進んでいく。半歩遅れて歩くわたしのそのすぐ先に見えるヘンゼルの背中が頼もしい。本来ならきっと、ヘンゼルはいつもこうして手を引いてくれる立場なんだろう。妹の自分を守って歩く姿がとても自然だ。わたし自身、その後ろを歩いていることにもなんら違和感がない。たぶん、これがわたしたちの普段の姿なんだろうと漠然と思った。
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数分もしないうちに森が開けたかと思うと、目の前に可愛いおうちが見えた。大きくは見えないが、小さすぎるわけでもないその家は、わたしたちが目覚めた場所によく似た森の中の小さな広場といったような場所の真ん中に建っていた。とんがった屋根はカードを重ねたみたいに支え合っているから、おうちのカタチは三角形だ。その屋根の上の方には丸い窓がついている。森の中にある一軒家。自分の記憶にあったソレが目の前に建っている。
"コレってやっぱり..."
ガラス飴でできたその窓はきれいな薄い空色をしている。屋根から真っすぐ伸びた煙突はレンガ造りだがクッキー...いや、これはミルフィーユにも見える。前庭にはパンケーキが積んであるような丸テーブルにマカロンのクッションが並べられていて、花壇の土は多分ブラウニー。甘いチョコレートの香りがする。その花壇に咲いている花は全部砂糖菓子...かな?触ったら崩れてしまうのだろうか...。柱はチュロスきっとだろう...シナモンシュガーの匂いが美味しそうだ。お腹がすいているわたしたちの五感には媚薬…猛毒...拷問…。なけなしの理性を総動員して目の前のその家をまじまじと見つめる。これは空腹が見せた幻覚か、はたまた試練ともいうべき現実なのか。
ちらっとヘンゼルの様子を窺ってみる。食いしん坊は確実にわたしのほうだから、これが幻なら私にしか見えていないはずだ。となりに立つヘンゼルも驚いた顔をしている。何度も瞬きをして浅く息をしている...というよりかおりを確かめている...?
どうやら間違えようがないようだ。わたしたちがたどり着いたのは森の中にある何とも不思議なお菓子のおうちだ。
お菓子のおうち...美味しそうですよね。
書いてるうちに何か食べたくなってきましたw(危険思考...要停止デス)