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10. 罠に落ちた令嬢




 華麗にかつ可憐にダンスを踊り切った美しいパートナーが、喉を潤してにこっりと微笑んだ直後に突如としてふらりと床に崩れ落ちそうになる。王家主催の舞踏会でゲストが倒れるなんてことがあれば由々しき事態だ。しかも、その倒れた女性が今夜がデビュタントの令嬢の一人で王族に挨拶も済ませていないとわかれば、確実に醜聞になる。ヘンゼルは周囲に悟られることがないようにさっとグレーテルを支えて控室へと姿を消す。こういうとき、持つべきものは準備のいい友人だ。初めての舞踏会で何が起こるかわからないからと、プライベートで休める控室をハワードがあらかじめ知らせておいてくれた。ヘンゼルはその控室へグレーテルを連れて移動したのだ。



 「ヘンゼル、どうした?」


 異変に気付いたハワードが慌てた様子で控室へ入ってくる。ソファーに横たえられたグレーテルはぐったりしている。人の数にあてられたとか、緊張のあまり気を失ったとか、そういうレベルではないのは一目瞭然だ。いつも白磁器のような美しい肌をしているグレーテルだが、その美しい肌色は失われ、頬に赤みがなく、まぶたは薄く青白く影がかかったようだ。


 「グレーテル嬢の顔色がひどく悪いな。何があったんだ?」


 「わからない。ダンスの後に果実酒を口にしたんだ。微笑んでいたのに突如意識を失ったように見えた。力なく床に崩れ落ちそうになったのを慌てて抱きとめてここへ運んだんだ。」


 「突然倒れたのか?」


 「ああ、何の前触れもなく突然。」


 ハワードが少し考える様子を見せてヘンゼルに向き合う。


 「お前は、果実酒をのんだのか?」


 「一口…」


 「体調は?」


 「問題ない。」


 ハワードが少し考えてヘンゼルを見る。


 「グラスは?」


 「ここに。」


 あの状況でなぜグラスを持ち出すことにしたのかはわからないが、ほとんど無意識にヘンゼルはグラスを掴んでグレーテルを抱きかかえてダンス会場を出たのだ。いわば勘に近いものだったのだろう。グレーテルの様子がいつもと違うことや倒れ方が普通じゃなかったこと、確証はなかったがグレーテルが口にしたものが重要な物証になる気がしたのだ。


 「やはり、果実酒が?」


 「わからない。」


 ヘンゼルに影響がなかったことを考えると、グラスに残っている果実酒に何かあるのは考え過ぎなのかもしれない。それでも貴重な可能性の一つだ。ハワードはこの出来事の物証として早急に魔法騎士団に分析してもらえるよう控えていた騎士にその手続きを依頼する。そしてほぼ同時に近くに控えていた従者にも指示をだし、王宮医師と父親であるツゥーレ伯爵を呼びに行かせた。さすが貴族というべきか、ハワードに迷いが一切ない。そしてまた、父親であるツゥーレ伯爵の対応も早かった。従者に指示を出してから数分も待たずして、伯爵が王宮医師らしい人物と一緒に部屋にあらわれると、すぐに状況の確認が始まる。


 「父上、友人のヘンゼルとグレーテル嬢です。デビュタントのダンスを終えたばかりのグレーテル嬢がさきほどゲスト用の果実酒を飲んで意識がなくなったそうです。」


 「他のゲストは無事なようだな。」


 「はい。彼女にだけ影響があったことを考えると、グレーテル嬢が狙われた可能性が高いとは思います。」


 いつも飄々としている次男の慌てた様子に、この二人がハワードにとって大切な友人だということが伺える。


 「なにか思い当たることはあるのか?」


 「彼らは王家の招待客、そしてグレーテル嬢はあのポーションの製作者です。しかしそのことは誰にも知られていないはずなのですし…だからなぜ彼女が狙われたのか私にはさっぱりわかりません。」


 「ハワード、この王宮に誰にも知られていないことなど存在しないぞ。彼女のポーションが存在し、それを王宮で管理している時点で、この事実を把握している人間は必ずいる。そして、それを面白く思わない人間もな。この段階で、彼女がターゲットではなかったはずと結論付けるのは早すぎるだろう。」


 「そんな…」

 

 機密事項というのは秘匿するのが一番難しい。人の口に戸は立てられないし、ましてや好奇心をかき立てられれば人は本能でその欲望を満たそうとする。秘密を知る者にとって掴んでいる情報はとてつもなく有益で、どう使うかはその人物の矜持によるところが大きく、使い方によっては金の卵となる。そして当然、誰かの秘密を握るためには手段を選ばない人間も必ず一定数は存在する。心根の優しいハワードはいまだに人を信じている節がある。けして悪いことではないが、相対する人の心の闇と瞳の中に翳る嘘を見抜けなければ、貴族社会では一人前とは言えないだろう。


 「お前もまだ甘いな。」


 「そのようです。」

 

 わずかに落ち込んだ様子を見せる息子に苦笑いをしながら、ツゥーレ伯爵は王宮医師に診断を仰ぐよう告げると、意識がなくなったという令嬢を確認する。その瞬間、伯爵の顔色が変わる。貴族社会で生きていれば動揺を隠す術は身につけなければならない必須の技だ。宮廷勤めともなればよほどのことがない限りどんな感情も顔に出ることはない。だからそれは、当然ツゥーレ伯爵にも備わっている処世術だった。しかし、グレーテルの姿を見て確かにツゥーレ伯爵は動揺した。さいわいにも、その一瞬の動揺は即座に押し込められ、控室にいた誰一人にも気づかれることはなかった。ツゥーレ伯爵は王宮医師に何か耳打ちして、ハワードに自分以外の人間はこの部屋に入れるなと強く言い残し少し足早に部屋を出て行った。


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 光の中を漂っている感覚がある。まるで身体は存在せず意識だけがはっきりしているような不思議な感覚だ。身体は動かせない...というより身体の感覚がない。不思議な空間を漂いながらグレーテルに見えているのは前世の記憶だった。両親を交通事故で亡くし、祖母に引き取られた。幸いにも資金を残してくれた両親のおかげで大学は無事に卒業することができ、それなりの企業に就職した。地味で一人でいることを好んだのはもともとの性格もあるが、育った環境も大きかったかもしれない。大勢の人とかかわるのが苦手だった。会話をするのも得意ではなかったが、それ以前に共通の話題というものの見当がまったくつかなかった。就職して数年後、優しかった祖母を見送り、本当の意味で一人になった。そして抱えきれない孤独を感じそのまま殻に閉じこもってしまった。暖かな光の中であらためて前世を思い出すと、一人を選んで生きてきたと思っていたが、実は大事な人を失うことが怖くて、無意識に人に関わることを避けてしまっていたんだと気づかされた。そんな前世の自分の人生はボールを追いかけて道路に飛び出した子供を助けたことで終わったようだ。あの時は気付かなかったが、助かった子供が泣いているのを見てホッとする。自分はちゃんと人とかかわれたんだって思うと…誰かを助けることができたんだと思うと純粋に嬉しかった。


 >>>>>>>><<<<<<<<<<


 ツゥーレ伯爵の指示で即座に治療にあたった王宮医師は、治療魔法を施そうと両手をかざして驚いた。彼の光魔法に呼応するようにグレーテルの身体が淡く光り始めたのだ。一瞬、治療効果なのかともおもったが、その光はグレーテル自身から放たれており、そこへ他人の魔力をながしこむのは危険だと判断された。


 王宮医師の診断では、グレーテルは魔力酔いを起こしているということだった。ぐったりと動かないグレーテルは、一見静かに眠っているだけのように見えるが、なにものかによって精神関与の魔術を仕掛けられたらしく、意識が戻る可能性は現段階で50/50だと告げられた。けがや病気などとは違い、魔力酔いの場合、できる治療方法はどうしても限られてしまうのだ。緻密な魔力コントロールができなければ、どちらかの魔力が枯渇する可能性がある。魔力が 失われれば、生命にかかわる。そして精神関与の魔術の解除の場合は、それ以上に深刻だ。グレーテルを救うためには、彼女の魔力と相性のいい人物が魔力量のバランスを取りグレーテルの意識を拾い上げなければならない。診断をした王宮医師ではできることがないらしい。当然かもしれない。あの大魔法使いゲルダの認めた弟子…グレーテルの魔力の質と量は、精鋭と名高い宮廷魔術師団をもってしても同等レベルの人物を見つけるのは難しいだろう。加えて、グレーテルを包む光が何を意味するのかもハッキリとしたことが分からず、判断に困っていた。未確定要素が多いなかで、一つだけわかったことは、この光がグレーテルに害をもたらしているわけではないということだけだった。ヘンゼルはもどかしくグレーテルを見つめた。その瞳は妹を見つめるソレとは何か違う...しかしそれを指摘する人間も、それに気づく人間もそこにはいなかった。


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