前編
その日、大倉雅典は屋外のコートでバスケットボールに興じていた。
雅典は自らドリブルしながら、ゾーンディフェンスで固めた相手3人の守備をかわしてゴール下へたどり着くと同時に右手でシュートを放った。
「えいっ!」
相手の選手は、雅典のシュートしたボールがそのままゴールに吸い込まれる様子に唖然としている。何しろ、雅典は大学時代に関東大学バスケットボールリーグでベスト5に入った経験を持つ実力者である。
「バスケットをやめてからかなり経ってはずですよね」
「どうしてあんなに上手にプレイできるのか」
「そんなことを言われても……。ここへ戻ったら、身体の中に宿るバスケットの血が騒ぐもので」
雅典がいるこの町は『バスケの町』と銘打っており、駅前にはその場でプレイすることが可能なバスケットのゴールが設置されている。
一方で、この町は約40年前に起こった悲しい歴史を持っている。大地震による津波によって、港の近くで工事に従事していた作業員ら数十人の尊い命が奪われた。
港の正面には、犠牲者の追悼と津波防災の教訓が込められた犠牲者慰霊塔が建てられている。だが、雅典はこの港へ向かう前にバスケ仲間からは次のように忠告されている。
「大倉さん、亡霊に関心を持っているのは分かるけど……」
「必要以上にあの慰霊塔を被写体にしないほうがいいぞ。あそこには本当の亡霊がいるという噂があるし」
港近くに愛車のワゴンを駐車すると、雅典は動画配信に必要なカメラとそれを固定するために三脚をトランクから取り出している。手慣れた様子で準備するのは、雅典が民放テレビ局で伝え手として活動してきたからに他ならない。
「立ち位置はいつもの通りだな」
元局アナであるが故に、自分が被写体になったらどのように映り込むのかを頭の中で考えている。
雅典は、アナウンサーをしながら記者としても取材活動を長年にわたって続けてきた。ある時はニュース番組のキャスターとして、またある時はドキュメンタリー番組の長期取材とナレーションの担当として……。
そもそも、慰霊塔は防災力の強化の象徴として何度も登場しているし、雅典もこの場所でレポートを複数回にわたって行ったことがある。
一方で、こういった場所では死者の霊が漂っているという話は幾度も耳にしている。これが興じて、雅典は取材の合間に死亡事故の現場や戦没者の慰霊碑、閉山した鉱山の廃墟などで自らのスマートフォンにて写真を撮ることが多くなった。
ドキュメンタリー番組を批判なしに喝采する批評家からは、報道記者がこんな私的なことをするなと眉をひろめることが少なくないだろう。こうして、報道やドキュメンタリーにおける批評家や放送関係者が論じる考え方に雅典は辟易するようになった。
「やりたいことがあるのに、使命感が優先なんて……」
報道部のデスクや管理職との間で、雅典は番組方針を巡って次第に大きな溝が生じることとなった。好きな仕事だからと入社したはずなのに、使命感という名のもとに惰性で仕事をこなすことへの嫌気を感じるように……。
テレビ局をやめた後、雅典はフリーアナウンサーとしての活動をあらゆる媒体にて行うかたわら、自らCeroTuberとしても活動するようになった。ちなみに、雅典のCeroTubeチャンネルは『雅典の霊チャンネル』というシンプルなタイトルである。
この場所へやってきたのも、『霊チャンネル』での配信を前提にした撮影をするためである。雅典は、撮影スタートと同時に慰霊塔をバックに語り始めた。
「あの日から40年が経過する中、こちらのように後世への教訓を残すための慰霊塔が建てられています。けれども、これで亡霊がいなくなったわけではありません」
雅典はさらに言葉を続けた。
「なぜなら、亡霊は現世での災害を自らのこととして知っているからです。そして、私たち人間に対して忖度なしに思いを伝える存在でもあります」
カメラ越しに語りかけている間も、何やら異様な雰囲気が漂っているのが雅典のほうにも伝わっているようである。そんな中、冷静さを保つことができるのはキャスターや記者を担当してきたプロの矜持と言えよう。
「これから、亡霊たちにこちらからインタビューしようと思います」
雅典には、誰にも口にしていない秘密を持っている。それは、亡霊や怨霊といった霊と話し交わす能力である。