第24話 声のする方へ
虚無の中であたしは消えていこうとしていた。
もう自分の輪郭もわからないほどに風化した意識が、ただ漫然と自分が消えるという事実だけを受け入れていた。
ぬるま湯に使って全身脱力して、水面から顔だけを出してボーっとしているような感覚だ。
ふやけてしまったように手足の触覚はない。
十五年という短い人生の中で本当に充実した数日間だった。
誰かに強要されるわけではなく、すべて自分で選び取った今現在だ。後悔なんてしていない。
ボロボロと解けていく自分自身を止める方法はない。静かに受け入れるだけだ。
──ふと見ると、水面を三匹の狐が走ってきた。
三匹とも、立派な九尾を持っている。
一匹は少しだけ体格が大きく、他の二匹はまだ子狐のようだ。
三匹は必死にあたしのことをぬるま湯から引き上げようとしてくれている。
特に一番大きな狐は泣きながら、崩れていくあたしを必死に引き上げようとしてくれている。
狐たちがもがけばもがくほど、あたしの体は崩れていく。
誰かがあたしの名前を呼ぶ声がして、最期に足掻いてみようと思った。
崩れ行く体を何とか動かし、狐たちを胸に抱き、声のする方に手を伸ばし──。
「……ここは?」
瞬きすると、そこは良く知っている風景だった。
数日前に追い出された、自分の部屋だ。
レースの天蓋付きのお気に入りのベッドに、お気に入りのぬいぐるみなんかを枕元に置いていた。
とても長い夢を見ていた気がする。
死期が近くてほとんど動けなかったあたしは、飛ぶ鳥のように自由な冒険者になる夢を見たのだろうか。
──いや。違う。
左手に温もりを感じて横を見るとアーランドがそこにいて、あたしの手を握ったまま今にも泣き出しそうな優しい笑顔でこちらを見つめていた。
「おはようございます、お寝坊さん」
「む。あたしは夜更かししないからいつも快眠だもん」
「眠り過ぎですよ。あれから一週間が経ってるんですよ。領主様のお屋敷にお世話になっている僕たちの身にもなってください」
「──‼」
ハッとして体を起こす。
あたしは家を追い出されたから冒険者になったのだ。それなのに、なんで実家の自室で眠っていたのだ──!?
「なんでアーランドがあたしの部屋に──⁉」
「最初の疑問がそれですか!?」
あたしの斜め上の疑問に、アーランドは事の顛末を話してくれた。
あたしがウェイズリシアにすべてを任せた後、彼がウィップテイルタイガーのボスを倒したのは良いものの暴走に近い状態になった。
アーランドたちが彼に襲われそうになった瞬間にナインテイルのウコンとサコンが駆け付け、ナインテイルの族長である彼を連れ戻すために物理的に説得し、枯渇寸前だった魔力を回復するために彼が討伐された地であるフォクシリウス家の裏山へ来た。
そこでウェイズの魔力の残滓を搔き集めて正気に戻すために儀式を行い、溜まった魔力を彼に無理やりぶちこんだそうな。
そして、魔力を取り戻して正気に戻ったウェイズの手によってあたしの体が再構成され、すべてが元通りになった──と。
元通りとは、呪いの状態まで元通り! とのことだった。あたしの肉体を再構成するためにほとんどの魔力を使い果たしたため、彼はまた狐パーカー状態であたしから魔力をちゅうちゅう吸っているとのことだ。
その後、裏山に駆け付けたあたしの父様にすべてを話し、意識の戻らないあたしを見せると屋敷のあたしの部屋に運ぶように言われて従い、それから世話になっていたとのことだ。
『……ミリア、前から言おう言おうと思っていたのだが』
バツが悪そうなウェイズの念話が頭に響いて来る。
『我は雌だ。なぜ彼と呼ぶ?』
「なぜって、声低かったし?!」
中性的な低い声だから雄だと思っていた。
「そんな細かいことよりさ、ウェイズ! またお世話になります!」
『──前から気にしていたことを細かいだと!?』
怒った口調ながら、彼女は優しく笑っていた。
──ガチャン、と食器が落ちて割れた音がしたので部屋の入口の方に目をやると、あたしの母様が動揺した顔で両手で口を覆って後退っていた。
「──母様!」
あたしの呼びかけも虚しく、母様は部屋を出て行ってしまった。
「さて、と。あとは家族が元に戻らないと、ですね」
ベッド横から立ち上がって、部屋を出ていこうとするアーランド。
「ま、待って!」
「いえ、家族水入らずで、よくお話ししてください。ここはきっといつまでも、あなたの帰る場所であり続けてくれますよ」
意味深な言葉を残してアーランドが部屋から出て行った。
部屋に一人(正確にはウェイズと二人)残され呆然としていると、ドタバタと足音が聞こえ、部屋の入口に父様、母様、そして妹のメルティリアの姿が見えた。
入口でモジモジとしながら、入って来るのを躊躇っているようだった。
「入ってきてよぉ!」
あたしが頬を膨らませて言うと、おずおずと三人が部屋に入ってきて──あたしを力いっぱい抱き締めてくれた。
「ミリアリアよ、すまなかった……」
「ごめんね、ごめんね……」
「お姉ちゃん、ごめんなさい……」
三人は口々に謝罪の言葉を口にするが、あたしは怒ってなんかいない。ずっと寂しかっただけだ──。
あたしも三人に腕をまわして力いっぱい抱き締めた。自然と涙が溢れてきた。
ふと見ると、割れた食器を片付け終わったシルビアがあたしに微笑んでいた。
「ミリアリアよ、もう二度と出て行けなんて言わない。ここで今まで通り暮らして──」
「ううん、あたしは仲間と冒険する。ただのミリアリアとして、今まで知らなかったこの世界を思う存分冒険したい。父様、わがまま言ってごめんなさい」
「良い仲間に出会えたのだな」
「うん。でも、いつか必ず帰って来るから、その時はまた今日みたいに抱き締めてくれると嬉しいな」
家族四人で抱き締め合って静かに泣いた。
『ミリアリアのことは我に任せておけ。絶対独りにはしない』
初めて、あたしの家族に対してウェイズが喋った。何があろうと絶対にあたし以外と話さなかったウェイズが、進んで自らの存在を明かすだなんて、きっと明日は槍の雨が降る。
『……ミリアよ、お主今失礼なこと考えたであろう」
「し、神獣様!? 我々一族郎党、親身にお仕えします故、なにとぞ──」
『現当主よ、我は討伐されたことを怒ってはいない。ミリアに巡り合えたのだ。逆に感謝している。それよりも今は家族団欒を優先せよ。我のことなど後で良い』
「ははー!」
父様は狐パーカーに対して頭を深々と下げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
家族があたしに口々におやすみを言い、部屋を出ていった。
入れ替わりで二匹のナインテールが部屋に入ってきた。
『我がサコン、こちらがウコンだ』
夢の中で見た子狐はたぶんこの二匹だろう。
見た目的に顔が角ばっているのがサコン、丸まっているのがウコンで見分けが付きそうだ。
『族長殿。昨日もお話ししたが、一度聖地へ戻って欲しい。グェイストス様が族長のお戻りを心待ちにしておられる』
『嫌だ。あの浮気狐のことなど知らぬ』
『今はすごく反省してるよー? たぶん』
あたしは訝し気にウェイズを見上げた。
ウェイズはナインテイルの族長で、旦那がいる!? なんでこんな毛皮になってんの!?
『ミリア、我は我が夫に浮気されて家出して、自暴自棄になって世界を彷徨ってるうちに森で毒キノコを喰らってしまい腹を下していたところを初代当主に討伐されたのだ』
「ええ……」
『情けない話だが、もう済んだことだ。フォクシリウス家に恨みなどない』
『族長殿! それでは他の種族に示しがつきませぬ。やはりミリア殿の身柄を聖地へ連れ帰り、そこで裁きを受けさせて──』
『黙れ小僧! では先に浮気した我が夫を裁くが良い。でなければ筋が通らぬな』
ウェイズの威圧の乗った『黙れ小僧』という言葉に、サコンはビクッとして小さくなった。
『だが、我が子らの顔は久々に見たくなったな。ミリアよ、もし良ければ一度聖地へ足を運んではくれぬか。我はお主から離れられぬ故』
「わかったよ、ウェイズ。でも、明日皆と相談してからね? 今日は遅いからもう寝よう」
あたしが言ってベッドに寝ると、ウコンとサコンが小さくなり、あたしのベッドに飛び乗ってきた。
ウコンとサコンはあたしが意識を取り戻すまで、夜はあたしに添い寝していたのだという。
思わずモフモフを撫でていると、だんだんと眠くなってきた。
8月25日まで更新を停止します。




