表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

しにがみの涙

作者: 斎田 芳人

私はしにがみだ。

生者から魂を吸い取る、簡単な仕事。

きっかけや理由は、分からない。


命を落とすであろう人の前に現れ、彼らの最後の物言いを聞いた後、安らかに眠らせてやる。


死を前にした生者は、なんとも慈悲深く、安らかな物言いをする。


「どうか、安らかに眠らせてくれ」


私は病室に立っていた。そばのベッドには、虫の息となった中年の男が寝ている。

難病に苦しめられた数年だったらしい。そばにはこれから未亡人になるであろう女が泣いている。

カーテンから差し込む仄かな陽光が、心を焦がしゆく。


「叶うといいな」


私はそう言って、男の心臓に手を当てる。彼は笑っていた。やがて、穏やかな死顔になった。


しにがみの時間が終わると、止まっていた時間が動き出す。


「ご臨終です」


医師の声が聞こえる頃には、私は消えていた。



今まで沢山の人の魂をこの手で吸い取ってきた。

夜、忙しく光るビルの上で、黒いロングマントのフードを深く被って物思いに耽っていた。


「おっと…」


死の予感を感知すると、私は立ち上がった。

私はゆっくりと目を瞑ると、なんとも不思議な感覚に襲われる。

次の瞬間には、繁華街を疾走するセダンの助手席に乗っていた。


しにがみの時間が始まる。

辺りはたちまち闇に包まれ、対象者以外の人や物の動きが止まる。


「うわっ、なんだあんた!」


運転席に乗っていた若い男は私を見て驚愕した。無理もない。

毎度卒爾ながらそばに現れるのは、私としてもどうかと思う。


「しにがみだ…宜しく」

「いやいや、意味わかんないだろ…」



無理もないが、単刀直入に言ってやる。


「お前はその先の交差点で事故で死ぬ」

「は!?ふざけんなよあんた!」

「決まったことだ。もう変えられない」


そう。私がこうして生者の元に現れた時、既にその人間の死は確定している。その事実はどうやったって動かない。

男はアクセルを踏もうとするが、車は石のように動かない。


「はぁ!?」

「さて…最後の物言いを聞こうか」

「…ッ!!」


男は私の胸ぐらを掴んだ。滾っており、息も荒い。死を信じたくないのだ。


「いきなり現れて死ぬとか抜かしやがって…」

「お前は私を殺せないし…私はお前が死ぬまでここを離れられない。なんなら今すぐ死ん」


男は私を突き放す。


「クソ…」


しばらくして男は自分の運命を悟り、大人しくなった。


「あのさ…ちょっと聞いていいか」

「なんだ?」

「オレは…何で死ぬんだ」

「…相手の過失だ」


「そっか…はは…しょーもない人生だな全く…」


男は訥々と語り、涙を流し始める。このような光景はよく見てきた。

男はハンドルに突っ伏し、小刻みに震えた。


「来世で…その相手…ズタズタに…してぇ…」

「…叶うといいな」


しにがみの時間が終わる。

まもなく、街には救急車のサイレンが響き渡った。


このように、私達しにがみには彼らを助ける術もない。ただ魂を頂いていくだけだ。

魂がこの世に残ってしまうと、それらは亡霊となって悪事を働く。

そうならないよう均衡を保つのが私達の存在意義らしい。


ただ粛々と仕事をこなす。そこに感情はなかった。



数日後。


「孫達が元気に過ごせたらそれで結構え」


その言葉を聞いた後、私は老婆の胸に手を当てた。


「…叶うといいな」


しにがみの時間を終わらせ、私はまた姿を消す。

しにがみに感情は無い。絶望に暮れる人を見る時も、安らかな死顔を見ても、無表情でいる。

それが変だと思ったこともない。元々そうだからだ。


次の生者の元に降り立つ。


「…よう」


白昼、病院の屋上だった。弱冠の歳の男が縁に立っていた。

秋風が心地よい、死の似合わない景色だった。


「止めても無駄だ…もう…いいんだ」

「止めない」


男は俯いていた。私はそれを静かに見つめていた。

脚は震えているようだった。当たり前である。

この世の生者で、死を経験したことのある者など一人もいないのだから。


「…物言いを聞こうか」

「イヤ…そんなたいそーなモンは無いんだけどさ…もう駄目かなって思ってさ」


自殺は今まで何度か見てきた。

それぞれが明確な理由を持っていた。負債を抱えただの、いじめを受けただの。

それら全て、静かに見届けてきた。


「妹がいてよ。半年前に死んじまったんだ。交通事故で俺を庇って」

「…」


男は続ける。


「頑張って生きようと思ったんだけどさ…もうやめたんだ。理由がなくなった」


ゆっくりと顔を上げて天を仰ぐ。つうっと、一筋の涙が滴る。


「…莉愛に宜しくな」


男は飛び込んだ。その刹那。


「…止めないんじゃなかったのか」

「ッ…!!」


私は男の手を掴んでいた。男は躊躇なく飛び込んだ為、ぶら下がって全体重が私の腕にかかった。


「くっ…!!」

「…離してくれよ」


思い出したのだ。


私が、


しにがみになった理由を。


「兄ちゃん私だ…莉愛だ…!」

「!?」


初めて私達は互いの顔を見た。

間違いなかった。

その瞬間、突拍子もない力が腕に漲った。

兄を一気に屋上へと引き戻した私の体は、それと引き換えに宙に投げ出された。


「あっ—————!!」


走馬灯と一緒に、全ての記憶が蘇ってきた。


私には病気を患った兄がいたこと。


外出した時、私が兄を庇って事故で死んだこと。


その時しにがみから、「しにがみになって生者の魂を100個捧げると望みが叶う」ことを知らされたこと。


私は兄の病を治すべく、しにがみになったことを。


「ねぇ、聞いて、兄ちゃん」


「私が兄ちゃんを助けるから…」


「また、どこかで逢おうね」


「莉ッ—————」



そこからはよく覚えていない。

ただ、しにがみと化した時に手に入れた偽物の心臓が、かすかに脈打っていた。



どれだけの時間が経っただろう。

私はまたいつかのビルの縁に座って、街を眺めた。

変わらない風景だ。黒く淀んだ空を、綺羅びやかな鉄の塔達が隠す。至るところから発せられた人工的な光が、窓に乱反射して目を眩ませる。


すると、隣に顔見知りのしにがみが座った。


「ヨ」


軽く会釈をする。

そのしにがみは私に問うてきた。


「アンタ、望みを叶えたのにまだしにがみやってるんだ、物好きだね」

「…ああ」

「しにがみになる奴なんて大抵、自分が生き返る為にやってんのによ。ウチもそのクチ」


それが正常な人間の思考である。

この世に未練を残したものが、死後しにがみになることを選ぶのだ。

途方も無い労力を代償にして。


もう少しここにいたかったが、また死の予感を感知して立ち上がる。


「最後に教えてよアンタ、何を望んだの?」


私は振り返って、微笑んだ。


「兄ちゃんが、私を忘れますように」


私は泣いた。


しにがみになって、初めて流した涙だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 意外な「しにがみ」の正体 [気になる点] 最後に微笑んで泣いてる? [一言] 運命を捻じ曲げれば歪みが出るということかな
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ