5 (う……っ、これが魔王の呪詛……)
(う……っ、これが魔王の呪詛……。アレン様はずっとこんなものに耐えていたのね……)
酷く眩暈がした。吐く息に腐臭が混じる。その酷い臭いに、胃液を吐きそうなほどの嘔吐感をおぼえた。少しずつ内臓が腐っていくような感覚もした。
更に背中に岩でも乗せられたかのように、酷く体が重い。
それでも何でもないようにシアレーゼは馬車に乗る。
(グボーツオーツの屋敷に着くまでの辛抱よ……。クロムお従兄様が、絶対に、解呪をして……くださる、から)
婚約者のアレンにも告げたことはないが、シアレーゼにはたった一つ使える力があった。
それは「身代わり」という能力である。特殊能力を有するグボーツオーツ一族の中でも、滅多に出ることはない珍しい能力だ。エメラルダとクロムの判断により、王家にもシアレーゼが「身代わり」能力を有していることは報告をしてはいない。
それを、シアレーゼは使った。
先ほどアレンの寝室で、アレンの手に触れたとき、アレンが身に受けていた魔王の呪詛をシアレーゼは自分の体に移したのである。
聖女が使うような治癒の力ではない。
だから、シアレーゼ自身はこの呪詛を治したり薄めたりすることはできない。
身代わりとなり、呪詛をそのままそっくり引き受けることしか出来ない。
息が荒くなる。もう、座っていることさえできなくて、シアレーゼはそのまま馬車の中で倒れ……意識を失った。
ふっとシアレーゼの意識が戻った。ゆっくりと目を開ければそこは自分自身の寝室で、ベッドの横には顔を歪めたクロムがいた。
「クロムお従兄様……」
「……シアレーゼ。何でこんなことをしたんだい?」
苦々しげなクロムの表情に、シアレーゼは思わず「ごめんなさい」と呟いた。
「だけど、アレン様が苦しんでいらっしゃるのを……そのままには出来なかったのよ。わたしなら、アレン様が受けている呪いを、代わりに引き受けることができるし。その……クロムお従兄様なら呪いも解けると思って……」
クロムは怒りを吐き出すように、ため息をついた。それから少しだけ表情を緩める。
「勇者アレンは魔王を倒した。死す時に魔王は勇者に呪いをかけた。直ぐには死なせない。ゆっくりと苦しみながら生きながらえよと、そういう呪詛を。アレンの体を蝕んでいたのは魔王が死と引き換えに掛けた呪いで、ものすごく強力だ。……僕にでも簡単に解呪は出来ないんだよ。時間がかかる」
「え?クロムお従兄様のお力を以てしても……ですか?」
シアレーゼの顔色がさっと変わった。
アレンの呪詛を身に受けるのは一時的なことで、すぐに解呪がなされると考えていたのだ。
「無理じゃない。でも呪詛が強力過ぎて解呪には時間がかかる。……とりあえず、僕が今できるのは、この呪詛の進行を止めること。これ以上酷くならないようにね。あと痛みとか怠さとか、そういうのを半減させている……その程度だよ。さっき、シアレーゼが寝ている間に……シアレーゼの体にそういう呪文を書き込んだから。気絶するほどの辛さはもうないはず」
「体に、書き込んだって……お従兄様っ!」
シアレーゼは自身の両腕を見る。そこには確かに魔道の文言が、直接肌に赤い文字で書き込まれている。
軽いけが程度ならすぐに皮膚に吸収されて消えるはずの文言が、未だくっきりとシアレーゼの肌に残されていた。
それだけ強力に、クロムがシアレーゼの肌に魔力を注いだのだ。
「わ、わたしの……肌を、お従兄様は、見た、の、です、か……?」
従兄とはいえ、クロムは男だ。
夫でもない男性に裸を見せたとは……と、シアレーゼの全身が羞恥で真っ赤に染まった。
「……見ちゃいけないところだけはタオルで覆ってもらった。ほんとは全身くまなく文言を書くべきなんだけど……。書いてないところがある分、効果は減っている。だ、だから……、む、胸とかは見ていないし、触ってもいないよ!書く時に、シアレーゼの母君と侍女達にも同席してもらったし、言っておくけど、疚しいことはしていない。嫌というのならば、アレンにかけられた呪詛なんてものを、勝手に身に受けたシアレーゼが悪い」
「ご、ごめんなさい……」
「……今書いてある文言がシアレーゼの体に浸透するのを待ってから、今度は解呪や治癒の文言も足していくからね」
「はい……。え、えっと……、解呪までどのくらいかかりますか?」
「一年かかるか二年かかるか……、最悪十年以上その状態だからね。だからさっさとアレンにその呪詛、返した方が良いと思うよ」
「返したら……、お従兄様はアレン様の治癒をしてくださいますか?」
「我がグボーツオーツの一族の力を使ってよいのは王族と、グボーツオーツの一族の者に対してのみだよ。それが、二百年前からの王命で、絶対的な掟だ。わかっているよね?」
元々は王族を守るために作られた一族だ。
そして、その能力は公にはなされていない。
「……ですが、アレン様はわたしの婚約者です。いずれわたしと結婚をして、一族の者となります。ならば、治癒と解呪を試みても……」
「婚姻後なら、呪いは解いてもいい。でも婚約していようが何だろうが、今はアレンはウチの一族の者でも王族でもない」
クロムの言うことももっともだと、シアレーゼにもわかっていた。だからこそ、アレンに魔王の呪詛は解けると言わず、黙って身に受けた。
「誰かに知られれば、王家からの誓約により、グボーツオーツ家は粛清される……でしたわね」
「……王城の地下牢にでも入れられて、力だけを搾取されるだろう。そういう制約を、僕たちのご先祖様は当時の王と結んだのだから。……いつかこの状況は変えていきたいけれどね」
「……結婚式を挙げて、アレン様が我が家に婿入りした後なら……。わたしがアレン様の呪詛を引き受けたんだって言えるのね」
「婿入り……ね。果たしてそんなことが実現するかな?」
「しますわ。だってわたしアレン様の婚約者ですもの」
「婚約、ね……」
本当は自分がシアレーゼと婚約を結ぶはずだったのに。
その言葉をクロムは言葉に出さなかった。
クロムはシアレーゼに執着している。
だけど、シアレーゼがアレンに恋をしていることも、よく知っているのだ。
アレンが魔王討伐の旅に出てから、シアレーゼは七年間欠かさず毎日アレンの無事を祈り続けていた。自身が高熱に倒れていた時でさえ、クロムが治癒の魔法をかければすぐに、アレンの無事を祈る。
だからクロムは、溺愛と言われるほどに、シアレーゼをかまいはするが……従兄妹同士というラインは決して超えては来なかった。
だが……。
「アレンが、シアレーゼのことを本当に大事にしてくれるとは、僕は思えない」
故郷で待つ幼い婚約者。
それを守るために旅立つ勇者。
そんなフレーズに酔っていただけではないのか。
本当にシアレーゼを愛しているのではないのではないか。
魔王討伐の旅に出てすぐのころは、頻繁にアレンからの手紙もシアレーゼに届いていた。
だが、三ヶ月、半年、一年……と、時間が経つにつれて、手紙などは届けられなくなった。
「魔王領に入れば、手紙など届かなくても仕方がないわ」
シアレーゼはそう言うが、クロムはそんなことはないと知っていた。
魔王討伐の一行には第三王女キャサリエナがいる。
だから、国王は食料や薬などの支援を頻繁に出していた。さすがに魔王城の中には無理だが、国内はもとより、魔王領の中にさえ、ある程度の拠点を作った。その拠点だけではなく、その拠点と拠点を結ぶ道も多数の兵士に守らせて行ったのだ。
冒険者のように、少数の精鋭が、無謀に突入していたのではない。魔王城の近くまでの補給線は、国がきちんと繋げていっていたのである。
当然その拠点と国を結ぶルートは確保され、物資は送られていっている。情報や物資、人間の行き来はある。勇者とその勇者の婚約者の手紙程度、送れないはずは無いのだ。
返事の来ない手紙を、シアレーゼは送り続けた。ただひたすらにアレンの無事を願って。
この七年間、そんなシアレーゼの様子を、クロムはため息をつきながら、ただ見てきたのだ。
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