3 婚約を結んだ数日後、
今回文字数多いです……。ごゆっくりお読みくださいませm(__)m
婚約を結んだ数日後、伯父のカイエンが娘のエメラルダと息子のクロムを引き連れてライトオーツ家にやって来ることになった。
婚約の話だろうと、シアレーゼはどきどきしながら伯父といとこたちの到着を待った。
(反対されるかしら……。で、でも、もう正式な婚約は結ばれたのだし……。きっとクロムお従兄様なら……エメラルダお従姉様も……、わたしの気持ちを分かってくれるはず……)
少しばかりは咎められるかもしれないが、アレンとの婚約を認めて欲しい……と。
シアレーゼは祈るような気持ちでいた。
炎のような怒りを顔にみなぎらせ、更に馬車の扉を破らんばかりの勢いで、カイエンが馬車を降りる。足音荒く、ファイウッドに近寄り、そしてその胸倉をつかみ上げた。
「ファイウッド……っ!貴様っ!単なる種馬の分際でっ!勝手にシアレーゼの婚約を結ぶとは何様のつもりだ……っ!」
言うや否や、ファイウッドの顔目掛けて拳を叩きつける。
そのまま床に倒れたファイウッドの体の上に馬乗りになり、カイエンは何度も何度もファイウッドを殴りつけた。
シアレーゼは蒼白になりながら母を見る。
止めてほしかった。
けれど、シアの母であるマリーエンデは腕を組み、無表情にファイウッドが殴られているのを見下ろしているだけ。
弟のキーツもその母のドレスのスカートの陰に隠れていることしか出来ずにいた。
(お父様が殴られているのに……っ!お母様は伯父様を止めて下さらないの?わ、わたしも……カイエン伯父様に……殴りつけられてしまうの……?)
恐ろしさのあまりに、シアレーゼはその場にへたり込んでしまった。
激昂するカイエンを止めたのは、カイエンの子であるエメラルダとクロムだった。
「落ち着いてくださいませお父様。ファイウッド叔父様を殴ったところで事態は変わりませんわ」
「そうですよ父上。殴るのなんて、やめてください。シアレーゼが怯えています」
エメラルダは手にしている扇で口元を隠しながら、視線をカイエンからファイウッドへと向けた。
「ファイウッド叔父様。あたくしたちに黙ってシアレーゼと他家の者との婚約を結ぶなど……。そんな頭の悪いやり方しか出来なかったのですか?」
エメラルダの隣ではクロムがうんうんと頷いていた。
「そうですよ、ファイウッド叔父上。例えば、血が余りにも濃すぎるグボーツオーツの今後の発展のために、二代続けて他家から血を入れた方が良いとかなんとか、その程度の根回しくらい、しておけばよかったでしょうに……」
「まあ、クロム。その程度の理屈ではあたくしたちのお父様を説得できなくてよ。何せ二百年前の王命を頑なに守ることしか頭にない頑固者ですもの」
「まあ、血統の保持は我がグボーツオーツに課せられた使命ですけれどね。今では王家にもそうそう能力保持者は生まれないようですし。ええと、第三王女の……なんて言いましたっけ?」
「キャサリエナ王女よ」
「そうそう、そのキャサリエナ王女様しか今の王家には治癒能力者はいないのでしょう?」
「その代わりキャサリエナ王女様の治癒力はクロムより凄いそうよ?なんでも教会から『聖女』認定をされるのですって」
「へえ……それはすごい。ま、王女様はともかくとして」
クロムが鬱陶し気に顔に垂れかかる紫紺色の前髪をさっと払ってから、シアレーゼの側に膝を突く。
「クロム、お従兄様……」
クロムの名を呼ぶシアレーゼの声が震えていた。クロムはそっと、シアレーゼの頭を撫でた。
「うちの父上が怖がらせてごめんねシアレーゼ」
クロムの、やや青みのあるビリジアン色の瞳が、柔らかく細められる。その視線の柔らかさに、掌の温かさに、シアレーゼは詰めていた息を吐きだした。
「だけど、一つだけ聞かせてくれるかい?……シアレーゼがアレンとかいうやつと婚約を結んだのは……シアレーゼの意思?それともファイウッド叔父上に無理矢理に結ばされたとかなのかな?」
シアレーゼはぶんぶんと首を横に振った。
「ごめんなさいクロムお従兄様……っ!教会に連れていかれた時まではわたし、何も知らなかったけれど、でも、アレン様に会って……助けてもらって……きっとわたし、好きになったの。だから、アレン様との婚約、わたし、嬉しかったの……」
シアレーゼは蜂に刺されそうになったことや、婚約の儀式を教会で行った時のこと、その時思ったことを全てクロムに話した。
「そう……。じゃあ、シアレーゼはアレンとかいうやつのコト、本当に好きになったんだね?」
「ごめんなさい、ごめんなさいクロムお従兄様……っ!」
「謝る必要はない。僕はね、シアレーゼが幸せならそれでいいんだよ」
クロムは少しだけ寂しげな顔で、それでもシアレーゼに微笑みかけた。
そしてもう一度優しくシアレーゼの頭を撫ぜた。それから、ゆっくりと立ち上がる。
「さ、シアレーゼ。立って。座っていたら体が冷えるよ」
両手を掴んで、そっとシアレーゼを立ち上がらせる。
それから、クロムはカイエンを睨みつけた。
「さて、父上。シアレーゼの気持ちも確認しましたし、いい加減にファイウッド叔父上の上からどいてください」
「……クロム、貴様」
「暴力に訴えても何にもなりません」
ぎりと睨むカイエン。シアレーゼはびくりと体を震わせた。クロムがそっとシアレーゼの手を包み込む。ぎゅっと、シアレーゼもクロムの手を握り返した。
「クロムの言う通りですわお父様。暴力はおやめになってくださいませ。あたくしたちは事実の確認と、今後のお話にと参ったのですから」
「エメラルダ……、お前まで……」
「ファイウッド叔父様を殴ったところで、お父様の気が済むだけでしょう?何の意味もございませんわ」
「勝手したやつを殴って何が悪いっ!こいつは儂の顔に……グボーツオーツ本家に泥をつけたようなものだぞっ!」
エメラルダはわざとらしく音を立てて扇を畳んだ。パチンとした音が部屋に響く。
「カイエンお父様。これ以上みっともない真似をするのであれば、あたくし、グボーツオーツ一族の『巫女』としての権利を行使させていただきますわよ?」
「ぐ……」
「お父様もご存じの通り、グボーツオーツ一族の掟はたくさんありますわね。『未来視』の能力を持つ『巫女』が一族の主となるべし。……あたくしが今まだ当主となっていないのは、年若いから。ですからカイエンお父様に当主として一族をまとめていただいておりますのよ。ですが……、それ以上みっともない真似をなさるのであれば、あたくし、この日、この時点を持ちましてグボーツオーツの当主となってもよろしいのですわよ。お父様は何処かの田舎で隠棲なさいます?」
「エメラルダ……貴様、親である儂に向かって……」
「親だからこそ、見逃しておりましたけれど、このところ増長なさるご様子が激しいですわね。二百年前の王命をかたくなに守るのは良い事ばかりではございませんのよ。もう少し柔軟性をお持ちになった方がよろしいでしょうに。二百年前の王命よりも、あたくしたちの幸せというものを考えてくださいませ。時代に合わせるということも、必要ですわ」
「……能力を守るのが、我が一族の使命だ。いざという時には王族を支えよ。それがグボーツオーツ一族に課せられたもの。それを守っているからこそ、我が一族は優遇されているのだ」
グボーツオーツ一族はこの二百年、病に倒れた王族を、治癒の力で何度も癒した。時折出る未来視の能力者の進言により、戦や魔物などの危機を何度も回避させてきたこともある。
そのたびに出る報償や税の優遇を受けてきた。
ただし、そのグボーツオーツの力は他の貴族達には秘されている。あくまでも、影から王族を支えるための力なのだ。
「わかっておりますが、暴力に走るのはいかがなものかと。お父様、あたくしに、娘に、親を追放させるような真似をさせないでくださいませ」
エメラルダとカイエンが睨み合う。カイエンは拳を震わせていたが、エメラルダが本気で言ったのだとわかったのか、怒気も顕わにドンドンと足音を立てながら扉から出て行った。
「ふう……我が父ながら本当に小者ね……」
エメラルダは悩まし気にため息をついた。クロムはくすりと笑った。
「エメラルダ姉様、さっさと一族の当主になってしまったら?」
「そうは言ってもねえ……。結婚して子供を二・三人産んでからゆっくりでいいと思っていたのよね。あと十年くらいはお父様にお任せするつもりで……」
「だけど姉様。お父様は権力持って、自分が一番偉いと勘違いし始めているよ。自分の言うことを全て聞けとばかりにねえ……。ついでに言えば、年を取って頑なになっていっているし。……これ以上はどうかと僕は思うのだけど」
「そうねえ……。面倒だけど仕方がないわね」
「ま、僕もサポートはしますから。とりあえず、シアレーゼを怖がらせないように、僕、ファイウッド叔父さんの顔のケガだけでも治療するね」
「ああ、そうね。お願いクロム」
倒れたままのファイウッドの側で、クロムは膝を突いた。
「さてと、顔に触りますからちょっと痛いですよ」
クロムが右の人差し指でファイウッドの頬を撫ぜていく。額から右頬へ、顎を通り左頬へ。
「う……っ」
「ああ、動かないで叔父上。骨は折れてないと思うけど、殴られたんだから放っておくと顔が腫れますよ」
クロムがなぞった指の痕が赤くほのかに輝いた。そうして、その光が、ファイウッドの皮膚の中へとすうっと沈み込むようにして溶けていく。
「さて、これでもうほとんど痛みはないと思いますが」
無言のまま、ファイウッドは立ち上がった。謝罪も感謝も口にはせずに、ただじっとクロムを不貞腐れた顔で睨む。
「そう睨まれてもねえ……。ま、種馬としての用途しかない叔父上の屈折した気持ちもわからないでもないですけど。本当に今回はやり方がまずかった。ウチの短絡思考の父上を怒らせるのが分かっていたのにシアレーゼと他家の者との婚約を勝手に進めるなんて……。そうしてまで叔父上はグボーツオーツに逆らいたかったのですか?それとも自虐志向か破滅志向でもあるんですか?」
ファイウッドは答えず、ただクロムを睨み続けた。クロムはそんなファイウッドに肩をすくめる。
「まあ、叔父上の感情など、正直申し上げれば些末なんですよ。僕にとって大事なのはシアレーゼの気持ちなのでね。だから、良いですよ。アレン・フォアサードとの婚約はこのまま継続してあげます。だからね、一族のみんなの説得も僕とエメラルダ姉上に任せて、叔父上は何もしないように。あなた程度の者が、これ以上ウチの一族の掟を破るとあなたの命にかかわります。シアレーゼとキリーの二人が生まれた以上、もうあなたは用済みなのだし。ウチの父のように、二百年前の王命厳守……なんていう頑固頭の者も一族には多いしね。……ああ、僕はね、あなたはどうでもいいですし、過去の王命なんてそこまで守らなくてもいいと思っているんですけど。まあ、でもあなたはシアレーゼの父親だ。父親を亡くしてシアレーゼを悲しませたくは無いんですよ」
自重しろというようにファイウッドを睨みつけてから、クロムはふいっとマリーエンデに目配せをする。
「叔母上。悪いけど、叔父上はしばらく隔離しておいて。ウチの父親筆頭に、血気盛ん過ぎる誰かに何かされるとシアレーゼが悲しむでしょ。一応僕とエメラルダ姉上のほうから釘は刺しておくけど」
「……畏まりましたクロム様。お手数をおかけいたしますこと謝罪いたします」
マリーエンデは深々と甥であるクロムと姪であるエメラルダに頭を下げると、ライトオーツ家の執事を呼んだ。
「ファイウッドは自室に連れて行ってちょうだい。しばらくは部屋から出さないで」
ファイウッドはクロムを睨んだまま、それでも大人しく引きさがっていった。
「やれやれ。大人なんだから、子どもに当たらないで欲しいなあ」
クロムはのんびりと言って肩をすくめた。
エメラルダは面倒気にため息を吐く。
「お父様もファイウッド叔父様も大人しくしていてくだされば、悠々自適な生活を送れるというのに。やっぱり男の方は権力を持って自分の力で物事を動かしたいと思うのかしらね……。まあ、いいわ。シアレーゼ」
「は、はいっ!エメラルダお従姉様っ!」
エメラルダがシアレーゼににっこりと笑いかけた。
「とりあえず、貴女の婚約についてはね、貴女の希望通りにこのまま継続で大丈夫よ」
「ほ、本当に……?」
「ええ。クロムだって良いって言ったでしょう?あたくしたちの可愛い従妹が幸せになれることが最優先。まあ、クロムと結婚するのがシアレーゼにとっての幸せだと、あたくしは今まで思っていたのだけれどね……」
「あ、ありがとうございますエメラルダお従姉様っ!」
シアレーゼは思わずエメラルダに抱きついた。エメラルダはシアレーゼを抱きしめ返す。
「あらあらまあまあ可愛らしいこと。こんなかわいいシアレーゼを、本当はクロムのお嫁さんにしたかったわ……。でも……、いいえ、これはもう言う必要はないわね。それにシアレーゼがアレンに恋をしたのなら……それも運命というもの」
恋、とエメラルダに言われて、シアレーゼはぼんっ!と破裂したみたいにいきなり顔を赤らめた。
「え、エメラルダお従姉様……っ!」
エメラルダはころころと優雅に笑った。
「シアレーゼも愛や恋に夢を持つようになったのねえ。この間生まれたばかりだと思っていたのに」
「生まれたばかりって……お従姉様、わたし、もう十歳ですっ!」
「そうね、もう十歳の淑女ね」
揶揄うようなエメラルダの口調に、シアレーゼはぷくっと頬をふくらませた。
「……エメラルダお従姉様ってば、まるでお年寄りみたいな言い方だわ」
「ああ……そうねえ。あたくし、自分の能力で未来を見てしまうから……、どうも自分の年齢以上の年月を生きているような感じになってしまうのよねえ……」
クロムは治癒や解呪といった能力を持ち、エメラルダは未来を見るという力を持っている。
治癒はグボーツオーツ一族の中ではよく出る能力であるが、解呪が出来るものは少ない。
未来視を出来るものは更に少なく、その能力を持った者は一族の『巫女』として、グボーツオーツの未来を決定する。『巫女』本人が望めば一族の長となることができる。
もとよりそんな特殊能力を保持するための、近親間での婚姻だった。
「……エメラルダお姉様は、たくさんの未来を見ていらっしゃるのですよね?」
「ええ、そうよ。だけど、未来は確定しているものではないの。異なる選択をすれば、異なる未来が訪れる。あたくしはね、幼いころにクロムとシアレーゼが婚姻を結ぶ未来を見た。その中ではあなたたちは幸せそうに見えたわ。……だけど、シアレーゼはアレン・フォアサードを選んだ。今、未来は変化した。この先はどうなるかわからない。だけど……いいえ、今は多くは言いません。だけど……あのね、シアレーゼ。あなたにどのような未来が訪れようとも、あたくしは、あなたの従姉として、あなたの行く末を応援するわ」
「あ、ありがとうございますエメラルダお姉様……っ!」
エメラルダはもう一度ぎゅっとシアレーゼを抱きしめ直した。
だが、エメラルダのその美しい顔には、ひとかけらの笑みも浮かんではいなかった。
シアレーゼは、そんなエメラルダの表情には気がつかず、アレンと生きたいという自分の希望をエメラルダとクロムが受け入れてくれたことに、ただ喜んでいた。
そうして、そのまま。エメラルダが一族の長となり、カイエンは引退させられた。ファイウッドは謹慎の後、以前と変わらない生活に戻った。
だからシアレーゼとアレンは婚約者として交流を重ねていけるはずだった。
けれど、それは叶わなかった。
アレンは教会からの神託を受けたのだ。
恐ろしい魔王が復活する。魔王を倒せるのは勇者であるアレンだけだ……と。
婚約の日からわずかに十日で、アレンは魔王討伐の旅に出ることとなったのだ。
慌ただしく出立するその前に、アレンはシアレーゼに会いにやって来た。
「魔王討伐の旅から帰ってきたら、結婚をしよう」
シアレーゼは涙にぬれた顔で、それでもアレンに向かって微笑んでみせる。
「婚約の時に頂いた指輪をアレン様だと思い、肌身離さずに過ごします。どうかご無事でお戻りください」
シアレーゼはチェーンに通した指輪をアレンに示した。
アレンもシアレーゼと同じく、シアレーゼに貰った婚約指輪にチェーンを通し、首から下げていた。
「この指輪がお互いの指にぴったり嵌められるまでに、魔王を倒して帰ってくるからっ!」
アレンはシアレーゼの涙にぬれた目尻にキスを落とす。
「はい……、はいっ!ご無事でのお帰りをお待ちしております……っ!」
数日後、聖なる魔法を使える第三王女キャサリエナや騎士のダイモンたちと共に、アレンは魔王討伐の旅に出た。
そうして七年の月日が経ち……アレンは魔王を討伐した。
もはや魔王や魔族の脅威はなく、世界は平和となったのだ。
その知らせを聞いたシアレーゼは、涙を流して神に感謝をした。
「アレン様をお守りくださって、本当にありがとうございます……っ!」
だが……、王都に帰還を果たした勇者アレンは「無事に」帰ってきたわけでは……なかったのだ。
お読みいただきましてありがとうございます!