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2 一刻ほどの時が経ち、グボーツオーツ領と隣接しているフォアサード領に入った。

一刻ほどの時が経ち、グボーツオーツ領と隣接しているフォアサード領に入った。太陽は少しだけ西へと傾き始めている。


馬車が止まる。父親との気づまりな空間から逃げるように、シアレーゼはさっさと馬車から下りる。そうしてきょろきょろと辺りを見回した。


馬車降り場から、教会へと真っすぐに道が伸びており、その道の左右の花壇にはたくさんの種類の花が咲き乱れていた。


「わあ……」


シアレーゼは小走りに花壇へと向かう。そして、花の香りを嗅ごうと、一番大きな花弁へと顔を近づけた。


ぶん……と低い音がした。花の蜜を集めていたのであろうか、シアレーゼの鼻先を大きな蜂が飛んで行った。


「きゃ……っ!」


思わず蜂に向かってぶんぶんと手を振ってしまった。攻撃されたと思った蜂が針を出してシアレーゼに向かってくる。


「嫌……っ!」


刺されると思った瞬間、飛び出してきた何者かが剣でその蜂を切りつけた。

ぽとり、と、二つに分かれた蜂が、地面に落ちる。


「いくら怖いからって、蜂に向かって手なんか振り回したら危ないだろ?」


ややくせのある、燃えるような赤い髪の少年が、手にした短剣を鞘に仕舞いながら、言った。


シアレーゼは蜂の死骸と少年を交互に見比べる。

叩くのならともかく、どうやって蜂などを真っ二つに切れるというのだろうか……?


「あ、あなた……騎士様なの?」

「正式な騎士叙任はされていないからまだ見習い。でも才能あるって褒められてるぜ」


にっかりと笑う。その笑顔がまるで太陽のようだとシアレーゼは思った。


「あ……、お礼、まだだったわ。ありがとう。あなた凄いのね」


へへへ、と照れたように鼻を擦る少年に、シアもふふっと笑った。


「わたし、シアレーゼ。シアレーゼ・ライトオーツよ」


名乗ると、少年は「あっ!」と声を上げた。


「お前がシアレーゼ?俺、アレン・フォアサードっ!お前の婚約者になるんだって!」


差し出されたアレンの手。

「えっ?」と思いながらも、アレンの勢いに駆られ、シアレーゼはその手を取ってしまった。


「行こう。俺の父上が待ってる。婚約の儀式っていうやつ、これからやるんだろ?」


ぐいぐいと手を引かれ、シアレーゼはつんのめりそうになった。


「えっとちょっと待って。あ、アレン、様?わたし、婚約って、さっきお父様から聞いたばかりで……」


アレンの足がぴたりと止まる。


「……あの、シアレーゼは俺と婚約するの、嫌なのか?」

「えっと、そうじゃないけど……」


アレンにじっと見つめられて、シアレーゼの鼓動がどきりと跳ねた。


「俺はさ、父上からっていうか、ファイウッドのおじさんからシアレーゼのこと、ずっと聞いてて。シアレーゼとなら婚約するのもいいかなーって思ってたんだけど……」

「え、ええっ!?」


驚くシアレーゼに、アレンの顔が叱られた犬のように悲し気になった。


「婚約、嫌か?……俺の事、嫌いとか?」


シアレーゼは慌てて、ぶんぶんと首を横に振った。


「そんなことないわっ!アレン様、わたしを助けて下さって、えっと、今の、その剣も、凄いって……えっと、えっとえっと……すごいなって……」


一生懸命にシアレーゼが告げれば、アレンの顔はぱああああああ……と表情を明るくした。


「じゃあ、好きってことで大丈夫?」


アレンの発した『好き』という言葉に、シアレーゼの鼓動が跳ねる。


「ええええええええ……っ!だって、初対面で……、わ、わたし……、その……あなたの年も知らないわ」

「あ、年?シアレーゼは十歳だったっけ?俺はもうすぐ十六になるよ。今は十五歳。初対面で結婚式なんていうのも貴族ではよくある話だろ?今日はまだ婚約だけなんだから、焦んなくてもいいよ。あのさ、俺はね、ケッコンするなら金髪の可愛い子が良いなーって思ってて。そうしたら、ファイウッドのおじさんが、いつも『ウチのシアレーゼは可愛くて素直だよ。良いお嫁さんになるぞ』って言っててくれて……」

「え、えええええっ!お、お父様が……っ!?」


シアレーゼは後ろにいる父親を振り返って見た。

ファイウッドは馬車の中の表情が嘘のように、いつも通りの穏やかな微笑を浮かべていた。


「うん。で、ウチの父上と相談して、俺とシアレーゼの婚約結ぶって。それで今日、ここの教会まで来てくれたんだろ?」


何も知らないまま連れてこられたのだとか。

グボーツオーツ一族の特殊な親族事情だとか。

従兄のクロムと将来結婚するように伯父に言われているとか。


そんなものを説明しようと思えばできたとは思う。


だけど、この時のシアレーゼは、それをアレンに告げようという気は全く起きなかった。


吊り橋効果のようなものなのかもしれない。


蜂から助けてもらい、明るい笑顔を向けてもらい……、初対面とはいえ好意のようなものを感じたのかもしれない。


いきなりの婚約にドキドキしつつも全く嫌ではなかったのだ。


ただ少しだけ、従兄であるクロムのことを思い、罪悪感めいたものを感じた。が、きっとクロムならば、シアレーゼの意見を尊重してくれると思いなおした。


(クロムお従兄様は優しいもの。きっとわたしの心を尊重してくださるわ……)


アレンを見れば、にこにこと、太陽のように明るい笑みをシアレーゼに向けてくれていた。


(助けてくれた時のアレン様……すごいと思ったし……。それにこのアレン様の笑顔は……好き、かもしれない……)


好きと考えたところで、シアレーゼの全身がまるで燃えるように熱くなった。


(好き……って、わたし、アレン様に……恋、したのかしら……?)


恋というものは、従姉妹たちの話の中で聞いたことがあった。


特に、同じ分家のレフトオーツ家の従姉であるレイナやミネルバといった未婚の従姉たちは、会うたびにどこどこの誰々がカッコイイなどと、噂話をしていた。


「あーあ。学園に入学している間くらい、誰か素敵な殿方と恋したいわー。遊びでもいいからさぁ」

「素敵な殿方ねえ……。だったら、あたしは騎士の……ダイモン様とかガイエース様とか、あんな方々と恋したいかも~」

「えー、アンタ、騎士様好きなの?お二人とも顔はイケメンだけど、でっかくてごっついじゃないっ!身長と同じくらいの大きい剣を振り回す腕なんて、アンタのウエストより太そうよ」

「どうせカイエン叔父様の言う通りに誰かに嫁ぐんだから。ウチの一族と真逆な殿方との妄想くらいしてもいいじゃないっ!あのがっちりとした腕に抱かれたい!」

「あー……そうねー。うちの男どもって、所謂お姫様抱っこもできなさそうくらいの細腕しかいないものね……」


そう言ってため息をついた従姉たち。


(レイナお従姉様が言った『素敵な殿方』って……、アレン様みたいな感じなのかしら)


考えれば考えるほど、アレンが素敵に思えてくる。シアレーゼは顔を真っ赤になった頬に手を当てながら、アレンに尋ねた。


「えっと、あの、アレン様は……わたしが婚約者で……いいの?」

「もちろん!想像の十倍シアレーゼは可愛いし」

「えええええーっ!」


父や母、いとこたち……親族以外の人間から初めて言われたその「可愛い」という言葉。

アレンのその一言が、シアレーゼの心の中で鳴り響く。


(この、胸がキューッとして……落ち着かないで、空まで飛べちゃいそうな気持ちを……恋と、言うのかしら……)


分からない。だけれども、アレンが言ってくれた「可愛い」という言葉が、シアレーゼの心の中で何度も何度もこだましていた。


「か……、かわ、いい……かしら、わたし……」


上目遣いにちらとアレンを見る。

するとアレンは満面の笑みで「うん、俺の知ってる女の子の中で、いっちばんシアレーゼが可愛いよ」と頷いた。


体全体から溢れ出る気持ちを恋と呼ぶのなら。今、まさにシアレーゼはアレンに恋をした。


堕ちる、というような背徳感すら覚える気持ちではなく。

まさしく天に昇るような、ふわふわとした柔らかな感情で。


シアレーゼの心の中では今、アレンに対する初恋というものが、花となり、咲き始めた。






そうして、そのままシアレーゼはアレンとの婚約を正式に結んだ。


教会の司祭の前で、婚約の儀式を行い、婚約証明書にサインをする。

一通は国に提出するもの、もう一通はシアレーゼのライトオーツ家のもの、そしてアレンのフォアサード家のものと、三通同じものにシアレーゼとアレンは名前を記入し、その名の下に、二人の父親たちもサインをした。

司祭がその三通の婚約届を祭壇に向かい捧げ持ち、祈りの言葉を発する。


「ここに、アレン・フォアサードとシアレーゼ・ライトオーツの婚約は結ばれた」


司祭の聖魔法により光のシャワーが二人に降り注ぐ。

祝福だ。

その光の美しさと荘厳さに、シアレーゼはますますぼーっとなってしまった。


「指輪の交換は行いますか?」


司祭が尋ねた。


婚約届を記入し、そこに司祭が祝福を振り注げば婚約は成立する。祝福というのは司祭による強固な光魔法だ。


過去に、重婚をした者が複数出た時があった。そのため、婚姻を司る教会の届け出書には、特殊な魔法が施されているのである。


だから、仮に婚約者のいる者が、別の人間と婚姻を結ぼうとしても、婚姻届けに名を書くことはできないし、仮に教会の書式以外の別の用紙に書こうとしたところで、司祭からの祝福を受けることはできない。


この国の婚約というものは単なる口約束ではなく、強固な契約魔法として婚約者同士を縛るものでもあった。


だから、婚約を証明するための指輪などというものは特に必要は無い。


だが、ほとんどの女性は婚約指輪を婚約者から贈られることを夢見るものだし、また、男性側も、婚約者となった女性から、婚約指輪を喜んで受け取っている。


だから、司祭の問いに、シアレーゼもアレンも「はい」と返事をした。

その返事が重なり、二人は目を合わせて、くすりと笑う。


アレンはシアレーゼの指に、アレンの髪と同じ赤い宝石のついた指輪をはめる。

シアレーゼは、先ほど父親が商会で買ったばかりの指輪をアレンの指に嵌めた。


「……まだちょっと大きいね」


照れくささを誤魔化すように、シアレーゼは告げた。


「あはは、ぶかぶかだね!大人になるまでは、チェーンを通して首から掛けておけばいいんじゃないかな?」

「ふふっ!アレン様と結婚ができるころにちょうどぴったりになるのね。素敵だわ!」


教会での婚約と指輪の交換。

急に大人の階段をのぼったような気分になり、シアレーゼは更に浮かれた。


この時のシアレーゼはグボーツオーツの一族の事情も伯父のカイエンのことも……クロムのことすら、すっかりどこかへ行ってしまっていた。


そうして、シアレーゼはアレンとの未来を夢に描いてしまった。


(このまま大人になって……きっとアレン様とわたしは素敵な家庭を築くのね)



けれど、それは夢でしかなかった。

七年後、シアレーゼはこの日のことを後悔したのだから。



お読みいただきましてありがとうござました!

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