1 馬車は軽快に川沿いの道を進む。
新連載です。
2~3日ごとに更新予定。のんびりお付き合いいただけると幸いです。
全12話で完結。
馬車は軽快に川沿いの道を進む。
馬車の窓から見える空は青く、雲一つない。もう間もなく初夏。吹き込んでくる風は心地が良かった。
シアレーゼ・ライトオーツは、その風を胸いっぱいに吸い込んでみた。
(川が近いからかしら、水の匂いがするわ。それに草の匂いも……。ふふっ、気持ちいい)
対面の席に座るシアレーゼの父、ファイウッドもシアレーゼと同じように深くゆっくりと息を吸い込んでは吐き出していた。
(お父様も……わたしと同じように風の心地よさを感じているのかしら?それともわたしと二人きりの外出を喜んでくださるのかしら?ああ、もしかしたらさっきの商会で、わたしのドレスを買ってくださった時のことを思い出しているのかしら?このドレス、可愛いだけじゃなくて、着心地もすっごく良いのよね)
商会で一目見て気に入ったのは若草色のデイドレス。
シアレーゼの金色のふわふわした髪にも、翡翠色の瞳にもよく似合っていた。
他の商品には目もくれず、すぐに試着をさせてもらったのだ。そうしてそのまま店員に案内されて、シアレーゼは姿見の前に立った。
鏡の前でシアレーゼは背筋を伸ばして、ドレスのスカートを摘まんだ。左足もすっと引く。礼儀作法の家庭教師に習ったばかりのカーテシーだ。
「おお、シアレーゼ!立派な淑女になったなあ」
ファイウッドの感心したような声に、シアレーゼは「えへ」とえくぼを浮かべて微笑んだ。
「わたし、淑女?子どもには見えない?」
「ああ。まだ十歳なのに立派なものだ」
「嫌だわお父様。まだ十歳ではなくて、もう十歳よ!」
父親と娘の微笑ましい光景に、商会の店員たちも思わず笑みを浮かべていた。
(お父様と二人きりで出かけるなんて初めてだったけれど……楽しかったしすごく嬉しい!ああ、早くライトオーツの屋敷に帰ってお母様や弟のキリーにこのドレス姿のわたしを見せたいわ!それからエメラルダお従姉様にも……クロムお従兄さまにも)
きっと褒めてくれるに違いない。
そう思うと一刻も早く家に帰りたくなる。
(この馬車に翼がついていて、空を飛んで屋敷に帰れればいいのに。そうしたら、すぐに屋敷に着くだろうし、もしもエメラルダお従姉様とクロムお従兄様が我が家にいらっしゃらなくても……グボーツオーツ本家にまでだって、きっと一瞬で飛んでいけるわ!)
そんな空想をしながら馬車に揺れていたシアレーゼなのだが、馬車はいつまで経っても屋敷に辿り着かない。
随分と時間がかかっているのね……と思い、シアレーゼは再度馬車の窓から外を見る。
馬車は丁度、川に架けられた橋を渡っているところだった。
(橋?我が家に……ライトオーツの屋敷に戻る道でもグボーツオーツの本家に向かう道でもないわ。だって馬車が通れるほど大きな橋なんてなんて、わたし、今まで渡ったことなんてないもの……)
どういうことだろう。
この馬車は何処に向かっているのだろう。
見知らぬ道を進む馬車。
不安で、落ち着かない気分になる。
そして、その不安はすぐに大きく膨れ上がっていった。
黙って耐えることができずに、シアレーゼはファイウッドに尋ねた。
「あの……、お父様。屋敷には、帰らないのですか?この馬車は、どこに、向かっているのでしょうか……?」
「ああ」
ファイウッドは、今気がついたかのようにわざとらしくひとつ頷くと、「そういえば、行き先を告げていなかったね」と前置きをした。
「これからシアレーゼは、お父様と一緒に教会に行くんだよ」
そんな予定はなかったはずだ。今日はグボーツオーツ領の一番大きな商会で買い物をして帰る。それだけだったはず。なのに何故教会などに……。
「きょう、かい……?どうして、そ、そんなところに……」
にんまりとした、まるで何かの悪戯が成功したかのような笑みを浮かべた父親を、どうしてだか怖いと感じてしまい、シアレーゼは声の震えを押さえることができなかった。
こんな表情の父親を、シアレーゼは見たことがなかった。
シアレーゼの知っている父親は、いつも植物のように静かであった。
グボーツオーツ伯爵家の分家の一つであるライトオーツ家。
そんな家に婿入りしたファイウッドには、屋敷で行う仕事はない。
剣技を磨くわけでもなく、領地経営に関わるわけでもない。ただ、シアの母親であるマリーエンデとの間に子を成せばいい。そのために、グボーツオーツの一族の外から迎え入れられた、つまりは単なる種馬。子を成せれば、後はもはや用済み。
だから、ファイウッドはいつも屋敷の図書室や温室などでぼんやりと本を読んでいたり、絵を描いたりしているだけだった。
シアレーゼや弟のキリーが傍に寄っていけば、優しく頭を撫でてくれるが……。そんな父親の姿しか、シアレーゼは知らなかった。
馬車の車輪がからからと音を立てて進む。
どこか別の世界に連れていかれるように感じて、シアは自分の手で自分の体をぎゅっと抱きしめた。
「そこでフォアサードとアレン君が待っているからね」
会ったことはないが、シアレーゼもその名前だけは知っていた。
ファイウッドの、数少ない友人であるフォアサード伯爵とその息子のアレン。
隣接している領地の上に、学生時代からの友人同士ということもあり、ファイウッドがライトオーツ家に婿入りをしてからも、フォアサード伯爵とファイウッドが頻繁に手紙のやり取りはしていたことをシアレーゼも知っていた。
手紙を読んでいる時のファイウッドの柔らかな笑みを、シアレーゼは見るのが好きだった。
「フォアサード伯爵とアレン様にお会いするために、き、教会に?」
ドレスを買った商会の近くにはカフェだの公園だのがたくさんあるというのに。何故わざわざ教会などに行くのだろうか?
するとファイウッドは上着のポケットから小さな箱を取り出して、中に入っていた指輪をシアレーゼに見せた。
「さっき商会で買ったんだよ。少々小ぶりだが、この指輪についている翡翠はシアレーゼの瞳の色に似ているだろう?」
「……キレイですね。でも、わたしの指には少々大きな気がしますが……」
「ああ。もちろんこれはシアレーゼからアレン君に渡すものだからね」
シアレーゼはきょとんとした顔になり、首を横に傾げた。
「はい?わたしが、アレン、様に、指輪を、渡す……ですか?」
「うん、そうだよ。これから教会でシアレーゼとアレン君の婚約を結ぶからね。これはつまり婚約指輪というものだね」
婚約を結ぶ。
その言葉がシアレーゼには理解できなかった。
「あ、あの、お父様?誰と誰が婚約を……」
「決まっているじゃないか。シアレーゼとアレン君の婚約だよ。それを結ぶために今から教会へと向かうんだ」
婚約。
名前を知っているだけの、会ったこともない相手と。それに……。
シアレーゼの顔色がさっと変わった。
「待ってくださいお父様。カイエン伯父様の許可は……、」
カイエンの名を口にした途端に、ファイウッドの表情に怒気の色が加わった。
「……娘の婚約は父親が決める。それのどこがおかしい。伯父の許可など必要ない」
普通の貴族であれば、家長である父親が娘の結婚を決めるのは当然だろう。ファイウッドの言葉におかしさはない。
だが、シアレーゼのライトオーツ家では事情が少々異なる。
そもそもが、ライトオーツ家はグボーツオーツの分家でしかない。
そして、ライトオーツ家の家長はファイウッドではなく、シアレーゼの母親であるマリーエンデ。
グボーツオーツ本家の現在の家長がマリーエンデの兄であるカイエンであり、カイエンはグボーツオーツ本家と、それからライトオーツ家など四つの分家を総括している。分家に経営権は無い。一族の婚姻に関しても、全てグボーツオーツの本家から指示をされる。
何故そんなことになっているのかと言えば、一族の血統を守るため。
このクノッヘンハウアー王国では、治癒や解呪といった能力は王家と……それからグボーツオーツの一族の者にしか受け継がれていない。
というよりも、元々王家のみが持っていたその特殊能力を保持させるために、意図的に作られたのがグボーツオーツ家を中心とするライトオーツやレフトオーツといった四つの分家だ。
二百年前の国王が多くの愛人を作り、その愛人の子の中で比較的能力の強い者たちを娶せて、グボーツオーツという家を作った。
流石に今では兄弟姉妹間で婚姻を結ぶことはなくなったが、それでも比較的近い親族同士で婚姻することが、二百年前の誓約により、グボーツオーツ家には課せられている。
だが、一族間での婚姻を繰り返せば、血が濃くなりすぎて弊害も起こる。
そのために、何代かに一度、ファイウッドのようにグボーツオーツの一族以外から婿を取ることになっていた。
そういった事情の婿養子に過ぎないファイウッドには、当然一族の中で発言権や決定権などは全くない。
シアレーゼの婚約を、婿養子に過ぎないファイウッドが決めるということは、グボーツオーツ一族の常識の中ではありえないことなのだ。
「あ、あの……わたしは、クロムお従兄様と、将来結婚するのだと……カイエン伯父様から言われて……」
「だけどそれは正式なものではない。婚約届などは交わしていない」
たしかにシアレーゼはクロムと正式な婚約を交わしてはいない。
だが、一族の中では絶対的な権限を持つカイエンの言葉に逆らう者はほとんどいない。カイエンの実子であるエメラルダとクロムという例外もあることにはあるが。
ただその例外であるクロム本人とシアレーゼの仲は良好だ。
いとこ同士という関係ではあるが、まるできょうだいのように仲が良い。お互いの屋敷を行き来して、二・三日に一度は顔を合わせている。
シアレーゼはクロムに恋をしているわけではないが、それでも優しい従兄と将来夫婦となることに疑問を抱いたことはなかった。なのに。
「いいかいシアレーゼ。確かにグボーツオーツ本家のカイエン様は一族の長だろう。だけど、シアレーゼはグボーツオーツの家の者ではなく、ライトオーツの家の人間だ。一族の長だろうが、カイエン様はシアレーゼにとっては伯父でしかない。父親と伯父。娘の婚姻を決めるのであれば、当然父親の意思が優先される。それが世間の常識というものであり、グボーツオーツの常識が、残念ながら世間とは異なっているんだよ」
常とは異なる父親の強い口調に、シアレーゼは混乱した。
それ以上、お互いに何も言わないまま、ただ馬車だけが進んでいった。




