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この世界に生まれ落ちた時、私はすでに崇高で神格的な存在だった。この世界ではそんな存在を神と呼ぶ。
私がこの世界に降臨したのは、世界の安寧と平和を見守る存在に昇華する為だということを、生まれながらに自分の使命として認識していた。
人間と共存し、人間を知る。世界には私のような「神の卵」がちりばめられている。それでも、世界から戦争や悲しみ、増悪といった感情が消えないのは、私達神の一族の努力不足と言えるかもしれない。もっとも、すべてを神に責任転嫁されても困るのだが。
神々のルールの中で、私は日本のある町へと召喚された。私には幼い頃の記憶がない。この世界で目を覚ました時、私はすでに「イアラ・メリージュリック」というアメリカ人だった。
何故日本に派遣されるのに日本人でなかったのかというと、日本で数百年生活した後、英語圏のある国に移動することが多いからだと、私は勝手に思っている。実際は神々の手違いなのか、私のような駆け出しには想像が及びもつかない考えがあってのことなのかもしれないが、真実は分からない。
誰かから指示された訳ではない。生まれ落ちる際にインプットされた、人間を知るという使命。私はその使命感にしたがって、この世界で生活することになった。
私の派遣先はある雑貨店だった。まずはこの雑貨店で働きながら人間関係を学び、徐々に見聞を広げて世界を見て回るというのが、私に用意された筋書きであり任務だった。ただ、この世界には様々な決まり事があり、私が任務を遂行するにはどうしても協力者が必要だった。
まず私がこの世界に降りたってやったのが、ある終末期患者の救済だった。本来、神は私情で万物の生物を救済することを神々の禁忌として禁止している。ライオンに食べられそうになっているシマウマを救うなど、言語道断だ。
ただ、神々の理不尽な権限により、それが一部許されることがある。それが今回のように、【神の卵が人間界に研修しにくる時】だ。
私は現在の雑貨店の場所に降り立ってから、ある男を救済した。彼は六十歳過ぎの男性で、天涯孤独の人間だった。神から与えられた情報によると、彼は幼い頃から体が弱く、そのことに奮起して医者にまでなった。
多くの患者の命を救ったが、自分の病には打ち勝つことができず、医師を引退してからはほとんどの歳月を病院で過ごしていたそうだ。彼の死期は目前まで迫っていた。彼には役者になるという夢があった。
救済=夢を叶えることではない。夢は自分の力で切り拓く必要がある。実際、安易に人間や動物を助け、厳罰を受けるという神の卵はとても多い。
神の卵は人間を初めとする様々な生物と同様、生れ落ちてすぐの経験に考え方を左右される場合が多く、どんなことが起こっても感情的にならず、客観的・俯瞰的に物事を見て公平に富を与えなければならないのだ。
私は彼に健康な体と雑貨店のオーナーという役職を与えた。その対価として、私は雑貨店の従業員となった。広松恭二とは、そんな風に出会った。
広松と雑貨店を営む上で、私にも少なからず出会いはあった。彼と一緒に買い付けに行ったり、得意先に納品に行ったり、ごくたまに来る客と話したり。
だが、どの出会いも一過性のもので、深い関係になることはなかった。時には私に対して下心を持って接近してくる人間もいたが、そんな時は広松が守ってくれた。私は広松の運命を変えたが、彼の性格や人間性は変えていない。彼は生まれながらに優しい心を持っていた。
雑貨店で働き始めて三年が経過した。私は、生物学上では二十二歳になっていた。神にとって年齢という概念は不毛なものだが、この世界ではどうやらこの年齢がさまざまな事象によって作用してくるらしい。
「私ももう少し若かったら、劇団とかに入ったんだけどなぁ」
休憩時間中、広松がインドのSFコメディ映画を見ながら呟いた。
「今からでも目指せばいいのに」
「寄る年波には勝てないよ」
広松は笑いながら、映画の切りが良いところで一時停止し、再び作業を始めた。
「前に見たよ。ドラマでオーナーと同じくらいの歳の人が演技しているの」
「彼らは下積みがあるからねぇ。若い頃から演技の勉強をしていたから、私のような歳になっても活躍しているんだよ」
広松が言っていることはまともだ。確かに、彼の年齢で一から演技を始めるということは、ブレーキが掛かるものなのかもしれない。でも、やってみないと分からないのに。私は人間というのは、常にできない言い訳を探し、納得したくないことにも無理矢理ふたをする生き物だということを知った。
うだるような夏のある日。私は広松の指示で、道路に水を撒くことにした。打ち水というらしく、焼けるようなアスファルトに水を撒くことで、その水が蒸発する際に一時的に周囲の気温を下げる効果があるらしい。これはオーナーから教わった知識だ。
ちなみに、私たち神々の頭の中には万物の事象を知る自動検索機能の百科事典があるが、雑貨店で働き始めることになってから、私は最低限の知識と倫理だけをその事典から収集した後、使用していない。分からないことは自分の行動や相手の言動から学ぶことが、この世界では尊いことだからだ。