7月1日(3) SIDE-B
約束の土曜日は朝から快晴だった。本格的に夏になり、日差しが容赦なく降り注ぎアスファルトが仄かに熱気で揺らめいていた。
コンビニで待ち合わせをして、僕らは早速買い物に向かった。イアラは薄い水色のシャツワンピースに、革製のショルダーバッグを肩から掛けていた。クリーム色の髪に少しだけウェーブが掛かっており、化粧もいつもより大人びていような気がする。今日のイアラは、緻密な筆致で描かれた絵画のような美しさだった。
その事を証明するように、目的のファッションビルまで歩いている間、男女問わず誰もが振り返ってイアラのことを見ていた。彼女がこんなに気合いを入れて来ると思っていなかった僕は、ビルのガラス越しに見たTシャツと短パン姿の自分を見て、もう少し身なりに気を配ってくるべきだったと後悔した。
雑貨店はビルの六階にあった。ガラス張りのエレベーターに乗っていると、イアラは目的の階に付くまで目をキラキラさせながら外の景色を見ていた。
子供のような彼女の隣で、同じように外の景色を見ている子供がいた。赤い服の似合う、小学生くらいの女の子である。イアラはエレベーターに乗っている短時間の間に、いつの間にかその子と仲良くなっており、雑貨店のある方向を指差しながら「あそこにお姉ちゃんのお店があるんだよ」と言っていた。
そんな光景を両親とともに微笑ましく見ていると、やがて目的の階に付いた。ドアが閉まる時、女の子もイアラに心を開いたのか、ずっと手を振っていた。
目的の雑貨店は、僕らが勤める店と雰囲気は似ていたが、規模が全然違った。
広いフロアの三分の一程を占める店内には、さまざまな物が所狭しと置かれており、特に石を使った物が多く、雑貨店というよりはパワーストーンの店と言った方が近いように思えた。
僕らはそれぞれ店を散策することにした。歩いて見てまわると、石以外の雑貨が展示してある区画があった。カラフルなスリッパや、複雑な装飾の照明。観葉植物の飼育キットに、太めの糸で編み込まれた手提げなど。秒針と短針が葉っぱの形をしている掛け時計や、レジ前に置かれているお香などは店の倉庫で見たことがあったので、オーナーが納入したものなのかもしれない。
しばらく石の意味の書かれたPOPなどを見ていると、買い物を終えたイアラがやってきた。小さめの紙袋を大事そうに持っており、何を買ったかは秘密らしい。
その後、僕らは各フロアを見て回りながら買い物を楽しんだ。今日は花火大会に合わせてイベントを行っているのか、あるフロアでは風船を配っていた。イアラが欲しそうにしていたが、子供限定だったので何とか彼女をなだめてその場を去った。
結局商品を買ったのはさっきの雑貨店だけだったが、いろいろな店を見て回るだけでも十分楽しく、あっという間に昼になっていた。
「おなかすいたねー」
「今日はあいつにサービスしてもらおう」
僕らは一階の喫茶店に移動した。友人には今日この時間に来ることを伝えてある。
店内に入ると、昼時ということもあり混み合っていたが、僕らは窓際のカウンターに座ることができた。カウンターの正面は一面ガラス張りで、大きな交差点を大量の人が行き交っている光景が見えた。浴衣姿の人もおり、数時間後に迫った花火大会に胸を躍らせているように皆笑顔だった。
店内を見渡したが、友人が見当たらない。彼は忙しい時はホールも厨房も兼務していると言っていたが、もしかしたら今は厨房にいるのかもしれない。その事をイアラに話すと、とりあえず注文しようということになった。僕はパスタを、イアラはグラタンを注文した。
待っている間友人にメッセージを送信していると、目の前に紙袋が置かれた。
「これ、律樹にプレゼント」
「僕に?」と聞くと、イアラが「心配掛けてばっかりだったから」と言った。こんな事なら、漫然と石の説明なんて見ずに、僕も彼女の為に何か買ってあげれば良かったと後悔した。
「開けてみて」
笑顔のイアラに促され、紙袋から丁寧にプレゼントを取り出した。
「おお、これは……」
「それ、もともとうちのお店にあったものなの。でも、どうしてもあなたにプレゼントしたくて買い戻しちゃった」
イアラが買ったものは、以前は木製の商品のコーナーに置かれていたものらしい。そう言えば以前、オーナーとイアラが棚の前でそんな会話をしていたような気がする。
「ありがとう。早速家に、」
イアラから受け取ったプレゼントの感想を言おうとした時、
「悪い! 遅くなって!」
と、慌てた様子で友人が料理を運んできた。
「バイトが急に休んじゃってよ。それで俺が……ん?」
友人は料理を置いた後、何気なく僕の隣にいるイアラを見た後、二度見した。
「ええと……、You&YouはBestFriend?」
「何だよその言い方」
混乱しながら身振り手振りで状況を確認しようとする友人の言動に、イアラがふきだした。
「面白い人ね」
イアラは友人に手を差し出し、「初めまして。律樹の友達のイアラ・メリージュリックです」と言った。
「いや、日本語うまっ! ああ、俺はこいつの友人で、大学の……」
友人は前掛けで皮脂が削れ落ちるほど手を拭いてイアラの手を握ろうとした。しかしその時、厨房の奥から友人を呼ぶ声がして、彼は振り返って大きな返事をして悔しそうに戻っていった。
「忙しい人ね」
「学校でもああなんだ」
僕らは厨房でこき使われている友人を見ながら、料理を食べた。こっそりサービスしてもらった梨のジェラートを食べ終わるまで友人が戻ってくることはなく、今度改めて紹介することにして店を出た。
店の外に行き、交差点の信号待ちをしている時、何気なく振り返ると喫茶店の中から友人が手を振っているのが見えた。ちょうど客足のピークが過ぎたようで、ようやくホールに戻ったらしい。そのタイミングで携帯電話が震動したので見てみると【今度ちゃんと紹介しろよ!】とメッセージが来ていた。僕は一言【分かった】と返した。
「そうだ。イアラ、プレゼント……」
改めてお礼と感想を言おうと、イアラに話しかけた時だった。信号待ちをしていた僕らの視線の端を、赤い何かが通り抜けていくのが見えた。
そのまま視線を上げると、ちょうど目の前にカラフルな風船がゆらゆらと浮遊していた。続いて、赤い服を着た少女がその風船を追いかけていると気付いた時、横断歩道の信号が赤であるということと、右からトラックが迫って来ていることに気付いたのはほぼ同時だった。
「危ない!」
隣でイアラが叫ぶ声が聞こえた。その声に振り向いた女の子は、すでに車道に飛び出しており、声がした方向と風船を交互に見比べている。よく見るとイアラがエレベーターで話していた女の子で、信号待ちをしている人達の集団の後ろから、その子の両親が慌てた様子で追いかけてきていた。
その瞬間、すべての景色が緩慢に動き、僕は気付いたら走り出していた。
必死に手を伸ばし、何とか女の子の襟首を掴むと後ろに思い切り引っ張った。半ば後ろに投げ飛ばすような勢いで女の子は歩道側に飛ばされたが、イアラがうまくキャッチしてくれた。だが僕はそのまま体制を崩してしまい、片膝をついてしまった。
「律樹、早く!」
イアラの声が聞こえたが、体が硬直して動かない。直進してきたトラックの運転手と目が合う。直後、運転手は急いでハンドルを大きく右に旋回させたが、その時にはすでに体全体に重い衝撃を受けており、僕は前方にはね飛ばされていた。そして今まで体験したことのない滞空時間の後、固いアスファルトに叩き付けられた。
急ハンドルのせいでトラックは横転し、大量のクラクションと響き渡る悲鳴で交差点は大パニックになっていた。全身に広がる痛みと徐々におぼろげになっていく意識の中、駆け寄ってきたイアラの姿を見た時、僕は目を閉じた。